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竜の住む国  作者: タカノケイ
第一章 少年の運命
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少年の運命 6

「大丈夫?」


 ハルが差し出した手を振り払ってリヒトは起き上がった。


「ハデにやられたなあ。まあ、あいつも本気で蹴ったわけじゃないからなあ」


 のんびりした様子でハルに似た護衛が、水で濡らした布を投げて寄越した。ハルと同じ薄茶色の髪だがこちらはサラリとした直毛で、切るのが面倒でだらしなく伸びきった、という風だ。長い前髪の間から覗く目はハルと同じ明るい緑色だった。


「ありがとうございます。手加減していただいたことはわかっています」


 布を受け取って顔を拭きながらリヒトは言った。はっとしたが、もう遅い。


「わお。お前ってばもしかしてお貴族さま?」


 おどけた様子だが、変わったものを見る目つきだった。ハルも不思議そうに見ている。

 なにもかもうまくやれない。リヒトは情けなくてたまらなくなった。


「や、そういうんじゃないんだ、けど。先輩? だし」

「んな気遣い要らんよー。でもまあ、プライドは実力があってこそかなあ」

「はい……」


 なんだよやけに素直だなあ、と青年は笑う。


「あいつは実は一番弱えの。だからガキ蹴ったりすんだよね」

「マキノさんより?」

「おまええええ! マキノはこの商団の護衛で一番強ええんだぞ?」

「えっ」

「俺ら全員、女以下」


 あははは、と明るく笑う青年に釣られてリヒトも笑う。声を出して笑ったのは久しぶりだ、と感じた。笑ってもいいのかな、とも思えた。


「あの~ハルの?」

「ああ、うん、兄貴。ラビだ。兄弟で変な名前だろ。親父がバカだから。よろしくなあ」

「よろしく」


 お願いします、を飲み込む。ふと気が付くとハルが居なくなっていた。見渡すと皿を片付け始めている。


「いけない、失礼します」


 と慌てて叫んで走り出す。……ああ、またやってしまった、とリヒトは唇を噛んだ。


「休んでていいのに」


 少ない水で器用に皿を洗いながらハルは笑った。皮袋から少しの水皿に入れ、すすぐと壷に入れる。最後に壷を振って中の水を捨てた。リヒトは洗い終えた皿を拭いて、かごに入れると蓋をして荷馬車に載せた。


「もうそろそろ出るから。乗ってよっか」


 ハルは壷を荷台に載せ、紐でくくるとそのまま座り込む。リヒトも荷台に乗り込んでハルの隣に座った。

 

「袋、降ろせば? 大事なものは別にして、体から離しちゃダメだけど」

「うん」

「寝るときもね。周りは全部泥棒だよ」

「でもこの袋しかないからなあ……次の町で何か買うか」


 重大な秘密というように声を潜めて言ったハルに返事をしかけた時、出発だぞーと声が上がり、荷馬車がガタンと動く。ハルは慣れた様子でよろけもしなかったが、リヒトは盛大によろけて荷台の角に頭をぶつけてしまった。


「あーあ、大丈夫かあ」


 兄に良く似たしゃべり方でハルが手を伸ばす。助け起こすふりをして顔を近づけて小さな声で


「お金持ってんの? それ、知られたら絶対ダメ。持ってないって言いなよ」


 と言って荷馬車を操る賄夫のほうをチラリと見た。次にマキノに会ったときにお金は全部渡してしまおう、とリヒトは考えた。それでティレンまでの食費に足りればいいんだけど……足りなければ竜燐を売って……と頭の中で計算する。


「で、なんか大事なもの持ってんの?」


 ハルが、出発が近づき喧騒を増した周囲に負けない大きな声で聞く。リヒトは苦笑した。ハルの作戦はわかるが、リヒトは一人でティレンに向かおうとしていたのだ。お金を持っていないと思われる訳がない。


「とうさんからの手紙くらいかな」

「手紙かあ」

「お金は全部マキノに渡しちゃったからね」


 リヒトは付け足した。でたらめだが、今日のうちに渡してしまおうと思っているのだからかまわないだろう。一番強いのであれば誰も何も出来ないはずだ、と考えた。

 竜燐は袋がなかったので、靴下に入れてある。持っていることを知られなければ見ても気が付かれないだろう。自分で売るのは難しいかもしれない。一人でティレンに向かおうとしていた無謀さが身に染みて、リヒトは偶然にもマキノに拾われた幸運を思った。


「そうなんだ」


 ハルはリヒトの言葉を本気で信じたようだった。荷馬車の群れはゆっくりと南下している。このあたりは野党があまり出ないこと、帰りの道程の半分を過ぎたことなどで周囲も穏やかだった。

 ハルは思いつくまま次から次へと話しをしていく。同年代の話し相手が出来たのが嬉しくて仕方ない様子で、賄夫になるはずが剣の腕を見込まれて護衛になった兄が余程の自慢らしく、ほとんどが兄の話だった。商団はリヒトが飽きる間もなく、夕刻前に目的の街の入り口に付いた。


 町から少し離れた場所には、夜営用の天幕が何張も張られた。商家毎に分かれており、使用人たちが忙しく夕飯の準備を始めていた。町の宿に泊まって食事をするのは商家の主人やその家族だけのようだった。

 流れの護衛たちは賄夫が準備した天幕でくつろいでいる。食事や見張りは交代で行なうので、番ではないもの達はさっさと町に飲みに出かけたようだった。さすがにこれだけ町に近い場所では襲われる心配は少ないだろう。


「クスト」


 荷馬車から降りるとすぐにマキノが近づいてきて、銀貨を一枚放って寄越した。


「夕飯代と、これからティレンまでに必要なものを準備しな」

「あの」


 立ち去ろうとするマキノを止めて、慌てて袋の中をかき回し皮袋を取り出した。


「これ、足りていないかもで、だけど、全部で」


 マキノは袋を受け取って中を確認すると、少し眉を寄せる。


「多いね、必要な分を引いたら返すよ」

「いいえ」


 リヒトは首を横に振る。マキノの美しい形の目が細められた。


「あたしは保護者じゃない。預かってるなんて勘弁してもらいたいね」

「残りで剣を教えてください」

「剣? 今日の仕返しでもする気?」


 マキノは呆れた様子で馬から下りて腰に手を当てる。自尊心の強い子供だと思っているようだった。


「いえ、でも早く強くならないといけないんです」


 復讐、リヒトはその為だけに生き延びたのだ。自分の為だけに生きた、父の為に。今日の事で庇護されなければ生きてさえいけない自分では、刺客を見つける前にどこかで野たれ死ぬのが関の山だ、と痛感していた。マキノは少年の目を見つめてため息をつく。


「わかった。朝と夜に稽古をつける。一度でも泣いたらやめるよ?」

「はい」

「と、敬語。直らないのは自覚がないからだよ。あんたの事情は知らないが、この辺の子供が使う言葉じゃない。探られたくないなら気をつけな」

「うん、わかった」


 稽古の時間までに準備をすませるように言うとマキノは馬を引いて立ち去った。賄夫とハルは夕飯の支度をしている。町へは行かずにここで食べるらしい。リヒトが見ていると賄夫が不機嫌そうにチラリと見た。


「お前の分はねえよ」

「うん、大丈夫、マキノにお金もらったから」


 答えたリヒトをハルが羨ましそうに見た。ハルはまだ町の食堂で食事をしたこという。銀貨一枚あればハルの分も足りるだろう、誘っても失礼ではないだろうか、と思っているとふらりとラビがやってきた。


「クストは町で食べるんだって」


 ハルは兄に甘えたような声で報告する。


「へえ、ハルは町で食ったことはなかったなあ。一緒に行くか」

「うん!」


 ラビは弟にとことん甘い兄そのもの、といった顔で喜ぶハルを見て笑っているが、賄夫は面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らした。


「先にいわねえから作りすぎたろうが」

「明日の朝に食うさ、すまんね親父どの」


 少年二人の肩に手をかけてラビは歩き出す。リヒトは嫌味な視線に居心地が悪い思いをしたが、ハルは気にした様子もなく何を食べるか考え始めていた。


「わりいなあ、クスト。俺ら連れ子なもんでさ」


 ラビは下手なウィンクをしてみせる。リヒトは優しい兄のいるハルを羨ましく思った。


 町に入ると、リヒトたち三人は、小さな食堂でささやかな夕食を食べた。着替え、動くのに邪魔にならない大きさの腰のベルトに通すタイプの革のかばん、それを使うためのベルト、訓練用の木剣などを買う間もハルとラビは面白そうについてきた。順調すぎるのは守られているからだ、とリヒトは思う。自分一人なら買い物だって満足に出来たかわからない。子供が一人で銀貨を持ってうろついているのだ。いつ路地裏に引っ張り込まれてもおかしくない。


 荷馬車に戻ると、手紙と竜燐の入った靴下、今日のおつりの入った袋を革のかばんに移し、ベルトに通して腰に巻いた。ベルトに細長い布を通すと、なんだか一気に旅人になった気分になる。着替えは元の麻袋に入れて荷台の隅のハル用だという木箱の中に入れてもらった。


「始めるよ」


 マキノが呼びに来たのはまもなくのことだった。ハルは、リヒトが剣を教えてもらうのだとわかると何が何でも付いて行く、とごねた。ラビも態度にこそ出さないが、見たい気持ちは同じである。


「仕方ないね、勝手に見てるのはかまわないよ」


 マキノの一声で連れだって天幕のうしろの、それなりの空間がある草原へと移動した。星明りと天幕にうつる明かりがあるが、かなり薄暗い。


「相手に勝つのは簡単。切られる前に切ったらいい」


 事も無げにマキノは言う。


「まず、一番大事なのは戦わないこと。次に避けること、そして逃げること」

「でもそれじゃ……」


 殺せない、という言葉をリヒトは飲み込んだ。どろり、と黒いものが腹に溜まった気がした。


「死んだら強くなれないだろ。生きてるやつが強いんだよ」


 リヒトはじっとマキノの目を見つめる。父は強かった、誰よりも。死んだのは相手が大人数だったからだ。逃げることが出来なかったのは僕のせいだ。


「あたしのやり方がいやなら辞めるよ」

「いいえ」


 リヒトは木剣を構える。その瞬間、リヒトの剣は空高く跳ね飛ばされていた。マキノがふ、と動いたと思ったときにはもう手から剣が離れていて、何をされたのかもわからなかった。


「剣はいらない。あたしの剣を避け続けること」


 というと、マキノはゆっくり剣を突き出す。リヒトは左にひょい、と避ける。同じようにゆっくりマキノが突き出す。避ける。何度目か、バカにされているのかと思い始めた時、逃げ場がないことに気が付いた。天幕と荷馬車の間に知らぬうちに追い込まれていたのだ。マキノは木剣を振りかぶる。


「終了。これで一回死んだね、元の位置に戻って」


 リヒトは慌てて元の位置に戻る。考えずに避けたらダメなんだ。遠くでハルがラビに同じ事をしてくれとせがんでいる声がしていたが、リヒトの耳には入らなかった。


「まず気をつけるのは切られる事より突かれる事だよ。切りかかってくるやつは、先に少し怪我をさせてお開きにしたい場合が多い。もちろん、切られたら骨が砕けるような力の相手には別だし、切られて血を流しすぎてもダメだけどね」


 言いながら、先ほどと同じように突いてくる。先ほどよりは長く避け続けたリヒトだったが、少しスピードを上げられるとあっけなく追い詰められた。


「今日は終わりにしよう」


 何度目かに追い詰められ、マキノがそう告げたとき、リヒトは汗だくだった。


「終わったああ」


 意地で続けていたハルが仰向けに倒れる。マキノはすこし微笑むと涼しい顔で立ち去った。


「いやあ、やっぱ化けものだわあ」


 マキノが立ち去るのを確認してラビが座り込み、木剣を持つ二の腕を揉んでいる。


「腕があがんねえ」


 三人はへとへとで天幕に戻ると、横になるなり寝息を立て始めた。



 ◆



 翌朝、マキノに起こされる前にリヒトは起き出して木剣を振るっていた。アルスは剣術はあまり教えなかったが、毎日振るように、と基本的な型をいくつか教えていた。左上から右下へ、返して左上へ。左下から……いくつかの型を何度か繰り返すと剣を突く練習を始めた。マキノの動きを思い出す。余計なところに力を入れずに、一気に突き出す。突き出した後に、自分の首が相手に丸見えになる事がわかった。避けられたら終わりだ。マキノはどうしていただろう。


「早いね」


 マキノの声に木剣を置く。


「お願いします」


 朝食の準備が始まるまで、昨夜と同じ練習が繰り返された。

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