第6話 レン・エストラーク
・・・
結論だけ言えば、兄さんを殺したのはシュテルフェアで間違いなかった。
白竜スクラージが去った後、エストラーク軍は竜の息吹の痕が残る平野を探索し、生存者を発見した。
ぎりぎり竜の息吹が直撃しなかったために命を拾っただけで、怪我は酷いものだった。
魔術を併用した治療を施しながら急ぎで首都アンラスに搬送し、懸命な処置のおかげで、一命は取り留めた。
ただ、戦場で見つけた生存者は3名、助かったのは1名だった。
その生存者が口をきけるようになってから尋問が行われ、此の度の経緯を知ることとなった。
生存者の男が言うには、二月ほど前、自身の所属する部隊に、ある山脈で目撃された竜の調査命令が来たそうだ。
危険地域に赴く上に、竜に見つかれば死ぬしかないため、隊の士気は最悪だったらしい。
実際、任務では竜に見つかってしまい死を覚悟した、と。
だが、驚くことにその竜、黒竜ゲダイエンという名らしいが、そいつは部隊の隊長に契約を持ちかけた。
竜をはじめとする強力な魔獣は、ヒトの言葉を遣えるという。
黒竜が告げた契約の理由は『気まぐれ』らしい。
その隊長は喜々(きき)として話を受け入れ、契約の証として剣を受け取った。
しがない下級貴族だった隊長の男は、竜との契約を境に絶大な力を持ち、人が変わってしまったと生存者は語る。
さらに、変わったのは隊長の男だけではなく、国政を司る王族と上級貴族たちもだった。
竜を味方にし、増長していく権力者。
紆余曲折の末、他国に打って出ることが決まり、その最初の目標に選ばれたのが竜により守られていたエストラークだった。
竜の威光で知られるエストラークを滅ぼせば、シュテルフェアの名が広まる上に、竜による奇襲で王を殺せば怖いものはない。
国の方針が決まり、手柄を求めた隊長が侵略作戦は自らの隊のみで行うと買って出て、そのあとは兄さんを殺し、北部国境基地を破壊、侵略を開始した。
生存者がペラペラと内情を話したのは意外に感じたけど、ユリー曰く、生き残ったのは誰よりも早く逃げ出していたからで、そんな人間の口は軽い、とのこと。
ただ、なぜ先の戦いで黒竜ゲダイエンが呼びかけに応じなかったのかは分からなかった。
シュテルフェア本国とは交渉継続中。
2国間の関係は冷めきり、緊張状態にある。
現在、竜盤院が最も利を得られるよう動いている。
これが、一件の総括である。
「緊張する…」
そして俺は、王位継承の儀を迎えていた。
「とてもお似合いですよ、レン様」
ユリーが俺の服を整えながら褒めてくれる。
王の衣装は良質な素材で編まれているのに、着慣れないせいで落ち着かない。
エストラークの紋章の入った装飾品や外套を身につければ準備は終わり。
着替えを手伝ってくれたユリーが細部まで確認を行う。
「はい、終わりです」
俺の肩をパンパンと払って、ユリーは満足そうに頷いた。
「動きづらいな、これ」
腕を動かしながら自分の着ている服を見下ろす。
「ふふっ。これは制服のように動きやすさなど一切考慮していませんから」
「終わったら脱いでいいか? 人目に触れないなら服なんてなんでもいいだろ」
「いけませんよ。身だしなみは大切です」
楽しそうにユリーが笑う。
着替えを行うこの部屋には俺とユリーの2人きり。今のユリーは、家族の顔をしている。
「ユリーはその服すごい似合ってるよな。かっこいいよ」
純白の生地に銀細工があしらわれた近衛騎士専用の軍服を着るユリー。
俺が本当の名を取り戻したのと同じように、晴れてユリーも近衛騎士への復帰を果たしていた。
彼女の腰の剣には、竜を守る騎士を表現した紋様が刻まれている。
「ありがとうございます。ですが女性相手に格好良いは適切ではありませんね」
「ごめんごめん。とっても綺麗だ」
「私を褒めてる暇はありませんよ。すでに国民はレン様を待ち詫びています」
シュテルフェアの侵略より三週間と少しが過ぎ、王城を包んでいた慌ただしさは峠を越えていた。
国民にもすでに真実は知らされている。
自国の王の死、他国の侵略、隠された王子。
平和を享受してきたエストラークに突如降りかかった大事件は、国民に驚愕と混乱をもたらした。
自国民の騒動を治めるために軍が動員されたほどだ。
だけど時間とは不思議なもので、混乱していた城も街も日が過ぎるごとに平穏を取り戻していく。
情勢の安定を待って、今日、王位継承の儀と銘打った俺の御披露目が行われる運びと相成った。
部屋に置かれた姿見で王の衣を纏った自分を映す。
似合ってない。
兄さんが着ると、あれほど様になっていたのに。
城で何日か生活してみて、ちょっとは馴染めたかと思っていた。でも、まだまだらしい。
「いよいよですね」
机に置かれていた竜剣を丁寧に取り上げたユリーが、俺に向き直る。
「レン様、いってらっしゃいませ」
ユリーに手渡された竜剣スクラージを腰の飾り紐に結ぶ。
ついに、この日が来た。
・・・
あたしは、自分の目に移る現実を受け入れられずにいる。
あるとき、仲の良い友達だったレン・アロイスが学校に来なくなった。
あいつだけじゃない。
同じく友達のシルト・フランメルや、レンの保護者で学校の教官でもあるユリー・アミリエ先生も姿を見なくなった。
騎士部門の学生や教官たちに訊いて回ったというのに、誰も何も知らなかった。
レンの家にも行ってみたけど、誰もいない。
レンがどこにもいない。
突然で、不自然な事態に、あたしは不安になった。
数日すると、学校でおかしな噂話が流れ始めた。
手に負えない魔獣が現れたとか、他国がエストラークに攻めてきてるだとか、眉唾なものばっかり。
同じ魔術部門の子たちは、そっちのことで不安を感じてたみたい。
でもあたしは、国の危機より1人の男の子のことばかり考えていた。
元気のないあたしはしおらしく見えたんだと思う。友達が心配してくれた。中にはあたしが噂話を真に受けて怯えていると勘違いしてる子もいた。
訂正すれば落ち込んでる理由を訊かれそうでイヤだったから、適当に頷いてしまったのはごめんなさい。
だけど、真相を探すあたしを待っていたのは噂話の斜め上を行く事実だった。
エストラーク王、オルタ・エストラーク陛下が竜の襲撃により死亡。護衛に同行していた多数の兵士も犠牲に。
北部国境基地が竜によって陥落。隣国シュテルフェアが侵攻を開始。竜を従えている可能性大。
国家存亡の危機に存在を隠されていた王子がエストラークの竜を召喚。シュテルフェア軍を全滅させる。
そんなにわかには信じられない事態が、あたしたちの知らないところで起こっていた。
当然、学校も街も結構な騒ぎになった。
そんな中、あたしがなにより驚いたこと。
存在を隠されていた王子の名はレン・エストラーク。
偽りの名を、レン・アロイス。
自分の近くにいたはずのあいつが、実は王子様だったのだ。
あまりに意外な事実に、最初は口が開いてふさがらなくて、しばらくしたらレンが王子だなんて似合わないと笑えてきて、最後にはもう会えないかもと悲しくなった。
乱れる心で過ごす日々は辛かった。
あいつからもらった髪ひもを見つめ続けた。
そして今日は、新たな王レン・エストラークが国民への挨拶を行う日。
王城前の広場。そこに窮屈なほど人が集まっている。
人ごみが嫌いなあたしも今日ばかりはその人ごみに混じっていた。
待っていると突如、群衆がざわめきだす。
正面の王城を見上げれば、建物なかほどにある出っ張った舞台に、『レン陛下』が姿を見せていた。
ひさしぶり、と静かに思う。
「私の名はレン・エストラーク」
あたしの視線の先で、レンが話し始める。『私』なんてあいつらしくない。
魔術により増大・拡散されたレンの声が広場全体に響いていく。
群衆は静まり返り、レンの話に耳を傾ける。
「皆も知る通り、エストラーク王族には竜の呪いと呼ばれる定めがある。代々、王族の子は1人しか生まれてこないというものだ。事実、これまでは一子継承を続けている。だが、私は先王オルタ・エストラークの実弟として生を受けた」
違うでしょ?
あんたは国の端っこにある小さな田舎町で生まれたんでしょ?
「竜に守護されている我が国において王族の血は断じて絶やしてはならないものである。此度の大事、誰もが驚いたことだろう」
驚いたわよ。なによりあんたのことでね。
レンは一呼吸間をおいてから話を再開した。
「しかし、私はこのような事態に備え、自らの存在を秘匿していた。無論、私が表舞台に立つ事態になったのは悲嘆すべきことだ。敬愛する兄を失い、私も悲しい」
一人っ子だって言ってたじゃない…。
「この国の行く末を案じる者も多いだろう。戦争を身近に感じ恐怖するものもいるだろう。そうであっても、安心してほしい。この国にはまだ私がいる。エストラーク王族の血は絶えてはいない。白き竜はまだ、我々を守ってくれている」
レンはそんな偉そうに話すやつじゃなかったよ。
「私はここに誓おう。エストラーク王として竜と共にこの国を守っていくことを。変わらぬ平和と繁栄のため、戦うことを皆に誓う」
平和とか繁栄なんて大それたこと言うんだ…。
レンは一振りの長剣を天にかざす。
「我が名はレン・エストラーク。竜の契約者たる新たな王」
違う。
あんたはレン・アロイス。
ただのエストラーク騎士学校の学生。
「エストラークの民よ、憂慮することはない。私がいる限り白き竜がこの国を守る。攻め入る敵を討ち滅ぼす。かつて竜が国の危機を救い二百年、時が流れ他国は我らを侮っていた。だが、再び周辺諸国はエストラークが踏み込んではならぬ土地と思い知ったであろう」
また、らしくないと思う。
こんな高圧的、威圧的な物言いをレンはしない。
「さぁ、今日より新たな歴史をはじめよう。死んでいった者たちの想いを胸に、明日に向けて歩み出そう」
レン、あんたはホントに王様になる気なの…。
「皆には、私と、竜がついているぞ!」
口上の締めくくりは、一際大きな声で広場に響いた。
歓声が上がる。聴衆が沸く。
抱える不安を振り払うように、この場が盛り上がっていく。
その中であたしが感じているのは、恐怖。
レンが急に別人になったように思えて、怖かった。
レンとはたくさんの時間を一緒に過ごした。たくさんの話をした。
生まれ故郷のことや、子供の頃の話だってした。
それが全て、嘘だったっていうの?
いきなり遠い世界に行っちゃって、人も変わったみたいになって、その上思い出の中にいるレンも偽者なら、あたしは誰を想って悲しめばいいの…。
胸が締め付けられるようなこの痛みを、一体、誰にぶつければいいのよ…。
心も身体も、とても遠くに感じられる。
無性に、あいつの「エルン」と私を呼ぶ声を聞きたくなってしまった。
・・・
広場に轟く歓声を背にして、城内へと戻る。
姿が外から見えなくなるまで廊下を歩き、やっと身体の力を抜くことができた。
控えていた近衛騎士たちが俺を囲んで歩こうとするので、必要ないと下がらせる。
護衛なら、この先で待っている。
王としての初めての大役は、どうにか無事に終わった。
あんな群衆の前に1人で立って話をした経験なんてもちろんない。
よくうまくいったと思う。
竜盤院が作成した原稿通り話すだけといっても、王様っぽさを出すのは俺自身。
ユリーやシルト相手に何度も練習して、竜盤院のフランさんやソーンさんに助言をもらうことで、なんとか形になった。
みんなには感謝しなければならない。
「御立派でした」
ユリーは廊下で俺を待ちつつ、演説を聞いていた。
「そう言ってもらえると、頑張った甲斐があるよ」
手伝ってくれてありがとう、と立ち止まって礼を言う。
また歩き出せば、一歩後ろをユリーがついてきた。俺が本当の名を取り戻してから、隣りを歩くことはない。
「何度も確認したことだけど、本当にあんなうっすい内容で理解を得られるのか? 言ってしまえば、みんなで頑張ろうってことだろ」
「事前に十分な情報は公開されています。繰り返し説明するよりかは漠然とした希望を訴える方が効果的なのでしょう」
このあたりは竜盤院が仕切っているので一任するしかない。
公的に王となっても俺はまだ未熟で、今はまだ手を借りないと対処できないものが多いのだ。
これでさらに竜盤院がでかい顔をするようになるかもしれないが、わがままを言って国政が滞らせてはいけない。
気がかりな竜盤院の内情はフランさんとソーンさんが適宜報告を上げてくれる。
「このあとは王城の巡回だっけ?」
「はい。城内はすでに見て回られているとは思いますが、王の姿で改めて巡回していただきます」
本格的に、王としての日々がはじめる。
まずは簡単な仕事から、少しずつ慣らしていく予定。
当然、悠長にやってる暇もないから、1日でも早く王として振る舞えるようにならないといけない。
兄さんに恥じないよう、立派にやり遂げなければ。
「ところでレン様。例の件ですが、本当によろしいのですか?」
「ん? ああ、あのことか。もちろん俺は考えを変えるつもりはないよ」
俺に課せられた仕事の1つに近衛騎士団団長の選任がある。
北部国境基地視察団には、兄さんの護衛のために数多くの近衛騎士が随行していた。
そこに竜の一撃を受けたことで、現在近衛騎士団は人手不足にある。同時に団長もまた亡くなっているのだ。
近衛騎士の補充は追い追い候補を絞ってから進めればいいとして、近衛騎士をまとめる団長は迅速に着任させる必要があった。
近衛騎士団団長は王の側近中の側近。信頼できる人物を指名する必要がある。
誰を選ぶかと考えたとき、真っ先に彼女の顔が思い浮かんだ。
「フランメルはまだ若く実績もありません。いくら前任者が父親でも、それは意味を持ちません」
「でも、シルトは強いよ」
「私も彼女の強さは認めます。学生の身でありながら軍の騎士に後れを取ることはないと思います。卒業後、近衛騎士団へ加入する話もきていました。ですが、団長にとなると他の者がどう思うか…」
前近衛騎士団団長トレーガー・フランメル、つまりはシルトの父親の信頼は厚く、娘であるシルトが団長に就任することに近衛騎士団は受け入れの姿勢を示してくれている。
問題はそれ以外の方面。最近まで学生だった女の子が団長になるなんて、納得しない人間は多くいる。見くびられることだってあるだろう。
「風当たりが厳しくなるのは分かってる。シルトにもそのあたりはちゃんと説明して、その上で了承をもらった。シルトも父親の跡を継ぎたいと言ってる」
任命は王の一存でできる。でもその後苦労するのはシルト自身だ。
頼んでおきながら、申し訳ないとは思う。
「ユリーにも迷惑をかけるね」
「それは気にしないでください。レン様の御傍にお仕えできるのは、嬉しさ以外の何物でもありません」
近衛騎士団、団長にシルト・フランメル、副団長にユリー・アミリエを俺は考えていた。
俺が言われたのは団長を任命しろというもので、副団長については触れられていない。
以前からの副団長は視察に同行せず城に残っていたので存命している。
兄さんが任命した副団長。その人はきっと素晴らしい人格者なのだと思う。
それでも俺は副団長も自分が信用できる人にお願いしたかった。
穴が開いた席に入るシルトと違い、ユリーはその席にいる人を蹴落として着任することになる。
ユリーもまた、厳しい立場になるはずだ。
だけど、俺はこれをどうしても譲れない。側近として2人には傍にいてほしい。
これから降りかかる様々な困難に立ち向かう勇気を、2人からはもらいたい。
2人がいてくれたら、きっと安心して王様をやれる。
そうに違いない。
そんなことを思いながら、近衛騎士団についての話を進めている最中だった。
「陛下! 陛下!」
と、廊下の奥から大声を出しながら文官が走ってくる。
尋常でない様子に、ユリーが俺の前に立ち、剣に手を伸ばす。
「何事だ!」
警戒を示すユリーに、文官は慌てて膝をついて頭を下げた。
「至急、ご報告申し上げることがございます」
息を切らせ、汗を流す文官は早口で申し立てる。
チラリとユリーは俺に視線を合わせて、言葉を促した。
「なにがあった」
一歩前に出て俺が尋ねると、文官はバッと顔を上げて言った。
「シュ、シュテルフェアの王都がっ、かか、かんらく…陥落したっ、との報告が」
世界は、俺が王として成長するのを待ってはくれなかった。
「竜により一夜の内に…全てが炎に包まれた、と…。王都以外の主要都市も被害に遭い…すでに保護を求める避難民が北部国境に押し寄せて収拾がつかない模様!」
まだ、あの戦いが真の意味で決着してはいないことを、俺は思い知ることになる。
お読みいただき、ありがとうございます。
嘉戸なすはです。
この話で、第一章は終了となります。
第二章もよろしくお願いします。