愛しき殺意 10
少女は人形遣いに…
「グェエェェェ……」
グレイの言葉を待たずに悪霊は額の呪紋が描かれ終わると同時に右眼の赤黒い色の中に霞のように消えていった。後に脱力してグレイの腕に身を任せる少女を残して。
「光の杖を持つ尼僧か…。願わくば逢うことなく済むほうが望ましいのですが…」
光の杖を持つ尼僧。彼女への記憶が…過去への記憶が『鍵』。
闇の剣を…闇の力を解放するため剣の中の魔物が彼女を支配し、尼僧を襲うための鍵。
白魔導師崩れはそう確信していた。
(私如きの力で…闇の『鍵』を完全に防げるとは思えませんし…)
「もう『鍵』を封印した以上…思い出させるのも…逢わせるのも…最後の手段…でしょうね」
矛盾した四つの約束。その全てを守るために。
何より、最も重要な約束…魔王の復活を阻止するために。
「まぁ、仕方在りません。コレで暫くは様子を見ましょう」
5.疎まれし者
「いたたた…」
ゆっくりと歩きながらエァリエスは頻りに頭を軽く叩いている。
「まだ酒毒酔いが抜けませんか?」
先を歩くグレイは時折、振り返ってはエァリエスの様子を心配していた。
野宿した街道脇の森の中を発って優に半日が過ぎ、既に夕刻。これでは今日中に辿り着く筈だった街には日が暮れるまでには辿り着けそうにない。それでも二人は樹が疎らに生えている草原の道を街に向かって歩いていた。
「まさか…ねぇ。昼近くまでオヤスミになられるとは思いもしませんでしたよ。それならばそうと言って下されば、岩殻葡萄に脱酒毒の術を施しましたのに。しかし、たった数個の実で気絶なさるとは…よほど酒毒に弱いのですね」
事実を隠して飄々と話しかけるグレイの言葉には一仕事終えた安堵感が漂っていた。
「うるさいっ! 人形遣いなんぞの手を借りてまで楽に生きようとは思わないのっ!」
悪態をつきながらも、睨む目に邪気がないのは痩せ我慢の所作だろう。
「はいはい。こんな人形遣いに関わったら命が幾つ在っても足りませんからね。どうぞ御自愛下さいませ」
軽くあしらいながら、グレイは楽しそうにゆっくりと歩いていく。その様子を…一層、軽くなったグレイの言葉の調子をも訝しげに見つめるエァリエスは…思いきって尋ねた。
「なぁ…グレイ」
「なんでしょ?」
暫しの沈黙の後…少女は問う言葉を続けた。
「さっき、…変な事…しなかった?」
「え?」
ぴたりと歩みを止めてグレイは振り向きもせずに聞き直した。
「今…なんと?」
その声は軽い怒りに浸っている。
「いや、昨夜といい、さっきといい、なんか気絶していた後で気持ちが軽くなったような…なんか変な…変な気分なんだけど…だから! 変な事をしたの? しなかったの?」
ゆっくりと振り返って見る少女は顔を紅潮させて今にも消えてしまいそうだ。
グレイは…かつては僧籍に身を置く者として侮蔑に近い言葉と受止めてしまった事を恥じ、目の前に居る者がそういう妙齢であった事を今更ながらに思い出した。
…が、どのように応えていいのかはすぐには思いつかなかった。
「い、いや…何も…しませんでしたが?」
硬直したまま動揺を隠せず愚直に応えるグレイをエァリエスは不信の眼差しへと変えて睨む。
「いえ。本当です。本当に何も変な事とか怪しい事はしていませんってば! えぇっと…そういえば…顔の傷の様子は見ましたけど…ぶっ」
顔面に少女の袋鞄を受けてグレイは後方に勢いよく倒れてしまった。
「どうせ、顔にこんな傷が在ったら女とは認めてもらえませんからね!」
「いや、あの…そんな事はないと思いますよ」
「いいさ。こんな傷が無かったら…こんな事も、仕事も生活もしていなかったかも…」
「違います!」
既に泣き顔になりそうなエァリエスの腕を掴み、引き止めてグレイは真顔で応えた。
「貴女の傷は…その傷こそが貴女を救っているのです。いずれ…ぐぶっ」
股間に鈍い衝撃。
その箇所に受けた蹴りの衝撃が全身を寸刻みに鈍器で叩き潰されるような痛みに変るまでには…ほんの少しの時間だけが必要だった。
息をも継げずに転げ回るグレイを無視してエァリエスは誓った。
「決めた! いつかこの傷を跡一つ残さず癒してやる。最高の白魔導師に見て貰ってね。その為に稼ぎまくってやる!」
「いや…あの、そ…んなに気合を入れなくても…白魔導師の治療は…基本的に…無料なんですけど…」
未だ転げながら、グレイは心の中で安心した。
(まぁ、好い事です。生きる目標が在るうちは闇に心を奪われる事もないでしょう。…でも、やはり…あの傷は…癒さない方が…)
『栓』をしながらも出来には自信がない。ならば、今まで闇に呑まれるのを止めている傷は治すべきではない。どうやって説得しようかと考えたいのだが…
…今は痛みで思考が進まない。
「グレイ! いつまで転げてんだい! アンタに貸してた金も返してもらうからね。さっさと行くよっ!」
「え…はい。もう…ちょっと待って…」
読んで下さりありがとうございます。
光と闇の挿話集としては短編の2作目になります。
これは10/16話目です。
投票、感想など戴けると有り難いです。