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第2王子の王位継承  作者: 嘉戸なすは
第二章 旅立つ者たち 編
9/23

第9話 王城の中




   ・・・




「レン! ひさしぶりだな!」


 懐かしいとも感じる名前の呼び捨て。

 護衛を連れる俺に向かい、堂々とそんな暴挙をしてきたのは1人の女だった。

 エストラーク軍の指揮官服を着ていて、長いであろう髪は綺麗に結い上げられている。


 どっかで会ったような…そうでもないような…。


 女は手を大きく振りながら俺に近寄ってくる。

 もちろん護衛達はそれを良しとせず、道を塞ぐ。

 俺を呼び捨てにしたせいもあって、すでに剣に手が添えられ、かなりピリピリした状態だ。


「うわっ、なんだよ」


 女は護衛達の対応に驚いている。

 どう考えても不敬ふけいきわまりないので、女自身に思い当たる節があるはずだが。


「おいレン、止めさせてくれよ」


 また俺を呼び捨てにする。


「貴様! 陛下に無礼であろう!」


 いよいよ護衛の近衛騎士が怒りだした。


「ちょっと待ってくれ。オレはレンの友達だ。怪しいもんじゃない」

「貴様、私達を舐めてるのか!?」


 このままでは本気で剣が抜かれかねない。


「少し待ってくれ。この人と話がしたい」


 護衛達には我慢してもらい、剣を収めてもらう。

 とりあえず殺伐とした空気が消えてから、改めて女と対面した。

 しかし…。


 うーん…。


「すまない。貴方あなたに覚えがないのだが、どこで会っただろうか?」

「はあ!? 何言ってんだよ。オレだよオレ」


 ビシッと自分の顔を指して主張する女。


「?」


 ジッと顔を見ても、いまいちピンと来ない。

 悩む俺に、女は「あっ!」と声を上げる。


「目ぇつむってくれ」


 いきなり女が言ってくる。


「目、閉じろっていってるんだよ。ほれほれ早くしろよ」


 折角落ち着かせた護衛達が女の身勝手な振舞いに、再び爆発しそう。

 俺は横目で彼らを制して、女の指示に従って目を閉じた。


「打ち払え風! 切り払え風! 薙ぎ払え風! 焼き払え風! 我は―」


 視界がふさがる中、耳に入るのは聞き覚えのある言の葉。


 これは…呪文だ。魔術の発動に欠かせない祝詞のりと


 それまでは全然聞き覚えないように感じていた声は、目を閉じて聞いたら、なぜか急に知ってるような気がする。


 と、冷静に考えていて、はっとする。


 おい! これって魔術の呪文だぞ!

 何考えてんだ。


「やめろ!」


 目を開ければ、完全に剣を抜いた近衛騎士たちが俺の前に立っている。

 俺が止めなければ、女に斬りかかっていたかもしれない。


 と、いうか。


 王に目を閉じさせて、自分は魔術の呪文を唱えるとかどんな神経してんだ。

 どう考えてもやばいだろ。


 女はおっかなびっくりって感じで身を引きながら、それでも「おー怖っ!」って笑っている。

 こんなやつ、出会ってたら忘れようがないと思うんだが…。

 がさつというか、豪快というか、大雑把っていうか。


 そこまで考えて、ふと、1人の友人の顔が思い浮かんだ。


 そしてすぐに頭から消す。

 いやいやあり得ないだろ、と。

 だって俺の知る彼女は、髪ぼっさぼさで、もっとこう、だらしない感じだった。

 でも、眼の前の女は、礼儀とかは別にして、身なりはきちっとしてる。


 だけど、そうだと思うと、それ以外に思い当たる人間がいない。


「お前…もしかしてアンジュか!?」


 俺が出した答えに、女は満足そうにうなずいた。


「やっっっと分かったか。おせーぞ、レン」


 笑うアンジュに、あきれてしまう。

 王になってもここまで態度を変えないやつがいるのだなと。


 あと、全然気付けなかった俺自身にも呆れる。


「みんな、大丈夫だ。彼女は本当に私の友人だ」


 護衛達に説明し、納得してもらうのにしばし。

 やっと俺は正体が判明した学友とゆっくり話すことができた。

 場所を俺の政務室に移し、室内は俺とアンジュだけ。

 護衛達は扉の外で待ってもらっている。

 用意された椅子にドカリと座りこみ、アンジュが話す。


「ったく、なんで分かんないかなー。あれだけ時間を共にした乙女の顔を忘れるとか男としてどうよ?」

「うるさいよ。お前こそどうしたんだ。全然雰囲気が違うぞ」

「ああこれか? 配属が中央に決まって、さすがにあの髪で出勤するのを母様は許してくれなくてな、無理やり結い上げられてしまったんだ。ちなみに化粧もしているぞ。もちろん無理やりされたわけだが」


 一気に様子が変わったのはそのせいか。


「っていうかお前、簡単には気付けないって分かっててやったろ」

「いやー、そんなことないぞー」


 そっぽを向いて、はい嘘ですと言わんばかりの棒読み。


「だけどよレン。この間の卒業式でもオレはこの髪型で来てたんだぞ。分からなかったか?」

「分かるか! どんだけ人がいたと思ってる!」


 もし見つけていても、それこそ声を聞かない限り絶対に気付かない自信がある。


「それにしても王城勤務か。さすがトラム家の御令嬢だな」

「やめろよ。お前こそ今や一国の王じゃないか」

「分かってるならもう少し気をつけてくれ。不敬罪に問われても文句言えないぞ」

「オレとレンの仲じゃないか。細かいこと言うなよ」


 細かいことでは決してない。結構大事なことだ。


「で、なんか用事でもあったのか?」

「いや別に。ただ王城に入れるようになったから、王様してるレンに直接会いたくなって来てみた」


 そんな気軽に、あんな無謀なことをするとは、さすがと言えばいいのか。


「頼むから俺がいないところで、さっきみたいな態度するなよ。守ってやれないぞ」

「当たり前だろ。それぐらいオレも分かってる。何言ってんだ」


 当然とばかりに真顔で返すアンジュ。少しイラっとした。


「ところでさ」


 と、アンジュ。


「シルトはいねぇの? あいつにも会いたかったんだけど」

「シルトは会議中だよ。近衛騎士団のな」

「はー。あいつも偉くなっちゃって。すげーな」


 王様にそんな態度できるお前も十分すごい。


「クライノートとチナも中央配属だから、ウチの部隊はほとんど王城に集まってる。トゥルがいないのはおしかったな」

「そうか、トゥルは地方配属だったか」


 以前それで構わないとトゥル本人は言っていた。

 中央、つまりは王城への配属になるのは貴族が中心。平民出の学生は地方、つまりは首都アンラス以外の街へ配属される。


「俺のいた部隊のみんなはどこに行ったか分かるか?」

「なんだよ、知らないのか?」

「やることが山ほどあってね。多分書類は俺の方に来てると思うけど、まだ目を通してないんだ」

「なーほど。確かお前んとこはみんな地方配属だったはずだ。さすがにどこの基地かまでは知らんが」


 そうか。みんな地方か。

 もともと平民ばかりの部隊だったから、そうなってもおかしくはない。

 指揮官のフェイは貴族だったけど、家の力が弱体化していたらしいので、中央には残れなかったようだ。


「寂しいか?」


 からかっているのか、アンジュはぐっと顔を寄せてきて俺に訊く。


「さぁ? どうかな?」


 はぐらかす俺に、アンジュは憎たらしく笑ってこう言った。


「そうだよな! お前にはシルトがいるもんな!」


 なんでそんな話になる。


 最後までアンジュに振りまわされっぱなしだった。

 ただ、久しぶりにこんな気兼きがねなく話せて、いろいろ助かったのは事実。

 もしかしたらアンジュは俺を気遣って会いにきてくれたのかも、と考えたが、可能性は低いので感謝の言葉を送る必要はないだろう。




   ・・・




 部下たちが着席する机の上座に、私は座っている。


「解散!」


 近衛騎士団定例会議は、副団長ユリー・アミリエ殿の号令で終了した。

 談話室に集まっていた近衛騎士たちが、各々部屋を後にする。

 私は手元の書類をまとめながら、息を吐いて力を抜いた。

 国際情勢が緊張状態にある今、考えなけれならないことは山ほどある。

 近衛騎士団の本分は王および王城の警護であるが、だからといって他国との軍関連の問題に無関係ではない。

 軍と足並みをそろえ、どうこの国を守っていくのかを模索していかなければならないのだ。


「フランメル」


 まとめた書類を抱えたアミリエ殿が座ったまま私を呼ぶ。


「少し聞きたいことがある」


 わざわざ前置きをしてから問うのは珍しい。

 立場は私が団長で、アミリエ殿が副団長でも、昔からの習慣と言えばいいのか、この人は私に遠慮などしたりしない。知りたいことがあれば、最初から本題に入るのがいつもだ。


「先日の馬車でのことだ。レン様の御言葉に対し、なぜリーベの名を出した」


 ああ、あのことか、と納得する。

 陛下に、いや、レンに甘いアミリエ殿だ。気にしていない方がおかしいか。


「会いたい人、と聞いてすぐにエルンだと思いました」

「その理由を教えろ」

「それは…」


 はたして私が話していいのだろうか。

 あのとき、結局レンは答えなかった。

 私の指摘が正しいかも分からないのに、勝手な憶測をこの人に伝えていいのだろうか。


「どうした、フランメル」


 いけない気がするが、断るのも難しい。

 レンの私的な部分に触れるからと拒絶しても、アミリエ殿が引き下がるとは思えない。

 この人はレンの家族とも言える人なのだから。


「これは、うわさで聞いた話であることを前提にお聞きください」


 観念して、レンとエルンのことを話す。


「騎士部門の友人が話していたのを聞いたのですが…その…レンとエルンがい仲であると」

「それは本当なのか」


 少し表情を厳しくしただけで、アミリエ殿に驚く様子はなかった。

 レンの「会いたい人」と、私の出した「エルン」の名に、ある程度の予測はしていたのかもしれない。


「本当かは、私には判断できません。そういった恋慕れんぼの情にはうといもので」


 嘘は言っていない。


「だがお前は、レン様の会いたい人はリーベだと思ったのだろう」

「そうですが…すいません…」


 私が謝ると、アミリエ殿は難しい顔をして黙り込んだ。

 大方おおかた、レンにたずねるべきか否か思案しているのだろう。

 学校では恐れられていたアミリエ殿。一部の生徒間でささやかれていた噂など耳に届くはずもない。

 レンも、わざわざ話題にはしなかっただろう。

 アミリエ殿が知らないのは別段おかしな話ではないのだが、あの顔は確実に気にしている顔だ。


「よくないな…」


 ぼそりと、低い声でアミリエ殿が呟いた。


「それは、2人の関係が、ですか」

「ああ、そうだ」


 私の語尾にかぶせるように、アミリエ殿が即座に返事をする。


「レン様のお気持ちも尊重して差し上げたいが、身分の問題もある。確かリーベは平民出の娘だったはずだ。客観的に考えれば容認できるものではない」

「アミリエ殿は、2人の仲に反対されるのですか」

「反対しているわけではない。リーベと結ばれることでレン様が幸せになられるのなら、私は満足だ。だがな、もう好き合っているからという理由で恋仲になれる状況ではない。私が危惧しているのは、リーベへの想いを持ち続けることでレン様が苦しまれるのではないかということだ」

「………」


 アミリエ殿の言い分に、言葉が出なかった。


「どうした。黙り込んで」

「…恋慕の情に疎い私が、とやかく言う資格はないのですが…それでもリーベが素晴らしい女性であったことは分かります」


 これも嘘ではない。


「ならばお前は、レン様とリーベが上手くいけばいいと思っているのか?」

「それは…」


 答えられない。

 本音も嘘も、口にしたくはなかった。


「どうでしょうか。私にはわかりません」


 だから私は曖昧あいまいに笑う。

 恋を知ってはならない私は、ただ困ったように首をかしげるしかないのだ。




   ・・・




 政務室で仕事を片付けていると、ある人物がたずねてきた。


「こんにちはぁ、陛下」


 それは竜盤院に席を持つ1人の女性。

 顔立ちや髪形、身体のつくりも、どこか色気を感じさせる。

 初めて竜盤院をおとずれたとき、妖艶ようえんな女性と表現した人物。

 キシュリッテ・バイセン侯爵その人である。


「どうされましたか?」


 動かしていた手を止めて、バイセン侯爵に訊く。


「ちょっと話がしたくなったのよ。いいでしょ?」


 そう言って、バイセン侯爵は政務室のすみに置かれた長椅子に座り、足を組んだ。

 了承を出していないが、こうなっては仕方がない。

 俺も政務机から離れて、バイセン侯爵の向かいの長椅子に座った。

 控えていた若い侍女に紅茶をれてくれるよう頼んでから、用件を聞くために質問をした。


「それで、お話とはどのようなことを?」

「急がない。せめて紅茶が来るのを待ちましょう」


 バイセン侯爵は愉快そうに小さく笑うだけで、本題には入ってくれない。

 準備を進める若い侍女の方をにこやかに眺めている

 静まる室内には、侍女が魔道具で加熱する水が、ボコボコと沸騰する音が響く。

 見られて緊張しているのか、若い侍女は容器をぶつけてカチャカチャと音を立てる。

 それを見るバイセン侯爵は変わらず微笑んでいて、なにを考えているのか分からない。

 これまで何度か竜盤院の面々とは接触をしてきた俺も、バイセン侯爵だけは敵なのか味方なのか判断できずにいる。

 もちろん立場としては反王族で、振舞ふるまいや発言は嫌みに思えるときもあるけど、どうも中途半端というか、ふらふらしてるというか。

 とにかく、よく分からない人なのだ、バイセン侯爵は。


「どうぞ」


 と、震える手で紅茶を卓に置く若い侍女。


「フフッ、ありがとう」


 礼を言って、バイセン侯爵は紅茶を口に運んだ。

 俺も、紅茶を口にして、喉をうるおす。


「それで、紅茶も来たことですし、お話を聞いてもよろしいですか」


 問う俺に、バイセン侯爵は伏し目で紅茶の水面みなもを見つめて、軽い口調で話し出した。


「かわいい侍女さんね」


 視界の端で、壁際に立つ若い侍女がビクリとしたのが見える。


「一生懸命さが伝わってくるわ。所作がつたないところも、見ていて楽しいわね」


 若い侍女も、自分が話題に上がって驚いているだろう。


「侍女として働き出したのは去年からだそうです。有能な子だと推薦を受け、世話をお願いしています」

「そうなの? ああいう子が陛下の趣味なのかと思ったのに」

「あの、そういう話をしに私を訪ねられたのですか?」


 いい加減話題を変えないと、侍女の子がかわいそうだ。


「せっかちね。無駄な話を楽しむのも一興よ。娯楽に縁遠いワタシたちのような人間には特にね」

「はぁ…」


 なんとも楽しそうに紅茶を飲んでいる姿を見ると、本当にこんなどうでもいい話のために来たのではと思えてしまう。


 その後も、無駄話に興じ、紅茶を堪能する時間が続いた。


 本当にこのまま一頻ひとしきり楽しんで帰ってしまうのではと思った頃に、やっとバイセン侯爵は本題らしい話をはじめてくれた。

 俺が2杯目の紅茶を飲み干した頃だった。


「ここへ来たのは、大した理由があるわけではないの。ただ、陛下の働く姿を見たくなっちゃって」

「では、こうして相席して茶を楽しんでいるより、政務机で働いていた方がよかったですか」

「そうではないわ。こうやって貴族の話し相手をするのも陛下の仕事でしょ」


 バイセン侯爵はまた楽しそうに笑って、紅茶のカップを卓に置いた。

 そして不意に振りかえると、政務机の方を見やる。


「仕事、溜まっているようね」


 机の上には山積みになった書類たち。

 資料であったり、申請書であったり、貴族からの手紙だったりと、色々だ。


「未熟者の自分では、どうしても処理が追いつかなくて」

「ふーん。そう」


 興味なさそうに俺の言葉を流す。

 ゴットグリーク公爵なら、ここで嫌みの1つでも言いそうだが。


「別にいいんじゃないかしら」


 視線を机の上から俺に戻したバイセン侯爵が、気楽な調子で言う。


「陛下だって優先順位つけてやってるんでしょ。なら問題ないわ。多少仕事が遅れたくらいで国は揺らいだりしないもの」


 もう一度、紅茶の残るカップを手にして、口にする。


「ごちそうさま」


 飲み終えると侍女に一言言って、バイセン侯爵は立ちあがった。


「陛下、仕事なんてやることやっておけばいいんですよ」


 意味深に笑って見せたバイセン侯爵は、俺を見下ろしてこう言った。


「でも、見逃してはいけないものもあるわ。絶対やらないといけない案件が知らない内に片付いてるなんて最低ですもの。どれだけ文句を言っても後の祭り。特にワタシたちみたいに上に立つ人間は知らなかったでは通りませんからね」


 助言ともとれるバイセン侯爵の言葉の真意を、俺は理解できない。


 最後に「楽しかったわ」と手を振って出ていくバイセン侯爵を、俺は座ったまま見送っていた。




   ・・・




「はあっ!」


 気合、そして一閃。

 久しぶりの剣の重みに少しだけ身体を持っていかれながら、左手の剣を振り抜く。


 高い音を響かせ、剣は受け止められる。


 相対するシルトは微笑を浮かべて。

 余裕そうに、俺の剣を止めていた。


「くそっ!」


 一歩後ろに飛んで、すぐさま斬りかかる。

 次は『斬る』に加え『突き』をり交ぜての連続攻撃。


 シルトは、斬撃は剣で受け流し、刺突は身体を動かしかわした。


 当たらない。一向に当たる予感がしない。


 少し前までは勝てるかもしれないと思っていた相手なのに。

 俺に攻めさせるだけで、シルトは反撃をしてはこない。

 これでは、ただの稽古だ。

 昔ユリーがしてくれたような、熟練者が初心者に手ほどきをする剣の訓練。


 くやしい。とてつもなく。

 剣の腕では対等であったはずなのに、知らぬ間に差ができている。


「少しはっ、打ち返してっ、来いよっ!」


 息を切らせながら、シルトに言う。

 それに対し、シルトは小さく笑った。


「陛下、これは試合ではありません。なまった身体を鍛え直すのが目的ですので、私が打ち込む必要はありません」


 俺の攻撃を上手くさばくシルトは息も切らしていない。


 ほんの少し剣を握らなかっただけでこれかよ、と自分に悪態あくたいを吐く。


 王になってから政治関連の仕事に追われ、剣術、というか、身体を動かすことをしなくなっていた。

 今日、わずかにできた休憩時間に散歩をしていて、たまたま近衛騎士団の教練風景に出合った。

 団長のシルトの姿もあったので声を掛けて、ちょっと相手をしてもらった。


 軽い模擬戦のつもりだった。

 騎士を目指していた懐かしい日々を思い出し、剣を振りたいと思い立っただけ。


 でも、始まってみれば無様なもの。

 身体が重く、思い通りに動かない。剣の速度も軌道も定まらない。理解と反応もかみ合わない。

 どれだけ攻撃しても、シルトに届くことはなかった。


「情けっ、ないなっ!」


 また、俺の一撃がシルトの剣にはばまれる。

 周囲で俺とシルトの様子を見守る近衛騎士たちはどう思っているのだろうか。

 王として、俺の強さは十分なのか不十分なのか。

 兄さんの剣の腕なんて気にしたことがなかったけど、今度フランさんに訊いてみよう。


「ハッ!」


 シルトが剣を振り上げ、俺の剣を弾き飛ばす。


 離れた場所に剣が落ちる音が合図となり、俺達の模擬戦は終了した。


 俺はばたりと、地面に寝転がる。

 激しくなった動悸どうきを鎮めつつ、身体の熱も冷ましていく。


「だめだ…全然動けない…」


 空を見上げてつぶやく俺に、剣を鞘に収めながらシルトが近づいてくる。

 下から見上げるシルトの顔には、やはり疲れは見られない。


「お疲れ様です、陛下」


 ねぎらいの言葉も、今はむなしい。


「3カ月ちょっとの差、か…」


 それくらいの期間、俺は剣を取っていない。


「陛下の本分は戦うことではありません。そういった荒事は我々の役目。悲観などしないでください」


 そう言われても、やっぱりへこむ。


 己の不甲斐なさを反省すべく目を閉じて力を抜いていると、近づく足音がした。

 そして、男性の声。


「あれだけ動けていれば十分ですよ」


 目を開ければ、傍に褐色肌の青年。

 俺よりも少し年上くらいで、男性にしては細身の体付きをしている。

 その青年は優しい目付きで俺を見ながら言う。


「陛下は十分お強い。軍の兵士とも渡り合えるでしょう。今回は相手が悪かったとお思いください。団長は少々強すぎるのです。加減も知らないですし」

「まるで私が悪いような言い方だな」

「おおっと、すみません。口が過ぎました」


 両手を上げて降参してみせるこの青年は、リュック・ワインド男爵。

 彼は近衛騎士団、前副団長、つまりはユリーの前任者だった人だ。

 若くしてその任についていたことが証明する通り、文武に秀でた人格者である。


 俺の兄さんやシルトの父親が副団長においていたのだから信頼のできる人物であるとは思っていたが、想定以上に俺達の力になってくれた。


 まず、団長にシルトがなることを反対しなかった。副団長から繰り上げで昇進してもおかしくなかったのに、むしろシルトが父親の跡を継ぐのを喜んでいた。


 さらにユリーを副団長に、というときも助けてくれた。自身の座を明け渡すことに迷いはなく、すんなり提案を受け入れた。近衛騎士団の中から出た不満も、大きくなる前に対処してくれたようだ。


 なぜここまで、という疑問にリュックさんは「そういう性分ですので」と言うだけ。

 彼のことを知るフランさんやソーンさんに訊いても、「彼はそういう人間だ」と言う。


 詰まる所、良い人、だと認識している。


 今も、新参者のシルトと実に楽しそうに話をしている。

 それを見る近衛騎士たちの表情も柔らかい。


 近衛騎士団に良い空気が流れていると思う。


「俺も時間をとって訓練しようかな…」


 昔の勘を取り戻すため、生活習慣の改善を考えてみた。


「お止めください。今のお仕事に訓練など加えたら、陛下が倒れてしまいます」


 すぐにシルトに止められる。


「そうですね。無用な訓練で倒れられて国政に影響が出ては本末転倒です」


 リュックさんも反対する。

 分かってはいるのだが、このままではどんどん弱くなっていきそうで怖いのだ。


「なんとかならないだろうか?」


 見上げる先に立つ2人にお願いしてみる。


「そう、言われると…」


 ちょっとシルトが揺らいでいるように見える。

 押し切れば訓練をしてくれそうな雰囲気だ。


「陛下」


 嘆願たんがんの追撃をシルトにしようかというとき、リュックさんが割って入る。


「そのような顔で団長に言葉を掛けないでください。ずるい、というやつですよ」


 叱るように言われた意味が分からず、問いを返す。


「俺、どんな顔してた?」

「助けてほしくてたまらない、というような泣きそうな顔です」

「いや、泣きそうにはなってないけど」

「御自身の心持と、他者からの見え方は違いますから」


 リュックさんの言うことはピンとは来なかった。

 俺のお願いに少し困惑した様子だったシルトも、もう立ち直ってかたい表情をしている。

 これ以上は迷惑になりそうなので訓練の件については何も言わない。諦めたわけでもないけど。


「ところで」


 言いながら上半身を起こす。


「シルト、なんか強くなってないか? 学校いたときも勝てたことないけど、なんか変わった気がする。…それとも俺が弱くなっただけか?」


 ふと、感じた疑問をぶつけてみる。


「近衛騎士団に入ってからは訓練を欠かしませんでしたから」


 シルトが答える。


「近衛騎士は精鋭揃い。皆には本当に多くのことを学ばせてもらいました。きっとその分、成長しているのです」


 誇らしげに語るシルトを見ていて、団長をお願いした後ろめたさが少し救われた。

 近衛騎士団の中で上手くやっているようで良かった。


「頼もしいな」

「お任せください。ご期待には答えます」


 自信をにじませるその笑顔。実に安心である。


「陛下、そろそろお戻りになった方がよろしいかと存じます」


 ここでリュックさんが時間切れを知らせてくれた。


「そうだな。予定より長居してしまったし、早く帰って仕事をしなければ文官たちを困らせてしまう」

「いえ、そうではありません」

「えっ、何が違うんだ?」

「私の見立てでは、そろそろ副団長がここに様子見にやってくる頃合いです。今の陛下の状況をみられると、少々厄介かと」

「あっ!」


 バッと自分の姿を確認する。

 顔も服も土まみれで汚れている。しかも訓練場で倒れこんでいる。

 ユリーなら何をしていたかは察してしまうだろう。

 そうなればシルトやリュックさんが怒られてしまう。


「確かにリュック殿の言う通りですね」


 シルトは少しだけ困ったように笑った。


 そして、手を俺に差し伸べる。


「さぁ、陛下」


 伸ばされる手をわずかの間、呆然と見つめてしまった。


 座り込む俺を起こすための手。


 その役目は、別の女の子であったはずだ。


「陛下? どうされましたか?」


 再度の呼びかけに、ハッとして俺も手を伸ばす。


 繋がれる手。


 シルトは強く俺の手を握り、しっかり引き起こしてくれる。


 立ちあがって、シルトと向き合う状況になる。


 俺はすぐには何もできなかった。


 動かず、話さない俺を、不思議そうにシルトが見つめてくる。


 あの子の手助けはもっと弱弱しかったなどと、昔を思いだしてしまった。


 よくない感情だ。


「ありがとう」


 礼を残して、俺はすぐにその場を去った。

 目の前で手を伸ばしてくれたシルトの姿にエルンがダブって見えてしまい、どこか申し訳なかったからだった。





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