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竜の住む国  作者: タカノケイ
最終章 竜の住む国
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竜の住む国 1

 がやがやという人の声と、大勢が慌ただしく駆け回っているような物音でシシィは目を覚ました。

 王宮の客間に用意された、今まで見たこともない豪華な刺繍入りの掛け布団からそっと抜け出す。隣ではシシィが起きた気配に気づいたらしいフィデリオがそっと体を起こした。

 上着を羽織り扉に近づく間もなく、急いているようなノックの音が聞こえた。悪意も感じないし、この期に及んで危害が加えられるとは思えないが、念のためシシィはテーブルの上にあるランプを吹き消す。明るい廊下から入ってきたものの目をくらますことが出来るだろう。フィデリオがシシィとドアの間、庇いつつ目の妨げにならない場所に立った。


「どうぞ」


 警戒したものの、開いた扉から顔を覗かせたのはハルだった。護衛の服を着たままのところを見ると、夜番だったらしい。


「シシィ、レーゲンが逃げた。詳しいことはわからないけど、俺、すぐ戻らなくちゃだから」


 いつに無く焦った表情で、口早にそれだけを言うと、扉も閉めずに立ち去った。フィデリオはすぐに部屋を出て行く。別室のラビとマキノに知らせに行ったのだろう。レーゲンが、と太々しい顔を思い出した瞬間、何かのイメージが頭の中で像を描いた。


「イリス?」


 頭の中に浮かんだのはイリスだった。何故、今イリスが……シシィは困惑し、目を閉じてイリスのイメージに集中する。

 イリス、神殿、そして逃げる大神官が次々に浮かんだ。これらが繋がったという事なら、レーゲンは神殿に向かったということだろう。

 だが、レーゲンが逃げる際に何かを取りに神殿に立ち戻るとしても、地下にいるイリスに危険は無いだはずだ。そう思うものの、何かが釈然としない。やはり、無理を言ってでも今日中にイリスに合うべきだったと悔やまれる。


「シシィ? 大丈夫ですよ」


 部屋に戻ってきたフィデリオが、シシィの顔色を見て一瞬驚いた顔をしてから抱きすくめた。


「ええ、取り越し苦労だとは思うのだけど」


 心配のしすぎだろうか。勝手なことだが、こんな時は自分の能力の曖昧さを恨めしく思う。


「逃げたんだって?」


 開いたままの扉から、マキノが顔を出した。すでに着替えを済ませているのは、さすが用心棒だ。


「ええ。ここで考えてても仕方ないわね。行ってくるわ」


 シシィは廊下に出て歩き出した。ラビもやってきて、どうしたん? とマキノに尋ねながら後に続いた。


「どこにいかれる!」


 厳しい声が飛んで、振り返ると王太子護衛隊長のハンネスが急ぎ足でこちらに向かってきた。


「神殿。レーゲンはおそらくそこに向かってるわ。イリスも視えたから安全を確認させてもらう」


 ハンネスは怪訝な顔をした後、シシィの目を見て理解したように頷いた。シシィの虹彩のない真っ黒な瞳は、たいまつの明りの中でさえも異能者であることをハンネスに思い出させるのには十分なくらいに異様に見えるに違いない。


「わかった、だがここで少し待っていてくれ」


 ハンネスはそう言い残すと足早に立ち去った。だが、そう言われて待つほど従順でも素直でもない。シシィは少し肩を竦めただけで廊下をどんどん進んだ。暗がりにポツリポツリと置かれたランプの明かりは、入り組んだ城の構造を知らないものの道案内には不十分だ。それでもシシィは全く迷うことなくいくつかの角を曲がった。出口への経路が手に取るようにわかる。横にフィデリオとマキノ、後ろにラビがぴったりとつい来てくれるのが頼もしい。


「お、お待ちください」


 あと一歩で城外というところで、兵士が二人、一向の行く手に立ちはだかった。


「許可なく王宮を出る事は許されておりません」


 兵士は二人とも、昨日の騒ぎの噂はとうに聞いているのだろう。お互いに顔を見合わせて確認するようにしながらそう言った。賓客として扱うよう言われている人物に対し、いつも通りの対応でいいのだろうか? という迷いがその声には含まれている。


「娘が心配で見に行くのに、許可は要らないでしょ」


 シシィは進む足を緩めもしない。仕方ない、という様子で兵士二人はシシィの前に槍を突き出し行く手を遮った。シシィは二人を交互に睨みつける。マキノとラビがゆっくりと刀の柄に手をかけた。


「槍を引け」


 どかないと、とシシィが言葉を発する前に、男の声が響いた。振り返ると、そこに立っていたのはオルドヌ王だった。弟であり護衛のテオルトを伴っているが、他に護衛のものが居ない。相当に慌てたらしく寝巻きのまま上衣だけを羽織っていた。


「はっ」


 王の言葉に、兵士は慌てて槍を収めて平伏する。


「神殿なのだな? 私もともに行こう。馬を準備させて案内する」

「それは……」


 王がきっぱりと言い切った。その語気の鋭さに何か言いかけたテオルトが口ごもる。王が王宮から出る時には、何日も前から厳重な護衛計画を立てるものである。しかも今、王は鎧さえも身に着けていない。止めるのが当たり前である。


「テオルト、意義は認めぬ。お前は後からミレスをつれて来い。すぐに準備しろ」


 有無を言わさぬ王の言葉に、テオルトは反論を飲み込んで軽く頭を下げる。この場を辞してよいのか、という逡巡が残ったままの顔で、立ち去った。恐らくミレスを軟禁している部屋へと向かったのだろう。

待つのは焦れるが、馬で行く方が早いに決まっている。急いで準備をしてくれればよいが、と思いながらシシィは申し出を受けることにしてその場にとどまった。


「父上、私も参ります」


 ハンネスを伴った王太子テュランが駆けつけた。オルドヌに向かって言う。テュランは軽装ではあるが、きちんと武装していた。ハンネスはもちろん武装している。王を探しに行って入れ違いになったのだろう。軽く息を切らせている。


「いいだろう」


 オルドヌは一瞬躊躇ったあと、息子に向かってしっかりと頷く。


「そこでテオルト小父とすれ違いました。父上、何故、ミレス様をお連れになるのですか」


 テュランが父に尋ねた。側室をそのような危険場所へ連れて行く理由が確かにわからない。シシィも思わず耳を傾ける。


「私の命はやれん。せめてもだ」


 オルドヌは口元をゆがめて笑った。神経を張り詰めているシシィは王の胸の中にあるものをつい覗き込んでしまい、そこにある感情に、ふう、小さくため息をついた。激しい後悔と、嘘偽りのない愛情がそこには見える。この感情をリヒトが知ったら、あの子は何を思うだろう、とやるせない思いに駆られる。


「……私は、全て間違っていたのだ」


 独り言のように呟いて、オルドヌは目を閉じた。シシィは隣のマキノをそっと見やった。妹の幸せを奪った男をどのように見ているのだろうか。だが、暗がりでその表情を伺うことは出来ず、マキノの感情も流れてはこなかった。


「王様、準備が出来ました」


 駆け込んできた兵士の声に、シシィは現実に引き戻された。


「行くぞ」


 王は先頭に立って歩く。王宮の外門の前にたどり着く頃には、数十人の兵士が駆けつけて王を護衛し、馬には鞍まできちんと用意されていた。良く鍛えられた兵士たちだと思う。

 赤々と松明が灯され、辺りは昼間のような明るさだった。控えていた兵士にほとんど無理矢理に鎧を付けさせられたオルドヌ王が黙って騎乗し、皆も続いて次々と馬上の人となる。


「門を開け」


 オルドヌの言葉に門番が小走りで閂へと向かった。


「開門、開門」


 声が響き、数十組の騎馬が、普段は締め切られている王宮の開ききった大門から次から次へと駆け出した。それは一種壮観な眺めだったであろう。何事か、と通りの者達が遠くから見守る中、一行は馬蹄で石畳を打ち鳴らしながら神殿へと一気に駆けつけた。


「……話は聞いておりますが、今宵は誰も通しておりません」


 神殿の前で門番と見られる神殿兵が恐る恐る王の顔を見上げて行った。神殿の警備は昨日の今日なので、未だ神殿兵が執り行ってはいるが、レーゲンが大神官の任を解かれた事はもう知っているはずである。自分の命が惜しいなら通すはずは無い。シシィは門番の目をじっと覗き込む。


「嘘じゃないわね、でも……中に居ると思うわ」

「くまなく探せ」


 オルドヌは、シシィに頷くと兵士たちに命ずる。兵士達は門を開けて四方八方に散っていった。王もシシィたちも馬を降りて、神殿内に入る。


「こっち……だと思うけど、建物が入り組みすぎていて」


 シシィは神殿中央の大階段を指差してこめかみに手をやる。視すぎている……シシィは脳の中に響く鈍痛に目を細めた。ややあって、大階段の上から居ました! と叫ぶ兵士の声が聞こえ、続いて、剣が交わる音が響いた。オルドヌ王が先頭を切り、音を頼りに部屋にたどり着く。


「王様! お待ちください!」


 真っ先に入ろうと、扉の取っ手を掴んだオルドヌの腕をハンネスが掴む。


「私が先に見てきます」


 ハンネスは言うと、扉を開けて中に入った。テュランがオルドヌの前に立ち、剣を構える。部屋の中には既に数名の王宮兵士が倒れている。ゆっくりと部屋に入ったハンネスに、神殿兵が切りかかってきた。


「ハンネス!」


 テュランが叫び、争う音が続く。しばらくすると、人が倒れるような音が響いた。


「もう大丈夫です。どうぞ」


 音が途絶えてしばらくしてから、厳しい声のハンネスに促されて一向は部屋に入った。ハンネスは、灰色の長髪を垂らした神殿兵の胸から、短剣を引き抜く。オルドヌは部屋を見回してため息をついた。


「お前を手こづらせるとは……何者だ?」

「見たことがありません。レーゲンの私兵でしょう」


 灰色の髪の男の他に、五人以上の王宮兵士が倒れてうめき声を上げている。


「レーゲンはどこだ?」


 王は呻く兵士達を見回した。


「そこの書棚が回るように動いて……その影に……もう一人、神殿兵が一緒です」


 頭から血を流した兵士が、苦しそうに息をつきながら、震える手で部屋に設えられている大きな書棚を指差す。ハンネスが近づき、押すがびくともしない。


「皆を集めろ。怪我人の手当てをして、斧を探して来い」


 ハンネスの言葉に、数名の兵士達が残り、あとの兵士は部屋を駆け出していった。シシィは目を凝らしたが、書棚の仕組みはわからなかった。


「私達は裏口に行くわ」

「裏口?」

「ええ、先祖返りが閉じ込められている秘密の扉」

「そこまで視えるのか?」


 驚くオルドヌにシシィは微笑む。


「カルラに聞いたのよ。知ってるの」


 オルドヌはそれには言及せず、しっかりと頷く。イリスには何の危険も無いはずだ、シシィは自分に言い聞かせる。なら、この不安は何だろう。レーゲンの行方に思いをはせた時、何故イリスが浮かんだのだろう。シシィたちは裏口へと向かう為、大階段を駆け下りる。


―――どくん


 不吉な音が、神殿に響いた。



「うまくいったのよ」


 カルラはイリスの手を握って言った。ふうん、と良くわからないような、どうでもいいような返事をするイリスの目を覗き込む。


―――何も無い


 カルラは手に力を込めた。カルラは生まれた時から先祖返りたちの世話をしながら、共に暮らしていた。もっと言えば、先祖返りと、神殿兵と、食事を作り、部屋を掃除する数名の女官と、レーゲンしか人間を知らない。ここの生活が全てだったのだ。

 先祖返りたちはいつも穏やかに、それはまるで植物のように暮らしていたし、兵士達は常に心を殺している。女官たちは先祖返り達に関わり合わないよう厳重に管理され、数年で入れ替わる。――もちろん秘密の一端でも知られれば、その女官が辿る運命がわかっているので、カルラは彼女達に対して勤めて冷たく接した。

 レーゲンとの関わりは言うに及ばずである。イリスと深く関わり、グンタとの関わりを得て、カルラは人間らしい気持ちというものを改めて認識した。そうして、先祖返りたちの心がとても危ういものだったことにも気づいた。


――だけど、イリスには輝くような感情があった


 カルラは、居間に集まっている先祖返りたちを見回す。彼らは高確率で自死を選ぶ。昨日まで普通に食事をして笑って本を読んでいたものが、何の前触れもなく、翌日には冷たくなっている。そのことが不思議ではあったが、ただ、彼らの生に対する執着が薄いのだと思っていた。自分とは違う生き物、そういうものなのだ、と捕らえていたのだ。


――ここにきたら、イリスもほかの先祖返りと同じになってしまった


 カルラはため息をこらえて笑顔を作る。


「シシィとまた暮らせるようになるかもしれないわ」

「うん、嬉しい」

「彼女すごいわね。緋の一族の中でも、飛びぬけた目を持ってると思うわ。わたしはほとんど見えないのよ」


 カルラの言葉に、イリスはにっこりと微笑む。その顔が突然引きつったように歪んだ。


―――どくん


 不吉な音が響く。イリスは胸を押さえて座り込んだ。


「イリス!?」


 カルラは慌てて椅子を立つとイリスに駆け寄った。


「……母様……母様に何かあった」


 苦しそうにイリスは囁く。ほかの先祖返りたちも苦痛に顔を歪めながら、頷きあっている。


「母様の元へ行こう」


 年配の先祖返りが言って、カルラが困惑気味に頷く。全員で向かおうとした扉が、キキイと外側からゆっくり開いた。

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