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竜の住む国  作者: タカノケイ
第一章 少年の運命
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少年の運命 5

 竜のクストを見送ってからいくらも経たないうちに、リヒトの耳にも馬蹄の音が届いた。間もなく先行して走る二組の人馬も視界に入る。

 大きな商団だった。ここで休憩して昼にするらしく、たくさんの荷馬車がリヒトから少し離れた場所に停車した。馬車から降りた人々は次々と火を熾し始めている。


 最後尾と思われる荷馬車が他の馬車の輪の中に消えると、何組かの護衛の人馬が偵察のために八方に散った。リヒトの居る街道上にも一人の護衛が向かってくる。


「何をしている」


 その護衛は、三十歳くらいの女性だった。黒髪を後ろで束ねただけの無造作な髪型が、野生的な魅力を彼女に与えていた。意志の強そうな眉の下のくっきりとした黒い目は油断なく右へ左へと動き、日に焼けた浅黒い肌は旅の暮らしが長いことを物語っていた。


「父とはぐれてしまって、ティレンへ向かうところです」


 リヒトは準備しておいた言葉をすらすらと並べた。


「ティレン?」


 しかし、女は疑い深げにリヒトを見ている。リヒトは目を逸らすまい、とこぶしにぐっと力を入れた。


「父親はティレンで何を」


 疑われて当然だった。街までかなり離れたこんな場所に、子供を置いて先に行く親が居るわけがない。何とかこの場を凌ごうと、リヒトは必死に考える。


「あの……フリッケさんのところで仕事を……」

「フリッケ?」


 ところが、その名前を聞くと女はますます眉を寄せ、何かを考えるように黙り込んだ。やがて、ふう、と一つ息を吐く。


「乗りな」


 女はリヒトに向かって手を伸ばした。護衛などという家業をしてはいても女性である。子供を荒野に置いて行くのは忍びなかったのだろう。それに初めて見たときから、リヒトはこの護衛に対し不思議な親近感を覚え、それは相手も同じであることに気が付いていた。だが、乗れと言われても、とリヒトは逡巡する。


「あの商団はティレン行きだ」


 リヒトの顔がパッと明るくなる。


「連れて行ってくださるんですか!?」

「客じゃないんだから働いてもらうよ」

「はい!」


 伸ばした手を掴まれた瞬間、ひょい、と軽々馬の上に引っ張り上げられた。女は片手でリヒトを押さえ、片手で見事に手綱を捌く。


「あたしはマキノ、あんたは?」


 と質問する。リヒトはすぐには答えず、不自然な沈黙が流れた。


「クストです」

「年は?」


 沈黙は気にしていない様子でマキノは質問を続けた。


「十……二歳になります」

「そう、クスト。あそこで年を聞かれたら十歳と答えな。と、その気持ち悪い敬語、普通に喋れないなら黙ってることだね」


 不審に思っているのであろうが、マキノはそれ以上は何も言わず、商団の輪の中へと馬を進めた。


「よーう、マキノ! おめー、それいつ生んだ?」

「うるさいよ!」


 からかう初老の男を怒鳴りつけ、マキノは商団の中央に進んだ。あちこちで煮炊きの煙が上がりはじめている。馬上から見渡すと、ほとんどは二十代から四十代の男だったが、時々女や少年らしき者たちもいた。


「グラウ!」


 マキノが一際豪華な馬車に向かって呼びかけると、縦にも横にも大きな中年の男がのっそりと現れた。着ている服や装飾品から見てもかなり裕福な商家の主人だろう。商団は通常、出発点となる大きな町の商人たちが何組かで護衛を雇い出発する。人数が多いほうが安全で何かあったときの被害が少なくて済むからである。しかし途中の町から同行する商人なども居て、しっかりと仕切れる頭が居ないと、損得勘定に厳しい商人たちはたちまち裏切ったの騙したのの大騒ぎになるのだ。この商団の頭はこの男らしかった。


「何だ、マキノ。とうとう俺の女になる決心が着いたか」

「五十年経ったら考えてやるよ」

「つれねえなあ」


 グラウは大きな腹をゆすってはっはっはと笑った。


「で、なんだ?」

「迷子なんだが」

「……ほう。なかなかきれいな顔をしてるな。都の変態にいい値で売れそうだ」


 自らも満更ではないというような顔でリヒトを嘗め回すように眺める。


「フリッケの客の息子らしい」


 意味が分からずどんな顔をしたらいいのかわからないリヒトの後ろでマキノが少し声を落とした。


「はあ? このガキがそういったのか?」

「ああ、仕事だそうだ」


 グラウはあごひげをいじりながらリヒトを値踏みするように足をとんとん、と動かす。


「責任を持ってお前が見ろ。面倒はごめんだぞ」

「ああ」


 グラウは自分の儲けにならない子供より、昼の食事に興味が向いたらしい。そそくさとその場を立ち去った。


 この商団はティレンから最北のザイデへと行った帰りだった。北の町の女たちが長い冬の間に織り上げた、彼女たちは一生着ることはないだろう高級なドレスになる絹を買い付けたのである。よりよい絹を手に入れるため、どこよりも早く出発したのだった。

 ティレンを拠点にする、五つの商家からなっており、途中の街で合流した数組のうち、二組がまだ一緒に行動している。それぞれ商家専属の護衛が二~三人付いている他に、商団全体で雇った所謂「流れ」と呼ばれる護衛が十名ほど居た。

 流れとはいえ全くの一見者を入れるわけではなく、全員がティレンを拠点とする護衛であり、マキノもその一人だ。


「これからフリッケの名前を出すんじゃないよ」


 マキノはリヒトの耳元で囁くと、火を囲んでいるいくつかの集団の一つの前で馬を降りた。フリッケとはどんな人物なんだろう、父は何故知り合いなのだろう、いくつもの疑問がリヒトの頭に浮かぶ。


「お、マキノ、新しい男かい」


 煮炊きをしている男に近づくと、野卑た声が浴びせられた。


「あんたこそ、前の町で女を買わなかったみたいだね。ああ、無駄金使っちゃ帰ってから女房にケツを叩かれるか」


 馬を繋ぎながら、マキノも負けずに言い返す。ちがいねえや、と周囲に笑いがおこった。


「ハル! 仕事を教えてやって」


 火の上に鍋を乗せ、湯を沸かしていた少年が顔を上げた。くるくるとクセのある茶色い髪で、女の子のような顔立ちだった。素直そうな明るい緑色の瞳をしている。リヒトは馬からするりと下りた。


「よろしくお……俺はクスト」

「ハル」


 少年は名前だけをぶっきらぼうに名乗ると、恥ずかしげに目を逸らした。ハルは流れの護衛に雇われた賄夫の息子だった。

 商家専属の護衛はそれぞれの商家の者たちとと寝食を共にするので、流れの護衛は固まって行動することが多い。今回のような長旅では護衛たちの荷物や食料を乗せた荷馬車を運び、食事などを準備する者たちを流れの護衛たち共同で雇っているのだった。


「お茶の用意をすればいいで……かな」


 リヒトは父に敬語で接してきた。そのように教えられたし、アルスも言葉は丁寧だった。ふと、最後の時、自分に対して必要以上の敬語を使った父を思い出し、リヒトはぶんぶんと頭を振った。かごの中からカップを取り出して並べ、布を敷きテナの茶葉を入れて包んで湯からおろした鍋に入れる。しばらく置いて色が出てからからカップに注ぐ。


「へえ、手付きがいいなあ」


 賄夫らしい男が感心したような声をあげた。ありがとうございます、と言いかけた言葉を飲み込む。


「いつもやってるから」


 乱暴に聞こえるように言うと、壷を運んでいるハルを手伝う。朝、旅館で買っておいたものだろう。壷の中身は、野菜と鶏肉を煮込んだスープだった。茶葉を取り出した鍋にスープを空けると火にかけて、先ほど注いでおいたお茶を配る。


「一緒に飲もう」


 ハルはクストにカップを差し出した。皿は多めにあるけど、カップはギリギリなんだ。俺が割っちゃったから、と小さい声で恥ずかしそうに付け加えた。


「ありがと」


 リヒトはずっと父と二人きりで暮らし、他人とは不要に口を利かないように言われてきたので、歳の近い子供と話すのはほぼ初めてに近かった。どうしていいかわからずにカップを受け取って一口飲んだ。久々の暖かいお茶に気持ちがほっと解れる。


「クストは何歳?」

「え、ああ十歳」

「同じだ!」


ハルが嬉しそうに笑うのと、ハル! と賄夫の男が呼ぶのが同時だった。


「おとうが呼んでる」


 肩をすくめて面倒だよな、というようにリヒトを見る。リヒトは真似をして肩をすくめて立ち上がり、ハルの後に続いた。

深い木の皿にスープを盛り、ブロトーを乗せて配る。流れの護衛が十名程に、賄夫であるハルの父親、ハル、リヒト、と大勢で火を囲んでの昼食となった。


「マキノ、そのガキは?」

「拾い物だ。グラウには話を通してあるし、食費はあたしが払う」


 髪に白いものが交り始めた護衛の男の問いかけに、マキノは文句は言わせないという風にぴしゃりと言い放った。


「名前は?」


 護衛の青年が明るい笑顔でリヒトを見る。


「あ……クスト」


 です、といわなければなんと言え良いのだろう。わからないまま尻切れトンボに答えた。馬鹿な子供に見えるのだろうが、その方がいいのかもしれない。


「なかなか働くよ。最近の若いものにしてはだけどな。大体今の若いもの――」

「はいはいはいはい! で、クストはどこの生まれ?」


 長くなりそう賄夫の言葉を、細身の青年がさえぎる。護衛の中では一際若く見える。

 ハルによく似ている。ハルを少し大人にして男らしくしたらこうなるだろう。ハルと、父だという賄夫の男はあまり似ていない、とリヒトは思った。


「え、と。ずっとあちこちで……」

「あちこち?」

「はい、最近は……ラ……リステルの近くの……あの」

「ふうん」


 歯切れの悪い答えに、金髪の若い護衛がちょいちょい、と自分の頭をつついた。クスクスと笑い声が漏れる。


「おい」


 生真面目そうな顔の護衛が注意するような声色で言って初めて、リヒトは自分が馬鹿にされたのだと気が付いた。カッと頭に血が上る。


「おお、一丁前の目つきするんじゃねえの?」


 金髪の男は更に冷やかしたような口調で続ける。


「逆らうのはいいけど、あたしの保護は期待しないこと。自分の面倒は自分でね」


 険悪な雰囲気にも動じず言い放つと、マキノは皿を置いて立ち去った。


「おねえちゃんに捨てられたな~まだ睨んでいられるかなあ~」


 金髪の護衛は横目でマキノを見ながらリヒトを煽る。ハルははらはらしたような様子で見守っていた。他の護衛たちは面白がっていたり呆れていたりしているが、止めようとはしなかった。つまりは逆らうなら後は自分で、ということらしい。


「とうちゃんにも見捨てられて……」


 リヒトはその言葉を最後まで聞かずに男に飛び掛った。結果は目に見えている。簡単に捕まえられ転がされて、腹をけられた。


「うっ」


 腹を庇うと頭を蹴られ、頭を庇うと背中を蹴られた。ぐっと唇を噛んで耐える。その後も怪我をしないように加減した蹴りを体中あちこちに入れられた。


「泣かねえの。かわいくないねえ」


 男が立ち去ってもリヒトは痛みよりも手加減された羞恥で動くことが出来なかった。

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