第1話 レン・アロイス
・・・
俺は忘れていた。
それは楽観とも、油断とも、無知とも言えるかも知れない。
近隣の国々との衝突はあっても大きな争いはなく、国は平和だった。
俺はなに不自由なく暮らしていたし、友達とも楽しくやっていた。
兄さんは相変わらず優秀で、俺の出る幕はないはずだった。
そう、きっと俺は忘れていたんだ。
俺がこの国の第2王子だという、その意味を。
そして、友達を戦場に送り出すことになる、その可能性を。
・・・
森の中を慎重に進んでいく。
鬱蒼とまではいかない木々の間に、視線を巡らせる。
作戦が順調なら、そろそろ接敵する頃合いだ。
剣の柄を握る左手にも力がこもる。
出会うであろう相手には、これまで一度も勝ててはいない。
だからこそ、気分は高揚していた。
天気は快晴。木漏れ日が差し込んでいる。
戦いの前だというのに、どこかワクワクしてしまう。
逸る気持ちを静めながら、また一歩足を進めた。
そんなとき、正面から人影が現れる。
周囲を警戒していたというのに、目の前に現れた少女は奇襲など頭にないらしい。
それも彼女の性格を考えれば、当然かと納得できる。
警戒していた自分がおかしくて、少し笑ってしまった。
「なにがおかしいんだ」
少女の声が耳に届く。もともと低めの声色をしている彼女の声は、聞き様によっては不機嫌に聞こえてしまうが、決して気が短いわけではない。
長い付き合いだから、俺には分かる。
「別に深い意味はないよ。ただ、本当に正面から来るから驚いたんだ」
俺たちがいるのは森の中。木々が立ち並び、身を隠しての奇襲にはもってこいの戦場だ。
作戦段階で、目の前の少女は単独で正面突破してくると予測されていたから、それを見越して進路を選び、こうして希望通りに出会えたわけだが、さすがに少し驚きもある。
今日の模擬戦は勝敗が非常に重要となる。参加している誰もが勝利を目指して慎重に、そして全力で臨むはずだ。
策を巡らせ、自力の差を埋める。自力で勝る者も、勝利のために策を打つ。
でも彼女は、いつもと変わらない。
正々堂々、全力全身、相手と剣を合わせるために身をさらす。
気高く、実直で、扱いづらい。
そんな彼女、シルト・フランメルは俺達の中で最強の騎士だった。
「決して無策でこの模擬戦に臨んだわけではない」
今度はシルトが微笑んだ。
「私が正面から来るのはいつものことだ。今日の模擬戦が普段と違っていても、私の性格からして、それは変わらない可能性が高い」
言いながら空いた手で自身の長い黒髪を撫でる。
「フェイは堅実なやつだ。私のこともよく分かっている。私の動きを読み、私に当てるべき最善の駒をその進路に配置するだろう」
だからこそ、と彼女は続け、俺に剣先を突き付けた。
「私は私らしく動いた。お前たちの裏をかくためにコソコソ動いたりしなかった。お前とこの場で戦うためにな」
どこか誇らしく笑みを浮かべるシルトに、俺の頬も上がってしまう。
シルトを相手にできるとすれば部隊の中では俺だけだ。勝てないにしても時間稼ぎぐらいはできる。
彼女と戦うために俺はここまで来て、これから彼女と戦う。
それが俺の仕事で、隊としての作戦。シルトもそれは分かっていた。
それでも来た、その意味。
きっとそれは俺と戦うため。
彼女もまた動きを読まれているのを承知の上でここまできた。
俺がシルトと戦いたかったように、シルトも俺と戦いたかったのだ。
「俺もうれしいよ、お前と戦えて」
重心を落とし、正面に剣を構える。
俺の動きに合わせシルトも剣を構え、切れ長の目で俺を見つめる。
「お前と戦いたいとアンジュに無理を言ったからな。勝利を手にし、部隊に貢献しなければ」
2人を包む空気が緊張する。
「じゃあ始めよう、シルト」
俺の言葉にシルトはニヤリと余裕のある顔で答えた。
「レン、あまり力むなよ」
お互いほぼ同時に相手に向かい動き出す。
静かな森に、剣戟の音が響く。
このときはまだ、俺はレン・アロイスとして生きていられた。
・・・
竜の守護する国、エストラーク。
大陸のほぼ中央に位置する、いくつかの大国に囲まれるように存在する小さな国。
その首都、アンラスにあるのがエストラーク騎士学校である。
騎士と名称に入っているが、騎士のみを育成する機関ではない。
部隊を率いて軍略を司る指揮官を育てる『指揮部門』。
敵を薙ぎ、打ち倒す騎士と弓兵を育てる『騎士部門』。
魔術により戦場で火力を振るう魔術師を育てる『魔術部門』。
戦場での兵器運用、密偵行為、医療行為、兵糧運搬などの後方支援を行う人材を育てる『支援部門』。
12歳から入学可能で、4つの部門それぞれに入学した学生が6年間、基礎学問とともに専門知識・技術を学ぶ。
そして無事卒業した者がエストラーク軍に編入され、国のために尽くすのである。
そのエストラーク騎士学校に在籍している俺たちにとって、今日の模擬戦は卒業間近に行われる特別なものだった。
形式としては変わらない。選ばれた戦場で2つの部隊がぶつかり合い、実働要員である騎士と魔術師を全員無力化するか、指揮官を押さえるかすれば勝利となる。
いつもと違う点を挙げるならば観客がいたこと。
それも貴族と軍関係者といった錚錚たる顔触れ。
彼らは卒業し軍へと入る学生たちを事前に視察し、優秀な人材を探している。
ここで目をつけてもらえれば軍に入った際に通常より上の地位に配属されることもあるし、貴族に目をつけられれば引き抜きで護衛として招かれることもある。
そういった事情から今日の模擬戦は過熱していた。
模擬戦の終了を迎え、疲れの溜まった身体を引きずり戦場だった森を抜ける頃には俺も限界が近かった。
「ホントに今日は疲れた…」
思わず独り愚痴ってしまう。
戦場だった森の入口に設営された簡易拠点には、いくつかの天幕が張られている。
自分達の部隊に宛がわれた天幕に入ると、まだ誰もいない。
これは都合がいいと、机と椅子を隅に移動させ場所を空けた。
腰の剣を机に置くと、鎧も取り外す。鎧は動きを阻害しないよう最小限のものを胸部と四肢に身につけているだけなので簡単に外し終える。
休むのに邪魔なものを取り去ると、手足を投げ出すように倒れ込んだ。
下は土。軍服を模した白の制服が汚れてしまう心配も、今はしなくてよかった。
模擬戦は区分けされた森の中で同時に行われている。場所によって帰ってくるまでに時間差があるから、学生が揃うまでは休憩に使える。
土の冷たさが伝わってきて気持ちがいい。
全身の力を抜いて、やっと一息できたように感じた。
目を閉じ、心地よい疲れからくる眠気に身を委ねようとしていたら、幕が上がる音が耳に届く。
「はいはい、勝手に寝ようとしない」
まず聞こえたのは女の子の声。
「休ませてあげなよ。今日もシルトととことんやりあったみたいだから」
続けて落ち着いた少年の声が聞こえた。
どちらも知った声で、誰が入ってきたかは分かった。でも、その姿がどんなものか気になってうっすらと目を開けて確認する。
すると、案の定2人ともひどい土まみれだった。
「ははっ、2人ともボロボロだな」
笑うと、杖を持つ少女はムスッと顔を不機嫌に変え、盾を抱えた少年は困ったように頬をかいた。
「あんたも人のこと言えないでしょ」
呆れたように言う少女、エルン・リーべは、俺に近づくと見下ろすように全身を眺めてきた。
エルンの言う通り、俺自身も泥まみれで、だからこそ汚れも気にせず地面に寝ているのだ。
「あたし達も大変だったのよ。さっさと勝ちを取るためにあたしとフェイはかなりしつこーく狙われ続けたんだから。それはもうしつこくよ。逃げるのも、攻めるのも、守るのも忙しくてたまったもんじゃないわよ」
ホントにしつこすぎ、と腕を組んでそっぽを向いた。合わせるように彼女の括られた髪が揺れる。
エルンの言葉を聞くに、それはそれはしつこかったようだ。
そばにいた穏やかな雰囲気を持つ少年、フェイ・ヴィンティットに視線を移すと、苦笑で返された。
部隊においてエルンは魔術師、フェイは指揮官を担当している。他に騎士が2人いて、俺を含めた5名で部隊を組んでいる。
指揮官は勝利条件になっているので執拗に狙われるし、魔術師は火力を潰すためにも真っ先に狙われる。
普段の模擬戦でも苦労する役職であるがゆえに、今日は一段と大変だったようだ。
「作戦はハマってた。けど、今日も勝ち切れなかったな」
だれかれ無しにつぶやくと、フェイが服の汚れを掃いながら答えてくれた。
「シルトとアンジュ、2人はなかなか崩せないよ」
「まぁ、俺もシルトを倒せなかったから、文句の言いようもないけどな」
シルトと戦闘を開始した後、なかなかいい勝負ができたとは思う。勝てはしなかったけど。
今日の模擬戦、時間切れによる判定勝負となり劣勢だと評価された俺たちの部隊の敗北という結果に終わった。
悔しいことだが、俺がシルトに一度も勝てていないように、部隊として見てもシルトのいる部隊には一度も勝てていない。
それにはとある理由がある。
部隊は5人編成。騎士部門から3人と、魔術部門、指揮部門から各1人ずつの5人で1つの部隊を組む。
誰とどのように部隊を組むかは自由。6年次に進級した際に期間が設けられ、学生同士で声を掛け合うことで結成する。
学校が関与しない分そこに成績など考慮されていないので、強さや特色は部隊それぞれ。
あまりに各部門の成績優秀者が揃い、最強部隊のようになると模擬戦が訓練にならないので、そういった場合は学校が介入するらしいが、学生もそのあたりは分かっているので、例年均衡のとれた部隊が組まれるらしい。
卒業を控えた6年次の一年間は、機会を見つけては積極的に模擬戦が行われる。近い将来軍属になるのを見越し、これまで学んできた知識と技術を実戦形式で実用化していくことになる。
模擬戦による部隊の戦術は様々(さまざま)だ。
騎士が強ければ力押し。魔術師が優秀なら火力を生かした戦いができる。指揮官の指示のもと多対一の状況をつくるのもあり。
騎士、魔術師を打ち倒し勝利するのも、戦闘能力の低い指揮官を狙うことで勝利を得るのも自由。自身の部隊と相手の部隊の特徴を考慮して、戦術を組むのが指揮官の役目だ。
通常、同期の中で最強の騎士であるシルトがいるならば、指揮官を狙うのが常道といえる。
しかし、シルトの部隊は他の部隊と違う点があった。
それは本来戦闘に参加できず、護衛されながら逃げ回るしかないはずの指揮官が、厄介なくらい強いことだった。
アンジュ・トラム。
指揮部門に所属するこの少女は、魔術師としての高い素質を有していた。
指揮官としての教導を受ける一方で、空き時間を見つけては魔術の訓練も行い…。
結果、彼女の攻撃的な性格もあってか、敵に見つかり攻撃されれば、指揮官自ら反撃に出る形態が完成したのである。
魔術部門以外の学生、例えば俺たち騎士部門の学生も、能力さえあればある程度の魔術を習得するが、それはあくまでも基礎的なもの。指揮部門や支援部門の学生もまた同じだ。役に立ちそうな魔術を『ついでに覚える』程度といえる。
対してアンジュの魔術は、片手間に覚える基礎の範疇を大きく逸脱していた。それこそ指揮官ではなく魔術師を名乗れるくらいに。
だからこそ、厄介だった。
シルトが強いために騎士・魔術師全滅の勝利条件は満たしがたい。
指揮官を抑えようにもアンジュは容赦なく魔術を打ちこんでくる。
2つの勝利条件。どっちを狙っても楽じゃない。
当初からそれは懸念されていたけど、それが予想をはるかに上回ることが分かったのは、部隊結成期間が過ぎ、模擬戦が本格的に開始されてしばらくしてからだった。
それ以降、倒すべき目標として我々同期の部隊の頂点に君臨し続けている。
「で、そっちはどんなもんだった」
上体を起こし、フェイに問いかけた。
「動き自体は予想通りだったよ。けど、アンジュは思った以上に張り切ってたね。トゥル達を押しのける勢いで前に出てきてた。それにあてられてトゥル達も張り切っちゃってさ、手がつけられなかったよ」
視察されているからアンジュも指揮官に徹して無茶はしないだろうという予測は外れたようだ。シルト同様アンジュもいつも通りでした、と。
アンジュの隊の騎士であるトゥルの参った顔が目に浮かぶ。
「ユタムとキールは救護所?」
「うん。2人とも魔術が飛び交う中で戦ってたから無傷ってわけにはいかなかったよ」
訓練である模擬戦では大怪我をしないように使用する剣は刃が潰され、使える魔術にも制限がかかっている。大きな怪我を負わせると評価は低くなり、あまりの危険行為があった場合は罰則。
上手に手加減できることもまた強さの必要条件だ、と教官が言っていた。
大怪我することはないが、当然多少の怪我は負ってしまうので、救護所が設けられ、怪我人はそこで治療を受ける。
もちろんそこで活動するのは支援部門の学生。
部隊を組む際に支援部門の学生は構成員には入らない。彼らは模擬戦においては物資の運搬、天幕の組み上げ、治療行為などを行い、その能力を披露することになっている。
ユタムとキールも彼らの世話になっているらしい。
同じ部隊に所属する騎士、ユタム・ユトックとキール・アッサー。
2人はエルンとフェイを守る形で戦うことになっていた。模擬戦終盤で敵味方が入り乱れる状況になれば流れ弾に当たることは避けられなかっただろう。
混戦の中で隙を見てアンジュを叩くのが作戦だったから、相当な無茶もしたはずだ。
「俺がシルトを倒して救援に向かえていれば…」
「違うよ。勝てなかったのは良い作戦を立てなかった僕のせいだ」
少し暗い顔をしたのに気付いたフェイが諫めてくる。
「君はシルトを最後まで足止めした。僕の指示を完璧に遂行したんだ。何も悪くはないさ」
フェイの言葉を聞くと不思議と心が落ち着いてくる。傍にいる人に安らぎを与える才能がフェイにはある。
「そうそう。だれもあんたがシルトに勝てるなんて思ってないわよ。シルトは騎士部門で1番強い。レン、あんたは2番目。順位は1コ違いだけど、あんたは天才でシルトは化物よ」
不機嫌から立ち直ったエルンは、今度は呆れていた。
貶されているのか褒められているのかちょっと分かりづらい。
あと、化物なんて言っているとシルトが怒ると思うんだが…。
「相変わらずレンに厳しいね」
フェイの指摘にエルンは胸を張って返した。
「全部レンが悪いのよ」
あまりに堂々と言うので俺もフェイも笑ってしまって、エルンもつられて笑いだす。
それからは3人で時間を潰した。エルンが模擬戦の内容を感情的に語り、フェイが補足して、俺が聞く。
しばらくすると、天幕の外が騒がしくなってきた。思えば、人の気配も増えている。
「みんな帰ってきたみたいだ。そろそろ僕らも外で集合を待とう」
フェイが話を切り上げ、歩き出す。
話しているうちに休憩時間は終わってしまったらしい。もうすぐ集合がかかるだろうからユタム達とも合流しておかないと。
そう思っていると、出入り口の幕を広げ外に出ようとしていたフェイがふと動きを止めた。
あっ、そうだ、と顔だけ俺に向け二コリと笑顔をつくる。
「こんなことをレンに言えば余計に気を遣わせると思うけど、僕はいつも期待しているよ。レンがシルトに勝って駆け付けてくれるのを、さ」
それだけ言うと、1人天幕の外に消えていった。
俺とエルンの2人が残される。
「だってさ。あと何回シルトと戦えるか分かんないけど、頑張りなさいよ」
「…了解」
もう卒業の日は近い。模擬戦も何度できるか分からない。対戦する部隊はいつも変わるから、その中でシルト達とやれるのは数えるほどしかないはずだ。
卒業すれば現在の部隊は解散し、皆バラバラになって軍に配属される。
記念にとは言わないが、この部隊でいるうちに一度は頂点を崩したい。
きっとその思いはみんな同じで、だからフェイは珍しく重圧を与えるようなことをわざわざ言ったんだ。
立ちはだかる壁は高いが、我らが指揮官の期待にはぜひ答えたい。
「ん」
自然な動きでエルンが俺に手を差し出した。
その手を掴むと、足に力を入れ立ち上がる。つないだ手が強く引かれたりはしない。正直、自分だけで立ち上がるのと変わらないと思う。
でも、立ち上がったあと彼女が満足げに微笑んでくれるのが、俺は好きだった。
「剣と鎧忘れないでね。慌てなくていいから」
「分かってるって」
はずしていた剣と鎧を急いで身につける。
「みんな待ってると思うし、行こう!」
エルンと一緒に天幕を出て、フェイ達の姿を探す。
並んで歩きながら、彼女の横顔を盗み見た。
見慣れている顔。勝気な瞳と、頭の横で括られた綺麗な髪。
長く見てきたはずなのに、こうしてエルンと一緒にいられる時間の少なさを思うと、胸がざわついた。
・・・
同じように土だらけな学生達の間を進んでいくと、すぐにフェイを見つけることができた。
合流するとユタムとキールの姿もある。やはり2人とも土まみれで、湿布などの治療の跡も見て取れた。
体格に恵まれた大男、ユタムは大きく笑うと俺の肩をバシバシ叩く。
「聞いたぞレン、なかなかいい勝負をしたそうだな。これは勝利を手にする日も近いか」
負けたというのに威勢がいいのも、叩かれる肩が痛いのはいつものことなので特に気にしない。
元気なユタムとは対照的に、隣りにいる眼鏡をかけた少女は冷めた表情をしていた。
「本当に呑気ね。今日の評価が将来に関わるものだということが分かっているのかしら」
勤勉な性格のキールは、今回の結果に納得がいっていないらしい。眼鏡の位置を直しながら呆れたようにユタムを見ている。
座学の成績が上位のキールだが、騎士として重要視されるのは実際の強さだ。
視察されていた今日の模擬戦で評価が低いのは、普段真面目に過ごしている彼女にしてみれば納得がいかないのも頷ける。
「よりにもよってなんで相手がアンジュ達なの。他の隊なら勝ちようもあったのに」
「しょうがないでしょ、勝負が一方的にならないように組合せが決められたんだから。むしろアンジュ達の相手に選ばれたのを喜ばないと」
文句を言い出したキールをエルンが宥める。
40ほどある部隊、模擬戦の組合せは無作為が基本だが、今日は見せ場が作れるように拮抗する組合せで行われた。エルンの言う通り、部隊の頂点に立つアンジュ達の相手に選ばれたのは喜ばしいことだ。
「負けたのだって判定負け。誰も倒せなかったけどあたし達だってみんな生き残ったし、キールの活躍もきっと見てもらえてるわよ」
「そうだね。僕のことも何度も守ってくれたし、上手く隙を見つけて斬り込んでたし、評価が低いなんてないと思うよ」
「うむ。お前は見事に戦い抜いたぞ」
キールが「はぁ」と短く息をつく。エルンやフェイはともかくユタムにまで慰められて、ひとまず落ち着くことにしたらしい。
「分かった。もうなにも言わない」
困ったような表情で、やっと笑みを浮かべてくれる。
これでこの場は収まった…と俺は油断していた。
「で?」
と、キールは黙ってやりとりを見ていた俺に鋭い視線を送ってくる。
「なに我関せずって顔してるの。そもそもシルトを放置して全員でアンジュを狙えば勝てたかも知れないのに、貴方が戦いたいってこだわるからこうなったのよ」
組合せの文句から俺への文句に変化した。
「今日も勝てなかったようだし。やるって言ったからにはちゃんとしなさい」
文句ではなくお叱りだったらしい。
シルト放置のアンジュ狙い。この手はこれまで何度か試した作戦の1つだ。
戦力集中でならアンジュに手が届くかと思ったが、この場合アンジュ達は引き気味で戦いシルトの合流まで耐える戦法を取る。
攻められても厄介だが守られても厄介なのが手に負えない。
アンジュがいることで魔術は2人分。単純に2倍になっているので牽制されると近寄れなくなる。
そのうちシルトが合流し、そこから乱戦になるとシルトと大量の魔術を処理しきれなくなってあっという間に全滅。
戦力で押し切れる可能性がわずかにある。一方で抵抗もできずに終わる可能性もある。
分の悪い賭けと言える作戦。これが良いのか悪いのかは部隊内でも意見が割れて、いまだに答えは出ていない。
ちなみに逆の場合。アンジュ放置のシルト狙いもだめ。
シルトを集中攻撃すると、彼女は俺達を捌きながら隊との合流を図る。合流されればアンジュ狙いのときと同じだ。
やはりアンジュもシルトも手強い。
そうなると、必勝法がない状況でなぜ怒られるんだ、俺。
「だいたい貴方は感情に流されるところがあります。騎士たるもの常に冷静に―」
「ごめん! ごめんって!」
手を合わせキールに謝る。このままでは『騎士の在り方』という哲学的な説教に移行しかねない。
助けを求めようにも、フェイ達は俺達を見て笑っている。今度は3人が『我関せず』だ。
謝罪もむなしく、詰め寄るようにキールの説教は続いている。
これって俺に説教することで鬱憤を発散しているんじゃ…と今さら気付いた。
八つ当たりっぽいが、まぁ、しょうがないので隊を代表して付き合うとしよう。
ただあまり長いのは勘弁だから、早く集合かからないかな、とキールを宥めながら時が過ぎるのを待つのだった。
・・・
各部隊が集合し、整列した。
指揮官を先頭に、騎士、魔術師の順で並ぶ各部隊が、列をなして前方に設けられた舞台に視線を注ぐ。
ぞろぞろと壇上に人が上がり、置かれている椅子に腰を下ろしていった
椅子に座るのは視察に訪れていた貴族と軍関係者。少し遅れて教官達が姿を見せ、こちらは座らず舞台の端に直立する。
わずかな間をおいて、凛とした女性の声で敬礼の掛け声がなされた。
「敬礼!」
学生達は一斉に胸に手を当てて敬礼の姿勢を取る。続くように教官も敬礼を行う。
空気が張り詰める中、軍関係者だけが立ち上がって敬礼を返し、もう一度席につくのを合図に一斉に敬礼を終えた。
1人の女性教官が一歩前に出る。先ほど掛け声をだしたユリー・アミリエ教官だ。
「皆、御苦労だった」
力のこもった声は、教官の凛々(りり)しい容貌と相まって自然と胸に響くものがある。
「今日の模擬戦はこれまでとは違った。力を出し切れた者、出し切れなかった者。納得のいっている者、いっていない者。成功した者、失敗した者。勝てた者、負けた者。お前達の胸中は複雑だろう。だが、実際の戦場で背負うことになる重圧や緊張は比較にならないほど甚大だ。もしも今日、後悔の結果が残っているのならば心を鍛え直せ。戦場で生き残るために確固たる意志を持て」
言葉に、学生達の表情が引き締まる。
学生達の顔を見回すと静かにアミリエ教官は元いた位置に下がった。
入れ替わるように進行役の教官が前に出てくる。
「続いて、本日視察にお越しいただいた皆様よりお言葉をいただきます」
・・・
あの後、視察に来た貴族と軍関係者数名から差し障りのない讃辞を受けた。
彼らは優秀な人材を見つけにきたわけだが、今日どうこうするわけではない。
お眼鏡にかなった人物には後々個人的に通知をする決まりで、今日のところは全学生への労いをする程度で終わりだ。
最後に視察団の方々の出立を敬礼で見送って、本日の全日程が終了。
今は、模擬戦の後片付けを行っている。
拠点の撤収は支援部門の学生が行い、俺達は戦場となった森での仕事を担当した。
抉れた地面の補修、倒れそうな木々の伐採が主な作業。
山火事にならないよう火が残っていないかも確認する。
基本的に魔術による被害への対処だ。
今回のように見通しが悪い森などが模擬戦の会場になると、森の各所に配置された遠見を可能とする魔道具の回収も仕事に加わっている。
この魔道具によって視察団の御歴歴は動かずとも森の各地で起こる戦闘を観戦できた。
当然、広い範囲を補うため数を多く配置しているので回収も骨が折れる。
俺はその面倒な作業を担当していた。
「苦労して配置したのにすぐさま回収って、なんかヤだな」
魔道具の設置も模擬戦の前に俺達の手で行った。模擬戦を挟んでの回収なので、ついさっき設置したものを、もう回収している気がしてしまう。
「そんなこと言ってる暇があるなら働きなさい。少しはユタムを見習ったら?」
一緒に作業していたキールが言う。
彼女は枝の上の魔道具に背伸びしながら手を伸ばしていた。
ここはキールより背の高い俺が取ってあげるべきなのだろうが、すれば確実に余計なことをしたと怒るので手は貸さない。
件のユタムは土木作業に汗を流している。
率先して誰よりも働くその姿、模擬戦の疲れを見せないのはさすがだ。
ユタムを体力バカと称するキールも、こんなときはユタムを引きあいに出してくる。
はいはい、と生返事をして、俺も近くにあった魔道具を取り、鞄にしまう。
「次はあっちね」
魔道具の配置図を見ていたキールが次の場所を確認するとさっさと移動を始めた。
鞄を担いでキールの後を追うと、前にいたキールが何かに気付いたように急に足を止める。
「げっ!」
知的で冷静なキールらしからぬ反応を見せた原因は、固まるキールの視線の先にいた。
そこには2人の少女の姿。
片方はシルトだが、キールが嫌そうな顔をしたのはシルトの横にいたアンジュ・トラムのせいだろう。
「よお! レンにキールじゃないか。お前らも回収組か?」
手を上げて大きな声でアンジュが声をかけてくる。
「そうだよ。アンジュ達も回収組?」
キールとアンジュを話させたくなかったので、俺が答える。
「ああ。補修は何かと力仕事だ。そういうのは男どもに任せておけばいい」
「力仕事って…お前が魔術で手伝えば格段に楽だろうに」
俺達の隊も力の強いユタムと魔術師のエルンが補修作業を担当していて、同行するフェイが指示を出して作業を円滑に進めている。
アンジュがいれば魔術支援と作業指示の両方ができるので効率は上がるはずだ。
「心配ねぇよ。チナに全部任せてきた」
清々(すがすが)しいほど全て人任せ。
チナなアンジュ部隊の魔術師。人が好いので損な役回りというか、アンジュの代わりをよくしている。
「不憫な…。魔術云々(うんぬん)は置いといても、力仕事はお前らでも問題ないだろ? 非力ってわけじゃないし」
「おいおいひでぇな、か弱い乙女たちに向かって。なぁ、シルト」
「そうだな、少々私も傷つくぞ」
格闘訓練でバンバン男子を投げまくるやつらに言われても説得力はない。
「ちょっといいかしら?」
これまで口をつぐんでいたキールがトゲのある声で割りこんできた。
「無駄な話はそれくらいにして、作業を続けるべきではないかしら」
「細かいこというなよ。ちょっと話したくらいなんも問題ないだろ」
若干イラついたキールの様子をアンジュは気にもしない。
「だいだいこの区画は私達の担当のはずです。貴方達は早く自分達の担当区画に戻りなさい」
「あれ? そうだっけ?」
アンジュは設置図を取り出すと「うーん」と唸りながら確認を始める。
少しだけ悩むと、バッと顔を上げた。
「分からん! キール、教えてくれ!」
「いい加減にして頂戴…」
平常通りのアンジュと次第にイラつきを増しているキールを見て、またか、と俺はため息をついた。
アンジュとキールの組合せは、相性が悪い。
アンジュは大雑把で粗暴な振舞いが目立つ。髪はボサボサで口調も男言葉。
品行方正を地で行くキールとは正反対。ぶつかるのは当然だった。
理由は他にもある。
一見無学に見えるアンジュ。実は座学の成績は上位でキールと大差ない。
指揮官としても魔術師としても才に恵まれ実力は高く、模擬戦でも苦しめられている。
そんな優秀さもキールの癪に障るらしい。
「いいから教えてくれよ。あっ!、それよか一緒に片すか? その方が楽しそうだ」
「あのねぇ、地図の見方ぐらい分かるはずでしょ。模擬戦終わったからってなまけないで」
「もう終わったんだから気ぃ張る必要ないだろ。キールも力抜けよ~。そんな怖い顔してると可愛い顔が台無しだぞ~」
「いい度胸ね…」
握られた拳がプルプル震えている。
怒りが爆発しそうなキールを見ていると、今が片付けの時間で良かったと心から思う。
剣の所持が認められていないから爆発しても安全だ。
剣があったら斬りかかりそうな勢いだからな。
どうせ斬りかかったとしてもアンジュはうまくかわすだろうけど。
キールが仕掛ければアンジュも面白がって魔術を撃ち返すのが目に見えてる。
ここでやるのは自由だけど、喧嘩の余波で片付けが増えるのは勘弁願いたい。
口喧嘩だけならどうぞ自由にやってほしい。
さすがに2人を放っておいて片付けに戻ると、それはそれで心配なのでしばらく持つことする。
同じ考えなのか、シルトも困ったような表情で見守っていた。
さて、喧嘩はどれくらい続くのだろう。
できれば早く終わってほしい。喧嘩するのは勝手だが、俺達の作業が遅れれば他のみんなの帰りも遅くなる。
俺も、エルンに怒られる事態はできれば避けたいのだ。