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第2王子の王位継承  作者: 嘉戸なすは
第二章 旅立つ者たち 編
7/23

第7話 終わらない戦い

 引き続きお読みいただき、ありがとうございます。

 第2章が始まります。

 よろしくお願いします。





   ・・・




 いつからだったのだろうか。


 目の前で涙を流すこの人を、守りたいと思ったのは。

 小さく身体を抱えて震えるこの人を、愛おしいと思ったのは。


 分からない。


 いつも傍には、この人がいた。

 分からないくらい自然に、そして当然に、大切な人になっていた。


 いけないとは理解していた。

 何もかもを知る私は、その感情を決して表に出してはいけないと固く胸に誓った。


 だが、無駄だったようだ。


 後悔と懺悔、無念や悲愴。

 きっと、この人はひたすら心の中で皆に謝っている。

 そして、自分を責めているに違いない。


 もともと、そういうやつだ。

 王など、似合わないやつだった。

 実直に生きる騎士が似合う、そんなやつだった。


 だから、泣いている。

 声を殺し、泣き続けている。


 守りたいと思った。

 愛おしいと思った。

 どんな敵からもこの人を守れる盾になりたいと、心が叫んだ。


 身体が動く。

 私は、優しく彼を抱きしめた。

 震える身体と、漏れる泣き声。

 彼の全てを包み込み、受け止めて、私は心を決めた。




   ・・・




 軍事大国ヴァルツァレン。


 エストラーク西方に存在する、大陸最大の領土を有する国家である。

 建国時、小国であったヴァルツァレンは、隣国へ戦争を仕掛けることで領土を拡大し、莫大な国土と人材、資源を得ることに成功した。

 時代の変遷へんせんを経てもその横暴な在り方は変わらず、隣国との国境線で戦争状態が続いている『らしい』。


 らしいというのは、その問題にエストラークが直面していないからだ。


 国境線は接しているが、ヴァルツァレンがエストラークに攻め入ることはない。

 それは、歴史に刻まれるとある出来事に起因している。


 かつてヴァルツァレンはエストラークに戦争を仕掛け、領土を占有していった。

 勝負にならない負け戦と誰もが諦めていたその戦いは、エストラークの勝利で終わる。

 当時の若き王が竜と契約を交わし、その力を持ってヴァルツァレンを撃退。領土も全て取り戻した。

 竜を前にしても中々退却することのなかったヴァルツァレンは、多大な人的被害を受けたと記録されている。

 以降、ヴァルツァレンはエストラークに近づいてはこなかった。


 しかし、それももう終わりを迎えそうだ。


 シュテルフェア陥落。

 一夜の内に王都が、続けて主要都市も続々と燃え落ち、たった7日で国が滅びた。

 俺の兄にして、先代エストラーク王オルタ・エストラークの死去にはじまる一連の騒動は、終結を迎えたと思われた矢先に、首謀国が滅亡するという衝撃の展開を見せる。

 エストラークに保護を求めるシュテルフェアの避難民たちは北部国境に押し寄せ、大混乱。

なんとか情報を聞き出し、それを統合した結果得られたのは、ヴァルツァレンが再び大きく動き出したということであった。


 しかも、竜を引き連れて、だ。


 驚いたなんてもんじゃない。

 ただでさえ強大な軍事力を有する大国が、竜まで味方にしたのだ。

 それに、目撃証言によるとその竜は黒竜。

 シュテルフェアが従えていたと思われる竜と同種のもの。

 この事実に関しては様々な憶測がなされたのは言うまでもない。

 奇跡的な偶然で2匹の黒竜が2つの国で契約したとか、シュテルフェアについていた黒竜が気まぐれで契約相手を変えたとか、はたまた最初から全てヴァルツァレンの手の上だったとか。

 答えを出すには、ヴァルツァレン側に問いただすしかない。

 とは言っても。

 戦時体制を敷き、国交断絶状態の今現在、とりあえず不可能であるが…。


御拝謁ごはいえつたまわりり、光栄にございます、陛下」


 謁見の間にて、俺は王として使者を前にしていた。

 座につく俺の両側には2人の女性。

 左側に立つのはシルト・フランメル。若干18にして近衛騎士団団長を就任する、長い黒髪のすらりとした少女。

 右にはユリー・アミリエ。凛々しく大人の美しさを備える彼女は、俺を育ててくれた姉のような存在で、近衛騎士団副団長をしている。

 壁際にも数名、近衛騎士。

 王城の2階、客人を招く用途に造られたこの部屋は、威厳を保つため豪華に飾られている。

 特殊な石材なのか壁や支柱は乳白色で、敷かれる赤絨毯には金糸が編み込まれている。

 俺が座っている椅子も、無駄に幅広で柔らかい。


 低いところで膝を付くのは使者の男と護衛だという男の2人。

 使者の男は痩せ形で細い目をした貧弱な見た目。

 逆に護衛の男は顔にでかい傷跡がある野性味ある風貌。身体も大きく、全身に着こんだ鎧でさらに大きく見える。

 俺との謁見にのぞむため武器を没収されているのがおしい。どんな獲物えものを使うか興味がある。


「レン様」


 右に立っていたユリーが小声で呼ぶ。

 無駄なことを考えず、話を進めなければならないようだ。

 俺が挨拶に返さないと、向こうは本題に入れない。


「お初にお目にかかる。私がレン・エストラーク。エストラークの新たな王だ」


 覚えたての定型の自己紹介をする。

 舐められないためにも必要らしいが、これで偉ぶれているのかどうか…。

 せめて少しでもそれっぽく見えていてほしい。


「では、話を聞こう。申し出は救援要請らしいな」


 彼らの目的。

 救援要請。


 本日、使者の一団が首都アンラスへとやってきた。

 事前に連絡が南部国境基地から届いていたが、想定より相当早い到着だ。

 無礼を承知でと、緊急事態でと、深く謝辞を述べた使者の男は、親書をこちらに差し出した。

 送り主は、エストラークから見て南方に国土を持つ鉱山の国、ズィルバの王。

 書き出しは謝罪から始まり、ズィルバの現状を語ってから、最後にこちらへの要望がしたためられていた。

 俺からすると、その申し出は受け入れ難いものだったが、無下にもできず、こうして謁見の場が設けられた。


「はい、その通りでございます。先頃、我が国ズィルバはヴァルツァレンより宣戦布告を受けました」


 顔を上げた使者の男は、俺から視線を外すことなく神妙な面持ちで語りだした。


「陛下も御存じかと思われますが、貴国同様我が国も西側をヴァルツァレンに面しております。これまで国境線で戦が起きたこともございましたが、それは軽微なもの。ヴァルツァレンとの国境は雪吹ふぶすさぶ山々で、いくら軍事力に秀でていても山越えを行うは困難。やってこようとも疲弊した軍隊ならば、いくらでも対処のしようがございました」


 ですが、と続けた使者の声は一段弱くなっていた。


たびは事情が異なります。先日、山越えを果たしズィルバへとやってきたヴァルツァレンの小隊は、竜を引き連れておりました。明確な意思を示しヴァルツァレン軍の上空を飛ぶ黒竜の姿に、防衛に出向いた兵達は恐れおののき、存在だけで圧倒されてしまいました」


 そのときの風景が頭に浮かぶ。俺は実際にこの目で竜を見て、その存在に恐れを抱いた。


「兵達に被害は?」

「その際は竜を引き連れる姿を見せただけで、すぐに退却していきましたので、こちらに被害はありませんでした」

「完全な示威行為だな」

「宣戦布告と同時に、降伏せよとの勧告もなされました。陛下も当然、シュテルフェアの件はご存じでしょう。竜の力は強大で、たとえ軍が小規模でも、竜だけで国を滅ぼされてもおかしくはありません」


 彼の言う通り、ズィルバは危ない状態だ。

 竜の対処法がない現状では、ヴァルツァレンに攻められれば手の打ちようがない。


「国内でも降伏すべきという意見さえ出る始末。兵たちの士気も低い。そこで、陛下にお願い申し上げる」


 事情説明は終わり、ここからが本題だ。

 使者の男は上げていた顔を再び下げ、今度は力強い声で話し出した。


「どうか我らがズィルバの民に、お力をお貸しいただけないだろうか」


 ズィルバ王よりの願いは2つ。

 1つ目は、エストラークの竜をどうにかズィルバに呼べないかというもの。

 2つ目は、軍事的支援。主には兵士を送ってくれないかという打診。

 どちらも難しいと言わざるを得ない。


「こちらとしても合議の後に結論を出すつもりだが、良い返事ができるとは限らない。よろしいだろうか」

「はい。それは重々承知しております。御一考ごいっこういただけるだけで、感謝の言葉もございません」


 鉱山の国ズィルバからの要請。

 答えるには竜盤院のうかがいを立てる必要がある。

 初体面から今日まで、何度か顔を合わせたが、俺は彼らが苦手だ。


 ヴァルツァレンが提示してきた猶予ゆうよ期限までそう遠くない。

 それまでにズィルバが降伏しなければ、攻め込まれる。

 同じくそれまでに、俺達も答えを出さなければならないのだ。




   ・・・




「火急を要する、か」


 政務室で侍女に入れてもらった乾燥花の紅茶を飲む。

 香りに癒されている場合ではないが、心を落ち着けるにはこれがいい。

 兄さんも考えに煮詰まると同じものを飲んでいたとフランさんが教えてくれた。


 大きな仕事机の上には山ほどの資料。

 これまでのゴタゴタで溜まった書類と、今回の話を受け急遽用意してもらったズィルバ関連の情報だ。

 椅子の背もたれに身体を預け、また一口、紅茶を口にする。


「近衛騎士は陛下に付き従います。どのようなご決断をされても、御身おんみは私達がお守りします」


 机の前に立つシルトが言う。

 彼女はすでに近衛騎士団団長の地位を得て、俺と共に働いている。

 王となった俺に敬語で話すようになって何日になるだろうか。

 今では他人行儀だから止めろと言うこともなくなってしまった。


「他国への軍事支援、できるなら丁重にお断りしたいところだけど…」

「簡単にそうできない事情もあります」


 シルトと並んで立つユリーが見解を示す。


「ズィルバとは友好的な関係を築いていますし、ここでヴァルツァレンを牽制する意味でも、ズィルバには勝利してもらう必要があります」

「勝利か。難しいだろうな…」

「…そう、ですね。すみません、不用意な発言でした」

「いや、ユリーの言ってることは正しいよ」


 ズィルバが打ち勝てば、ヴァルツァレンは勢いを失うかもしれない。


「ただ、支援するのも難しい判断だ」


 開戦間近のズィルバに出兵なんてすれば、兵達は戦い、死ぬかもしれない。

 死なせたくなんてない。そんな決断したくない。

 それに。


「ただでさえこっちも人材不足なんだ。兵を出す余裕なんてない」


 黒竜襲撃で受けた人的損失は、人事などを再考して補った。ただし、なくなった部分に周りから人を集めただけなので、国全体で見れば手薄になった感はいなめない。


「しかし、竜盤院の意向は違います」


 シルトが言う通り、竜盤院は要請に前向きな姿勢を取っている。

 ズィルバは鉱山の国と言われるくらいに、抱える鉱山が豊富だ。

 産出する貴金属もエストラークに数多く持ちこまれ、採掘技術の提供も受けている。

 恩を売っておいて損はない相手だ。


 加えてもうひとつ、理由がある。


「インラハトが動いているのもでかいな…」


 空いた手で、机上の1つの報告書を取り上げる。

 内容は、同盟国家インラハトについてまとめたもの。


 同盟国家インラハトは、名の通り複数の国家が寄り集まり出来上がった国だ。

 ヴァルツァレンが暴力的な勢いで国土を拡充していた百数十年前、対抗するためにいくつもの国が軍事同盟を結び、強固な集合体となった。

 それが、インラハトの前身である。

 同盟結成時、すでにエストラークは侵略を開始されていたので仲間に入れなかったが、その規模は巨大で、エストラークの東側に広大な領土をつくり上げた。

 対ヴァルツァレンに結成され、成り立ちゆえに広い領土をもったインラハトは、相応な軍事力を有している。


「すでにインラハトからはズィルバに援軍が送られている。竜盤院はこれを機にズィルバがインラハトに併合されないかと危惧している」

「インラハトは穏健な国と聞きますが」


 かつての俺もシルトと同じ認識だった。でも、王の立場で知る実情は少々違っていた。


「盟主は平和主義みたいだけど、結局は国の複合体。一枚岩じゃないみたいだ。けっこう中は面倒なことになっているらしい」


 どこの国も、中は中で大変だ。


「シュテルフェアはヴァルツァレンに滅ぼされた。これでズィルバがインラハトに組み込まれたら、エストラークは2つの大国の狭間で孤立する」


 北にシュテルフェア。

 西にヴァルツァレン。

 東にインラハト。

 南にズィルバ。


 4つの国に囲まれていた今まで。

 エストラークは中立地帯のような立ち位置で、これまで上手くやってきた。

 しかし、北のシュテルフェアは事実上、ヴァルツァレンの領土。

 南のズィルバがヴァルツァレンにまれようが、インラハトの同盟に参加しようが、エストラークは2つの大国に挟まれる。

 4つが2つに、とは数字だけみれば少ないけど、影響は大きい。


 これまで、ヴァルツァレンとインラハトは直接国境を接していなかった。

 エストラークをはじめとするいくつかの国が2国の間に存在し、それらが緩衝材の役割を果たしてきたのだ。

 強大な軍事力を誇る2国が全面戦争に入らなかったのも、ここ数十年で平和的な情勢が望まれるようになって、今のような均衡状態が出来上がったため。


 それが崩れてきている。


「ズィルバの行く末がどうなっても、ヴァルツァレンとインラハトは全面戦争に突入すると、竜盤院は考えてるみたいだ」


 もともとインラハトは『対ヴァルツァレン』で同盟を結んだ国々だ。対抗できるだけの軍事力も有している。

 降伏せよ、と言われて易々とうなずくはずがない。

 戦争する2つの国の間でポツンと存在するエストラークは、どれほどの被害を受けるのか想像もできない。

 あごに手を当てて思案するユリーの顔を険しい。


「ズィルバはインラハト以外の国からも支援を取り付けているようです。エストラークが手を貸さなければ、それらの国々から批判を受けるのは避けられません」


 以前より、竜の力を有するエストラークは危険だなんだと、いろいろ言われてきたらしい。

 それで今回、共同戦線に参加しない場合、印象はより悪くなる。


「竜盤院でも同じことを言われたよ。批判の的になるってな」

「我が国の批判などしている場合ではないと思いますが」


 呆れたように言うシルトの言葉は、俺が竜盤院でこぼした感想と同じだった。

 そして俺が竜盤院で言われたのと同じ言葉を、ユリーがシルトに発した。


「苦しい時は、誰かを責めたくなるものだ」


 もっともな言い分だ。

 ズィルバで終わりという保証はない。次は我が身。おびえている国にとって、竜に守られるこの国は卑怯ひきょうに思えるかもしれない。

 それにエストラークだって、いつ標的になってもおかしくはないのだ。

 竜に竜で対抗できるといっても、その場合戦況を決めるのは人間だ。

 単純な兵力で言えば、エストラークはヴァルツァレンに遠く及ばない。

 もし戦争をするならばエストラークも他国から支援してもらわなければならないだろう。

 今回支援を見送って、いざ自分達が標的になったら支援してくれなんて都合が良すぎる。

 そういう意味でも他国と足並みを揃えておく必要がある。


「シルト、商業区の方は?」


 問題はまだ残っている。


「はい、巡回させている近衛騎士から報告をあげさせていますが、目立った混乱はないようです。ですが、少々不満の声を耳にすることがあったとか」


 後半の部分を言い辛そうにするシルトに、大げさに肩をすくめて笑ってみせる。

 分かっていたことだから、気にしないでほしい。


「経済に影響がでるのは仕方がないさ。これまでのことを考えるとな」


 今日こんにちまでエストラークが平和だった理由。

 大きな要因は、竜という絶対的な存在があったこと。これは間違いない。

 そしてもう1つ。

 俺も無知で、竜盤院の面々に散々馬鹿にされながら説明されたエストラークが平和だった理由。


 それは都合が良かったから。


 エストラークという平和な国があることで、周辺の国々は商業を通して繋がることができていた。食糧や文化、技術などがエストラークを介して運ばれていた。

 通商路として商売を推奨・許可してきた恩恵は、エストラークも受けている。

 かつて歩いた商業区には色取り取りの商品が並び、活気づいていた。

 他国からしてみても、小さな領土のため竜のいる国に攻め入る理由はなく、各国をつなぐ橋としての機能を残しておくほうが価値がある。


 だからこそ、エストラークは小国ながら存続していた。


 それなのに、シュテルフェアが落ち、ズィルバは緊急事態で、ヴァルツァレンも戦時体制。

 物量などが一気に減少した。

 小国であるがゆえに自国産業である程度は補えるが、輸入に頼っていたものはいくつもある。いずれ問題は顕在化する。

 今でさえ、危険な状態なのだ。

 これがヴァルツァレンとインラハトの戦争になんてなれば、それこそエストラークの経済が死にかねない。


 と、いうようなことを俺は竜盤院で教えられた。


 ズィルバに恩を売り、大国同士の戦争を防ぎ、他国からの批判を避け、自国の商業を守るため、なんとしてもこれ以上の状況悪化は防がないといけない。

 そのためには、ズィルバに踏ん張ってもらう必要があって、少しでも可能性をあげるため支援する必要がある。

 竜盤院の意向はこういうことだった。


「ふぅ…」


 紅茶を口に運び、一息つく。

 選べる選択肢は少ないと分かっていても、俺は考えずにはいられなかった。

 どこかに平和的な解決策はないのか、と。


「軍部ではどういう意見が出てるんだ?」

「グランレイ侯爵のげんでは、非戦的な意見がある一方で、参戦を訴える者もいるとか。そのほとんどは、視察団襲撃および北部国境基地破壊で友人や恋人、家族を亡くした者たちです」


 近衛騎士団団長であるシルトには、エストラーク軍の総司令官であるグランレイ侯爵と連携するよう頼んでいる。


「国民の中でも、同じような風潮があるみたいですね」


 と、言うのはユリー。


「少数派、といって無視はできないな」


 守りの姿勢を良しとしない人々もいて、反感も募る。


「近衛騎士団では大丈夫なのか? 視察団には近衛騎士も多くいただろ」


 気になったことを訊けば、答えたのは団長のシルト。


「近衛騎士団には報復などと簡単に口にするものはおりません。さきほど申した通り、陛下の御心のままに」


 とりあえず近衛騎士団は感情に動かされていないようで良かった。

 悩まなくていいことが1つでも増えるのは助かる。

 そうは言っても、考えることは山ほどあるが…。


「どうすればいいんだろうな…」


 前に立つ2人にではなく、自分自身に問いかけるよう小さくつぶやいた。

 王位についてから悩んでばかりで、兄さんならもっと上手くできたのではないかと、悩まない日はない。


 ぐっと紅茶を飲み干し、気分を一新。気合を入れる。

 壁の時計を見ると、約束の時間が近づいていた。


「俺はこれから公爵の家に行くことになってる。シルトはグランレイ侯爵と軍運用の協議を続けてくれ。ユリーは俺の護衛を頼む」


 静かに頷くシルトと、笑みを浮かべ「はい」と答えるユリーに向けて、空気が変わるように気楽な温度で言葉を掛ける。


「できることをやっていこう」


 近々、外せない予定がある。

 立場は変わってしまっても、外せない大切な予定だ。


「ちょっとでも荷を軽くして、それで―」


 久しく出向いていない、あの場所で。


「俺達の、卒業式だ」




   ・・・




 ユリーと護衛の近衛騎士を連れ訪れたのは、貴族街でも特別立派なやしきが立ち並ぶ一画。

 高い石塀いしべいに、それに見合う門構え。内にあるのは見事な邸宅ていたく

 ここの主の名は、ビルガー・ゴットグリーク。

 公爵にして、竜盤院で俺の正面に鎮座していた白髪の老人である。


 竜盤院の構成員7名に序列は存在しないとする仕来しきたりも、ふたを開ければゴットグリーク公爵が頂点に君臨する上下関係が出来上がっていた。


 竜盤院に名を連ねる家々は、何かしらの利権や能力を持つ。


 例えば、宮廷魔術師筆頭を代々輩出しているのは、垂れ目に泣き黒子が特徴的な女性、フランさんの実家、リオテカル家。


 例えば、文官の長を何代も続けるバオム家の現当主は、短髪眼鏡の男性、ソーンさんだ。


 ゴットグリーク家は、エストラークの貴族階級全体をまとめ上げた実績で竜盤院の席を得た。

 貴族のまとめ役を代々務めた公爵の家は、年月を経て権力を集め、いつしか貴族も逆らえない貴族へ変貌する。

 もとより竜盤院の在り方も、時代に流され歪曲わいきょくしていた。

 いつしか竜盤院の中での平等主義は忘れ去られ、ゴットグリーク家が顔役に居着いてしまったのだ。


 王である俺自らがこうして公爵の家にやってきたのも、必要以上に王城に呼び寄せる行為が機嫌を損ねかねない、なんて情けない事情のせい。

 いつでもあの円卓の部屋に7人が来てるわけじゃない。

 なので、こちらの都合で話がしたいときは面倒臭い。

 王権限で招喚しょうかんしようにも、素直に従ってくれるはずがなく。

 やむを得なく、こちらが招待されたていで、足を運ぶ。

 俺が個人的に話したいことがあるのだ。


 だというのに。


「なぜレン様をお待たせする。約束の時間は過ぎているというのに」


 通された一室で、ユリーが怒りをあらわにしている。

 こうなるならシルトについてきてもらうべきだったか…。いや、シルトも同じような反応をする気がする…。


 館を訪ねた俺の前に公爵は現れず、邸宅に入った俺とユリーは部屋に通され待たされていた。

 王を待たせるなんて、ホントいい度胸してる。

 まぁこれが今の竜盤院の歪みってやつだと思う。ユリーを収めつつ、のんびりとくつろぐ。


 待たされたのは十数分。


 呼びに来た執事に導かれ、公爵のもとへ。

 すると、廊下を進む俺達の前方から意外な人物が歩いてきた。

 思わず声を上げてしまう。


「あっ」


 遭遇したのはアライン・ザームカイト侯爵。

 まだ22という若さながら竜盤院に加わる、どうにも謎の多い青年。

 竜盤院最年少のザームカイト侯爵は、遊び人の若者とでも言えばいいのか、まるで商業区をふらつく学生のような雰囲気をしている。

 だらしなく服を着て、だらだらと歩く。

 俺を見ても驚かず、すれ違うときも軽く会釈してくるだけで足を止めることもしなかった。

 背中越しにユリーの不機嫌が伝わってくる。どうにか耐えてほしい。

 案内役の執事も歩調を変えず、俺達はそのまま公爵のもとにたどり着いた。


「お待たせして申し訳ない。前の予定が長引いてしまったゆえ」


 公爵は悪びれた風もない。平常通り、どっしりと構えている。

 椅子に座ったまま、公爵は向かいの席に座るよう手で示してきた。

 柔らかな椅子に座ると、執事がさかずきを2つ机に並べた。


「果実酒でございます」


 言って、紫の液体を杯に注ぐ。

 断りを入れる間もなかった。

 執事は俺の後ろに立つユリーにも果実酒はどうかと訊く。ユリーは拒絶した。

 注ぐ前に俺にも一言訊いてほしかった。

 公爵の家なのだから、それは良い品だろう。

 向かいに座る公爵は早速杯を傾け楽しんでいる。

 飲むつもりのない俺は果実酒に手を伸ばすことなく、まず気になったことを尋ねた。


「なぜ、ザームカイト侯爵がこちらに?」


 公爵の家を彼が訪れる理由に思い当たる節がない。


「大した理由などありません。貴族同士の付き合いというものです」

「どんな話をされたんですか」

「詰まらぬ話です。アラインはまだ若く悩むこともあるでしょう。ですから愚痴を聞いてやったり、相談に乗ったりしてやっています。彼の親とは面識がありますので、家の話で盛り上がることもあります」

「そうですか」

「はい。陛下に申し上げるべきことはなにも」


 落ち着き払ったままの公爵が、俺はどうにも不審に思える。


「良い機会ですのでお聞きしたいのですが」


 ついでに、ザームカイト侯爵の謎についても突っ込んでみよう。


「ザームカイト家は竜盤院発足時より席を置き、そのまま世襲が続いています。いただいた資料によると、貴族社会の中で上手く立ち回って地位を押し上げていった、とされます。ですが、私には納得がいかない」

「なにがですかな」

「あなたが貴族たちのまとめ役であるように、竜盤院に名を置く家々は『力』を持っています」


 その力で、王を助けるのがそもそもの発足理由だ。


「それがザームカイト侯爵にはない。要職にあるわけでも、ある方面で権益を独占しているわけでもない。変ではないですか?」

「先ほど陛下が言われた通り、彼の家は他の貴族との繋がりを評価されて―」

「かなり公爵が肩入れしている、と耳にしましたが」

「………」


 しつこくいくと、公爵は口を閉じた。

 だけどそれは言いめられた末の沈黙ではなく、話題自体がわずらわしく思ってのことだ。

 公爵は顔をしかめる。


「そのような話をしに、陛下はわざわざ我が屋敷まで足を運ばれたのですか。でしたらもうよろしいですかな。私としては話すことがありません」


 眉をひそめ、俺を鋭く睨みつける公爵。

 中々に迫力がある。これが、威厳というやつだろうか。

 本筋に行く前に会談が終了するのを避けるため一応の訂正をいれ、話題を持ち直す。


「いえ、未熟ゆえに知らないことが多いのです。謝罪しましょう、公爵」

「そうですか。では私からも助言を1つ」


 コトリ、と杯を机に置く。

 椅子に肘を掛け前で手を組むと、珍しく笑みを見せて続けた。


「王として若いといっても、お気をつけください。このような私邸の一室での話といえど、どんな影響を及ぼすか分かりませんよ」


 睨まれても怖いし、今の笑みも怖い。伊達だてに貴族の頂点に立つ男をしていない。


「肝に銘じるよ」


 冷や汗を感じつつ、本題に移る。


「今日ここに来たのは、公爵が勝手にズィルバに提案した協力策についてだ」

「報告が遅れたことは、書類とともに謝罪文を添えたはずですが」

「竜盤院には多くの案件を処理してもらっている。私がしなければならない仕事も負担してもらっているのも分かる。だがな公爵。限度というものがあるだろ。特に、竜の扱いに関してはエストラーク王族である俺を蚊帳の外にされては困る」


 ゴットグリーク公爵は、ある提案をズィルバ側へしていた。

 2つあったズィルバの要請の1つ、竜に関するものだ。

 ヴァルツァレンの黒竜を打倒するのに、エストラークの白竜を使えないかと親書にはあった。

 しかしそれは絶対的に不可能だ。

 『竜と契約した』と『竜を従えた』は別モノ。

 竜を呼んで戦わせるというと、まるで人が竜の上に立って命令を出してるみたいだが、そうではない。

 揺るぎない前提として、竜は人間よりも格上の生き物である。

 だから命令ではなく、お願いして助けてもらっている感じか。

 とにかく人間側の都合を何でもかんでも押し付けることはできない。

 あくまで、俺達が契約にそむかない範疇はんちゅうで、竜を呼びだしているんだ。


 かつてのエストラークの王が白竜と結んだ契約は『自国防衛にのみ力を貸す』。

 額面通り受け止めるとどうだろう。

 まず、呼べる範囲はエストラーク国内に限られる。

 そして、守ることはできても攻めるのには力を貸してもらえない。

 まさにこの国を守るため、争いを生まないための契約だ。

 だが、公爵はもっと大きな解釈をしていた。


「ズィルバをエストラークの属領にして竜を呼べる範囲を広げるなんて無茶苦茶だ」

「そうでしょうか。前例のないこと。やってもないのにできないとは言えません」


 エストラーク王族で竜を呼んだのは、かつて竜と契約を交わした若き王と、俺だけ。

 どちらも侵略軍を撃退するため竜を呼んだ経験しかないので、公爵の言う解釈で竜を呼んだ人間は誰もいない。


「属領というやり方がお嫌でしたら別の案もあります。ズィルバが敵の手に落ちれば我が国は危険に迫られる。それを事前に防ぐのも『自国防衛』に当たりましょう」

「身勝手な解釈ですね」

「私はいかなる可能性も検討する性分なのです。あくまで私は『こういう案もある』と先方に伝えただけですので問題はないでしょう」

「見方によっては領土を差し出せと言ってるようにもとらえられます」

「それこそ、解釈の違いですね」


 公爵は杯を再び手にし、優雅に果実酒を口にする。


「竜との契約を軽視し過ぎているのでは? どんな拍子に竜が我らを見限るか分からないのですよ」


 伝承にも契約が切れる条件は記載されていないが、契約というなら違約により、そうなってもおかしくない。


「保守的な考えでは未来は掴めませんよ。竜がエストラークだけの兵器でなくなった以上、新たな使い方を模索しなくては」

「守護者である竜を兵器とは、言葉が過ぎませんか、公爵」

「これも解釈の違いですよ、陛下」


 俺の考えに歩み寄るつもりは一切ないみたいだ。

 視線が、ぶつかり合う。


「竜については全権が王族である私にある」

「竜は国の資産であり、陛下の愛玩動物ではありません」

「公爵は、私と歩調を合わせるおつもりはないのですか」

「陛下に合わせていては手遅れになりますよ。それでもよろしいのかな」

「今、直面しているのは国交問題だ。私を通すのが筋というもの」

「国交問題だからこそ、陛下にはまだ荷が重いと私は思います」

「公爵がそう考えるのは、エストラークに利があるからか? それとも、公爵に利があるからか?」

「陛下、勘違いなさらないでください」


 めをつくってから、公爵は言う。


「すべてはエストラークのため、ですよ」


 怪しくほくそ笑む公爵に、言葉が詰まる。


 俺は諦めず次の言葉を探した。

 諦めず、話し合いを続けた。


 でも、結局なにもできなかった。


 俺が思いつく限りの抗議は、すべて公爵に説き伏せられた。

 いくらか問答を続けたが、大した収穫もないまま会談はそこで終了。俺は王城へ帰還した。


 帰りの馬車の中。


 公爵とのやりとりを俺の後ろに立って聞いていたユリーが、大層御立腹だったことは言うまでもない。





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