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竜の住む国  作者: タカノケイ
最終章 竜の住む国
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竜の住む国 2

 あわられたのは真っ青な顔のグンタだった。


「グンタ?」


 異常を察したカルラが慌てて椅子を蹴り、椅子は大きな音を立てて倒れた。扉はゆっくりと全開になり、グンタの全身が露になる。


「逃げろ……カルラ……」


 それだけを言うと、グンタはまるで棒が倒れるようにばったりとうつぶせに倒れた。背中が大きく斬られており、そこから吹き出す血で床にあっというまに血だまりができる。


「グンタ!」


 カルラが走り寄らぬうちに、扉から血に塗れた剣を持ったレーゲンが現われた。思わず停止したカルラの前で、レーゲンは演説でもするかのように両手を高く掲げた。


「あの、老いぼれ竜は殺してやった……さあ、お前達、竜を呼びなさい。私が逃げ切れるように!」


 恍惚とした表情で言い終わると、途端に狂ったような目をカルラに向ける。口元には恐ろしい笑みを浮かべ、レーゲンはカルラを横ざまに斬りつけた。カルラは声も出さず、グンタに折り重なるように倒れる。


「きゃあああ!」

「わあああ!」


 邪魔そうに二人を避けてレーゲンが先祖がえり達に近づく。居間にはいくつもの悲鳴が上がった。先祖返りの子供達の髪が徐々に緑色に変化していった。


「皆! だめ! 落ち着いて、母様の歌を思い出して!」


 イリスは慌てて叫ぶ。自身も必死で竜の眠り歌を思い出し、心を静めようと目を瞑った。


「イリスの言う通りだ、皆、落ち着くんだ」


 年老いた先祖返りはレーゲンを睨みつけながら、こども達を背中に庇った。


「黙れ! 化け物共! さっさと竜を呼べ! こんな時のために生かして置いてやったのだ!」


 レーゲンは、じりじりと年老いた先祖返りに近づく。居間に恐怖が満ちていった。イリスは必死に歌を思い浮かべながら、グンタの握っていた剣を掴む。


―――どくん


 聞き覚えのある、鼓動音に、イリスの竜玉が共鳴して跳ね上がる。目をやると、先祖返りの少女の髪が毛先まで緑色に染まりかけていた。


「だめ! 竜化しちゃだめ!」

「イリス……わからない、竜化ってなに? こわい、こわい、こわい、こわい、こわい」


 少女は真っ赤な目でイリスを見つめる。地下で安全に暮らし、竜の眠り歌によって激しい感情を感じた事のない先祖返りたちにとって、この状況は我慢でどうにか出来るものではないに違いない。


―――だめ、外にはお母さんたちが居るの。竜を呼ばないで


「こわくないよ! こわくないから! 歌を! 歌を歌って!」


 イリスは必死に叫ぶ


「黙らんか、化け物! さっさと竜を呼べ!」


 レーゲンはぐるりとイリスに向き直った。そして剣を握ったイリスに気づき、嘲るような笑みを浮かべた。


「それで何をする気だ? 化け物」


 ニヤニヤ笑いながら、レーゲンはイリスに向かって剣を振った。ギン! と、音を立ててイリスの剣がレーゲンの切り下ろした剣をはじいた。


「化け物じゃない」


 目を丸くするレーゲンを睨みながら、イリスは必死に理性を保つ。


「……化け物でなくてなんなのだ、見ろ、あれが人間か」


 レーゲンは完全に竜化した先祖返りの子供達を顎で指して言いながら、再び剣を構えた。先祖返りの子供達は完全に竜化し、胸の竜玉が、どくんどくんと波打っている。

 竜が来てしまう、止められない……イリスは唇を噛む。何故、自分が、竜化しないで居られるのかはわからない。でも、きっとこの歌のおかげだ、イリスは心の中で歌っていたうろ覚えの眠り歌を声に出して歌い始めた。先祖返りたちのうめき声が止まり、鼓動が少しだけ落ち着き始める。


「やめろ! 気味の悪い化け物め! 化け物のクセに人の腹から生まれ……それをこうして生かしてやったのに、最後まで役に立たない気か!」

「あたしは化け物じゃない。イリス、ティレンのシシィの娘、イリス!」


 あたしは化け物じゃない、あたしは人間だ、負けちゃだめ、化け物に負けちゃだめだ、イリスは自分に言い聞かせながら叫ぶ。振り下ろされたレーゲンの剣を再びはじき、また歌いだした。レーゲンの目が怒りに狂う。


「ツヴァイ! 退路はいい! こっちに来い!」


 レーゲンは唾を吐き散らしながら扉に向かって叫び、イリスに向かって剣を振り回す。


「生きていても仕方の無い化け物! 誰にも愛されず朽ち果てるのが似合いな化け物が!」


 歌いながら、イリスは一撃を避け次の攻撃をはじく。遊び半分でも、リヒトやゼノと剣を交えたことのあるイリスに、レーゲンの鈍らな剣は届かない。業を煮やしたレーゲンは、ぜいぜいと息を切らしながら、振り返り、先祖返りたちに向かって、めちゃめちゃに剣を振り回し始めた。


「やめて!」


 イリスの剣が背中からレーゲンの胸を刺し貫いた。レーゲンの剣が、先祖返りの少女の喉に届く寸前で止まる。先祖返りの少女はニ三歩後ろによろめくと、ぺたん、と座り込む。イリスは力いっぱい握っていた剣から、やっとの思いで自分の手を剥がして後ずさった。


「これは……何だ?」


 レーゲンはゆっくりと振返る。押されるように、イリスはまた数歩後ずさる。


「なあ? これは、何だ?」


 自分の胸から出ている剣先を見つめて、レーゲンは子供のような声で同じ質問をする。


「……ごめんなさい」


 イリスは謝って更に下がった。


「何、何をしたんだ、お前……」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 イリスは耳を塞いでジリジリと下がり、カルラの足に躓いて転んだ。


「何をした、と、聞いている? 化け物が、こ、この、化け……」


 レーゲンはゆっくり剣を振り上げた。腕が上がりきった途端、口から大量の血を吐いて、そのまま前のめりに倒れた。イリスは震えて自らの体をぎゅっと抱きしめる。髪が徐々に緑色に染まっていった。


「……化け物はそっちよ。血が赤いなんてびっくりだわ」


 カルラの声に、イリスは弾けるように振り向く。


「カルラ!」


 イリスは這いずる様にしてカルラに近づき、抱き起こした。その時、ドン! と建物に大きな衝撃が響く。


―――どくん、どくん、どくん


 鼓動音が大きくなった。


―――来てしまった! 竜が、来てしまった!


 イリスの心に、じわじわと恐怖と怒りが侵食してきた。泣きながら歌を歌い、なんとかイリスは自分の心を押さえつけるが、他の先祖返りたちの暴走はもう静められそうにもなかった。竜の到来に反応するかのように、先祖返りたちは怒り狂った目で唸ると、口を大きく開いて炎を吐いている。書棚に、机に、火は燃え移り、薄暗い地下の部屋を赤々と照らしていた。


「行こう、カルラ、逃げよう」


 イリスは強い声で言うと、カルラの肩の下に腕を入れて支え、レーゲンの入ってきた扉から廊下にでた。カルラをそっと座らせると引き返そうと踵を返す。


「もどらなくていいわ」


 グンタの元に向かおうとしたイリスに、カルラが細い声で告げる。イリスはカルラの黒い瞳をじっと覗き込んだ。


「……でも」

「もう死んでる」


 カルラの目から涙が溢れる。


「もう、死んでしまったのよ」


 胸の張り裂けそうな声だった。イリスは震える手で静かに扉を閉め、閂をかけた。ぐっと唇を噛む。心はもう限界だった。


「イリス!」


 もうだめだ、しゃがみこもうとする入りすの耳にシシィの声が聞こえた。イリスは閉めた扉の小窓に張りついて、声のした部屋の中を見る。反対側――裏口から入った階段に繋がる扉に、シシィの赤い髪が見えた。


「シシィ! 危ない!」


 フィデリオの声が響いた。シシィに向かって先祖返りが炎を吐き、シシィは炎の届く寸前で扉を閉めた。木の扉があっという間に燃え上がる。


「逃げて! あたしはこっちから出られるから!」


 イリスは扉についた小窓から、シシィに向かって叫ぶ。


「イリス、そっちに回るわ」

「だめ! 逃げて! 逃げて生きて! お願い、お母さん! 生きていて!」


 必死の思いで、千切れそうな声を張り上げる。先祖返りが、イリスの声に反応して、ぐぐうと頭をイリスの貼り付く扉に向けた。


「イリス! 逃げて!」


 慌てたように叫ぶフィデリオの声が聞こえ、イリスはしゃがみこんだ。ごごう、と音がして小窓から炎が噴出したが、鉄製の扉は燃え上がることはなく、イリスを守った。離して! と叫ぶシシィの声と、シシィは任せて逃げなさい! と叫ぶフィデリオの声を聞きながら、イリスはゆっくりと立ち上がる。


「イリス! イリスも必ず生きていて!」


 追いかけてきたシシィの声に押されるように、イリスは歯を食いしばって、カルラを抱き起こす。そうだ、帰る、あたしはシシィのところに、フィデリオのところに、帰るんだ。

 どんどん体の力が抜けていくカルラを支えて、イリスは歩いた。後ろからは先祖返りたちのうめき声と火を吐く音が追いかけてくる。体の小さなイリスにはそれは途方も無い距離に思えたが、やがて、廊下の突き当たりに着いた。

 思い切って、竜の部屋へと目を向ける。開かれきった扉から、母なる竜の穏やかな死に顔が見えた。鱗の薄い眉間に、深々と槍が刺さっている。にも関わらず、眠っている時は苦悶の表情に見えたものが、今は笑っているように見えた。


――母様は救われたんだわ。死にたかったのは母様だったんだ


 イリスは呆然と立ち竦む。死を見ても「羨ましい」とはもう感じなかった。


――あたしは、生きる。あたしは、生きるんだ


 ぶんぶんと首を振ると、シシィと密会した階段の扉を開けて中に入る。カルラを階段に座らせて、閂をかけて、ふう、とため息をついた。

 再び、カルラの腕を取って階段を上ろうとすると、カルラは軽く首を振って、ぐったりと階段に倒れこんだ。


「この扉も……鉄だから……しばらく大丈夫。……先に行って、イリス……」


 もうほとんど開かない目でカルラはやっと口を動かしている。イリスは階段を上がり、少し先にあったランプを取って戻ると、カルラの横に座り込んだ。


「外よりここの方が安全かもしれない。ここにカルラと一緒に居る」


 イリスは自らのスカートを裂いて、ランプの頼りない明りの元で、カルラの腕の傷に巻きつけた。カルラはぐったりとして気を失う。その間も、ドン! ドン! という衝撃は続き、土塊がぱらぱらと落ちた。竜がたくさん集まっているのだろう。ふと、ゼノはどんな状況で自分を見つけたのか、ということが気になり、イリスは自分の両肩を抱きしめた。それに……


―――あたしは人を殺してしまった


 イリスは声を抑えて泣く。竜化したわけでもない。無意識に無我夢中で、というでもない。明確な殺意があった事を自覚していた。イリスは、自分が心まで本当の化け物になってしまった気がして、体の震えをとめることができなかった。どん! とまた大きな衝撃があり、大きな土塊が振ってくる。イリスは土塊から庇おうと、カルラの頭に覆いかぶさり、消え去りそうな声で歌う。


―――助けて……助けて、リヒト

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