第2話 家族
・・・
片付けが終わり、学校に戻る頃には日が落ちていた。
話もそこそこに解散の流れとなり、皆思い思いに帰路につき始める。
エストラーク騎士学校には国中から生徒が集まっている関係上、生徒の多くは寮で暮らす。
首都であるアンラスから遠く離れた町で生まれた生徒に加えて、アンラスに家がある生徒も通学が楽で設備の整った寮生活を希望する者が多い。
自宅に帰るのは貴族の子息子女が中心で、全体で言えば少数派になる。
実は俺もその少数派。学校外に家がある。
同じく自宅組のシルトと校門を出て家路につく。
俺の住む家は比較的学校の近くにあるので、取留めのない話をしていたらすぐに着いてしまった。
庶民的とは言えないが、決して貴族の住まうような豪邸でもない、2階建ての家。
別れの挨拶をしてシルトを見送ると、家の扉を開けた。
「ただいま帰りました」
家の中はおいしそうな魚介の香りがした。
駆け足の音が近づいてきて、すぐに女性が姿を見せる。
「帰ったか。今日は御苦労だったな」
俺を迎えたのはユリー・アミリエ教官。
模擬戦の際見せた教官服ではなく、楽な私服を着ていた。
「早く着替えてこい、食事の準備はできているぞ」
「はい、すぐに」
言われた通り急いで2階の自室に向かい着替えを済ませ…。
1階に戻ると、汚れた制服を洗濯カゴに投げ入れ、手を洗う。
支度を終えてから居間へと続く扉を開けた。
その部屋は、敷かれた絨毯の上に1つの机と4脚の椅子並び、奥には台所が設けられている。
居間に入ると料理の香りが強くなる。
見れば、台所にはアミリエ教官が立っていた。
扉の音で俺が来たのが分かったのか、向こうもこちらを振りかえる。
服を着替えた俺を見て、アミリエ教官を包む空気が明らかに緩んだ。
俺に向ける表情を優しく綻ばせる。
「おかえりなさい、レン様。本当に今日はお疲れ様でした」
「うん、ユリーもお偉いさんの相手お疲れ様」
あらためて帰宅の挨拶を交わす。先ほどと全く違う空気、全く違う言葉遣いで。
教官と生徒の格式ばったものではない。
家族に近い、柔らかい雰囲気が生まれていた。
きっと学校のみんなが今のアミリエ教官を…いや、ユリーを見たら驚きでぶっ倒れると思う。
常に厳しく、凛とした態度を崩さないこのひとが、こんな穏やかな顔をするなんて想像もできないはずだ。
「お怪我はありませんでしたか。フランメルと激しく打ち合っていたようでしたが」
ユリーは俺の傍に駆け寄ると頬や腕に触れ怪我がないかを調べ始めた。
少しくすぐったい。
「大丈夫だよ。直撃は受けなかったから」
「そうですか」
ユリーは安堵したように息を吐いた。
俺のことを心から心配してくれているのが伝わってくる。
「ですがフランメルは加減をしなさすぎです。レン様のお相手をするときは気をつけろとあれほど言ってあるのに」
困ったようにユリーが言う。
俺としては手を抜かれると訓練にならないし面白くもないので、実は影でシルトに『全力で』とお願いしていた。
心配しているユリーと、ユリーに怒られるシルトには本当に申し訳ない。
「模擬戦なんだから激しくなるのは仕方がないよ。それより食事にしよう」
「そうですね。レン様は座っていてください。すぐに料理をお運びしますので」
「ありがとう」
言われた通り椅子に座ると、ユリーは台所で食事の準備を始めた。
台所のユリーはテキパキと手を動かし無駄なく準備を進めていく。
そこだけ切り取ると『アミリエ教官』らしいと思える。
でも、違う。表情も雰囲気も。
凛としているけど、鋭さはない。
むしろ慈愛に満ちた、安心させられる凛々(りり)しさ。
俺にしか見せないユリー・アミリエが、そこにはいた。
・・・
俺とユリーが一緒に暮らしている事情を説明するには、俺の出自から話さなければならない。
俺は、竜の守護する国エストラークの第2王子として生まれてきた。
レン・エストラーク。
俺の王子としての本当の名。
ただ、王子なんていっても俺には王族である自覚があまりない。
王城で過ごした記憶がほとんどないからだ。
幼いころは確かに王城で暮らしていたが、その暮らしは窮屈なものだった。
ほとんど閉じ込められていたといってもいい。
俺の行動範囲は自身の部屋を中心とした限られたもので、自由に城の庭に出ることも叶わなかった。
とある政治的な理由で俺の存在を隠す必要があるのだと、俺に接することのできた人間は口を揃えてそう言った。
今なら理解できるその理由も、その頃は全く納得できてはいなかった。
そのまま月日が経ち、8歳になる頃に俺は王城を出ることになる。
俺の存在を隠すために部屋に閉じ込めている以上、勉学はともかく剣の修行などこのまま教育をするには支障のある事項がいくつもあったのだ。
王族としての俺の成長を心配し、身分を隠し外の世界で生活することが、俺の知らないところで勝手に決められた。
そのとき俺の護衛兼保護者に任命されたのが、当時若くして近衛騎士をしていたユリー・アミリエだった。
当時、近衛騎士で最年少だったユリーは俺の世話役をしてくれていて、俺は姉のように慕っていた。
俺の存在を知る人間は数少なく、その中で俺と仲が良く、剣の腕も立ち、聡明で、文武に秀でた適任者がユリーだったというわけだ。
加えて彼女自身平民の出で、近衛騎士を止めても家から文句が出たりはしない。
王城を出ることを知らされた時は子供心に困惑や憤慨を覚えたが、ユリーが一緒だと知ったときは孤独ではないと安堵したのを覚えている。
変に騒がないために両親や兄とも言葉を交わすこともなく、ひっそりと逃げ出すように俺とユリーは王城を出た。
馬に乗って首都アンラスを離れる。移動には丸3日を要した。
「いいですかレン様。今日から貴方は生まれ変わるのです」
道中ユリーが俺に教えたのは、王子であることを隠す嘘だった。
名前はレン・アロイス。
身分は平民。
生まれは辺境にある農業が盛んな小さな町。
ユリーとは親同士が知己で、俺の両親が死亡したためユリーに引き取られた。などなど。
全て嘘。残ったのは『レン』という名前だけ。
身の上を訊かれたときに備えて嘘は細部まで造り込まれていた。
覚えるのに一苦労したほどだ。
もちろんユリーも嘘をつくことになる。
妻子を持つ近衛騎士団団長と不純な関係を持ったユリーは近衛騎士を追われ辺境の町にある小さな駐屯施設に左遷される、というのが彼女に用意された方便。
左遷されたユリーは道すがら立ち寄った町で俺を引きとり共に移り住んだ、とするらしい。
才能に溢れ、将来を有望される騎士だったユリーの評判は地に落とされた。
ユリーには本当に申し訳なくて、涙しがら何度も謝った。
俺はユリーが大好きで、強くて優しくて、綺麗なヒトであると知っていたから。
俺には謝ることしかできなくて、そんな俺にユリーは笑って「構わないのです」と繰り返した。
王城を出て3日後、小さな町に到着した。農業の他に鍛冶産業がある程度盛んだったために駐屯施設が設けられただけの、防衛上は全く重要ではない静かな場所だった。
空き家を見つけて借りると、ほとんど身1つで俺達は生活を始めた。
駐屯施設は役所としての機能が主で、その仕事は駐在する数名の文官だけで手が足りた。
ユリーは仕上がった書類に許可を出すだけで、仕事という仕事はなかった。
左遷といっても、名目上上官として派遣されていたユリーは、若者という理由で文官達から煙たがられていた。
仕事に行っても遅くなることはなかったし、休みの日も多かった。
肩身の狭い思いをしていたユリーは「むしろこの方が都合がいい」と、空いた時間は俺とずっと一緒にいてくれた。
王族として必要な知識や作法を教わった。
軍略についても教わった。
料理の仕方や花の名前を教えてくれた。
彼女が覚えていたおとぎ話を聞かせてくれた。
ユリーは俺に、それまで知らなかった多くのものを与えてくれた。
そんなユリーは2人きりのときは変わらず優しかったけど、他人の目があるところでは厳しい女性であり続けた。
引き取られた子供と、引き取った大人。
その関係をあからさまに見せつけるように、親しさを他人には見せることはなかった。
特に剣術指導は庭でやる必要があったので、厳しく俺にあたるユリーの姿はたびたび目撃されて、噂は広がり、その町でのユリーの評判は悪くなる一方で。
嘘を守り抜くためと、ユリーは庇うことも許してはくれなかった。
そのまま4年近くそこでの生活は続いた。
ある日、王城からの手紙が届く。
真剣な顔で手紙を読むと、ユリーは俺の肩に手を置いて口を開いた。
「レン様、アンラスに帰れますよ」
このときのユリーは、微笑んでいるはずなのにどこか泣くのを我慢しているようだった。
首都アンラスから追い出された俺が再び戻れることを喜んでくれているのが分かるぐらいに、俺は大きくなっていた。
俺からすれば首都アンラスに帰れることより、ずっと頑張っていたユリーがこの町から解放されることの方がうれしかったから、精一杯の笑顔でユリーにこう言った。
「うん、一緒に帰ろう。ユリー」
手紙は城を出るときから届くことが決められていた、俺をエストラーク騎士学校へ入学させる準備が整ったという合図であった。
仕事の引き継ぎもないに等しかったので、町を出る準備は呆気ないほど早く終わった。
家財道具も大してなく、近所付き合いもしていなかったので、何を残すこともなく、消えるように俺達は町から去った。
首都アンラスに戻ると、貴族街のはずれに家が用意されていた。
他の貴族の館と比べると貧相だが、以前住んでいた家に比べるとずっと豪華な2階建ての一軒家だった。
新たな家に移ってすぐ、ユリーはエストラーク騎士学校で教官として働き始める。
学校側には王城から根回しがされていたので、ユリーはすんなり教官に採用された。
ほどなくして俺もエストラーク騎士学校へと入学する。
所属は騎士部門。ユリーに薦められていた指揮部門を拒否して、騎士の道を選んだのはユリーのような騎士に憧れたからだ。
学校に通い出すと友達もできて、学校生活は充実したものになった。
ユリーも教官の仕事にやりがいを見出したようで、教官としての立ち振る舞いには騎士としての輝きが満ちていた。
幸運なことにユリーが自ら被った汚名も知られていない。
近衛騎士団の名誉に関わることなので、偽られた事件を知る者も口を閉ざし、王城の外にまでは話が広まらなったのだ。
このようにして俺とユリーの新しい生活は順調に始まった。
そして、俺が18となる今も続いている。
・・・
凛とした佇まいで厳しい教導を行うユリーは生徒からは怖がられている。
人の目がある場所では俺に厳しく接する。
この決まりを通すため学校では『教官』を演じていた。
首都アンラスでは、別の町で暮らすよりも身分がばれる可能性が高いため、ユリーの演技は徹底していた。
仮に2人きりに思えても学校や屋外では教官と生徒を崩すことはない。
アミリエ教官ではなく、ユリーに戻ってくれるのは自宅の中でだけ。しかも俺とユリーが私服に着替えているときに限られる。
ユリー曰く、家の中で私服の俺を見ることを切っ掛けに演技を止めるらしい。
「なぁ、ユリー。今日来てたやつらに何も言われなかったか?」
魚介のスープをスプーンですくいながら、向かいに座るユリーに尋ねる。
「はい、問題はありません。私を気にする素ぶりも見受けられませんでした」
模擬戦の視察に来た貴族と軍関係者の中には王城へ出入りする者もいたはず。
もしかしたらユリーの噂を知るやつがいても不思議じゃない。
嫌味でも言われたらどうしようか心配だったが、杞憂に終わってよかった。
「でも面倒だったろ、お偉いさんの相手は」
「いえ、レン様が称賛されているのを聞いて誇らしく思っていました」
「俺、褒められてたのか?」
「自信をお持ちになってください。レン様は十分お強い。フランメルと斬り結べていたのがなによりの証拠です」
「いや、そのフランメルさんに何度も吹っ飛ばされたんだけど」
最終的にはボロボロだ。
「フランメルの強さは学外に知れ渡っています。彼女と対等に戦えるだけで称賛に値します」
褒められていたのなら悪い気はしない。
「俺は先生がいいからね」
茶化すようにユリーを見つめる。
「そんなことありません。レン様にはフランメルにも負けない才能があるのです」
見つめて褒めればユリーが照れてくれるかも、なんて思ったのが間違い。
笑みを崩さず、普通に言葉を返された。
少々、ユリーは俺に甘い。学校では厳しくものを言うのに、家では甘々でくすぐったい。
穏やかに言葉を交わしながら食事を進める。
2人の声と食事の音だけが室内に響く。
会話が途切れてもそれはそれで2人だけの空気を感じられる。
俺とユリーの家族としての時間。心が安らぐ。
食事も終わりに差し掛かったころ、ユリーが口を開いた。
「レン様、明日のことなのですが…」
言いづらそうに言葉を濁す。
俺がわざと話題に上げなかった明日のこと。俺が嫌がってると思ったのか、ユリーは心配そうにしている。
「うん。そうだね」
スプーンを置いて、真剣な顔で答える。
「大丈夫だよ。ユリーが思ってるほど気にしてないから」
明日、エストラーク王が北部国境の基地へ視察に向かう。
そこで俺達エストラーク騎士学校の6年生は見送りに出向く予定だ。
エストラーク王とも近い距離で見えることになるだろう。
学校のみんなは王を目の前にすることに緊張していたが、俺には別の思いがあった。
現エストラーク王、オルタ・エストラーク。
俺の兄。
先代エストラーク王の父は3年前、母とともに事故で他界し、第1王子の兄さんが21の若さで王位に就いた。
きらめく才智を宿す兄さんは、わずか3年で稀代の名君と称されている。
まさに王になるべくして生まれた存在。
第2王子で良かったと、意味もなく安心する。
「兄さんのことはほとんど覚えてないから、もう他人みたいなもんだよ」
平民として生きる俺には、王族と関わる機会なんてほとんどない。
聴衆の1人として遠くから演説を眺めるぐらいで、向こうから俺は見えていない。
「他人だなんて、悲しいことを仰らないでください。レン様は陛下の弟君なのですから」
ユリーが辛そうにするので慌てて訂正する。
「ああ、ごめん。気にしないってことを伝えようと思って言っただけだよ」
「そう、ですか…レン様、あのっ――」
「この話は終わり! さぁ、食事を続けよう」
無理やり話題を切り上げ、再びスプーンを動かし始める。
申し訳ないことに、兄さんを他人と表現したのは半分本気だった。
父と母の葬儀に列席することもなかった俺は、一生王族とは無縁な生活を送るはずだと、根拠もない確信をもっていたから。
一体、兄さんは俺を見てどんな顔をするだろうなんて期待もしない。
俺には俺の生き方がある。
レン・アロイスとして残りの学校生活を堪能し、軍に入隊し、騎士として生きる。
明日も、王を見送る1人の学生だ。
気にすることも、心配することもない。
粛々(しゅくしゅく)と取り行うべき式典。
強がっているわけではない。
でも、自分に言い聞かせているようで…。
中途半端な気持ちのせいか、スープの味が少しだけ悪くなったように感じた。
・・・
俺の気持ちがどうだろうと、夜は明け、また新しい1日が始まる。
日の光で目を覚まし、学校に行く支度を済ませてから1階に下りた。
「起きたか、アロイス」
居間に入ると、教官服姿のユリーが台所でお皿を洗っていた。
食卓の上には俺の分の朝食が並んでいる。
「おはようございます、アミリエ教官」
すでに制服に着替えた今、俺と彼女は生徒と教官だ。
俺は不要な会話をせず食事に移る。
ユリーもきびきびと皿洗いを終えると、黙って居間を後にした。
1人食事を続けている中、扉が開きユリーが姿を見せる。
「では先に行く。あとのことは任せる」
素っ気無く言い、扉を閉めてしまう。
足音が遠ざかり、すぐに玄関が開いて閉まる音がした。
教官のユリーは毎朝先に家を出る。
家族として接することのできない今、気持よく送り出してあげることもできないのは歯痒い。
ユリーを見送ったあと、俺もさっさと食事を終えた。
食器を洗い、身支度を整える。
時計で時間を確認し、戸締りをして家を出た。
すると―。
「おはよう、レン」
家の前ではシルトが待っていた。
「おはよう、シルト」
玄関の鍵を掛けて、シルトと歩き出す。
昨日に続き、今日も天気が良い。
「レン、大丈夫か?」
唐突にシルトが訊いてくる。
抽象的な問いに一瞬理解できなかったが、すぐに言いたいことは分かった。
「大丈夫かって…お前にまで心配されるのか、俺…」
シルトは『今日の行事が』大丈夫かと訊いたのだ。
「その言い草、さてはアミリエ殿にも言われたな」
「大丈夫かとは言わなかったけど、心配してるのは丸分かりだったよ」
互いに内容はぼやかして会話を続ける。
「あの人はそうだろうな。なんだかんだでお前の保護者だ」
「だな」
「それに、お前は私に相談しなかった。アミリエ殿にもだろう? 気にしていない体裁を取り過ぎていて、我慢しているように見えるんだ」
シルトの言葉に思わず黙ってしまう。
そんな俺を見て、シルトは諭すように言った。
「レンはもう少し私達を頼れ。そのために私達はいる」
・・・
エストラーク騎士学校は広大な敷地を有している。
訓練用の拓けた土地と、指揮・騎士・魔術・支援の学生が使う4つの部門棟をはじめ、食堂や図書館、学生寮などの建造物も並ぶ。
学外にも訓練に使用できる土地を所有し、昨日の模擬戦もその中の1つで行われた。
優秀な人材育成のための惜しみない設備。
この国で最大・最高位の教育機関といえば、間違いなくエストラーク騎士学校である。
ただし、伝統的であっても格式高い学校ではないことは付け加えておこう。
それは平民として生きる俺が学生をしている事実で察してもらえるのではないだろうか。
そう、たとえ身分の低い平民でも試験に受かれば入学を認めてもらえるのだ。
軍人は給金が良く、前例として爵位を得て貴族になった者もいる。
立身出世を夢見る平民がエストラーク騎士学校へ集まるのはおかしいことではない。
入学者を絞る目的で入学試験は相応な難しさがあるために、ある程度の教養を要するも、それは超えられない壁ではない。
身分で制限されれば平民はお手上げなのだから。
子供の将来を見据え、12歳からの6年間離れ離れになるとしても、入学が決まれば親は喜んで送り出しているそうだ。
しかし、平民を迎え入れるが故の問題もある。
エストラーク最大・最高位の教育機関には、貴族の子息子女も大勢入学する。
平民と貴族。いくら巨大な学校でも同じ空間にいれば、問題の1つや2つは起きてしまうのは必定。
俺自身、その問題とは無関係といえない。
「シルト」
学校内、騎士部門棟の6年生教室に入って早々、シルトが呼び止められた。
無視するわけにはいかない相手なので、俺もしょうがなく足を止める。
「おはよう、クライノート。どうかしたか?」
シルトの挨拶に満足そうにするのはクライノート・ホミュティ。
制服に絢爛な装飾品を身につけたこの男は、生粋の貴族の子息だ。
父親のホミュティ侯爵は、王の相談役である『竜盤院』に名を連ねる有名貴族。
直接面識はないが、貴族意識の高い人物だと聞いたことがある。
その息子もまた貴族意識が高く、取り扱いが難しい。
「今日は陛下の見送りまで自由時間らしい。せっかく時間が空いたのだし、2人で、お茶でもどうかと思ってね」
2人で、の部分が強調されている。
シルトの隣りにいる俺は会話に入るどころか、クライノートに目さえ向けられていない。
教室の黒板を見れば、クライノートの言う通りの伝言が書かれていた。
「すまない。今はそういう気分ではない」
あっさりと断りを入れるシルトだが、クライノートも諦めない。
「そう言うな。実は門の前に馬車を用意してある。中々いい店が最近できたんだ。ぜひ君に紹介したい」
お茶くらい学校内でもできるのに、学外まで連れ出す心算らしい。
今、学校に来た人間を外に連れ出すとはすごい自信だ。
シルトもどうしたものかと困っている。
シルトの父親は侯爵位を持つ近衛騎士団団長。
同じ侯爵でも竜盤院の力は強大で、クライノートの家柄を鑑みると無下にすることはできない。
それにシルトとクライノートは同じ部隊の騎士。
仲間内で関係を悪くしたくないはずだ。
チラッと、シルトが一瞬俺を見た。助けてくれ、と。
思わず目を逸らしそうになったのは許してほしい。
俺が出張ってもロクな事にならないのは分かっている。
分かっているが…放ってはおけない。
火に油だとは分かりつつ、一応助け船を出してみる。
「待てよクライノート。いきなりそんなこと言われても―」
「貴様は黙ってろ」
困るだろ、と最後まで言わせてももらえなかった。
クライノートは貴族と平民で付き合い方をはっきりと区別している。
平民への当たりは強く、貴族でも下級の家の者なら平民と同じ扱いをする。
無視するなんて当たり前。
ある意味徹底していて気持ちがいいが、友人認定されているシルトは大変かもしれない。
「余裕を持って学校には戻れる。時間の心配はしなくていい。きっと気に入ってもらえる」
俺が目障りなのか、強引に話を進めようとしている。
「さぁ行こう」
クライノートがシルトを連れ出そうとして手を伸ばした。
が、シルトは身を引いて手を掴ませない。
「あまり無遠慮に私に触れようとしないでくれ」
シルトの表情が冷たくなる。
これはあれだ。怒ってる。
「す、すまない。少々しつこかったか」
クライノートもシルトの気分を害したのに気付いて、先ほどまでの威勢がなくなる。
クライノートは1つ咳払いをして、場の空気を立て直しにかかった。
「今回は別の者と行くとしよう。次の機会を楽しみにしているよ」
捨て台詞を残すと、教室を出て行った。
クライノートがいなくなると、シルトは長く息を吐いて力を抜く。
そうして俺と顔を見合わせると、肩をすくめてみせた。
「悪いな。何もできなくて」
「気にするな。クライノート相手には仕方ない」
「だったら助けてくれと言わんばかりに俺を見るなよ」
「傍にイイ男がいたからな。女としては縋りたくなるものだ」
「そりゃどうも」
教室内に人はまばら。
皆空き時間を潰すため外出しているのだろう。
とりあえず暇なので空いている席に座ることにした。
シルトも俺の前の席に腰を下ろす。
これからの予定を思案しようかという時、肩を叩かれた。
「毎度毎度お疲れさん!」
にへらっと締まりのない顔で、トゥル・ムグリフが現れた。
トゥルは制服を着崩し、安物の装飾具で着飾って、香水の香りも漂わせている。
その姿は、軽薄と見られても文句はいえない。
ウチの部隊のキールも勤勉な風体から騎士らしくないが、トゥルも拍車をかけてらしくない。
相変わらずのトゥルに、文句をつける。
「見てて楽しかったか?」
「いやいや。大変そうだなぁって心の中で応援してたさ」
可笑しそうに笑うトゥルは、俺達とクライノートのやりとりのことを言っている。
薄情にも聞こえるトゥルの言葉に、腹は立てない。
こいつもまた同じ境遇だからだ。
トゥルもシルトと同じ部隊。つまり、クライノートと同じ部隊にいる。
彼らの部隊は、アンジュが声をかけて集まったのだが、運の悪いことに部隊を構成する5人の内、4人は貴族の子で、1人が平民の子だった。
その仲間はぐれがトゥルだ。
「からまれるのは俺の方が断然多いんだから文句言うなよレン。たまには苦労して俺の面倒を減らしてくれ」
クライノートと同じ部隊の平民なんて同情を禁じ得ない。
さっきのようなことが日常茶飯事なのだ。
「まぁ、頑張れよ」
「問題ないって。あと少しで卒業だ」
余裕を見せるトゥルにシルトが指摘する。
「卒業しても離れられるとは限らないぞ」
卒業後、部隊は解散し軍にバラバラで配属される。
とはいっても、近しい部署になる可能性もゼロではない。
「それこそ問題ねぇよ。クライノートはどうせ中央で、俺は辺境だろうしな」
中央とは首都アンラスでの着任を、辺境はそれ以外の街への着任を指す。
貴族の子息子女は中央に置かれるよう配慮されている一方、平民出身で中央に残るには実力が必要だった。
「なんだ。随分悲観的だな」
俺が思うに、トゥルの強さは決して凡夫のものではない。
驚く俺にトゥルは手を振って否定する。
「地位や名誉に興味はないね。俺はこの学校を卒業さえできればいいんだ。あとは安泰な暮らしが待ってる。どこにいようとおんなじおんなじ」
綺麗な女の子がいる場所ならなおさらいいな、なんて最後に付け加えてる。
「キールがいたらどうなっていたかな?」
シルトの漏らした感想に、俺も頷く。
同じく平民出身で、中央で働くことを夢見るキールが聞いたら大変なことになりそうだ。
「キールなら図書館に行くってさ。ユタムは食堂な」
教室にいない、同じ部隊の2人の行方をトゥルが教えてくれた。
「それを知っているということは随分前から教室にいるのだろう。なぜお前はまだここに残っているんだ」
シルトの言う通りトゥルの性格なら教室に残っているの意外だ。
クライノートではないが、それこそお茶でも飲みに出ていそうなのに。
「学校の前でホミュティ家の紋章が入った馬車が止まってた。教室にきたらクライノートが誰かを待っているようだった。なにやら面白そうだったんで、待機してたんだ」
してやったりと言わんばかりの顔を俺に見せる。
「お前なぁ…」
やはり楽しんでいたのか。平民仲間のはずだろ。
「まっ、終わったことをグチグチ言うな。どうよ? これから茶でも?」
教室にいる理由もなくなったトゥルが提案する。
「俺はいいけど」
シルトはどうかと視線を向ける。
すると、シルトは小さく首を横に振った。
「私は遠慮しておこう。クライノートの誘いを断った手前、お前たちと茶を楽しむ姿を見せるわけにはいくまい」
「だったら俺もここにいるよ」
シルトを残して行くわけにはいかない。
「いや、レンはトゥルと一緒に行くといい。私は本でも読んでいる」
「でも…」
「ここでお前が残ると私が忍びないとは思わないか?」
シルトの言葉にすぐに言い返せない。
確かにその通りで、俺が残っても気を使わせるだけだと思える。
逡巡していると、肩を再度叩かれた。
「決まりだな。行こうぜ」
トゥルは言って、先に歩き始める。
「ごめん。じゃあ行ってくる」
一言謝ってから、トゥルの後を追いかけた。
教室の扉を出たところで、トゥルは足を止めていた。
俺が来たのを見て、歩き出す。
横に並ぶと、トゥルが口を開いた。
「お前さ、シルトと仲良いよな」
「なんだよ急に」
緩んだ表情を見ると真面目な話ではないことは分かるが、真意が分からない。
「学校に来るのも家に帰るのも一緒。教室でもよく2人でいる」
「そりゃ友達だし仲良くするだろ。登下校も家の方向が同じだけだ」
「それだけ?」
「それだけだよ」
近しい関係であることは認める。
けどそれは秘密を共有しているだけで、変な勘繰りは止めていただきたい。
「はぁ~」
呆れたようにトゥルがため息をつく。
「そうは見えないぞ。だからクライノートによく突っ掛かられるんだ」
「あいつは平民なら誰でもからむだろ」
「お前は特に、だよ」
あまりピンとこない話だ。
俺やトゥルをはじめ、クライノートは身分が低ければ誰に対しても態度が酷いはずだが。
「なんでそんなことになる」
「クライノート、まだ諦めてないっぽい」
「……?」
「シルトのことだよ。流れで察しろ」
「ああ…、そういうことか」
言われて思い出した。
クライノート・ホミュティはシルト・フランメルを好いている、と噂が流れたことがある。
有力貴族なら誰にでも友好的なクライノートが、シルトを殊更食事やらお茶やらに誘うので、そんな噂話が出たのだ。
事実の有無は謎のまま。
貴族様の噂話の追求なんて怖くてできやしない。
ただ、嘘か真か、クライノートはシルトに交際を申し込み玉砕した、という話まで存在する。
そしてもう1つ。
「最強の騎士、シルト・フランメルが惚れた男、か」
クライノートの噂と同時期に、もう1つ噂話が湧いて出た。
シルト・フランメルには好きな男がいた。だからクライノートは振られたのだと。
「その惚れた男、お前のことなんじゃね?」
「フッ。違うよ」
鼻で笑って、トゥルの憶測を一蹴する。
「何でだ?」
「その噂が出た頃、シルト本人に訊いた」
「まじかよ!」
本当だ。
私的な部分に口を出す権利はなくても、心配くらいしてもいいだろう。
クライノートには悪いが、正直シルトの相手にはふさわしくないと思う。
クライノートの心象が悪いだけでなく、相性がどう考えても良くないのだ。
俺の個人的な意見として交際を断ってほしい半面、断ったら断ったで面子がある。
下手にこじれて家同士の問題に発展するかもしれない。
どっちに転んでも心配だったので訊かずにはいられなかった。
「交際の申し出なんてなかったそうだ。まるっきりデタラメだよ。特別好意を抱く相手もいないってさ」
わざわざ訂正してまわることでもないので、話すこともなかった。
「そうか。まっ、告白はなかったにせよ、クライノートの気持ちは本物だ。俺のカンがそう言ってる」
「不用意な発言は控えろよ。誰が聞いてるか分からないぞ」
廊下にも多少は学生がいる。
「大丈夫だろ。こんな恥ずい話、密告するのも勇気がいる」
そうかもしれない、とトゥルの言い分に納得していて、ふと思い立った。
「トゥルの言いたいことは分かった。俺はシルトの想い人だと勘違いされてクライノートに睨まれてるってことだろ。なら、シルトに好きなやつはいないってどうにかして伝えられれば」
「止めとけ」
かぶせるように否定される。
「そもそも伝える手段がない。人伝を使っても信憑性なんてない、結局は噂だ。シルトにも迷惑がかかる。仮にお前が直で伝えたとしても―」
間を置き、俺の注意を引くと、トゥルは憎たらしく笑ってみせた。
「シルトに好きな男がいるか訊けるってことは、それ自体親しいことの証明みたいなもんだからな」