愛しき殺意 1
1.約束
「…約束しましょう。これも間違いなくあの子にお渡し致します」
若き僧侶が受け取ったのは聖絹の包み。包みを渡した少女が僧侶に誓った。
「アタシ…妹が戻るまで剣を使わない。剣術大会になんか…もうでない!」
「どうしてですか?」
静かに尋ねる若き僧侶。
「だって…アタシが優勝なんかしなければ…王宮に招かれなければ…妹が…あの子が……」
少女の後悔が涙となって溢れ出る。
「…あ聖宝を、光の杖を掴むなんて事…無かったんだ」
少女の後悔を敢えて無視して僧侶がにこやかに笑って応えた。
「駄目ですよ。この戦乱の世であなたはあの子が戻るまで帰る場所を守って頂かねば…」
僧侶の言葉を、諫めを聞き逃したかのように、少女は視線を合わせない。
「大丈夫。すぐですよ」
「え? すぐ……なの?」
僧侶を見つめる少女の両の碧い瞳から未だ溢れる大粒の涙。無垢な涙に叱責されたかのように若き僧侶は言葉を続けた。
「ええ。すぐです。そうそう。あの子からの伝言です。『必ず会いに行くから』と。『何が在っても、この世が在る限り。魔王を討ち滅ぼしてでも必ず会いに行く』と…」
「ほんと?」
「ええ。本当です。『魔王を打ち倒して会いに行く』と。約束の言葉を私に託してあの子は光の寺院へと旅立ったのですよ。だから、あなたはあなたのまま。剣術に精進して…あの子が戻るべき場所を守っていかなければなりません。いいですか? 約束ですよ」
「うん。判った……」
少女は涙を拭い、そして在ることに気がついたように声を上げた。
「そうだっ! アタシがもっと強くなって…強くなってアタシが魔王を打ち倒したら…帰ってこれるんだよね?」
少女の言葉に若き僧侶は驚き、そして笑った。
「魔王を打ち倒すんですか? ははは。それは私達に任せてください。大丈夫、魔王なんかを復活させません。約束します。そうすれば…あの子はあなたの元へと帰ることが…」
「ほんとう? じゃ、アタシ…待ってる」
少女は僧侶に諭されて笑顔を取り戻し、涙を拭うと門の外で待っていた家族の下へと走って行った。僧侶の言った言葉の意味を深くは理解せずに。
若き僧侶もまた深くは考えずに約束した。既に行ってしまった在る事への懺悔かのように。二人の少女と…三つの…いや、四つの約束を。総てを適えるのは無理と判っている約束。
そして見送る僧侶の顔にはある決意が顕れていた。人生の方向を変える決意が…
2.殺戮者
「ぎゃあぁぁぁぁぁ…」
深い森に囲まれた草原に初老の男の声が響く。
白銀の鎧に上質の銀絹のローブを羽織る白髪の初老の男が血みどろになりながら片腕を抱えて叫び、転げ回っていた。何一つ傷ついてない白銀のフルアーマー。しかし、その継目から滴る鮮血は鎧の中の腕が無惨に刻まれた事を物語っていた。辺りにも呻き、蠢くブガレード(上半身だけの鎧)の男達。草原の一角を赤黒く染める飛び散った血糊が惨劇の総てを物語っていた。
その中で…ただ1人、無傷の双剣の剣術師が呟く。
「不甲斐ない。それでは甲冑が啼くだろうに…」
男達の銀のブガレードに飾られた金の象眼の呪紋様。さらに鎧の上に羽織っていたであろう白絹に金糸で刺繍された豪奢なマントの呪紋様はともにレガス国の警護兵の証。しかも、かなりの身分の者につく警護兵と見て取れる。ただ、今は総ての兵が血の海に転げ回り、鎧とマントは血泥に汚れるままになっているのは無様の一言に尽きた。時折、鎧とマントの呪紋が光り輝き、染み込もうとする血糊をその呪力で防いでいる様はただ一人の剣術士に倒された主人達の無能さを嘲笑っているようだった。
そして…草原の彼方に悲鳴をあげながら逃げ去る人影も同じ警備兵達。
「…主人を見捨てて逃げるような兵士がアタシを倒せるとでも思ったのか? 将軍」
今は息荒く苦痛に耐える初老の将軍に、静かに歩み寄る双剣の剣術士。鎖が中に織り込まれているであろう樹綿のローブはかなり草臥れ、その上に重ねる同じ造りであろうケープ(フード付の胸までのコート)もまたかなり使い込まれたもの。戦場に身を投じるには余りにも軽装な身形は相手が賞金稼ぎであることを…しかも手練れの賞金稼ぎであることを物語っていた。
樹綿のケープを深く被っているために賞金稼ぎの剣術士の顔はよく見えない。それでもケープから流れ出る濃い金髪の奥に輝く瞳は将軍にもよく見えた。片方は血の海のように赤黒く、もう片方は澄んだ空のように碧玉の色。身形や声からしてまだ若い女のよう…しかし、今見せた剣技は百戦を闘い抜いた男…レガス国の老将軍でさえ見たこともないほど凄まじく氷嵐のように容赦ない。鬼神の如く、夜叉の如く…魔に魅入られたような強者。
(それほどの使い手ならば知らぬ筈がないのだが、…誰だ?)
将軍は痺れるような痛みの中で相手の正体を見極めようとしている。それは長年、戦場に棲む者の慣わしともいえた。
(太刀筋ならば記憶にある。…確か『反逆の傭兵』の太刀筋)
双方の片目の下に逆さ十字の傷痕のある…反逆の双剣術士と呼ばれた兄妹の傭兵。
(しかし…あの女の方だとしてもまだ若すぎる…それに…)
二つの剣を構える姿は独特のものだ。片腕で正眼に構えているのは正統といえば正統。だが、右腕は…刃先を背に回すかのような片八相…いや、八相崩しの右上車か。双剣の剣術士は傭兵には多いが、それでも見たことのない構え。
携えている剣も…左の剣が長刃のソードブレーカーというのも珍しいが、右の剣…刀身が漆黒の闇のような一片の光すらも返さない黒き剣は見たことはない。
その黒き剣が、自分が装備している鎧をもろともせずに中の腕を切断した。
(目的が命ならば…暗殺ならば既に我が命はない…目的はなんだ?)
痛みの中でも相手の目的を訝った。
「わ、わかった。御主の狙いはなんだ? 我が命では在るまい? なんでもやる。命だけは助けてくれ…」
無論、将軍の本意ではない。卑しくも一国の将であり軍を指揮する技量と度量の持ち主である。相手の目的を探る為の…下手な芝居であった。
「確かに…貴様の命なぞいらない」
読んで下さりありがとうございます。
光と闇の挿話集としては短編の2作目になります。
16話で完結します。
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