第3話 王の兄、平民の弟
・・・
学校の食堂でユタムを発見し、結局3人で茶を飲みながら歓談した。
気安い仲間と過ごす時間の経過は早い。
それなりにあった自由時間は、すぐに終わりを迎えた。
知らせるのは賑わいを遮る音。
魔術により増大・拡散された声が学校内に響き渡る。
『エストラーク騎士学校6年次の学生は準備を始めるように。エストラーク騎士学校6年次の学生は準備を始めるように―』
何度か繰り返される放送を黙って聞く。
俺も、ユタムも、トゥルも、そして食堂にいた他の学生も。
放送の声が途絶えると、一斉に動き出した。
ついにきてしまった…と内心で思いながらも、俺も騎士部門棟の教室へ戻る。
それほどかからず教室の席は学生で埋まった。
外に出ていたと思われるクライノートもしっかり戻ってきている。
沈黙が室内を包む中、扉が開いて騎士部門選任教官のユリーが現れた。
「これより行動を開始する。陛下の御前だ。無様な姿を晒すなよ」
「「「はいっ!」」」
ユリーの指示のもと次の行動に移る。
まずは騎士部門棟を出て、校門の手前に集合する。そこには指揮部門、魔術部門、支援部門の6年生も集まっていた。
付き添いの教官が学生の確認を終えると、集団で目的地に向け移動を開始する。
目的地といっても、そう遠くはない。
王城から出て貴族街を通過、商業区を抜け平民街へと行進してから、視察団は北部国境基地へと旅立つ。
俺達は貴族街で見送る。
学校は貴族街のはずれにあるので、ぞろぞろ歩くのは数十分というところ。
無駄話ができないのが残念だ。
一体周りのみんなはどんな気分で歩いているのだろう。
ここ数日を思い返してみる。
女子たちは兄さんに会えると騒いでいて、そんな女子をみてエルンは呆れていた。
男子たちは光栄なことと胸躍らせていて、クライノートは以前にも拝謁したと自慢していた。
俺は…どちらでもなく曖昧に笑っていたと思う。
とりあえず外面は取り繕って、まわりに合わせて。内心では悩んでいたわけだけど…。
今もこうして整理がつかぬまま歩く俺には、誰もが呑気に見え、羨ましい。
きっと気持ちは決着しないまま、兄さんに会うことになる。
目的地まで、もう少し。
・・・
不安が募り落ち着かない。
心臓の音がうるさくて、視線も泳いでいる。
貴族街の道の両端に学生が並び敬礼を続ける中、目の前を視察団が悠然と通り過ぎていく。
思っていた以上に俺は心が弱いらしい。
気にしていないとユリーとシルトに言いながら、身体は正直で不調を訴えている。
いっそ倒れてしまいたい。
道の向こうにいるシルトが何度も心配そうに俺を見てくる。
情けないかぎりだ。
きっとどこかにいるユリーも俺を心配していることだろう。
敬礼のため胸の前で握られる手を全力で握り込み、自分に気合を入れる。
ユリーも言っていた。無様な姿を見せるなと。
俺は立派に成長していると、兄さんに見せつけてやる。
別に恨みなんてないけど、見せつけなければならない気がする。
視察団の護衛役を担う軍の騎士たちが馬に乗り俺の前を歩いて行く。俺もいつかは彼らのように軍に入り、国のために働くのだ。
王族の1人として、それが最低限しなければならない責務だと考えている。
だからこそ兄さんに無様な俺は見せられない。ユリーとシルトのためにも絶対に。
もう一度、自分に言い聞かせているとき、学生達の空気が変わった。
道を行く騎士たちの装いが豪華になったからだ。
それまでの騎士と意匠の異なる純白の軍服に、飾られる銀細工。
彼らは近衛騎士。
王を守る、騎士たちの頂点に立つもの。
彼らがやってきたということは、近づいてきている。
なぜか急に、時間の経過が遅くなったように感じた。
さっきトゥルやユタムと茶を飲んだときに比べると何倍も遅い。
1列、また1列と近衛騎士の隊列が通過していく。
そして、きた。
引き連れる近衛騎士の騎馬より一層見事な白馬に跨る1人の男。
竜と剣が描かれた外套を羽織り、腰に携える1振りの長剣。
優しい笑顔で、並ぶ学生に手を振っている。
記憶が蘇る。
小さい頃の、かすかな記憶。おぼろげに、俺に話しかける兄さんの顔が頭に浮かんだ。
変わってない。
背格好が違うけれど、あの頃と同じ優しい顔。
オルタ・エストラーク。
俺の、兄さんだ。
白馬の上で身体を左や右に向け、道の両端に並ぶ学生に分け隔てなく手を振ろうとしている。
呆然とその姿を見ていると、目が合った。
兄さんの動きがピクリと止まる。
ポカンとした驚いた顔。
でも、それは一瞬。
思い返したように、すぐに元の表情で手を振り始める。
俺は息をするのも忘れてじっと見ていた。
どんな顔をしていたのか、敬礼がちゃんとできていたのかも分からない。
ただ、近づいてくる兄さんに釘付けになっていた。
ゆっくり、ゆっくり兄さんとの距離が縮んでいく。
のろのろ過ぎる時間が焦れったい。
待って、待って、ついに俺の前に兄さんが来た。
手を振る素ぶりは変わらず。でも視線は俺に固定されている。
俺も見つめ返す。
これは言葉のない邂逅。
ほんの些細な、意識だけの交差。
だというのに―。
兄さんの優しい笑顔の奥に、安堵が混じっているように俺には見えた。
その感情がどこから来るものなのか、一体俺を見て何を思ったのか訊くことは永遠にできない。
それでも、俺から視線を外すときにわずかに見せた名残惜しそうな顔に、心が温かくなった。
視線の交わりは時間にすれば数秒だけ。
俺が止まり、兄さんが進んでいるのだから距離は遠退くしかない。
兄さんが通り過ぎ、離れていく。
少しずつ…少しずつ…。
見送るように目で背中を追っても、兄さんは振りかえることをしない。
さっきまでと同じように、道に並ぶ学生に手を振っている。
欲を言えば、振りかえってほしかった。
ないと思いながら、期待していた部分もある。
けど、これでいい。十分すぎるくらいだ。
利己的な満足かもしれないが、確かに俺の心は満たされた。
これ以上望むのは、我儘というもの。
俺はうまくできただろうか。過った不安は、あとでシルトに訊くとしよう。
たとえヘマをしでかしていてもかまわない。
俺の心は晴れ渡っている。もちろんそれは嫌なことが終わったからではなく、兄さんとの出会いに喜びを得ているから。
道の向こうにいるシルトも、心配そうな顔はもうしていない。
終わったんだ。
次、同じような機会がくるのはいつになるだろう。
あれほど悩んでいたのが嘘のように待ち遠しい。
やっぱり家族とは不思議なものだと思う。会うのが嫌だったのに、会ってみたらまた会いたくなった。
胸の内で「兄さん、またね」と別れを告げる。
新たな想いを胸に、敬礼の姿勢を正した。
その後、見送りは滞りなく終わり、視察団は無事出発。
にわかに騒がしくなった街も、すぐに元の風景を取り戻した。
後日、気付いたことがある。俺自身が気付いたわけでなく、シルトに言われてのことだけど。
あのとき、ただ1人の国王を待っていた俺と違い、兄さんは数多くの学生の列から俺を見つけたことになる。
そもそも俺を探していたかは定かではない。
でも、兄さんは俺を覚えていて、俺に気付いて、俺との別れを惜しんでくれた。
俺が都合よく受け止めているだけだとしても、そうだと信じたい。
シルトが言っていた。
それは『愛されているということだ』と。
・・・
「ふふふっ」
「どうなさいましたか、陛下」
つい笑ってしまった私の隣りに馬を並べ、近衛騎士団団長のトレーガ―・フランメル侯爵が問う。
首都アンラスを出てしばらく進んだ。
余裕をもって組まれた行軍計画のおかげで、皆ゆるりと歩を進めている。
手で合図をして、私の護衛をしている近衛騎士たちを少し離れさせ、フランメル侯爵と話せるよう場を整える。
「大きくなっていた」
誰を、とは言わない。私と侯爵の間で、それは不要。
距離を取らせたといっても周囲は護衛だらけ。
不意に聞かれることも気に掛けなければならない。
「そうですね、御立派になられておりました」
「そうだろう」
さすが私の弟だ、と言えないのが口惜しい。
かつての面影を残しながら、佇まいは騎士のそれだった。
「正直言うとな、怖かったんだ」
私は懺悔するように、心にたまったものを吐き出していく。
「憎まれても文句は言えん。私は王になっても何もできていない。だから、睨まれるくらい当然のことと、覚悟をしていた」
覚悟していたが、怖かった。
父と母は死に、私の家族は弟のレンただ1人。
睨まれて当然と思っていても、それは私が憎まれているのだと思い知らされるようで、どうなるのか怖かった。
「だがどうだ。あいつはあのような瞳で私を見るのだ」
昔、見たことのある表情。
レンと会う機会など数えるほどしかなかったが、それでも一緒に遊んだ日々。
私がレンの部屋を訪れた際に見せた顔。部屋を後にする際に見せる顔。
喜びと、寂しさ。
記憶の中の2つの表情が、敬礼をするレンに見えた。
思わず笑みを浮かべてしまう。
「我には実に騎士らしい顔に見えましたぞ。強く、清らかで、揺るぎない。まっこと見事な顔つきでした」
フランメル侯爵も嬉しそうに言う。見るものが違えは、見え方も異なるか。
「剣の腕も中々のものと聞きます。近衛騎士団に招けないことが残念でなりません」
「仕方がないことと、割り切るしかないんだろうな」
レンは私との繋がりを徹底的に排除される。
近衛騎士に任命するくらい構わないだろうとの進言も、竜盤院にはねつけられた。
王と近衛騎士。兄弟の距離が必然的に近くなり、私やレンに魔が差すことを危惧している。
レンはきっと、どことも知れぬ僻地へと送られるだろう。
せめて、静かな土地で穏やかな生活ができることが幸いだ。
レンに、王城の利権争いなど関わらせたくはない。
「次が、待ち遠しいですかな?」
私を試すような素ぶりで、フランメル侯爵がジッと見てくる。
父の代から王に仕えるフランメル侯爵には幼少期から世話になっているせいで、頭が上がらない。
王になってもう幾年も経つのに、まだ私は心配されている。
「大丈夫だ」
私は晴れ渡る空を見上げた。
「これで終わりではない。いずれまた、出会える」
私もレンも、長い年月を生きていく。その中で機会はまた廻ってくる。
治世を保つエストラークにおいて、レンが命を賭して戦うことはない。
互いに息災なら、いつか家族の絆が私達を導くだろう。
私はそう信じている。
フランメル侯爵も、よいよいと深く頷いている。
心は、今日の空のように晴れやかだった。
「ところで陛下」
レンの話が終わり、フランメル侯爵も会話を打ち切るかと思いきや、声を掛けられた。
「我が娘はどうでしたか」
「あっ…」
フランメル侯爵の1人娘。
名前は、シルト・フランメルだったか。
王城を出る前に、娘の晴れ姿も見てやってくれと言われていた。
数年前に妻を亡くしているフランメル侯爵は、男手1人で育てた娘を溺愛している。
シルト嬢には晩餐会などで面識はあるはずなのだが、あの学生の中にいただろうか。
「もしやとは思いましたが、気付いてさえもいただけておりませんでしたか」
「す、すまない。私としたことが見逃してしまったようだ」
「いえいえ、それも詮無いこと。我が娘はあの方の正面におりましたゆえ」
なにが面白いのか、愉快そうにフランメル侯爵が笑う。
「陛下の目は、他のもの達を見る余裕はなかったでしょう。まるで、恋する女子のようでしたよ」
声を上げて笑うフランメル侯爵に、周りの近衛騎士たちが不思議そうにしている。
これから当分、この話でからかわれ続けそうだ。
・・・
「ホントにかっこよかったよね、オルタ陛下!」
兄さんを見送ってから早1週間。卒業へと授業をこなしていく日々が続いている。
俺に様々な感情を抱かせた兄さんの見送りも、日が経てば気持ちの整理もついてくる。
ユリーとシルトには、俺が喜びに似た肯定的な思いを持ったことは伝えた。心配されていた分、安心してくれたようで俺も嬉しい。
いろいろあった俺でも落ち着きを取り戻した現在、実は他のやつらの熱は冷めていなかったりする。
「まだ24歳で婚約者なし。顔よし! 身分よし! 性格よし! ホント文句なしよね」
「誰に同意を求めてるのよ…」
「あははは…」
首都アンラスの商業区。学校を出て貴族街を抜けた先にある、この街の商売の中心。
店舗や出店がそこかしこに立ち並び、食糧、衣服、装飾品や武器など数多くの品物が売買されている。
これらは国内だけでなく、国外からも運び込まれた商品だ。
平和を維持するエストラークだからこそ、商人たちは交易の場としてここを選び、また通商路としても活用する。
地理的に複数の大国に囲まれているエストラークは商人たちの通り道になり、その恩恵を得るため国も自由な商売を推進。
商品の多様性においては大陸一とまで言われている。
そんな商業区のとある通りを、俺は3人の女の子と歩いていた。
「顔だけならレンもいい線いってるけどねぇ、やっぱ王様には敵わないかな」
「競ってるつもりはない」
「あんたも答えなくていいから」
「あははは…」
支援部門のメイ・ヒエンが先ほどから兄さんを話題に挙げ、かっこいいとか、結婚したいとか、好き放題言っている。
見送りから1週間もたつのに、こうした話はまだまだ学生達、主に女子達の間で交わされている。
「玉の輿は夢だけど、さすがに王様は目標が高すぎるよね〜」
茶色の癖っ毛を髪飾りで飾っているメイは、貴族との結婚を目的に軍に入ろうとしている変わり者。
俺達の先頭を歩いて入る店を探しつつ、冗談めかした夢を語っている。
「だから誰に同意を求めてるのよ」
兄さんに、というか玉の輿に興味がないエルンは、話半分に聞き流していた。
「あははは…」
困ったように笑う小柄な少女、チナ・イージンはおそらくメイにどう反応していいか分かっていない。
気弱で人身知りのチナは、話題にうまく入れず小さくなっていた。
「ごめんなチナ。ほとんど無理やり連れ出したみたいになっちゃって」
肩身の狭い思いをしているチナに、声を掛ける。
「ううん、大丈夫だよ。買い物とかあまり来ないから誘ってもらえてうれしい」
そう言われても少なくとも心から楽しんでいるようには見えない。
自己主張の苦手なチナのこと、おそらく俺達を気遣って我慢している。
「せっかく早く学校終わったんだし遊びに行かなきゃもったいないって、ねぇエルン」
「だから、同意を求めないで」
チナの気持ちも知らず、メイは実に楽しそうだ。
さて、なぜこのような状況にいるかをここで説明しておこう。
今日は学校が正午過ぎに終了。日がまだ高い中、帰宅することとなった。
一緒に帰るシルトに用事があったので、図書館ででも待つかと向かっていたその道中、エルンとチナの魔術師2人組に遭遇した。
偶然だねという流れで同じく図書館に向かっていた2人と御一緒することとなったわけだが、この後、さらなる出会いがある。
「エルン! レン!」
3人で歩いていたら、突然名前を呼ばれた。
視線を送ると大きく手を振りながら支援部門の女学生、メイが駆け寄ってきていた。
なんでも今から商業区に買い物に行くから一緒に行こうとのこと。
そんなつもりはなかった俺達もメイの勢いに負け、結局買い物に付き合うこととなったのだった。
「何度も言うが、そんな長くは付き合えないぞ」
学校を出る前にユリーに買い物に行くことは伝えてある。
同居人として帰りが遅くなるかもという報告だが、これでユリーからシルトに俺が学校を出ることが伝わるはずだ。
3人も連れがいたので、護衛なしでも外出は許可された。
「だいじょーぶだって。かるーく見てまわるだけだから」
メイは楽しそうにきょろきょろと忙しなく店を覗いている。
「軽くって、商業区がどれだけあると思ってんのよ。まわるだけでも1日はかかるわよ」
「あっ! これかわいいー」
「聞いてないし」
始まったばかりの買い物。衰えぬメイの勢いにエルンも押されてる。
「チナちゃんは好きな色とかある?」
多彩な織物を扱う店舗の前で足を止め、メイがチナに訊く。
「えと、特にこれって色はないかな…」
どこかぎこちない雰囲気がある2人。実のところメイとチナは面識がほとんどないといっていい。
同じ部門生同士で仲が良いのは当然のこと。俺も騎士部門においてユタムやトゥルなどの友人がいる。
それと同様に、魔術部門においてエルンはチナと仲良くなり、よく一緒にいる。
指揮部門でも、支援部門でも然り。同じ部門内であれば交友関係は形成される。
ところが、異なる部門間においてはやや事情が異なる。
指揮、騎士、魔術部門の間には部隊結成と模擬戦を通して、交流する機会がある。
しかし、蚊帳の外とも言える支援部門の学生とはそうはいかない。
授業においても後方支援に徹している支援部門の学生は、俺達と会話をする必要がない。
事務的な会話は適宜行うが、仲を深めるような話をわざわざしたりしない。
それが彼らの仕事であるわけで、無駄話なんてしてる暇はないわけだけど。
だからこそ支援部門の学生と仲良くなるには、俺達側から切っ掛けをつくることが必要だ。
支援部門で医療を専攻しているメイとは、俺達の部隊を治療してくれたときに話すようになり、そこから繋がりができた。
平民の割合が多い俺達の部隊では、気兼ねなく自分を出せたそうだ。
支援部門に属するのは全員が平民。貴族に気を遣う立場でしかないことも接点をもてない原因かもしれない。
クライノートなんかは、支援部門の学生の顔さえ覚えていないだろう。
詰まる所、支援部門に知り合いがいるかどうかは各々違うということだ。
チナは人身知りの性格と、貴族という身分だけに支援部門の学生も話しかけづらいはず。加えてクライノートと同じ部隊だから平民と仲良くしてる姿など見せられない。
「見て見て。これとか似会いそうだよ」
「そう、かな」
今度は服屋で足を止め、服をチナの身体にあてて似合うか確認している。
メイも悪いやつではないので、放っておけばチナといつの間にか友達なっているはずだ。
「あんたも損な役回りね」
メイがチナを連れ回す様子を後ろの方から眺めていた俺の傍に、エルンが来た。
「この3人なら大丈夫だろ」
女の子に混じって男の俺がいる理由など1つしかない。荷物持ちだ。
「お前もメイも散財とかしないだろうし、チナだってそんな買わないだろ。荷物なんて高が知れてる」
「前にメイと買い物行ったことあるんだけど、散々歩き回って安くて良い物たくさん買ってたわよ」
憐れむような目でエルンが言う。
おいおい勘弁してくれ。歩き回る上たくさん買うのかよ。
「覚悟は決めておこう」
「賢明な判断ね」
なんでエルンが偉そうなんだ。
「お前は見なくていいのか?」
メイとチナの方を指差して訊いてみる。店をどんどん移動しながら、チナちゃんにはこれが似会いそう、などとメイが一方的に楽しんでいる。
「あたしは欲しいものないから」
「そっか」
エルンは特別店を見ようともしていない。
「でもせっかく来たんだし、冷やかしくらいするか」
「えー…」
若干嫌そうにするエルンの手を引き、メイ達に合流する。
メイとチナがいたのは、今度は首飾りなどの小物を扱う露店だった。
店構えのわりに品数が豊富で、品質もいい。
なかなかいい店だと感心する。
しかし、ゆっくりは見ていられないらしい。ふと店内を見渡したらメイ達がいない。
ちょっと商品を眺めているうちに、すでに他の店に移ったみたいだ。
「早っ…」
思わずこぼした1言に反応はない。
エルンを見ると、綺麗な髪ひもを手に取りじっと見つめていた。
蒼色の光沢のある生地に銀の刺繍の入った美しい髪ひも。
直感でエルンに似合うと感じた。
ところがエルンは髪ひもを元に戻してしまう。
そこまでしたところで、エルンは俺に見られているのに気が付いた。
「どうしたの?」
「あっいや、メイ達、もういなくなってたから」
「あーホントだ。同じ店にいるんだから声くらいかけてほしいわね」
言って、エルンは店を離れようとする。
「ちょっと待て。買わないのか、さっきの」
止める俺に、エルンは困ったような表情をした。
「うーん…今回は止めとく」
どうも歯切れが悪い。気になったのでエルンの見ていた髪ひもを手にとる。
やはり、エルンに似合いそうな髪ひもだ。質もいい。
疑問に思っているとエルンが横から手を伸ばして髪ひもの値札を俺に見せた。
なるほど、と納得する。
良い物だけに値段がそこそこしている。露店で取り扱うにしては高価な品だ。
エルンも親が平民だから、懐事情に奮発する余裕はない。
「気に入ったんだろ」
「まぁそうだけど…また給金がもらえてから考える」
ふむ、気に行ったのには違いないか。
「すみません、これください」
手の髪ひもを、そのまま店主へと渡す。
「えっ、ちょ、ちょっと」
慌てだしたエルンを無視して、支払いを済ませてしまう。
引き換えに髪ひもをもらい、それをエルンに差し出した。
「はい」
エルンは俺の顔と俺の持つ髪ひもを交互に見て、口をパクパクさせている。
「はい」
ずいっとさらに髪ひもを差し出す。
それでもエルンは混乱していて受け取らない。
「ああもう…」
埒が明かないのでエルンの手を取り、そこに髪ひもを乗せてやる。
自らの手にある髪ひもを見てわずか、エルンはやっと回復した。
「なんであんたがこれ買うのよ。そんなに物欲しそうにあたし見てた?」
それは違う。買ったのはエルンが欲しそうだったからじゃない。
「似合うと思ったから」
俺が勝手に似合うと思って、エルンに着けてほしくて買っただけ。
「それ、お前に似合うよ、絶対」
「っ……」
有無を言わせないよう断言してやる。
強気なエルンが珍しく戸惑いをみせる。
「お金、大丈夫なの?」
「俺はそんな買い物とかしないから」
「贈り物もらう理由とか…」
「なくていいだろ。たまたま気分が向いただけだ」
「都合良すぎでしょ」
やっと納得してくれたようで、髪ひもを大事そうに胸に抱えてくれた。
「ありがとっ」
下から見上げるように、溢れる笑顔を向けてくれる。
その笑顔にドキリとする。
贈り物をすれば喜んでくれると、下心はあった。
それでも感情が揺さぶられる。
まだ髪ひもを着けてもいないのに、満足してしまいそうだった。
そんな俺を差し置いて、エルンは髪ひもを大事そうにまとめると仕舞ってしまう。
てっきりここで着けてくれるかと思っていたんだが…。
「着けないのか?」
「ここじゃうまく結えないわよ」
明るく言い放ち、俺の手を取って駆け出した。
「早く行くわよ。チナ達に追い付けなくなる」
今度は俺が、手を引かれる番らしい。
・・・
ユタムが剣を薙ぐ。
眼前に迫っていた魔獣、ブリーズントは四本足で急停止し、そのまま後方へ跳んだ。
赤い毛並みは逆立ち、長い牙は剥き出しになる。
その攻撃的な体色と、大人の男性に並ぶほどの体長。
威嚇にも迫力がある。
俺とユタムはブリーズントを中心に向かい合うように立ち、距離を少しずつ詰めていく。
自身を挟んで立つ俺達がどう動くか、ブリーズントは警戒している。
「いくぞユタム」
わざと大声を上げ、突撃を開始。俺の動きに応じて、ユタムも走りだす。
ブリーズントは身を屈め、攻撃か、回避か、どちらにしろすぐに動けるように力をためていた。
こくりと、ユタムと顔を合わせ、互いに頷く。
そして、急制動。
先ほどのブリーズントがしたように、突っ込んでいた俺とユタムは急に止まり、後ろへ跳躍した。
俺達が来ると警戒していたブリーズントの動きが止まる。
距離が十分離れると、燃焼音が聞こえてくる。
耳の良いブリーズントは、より早く気付いていただろうが、それでも遅い。
視線の先、逃げ出そうと動き出していたブリーズントの傍に火球が着弾した。
火球は地面にあたると同時に一気に燃え上がり、ブリーズントも飲み込みこまれる。
安全な距離にいる俺にも熱気が伝わってくるほどの火力。
炎が渦巻く。
自然現象では起こり得ない意思を感じさせる炎熱。
しばらく後、炎が消え去ると、そこには黒焦げになったブリーズントが横たわっていた。
「8匹目、終わりっと」
ひとまず魔獣もいなくなり、剣を鞘におさめる。
「大した魔獣は出んな。物足りんぞ」
ユタムも剣をおさめ、近寄ってくる。
「学生にまわす魔獣なんてこんなもんだろ」
「そうかもしれんが、俺達ももうすぐ卒業して軍人だ。いくらか手強い相手を都合してくれてもいいだろう」
「それは―」
「無理ね」
俺の言葉を遮ったのはキールだ。
遊撃の位置をとっていたキールが同じく剣をおさめて近づいてきた。
「学生になにかあったらどうするの。軍だってそんな責任負えないわ」
「俺たちはそんな信用されてないのか」
「違うよ」
と、安全な距離でエルンと動いていたフェイが合流する。
「エストラーク騎士学校の生徒は大事にされている、ということさ」
「うむ、しかしな…」
ユタムはどうも納得できないらしい。
「考えるだけ無駄無駄。軍に入れば嫌ってほど面倒なやつらと戦わされるわよ」
そう言うエルンは、焼け野原となった一画に倒れたブリーズンドを確認していた。
彼女は自分が放った魔術がどの程度の威力を発揮したのか確認をしているのだ。
「骨も残さず焼き尽くすのは無理か…」
恐ろしい呟きは聞かなかったことにする。
「ここらの魔獣は狩り尽くしたけど、このあとどうする? フェイ」
「そうだね」
フェイに訊ねると、目を伏せ思案する。
「近くに川があるはずだから、そこまではいってみよう」
その提案にみんな賛同し、移動を開始した。
眼前に広がる平原を、草木を踏みながら歩く。
澄んだ青空に、白い雲が漂っている。今日も天気が良い。
「見て! 綺麗!」
エルンが指差す先には首都アンラスと、その奥にドナール山がそびえている。
外壁を備える歴史ある城塞都市と、天を貫くほどの雄大な山並みは見事な景観を成していた。
俺も、フェイも、ユタムも、キールも、足を止めた。
首都アンラスを出てから歩き詰めだったこともあり、ここでしばし力を抜くのも悪くはない。
思えば、首都アンラスを出たのは正午前だった。
防衛のため築かれた外壁を出れは、そこには整備された道路がのびている。
俺達は道路に沿うことなく広がる平原に足を踏み入れ、指示された地点を目指した。
目的は魔獣討伐である。
人間に害を与える動物を害獣、その中で一般人には対処できない高い危険度を持つものを魔獣と呼んでいる。
魔獣討伐は、原則としてエストラーク軍の仕事だ。
魔獣の棲みかや頻出地点には防衛線を敷き、目撃したとの報告があれば討伐に出向く。
軍人の練度向上にもなるので、軍は魔獣討伐に積極的だ。きっちり対処してくれていて、魔獣による被害はとても少ない。
それなのに、なぜ学生の俺達が魔獣討伐をしているか。
それは言ってしまえば、小遣い稼ぎだ。
魔獣討伐は一歩間違えば大怪我につながるため、模擬戦では学べない緊張感ある戦いができて、成長につながるのという側面もある。
しかし、学生の討伐目標には危険度の低い魔獣しか割り当てられない。部隊として当たれば擦傷すら受けず倒せてしまう。
ゆえに、経験ではなく、討伐により発生する給金が目当てで学生はこの任務に就いている。
平民も多いエストラーク騎士学校。金銭的余裕のない学生には、お金を稼ぐ絶好の機会である。
俺たちの部隊は指揮官のフェイ以外は平民出なので、魔獣討伐に参加できる6年次に進級してから頻繁に依頼を請け負ってきた。
今日もまた、首都アンラスからいくらか離れた平原で魔獣ブリーズントが目撃され、こうして出向いた次第だ。
すでに、討伐依頼の最低基準は満たしている。景色をのんびり眺めるくらい問題はない。
爽やかな風が吹き、草花が揺れている。
視界にエルンの後ろ姿を入れれば、彼女の髪では蒼い髪ひもが風になびいていた。
先日、俺が贈ったものだ。
やっぱり似合っている、と思う。
買い物に行った次の日から早速使ってくれていて、何度見てもそう思ってしまう。
「ん?」
視線を感じたのか、エルンが振り返って俺を見た。
「なに?」
不思議そうに首をかしげるエルン。
「いや、綺麗だなって」
エルンに向けていた視線をドナール山の方にずらし、素直な感想を口にする。俺が何を綺麗と思ったか、エルンには伝わってないだろうけど。
「ふーん。そっか」
エルンは再び顔を前に向けたので、俺は再び彼女の後姿を見つめた。
もう卒業まで時間がない。
俺の心にあるエルンに対する想いは、きっと特別なものだと思う。
嘘で固められたレン・アロイスという人間が、エルン・リーベという素敵な女の子に気持ちを伝えていいのかという迷いもある。
けど、このまま何もしないわけにはいかない。
何もせず離れ離れになるのは嫌だ。
覚悟を決めよう。嘘偽りのない、心の声を打ち明ける。
反対されると覚悟が揺れそうなのでユリーやシルトには事後報告するとして、絶対卒業までのどこかで告白する。
俺の想いは、日に日に強くなっていた。