バルトの真実 5
大神官レーゲンと王太子テュランの一行は、予定通り一月でハウシュタットに戻った。噂はとっくに都中に広まっており、都中、いや国中が集まったのではないかと思える人々で都は沸きかえっている。一行は王都に入ると、馬車の窓を開け放って手を振りながら帰還する。
「レーゲン様万歳」
「テュラン様万歳」
まるで戦に勝って帰ったかのような騒ぎであった。
「ご苦労であった」
到着の翌日、いまだ興奮冷めやらぬ街とは対照的に、水を打ったように静まり返った謁見室の玉座から、片膝をつくレーゲンとテュランを見下ろして、オルドヌは静かに言った。
「此度の反乱が、大事にならぬうちに解決した事は幸運であった」
「幸運?」
「違うか。竜が運よくやってきたと聞いているが」
レーゲンが小さく聞き返した言葉を聞きとがめて、オルドヌは強い口調で言い放った。レーゲンはふん、と鼻で笑い立ち上がった。王に許される前に立ち上がるなど、あってはならないことである。居並ぶ兵士達がざわめいた。
「そう、思われるならそれでいいでしょう。ただし、王宮が運悪く竜に襲われたりしないことを願いますな」
脅しとも取れる言葉に、オルドヌは思わず立ち上がりかけたが、それを待たずにレーゲンはすっと手を上げる。それはまるでレーゲンの見えない力に屈し、王が立ち上がれなかったように周りの者達には見えた。
「旅の疲れがまだ取れておりませぬ。わたしは失礼させていただきます」
レーゲンは、長い司祭服の裾をこれ見よがしに翻して去っていく。王は今にでも剣を抜いて切りかかりそうな剣幕で再び立ち上がりかける。
「失礼ではありませんか、大神官殿」
レーゲンの隣でテュランが鋭い声を上げた。驚いたレーゲンは振り返る。
「王様の御前です。席にお戻りください」
真っ直ぐに前を見て強い口調でテュランは言い放つ。丁寧な言葉ではあったが有無を言わさぬ力があった。レーゲンは少し思案すると、いやらしい笑みを顔に浮かべて再び王に傅いた。
「つい、憤慨してしまいました。申し訳ありません、テュラン様」
居並ぶ貴族達や兵士のざわめきが大きくなる。オルドヌは唇を噛んでいよいよ立ち上がった。
「報告は、後日定例会で聞く。本日はこれまでだ」
怒気を隠すことなく言うと、足早にその場を立ち去った。
器量の小さい父親が、息子の手柄に嫉妬をし、それに怒った大神官が自らの処罰も恐れず抗議の姿勢を見せた。だが心優しい息子は父の言動を責めないどころか庇い、それに打たれた大神官は怒りの矛を納めた―――居合わせたものの目にはそのように映る一幕だった。
その後、レーゲンの息の掛かった者達は、続く不作は王家の不徳、やはりバルトは神殿があってこそである、と誰憚ることなく声高らかに噂した。即位中に二度も不作に見舞われたオルドヌは退位させ、大神官の甥であるテュランを即位させるべきである、などと言い出すものも現われる始末である。最早、レーゲンの勢いは止めようがない、ハウシュタットの主要な貴族達も続々と神殿にお祝いの貢物を届け始めた。
それに比べ王宮内は火が消えたような薄暗さが広がっている。ゆっくりと目に見えない何かがテュランに傾き、いつそちらに乗り移ろうかと画策するもの、憤るオルドヌ贔屓のもの達の水面下の動きが徐々に表に現われ始めていた。
◆
「父上、お話があります」
テュランがオルドヌの元を尋ねたのは、謁見室での一件の直ぐ後の事だった。
「報告は十日後の定例会で聞く」
オルドヌは読んでいた書簡から目も上げずに答えた。
「報告ではありません」
オルドヌはテュランの声が、謁見室に引き続き、今までに聞いたことのない強さを保っていることに気づいた。調子にのりおって……オルドヌは牽制するような鋭い目をテュランに向けた。
「息子として、父上にお話があります」
いつもならここで、二の句を告げなくなるはずのテュランは、穏やかな目でオルドヌを見つめて言った。オルドヌは書簡を置いて、まっすぐにテュランに向き合う。それでもテュランは俯かなかった。
「まずは母上の事です」
「テルミーテがどうかしたか」
何かと思えばつまらぬ事を言い出す気か、オルドヌはため息とともに隠す気もなく感情を吐き出した。
「母上は弱い方です。未だに少女のような……」
テュランは言葉を切ってオルドヌの反応を待ってるようだったが、何も答えないオルドヌを見て話を続けた。
「父上を愛しておられます」
ふん、と、オルドヌは鼻を鳴らす。
「そして、父上に愛されたいと望んでいます」
「話はそれだけか」
オルドヌは再び書簡に手を伸ばした。テュランはその動作を変わらぬ穏やかな目で見つめている。
「もし、リヒトが生きていたら」
オルドヌの手が止まる。
「護衛の、ではありません。私の弟の……」
「一体何の話だ」
オルドヌはとうとう癇癪を起こして怒鳴りつけると、書簡を掴むと床に投げつけた。
「私達、家族の話です」
テュランは辛抱強く続ける。だが、オルドヌはイライラと立ち上がった。一方で冷静な自分がテュランを見つめている事にも気がついていた。目の前にいるのは本当に息子なのだろうか、いつでも青白い顔で、いじけていて、考えなど何も持たないのが、この息子ではなかったか。これが息子なのであれば、自分は今まで息子の何を見てきたのか。息子の変貌を喜べばいいのか、恐れるべきなのか、オルドヌはどう対応したらいいのかわからなかった。
「下がれ」
「父上」
「下がれといっている!」
ふう、とため息をつくとテュランは諦めて立ち上がる。
「父上を尊敬しています。どうか、それだけはお忘れなきよう」
頭を深々と下げて、テュランは部屋をあとにした。
「ミレスのところにいく」
オルドヌは言うと、上着も羽織らぬまま奥へと向かった。
◆
「ミレス!」
部屋の前で大声で怒鳴り、どかどかと室内に入ったオルドヌが目にしたものは、剣を構えた側室ミレスの姿だった。侍女たちが悲鳴を上げて座り込む。
「驚かせてすまない。一刻も早く顔が見たくて」
オルドヌは両手を挙げてミレスを落ち着かせようと優しく語りかけた。だが、ミレスは真っ青な顔で剣を握り、その剣先は小刻みに震えていた。
「リヒトが……死んだわ」
ミレスの震える唇から、やっと聞き取れるほどの言葉が漏れた。
「……ああ、残念だった」
オルドヌはわけがわからず立ち尽くし、やっとのことでそれだけを言ったが、その言葉はミレスの感情を逆撫でした。
「残念だった? 息子が死んだのよ? 行かせないでと頼んだわ! あなたは二度も息子を見殺しにしたのよ!」
ミレスの見開かれた双眸から、涙が溢れる。オルドヌは少しづつ下がりながら、落ち着かせようと言葉を捜した。
「どうやら混乱しているようだな。さあ、剣を置きなさい」
「わからないの! あの子はリヒトなのよ!」
ミレスはじり、とオルドヌに近づく。奥へ向かうだけだったため、帯剣もせず、護衛も付けていなかったオルドヌは慎重に下がりながら、防具になるものはないかと部屋中に目を配る。
「わからないわよね、アルスの事も覚えていなかったものね」
あはは、とミレスは自棄になったように笑った。オルドヌは下げてあったタペストリーを壁からそっと外して、掛け棒を抜き取って構える。
「名前も覚えていないのね。あなたは私の愛する人をその手で殺したも同然なのに、そのことに気づいても居ない」
尚も、ミレスは笑い続ける。やがて、呆然と空を見つめると、再びオルドヌに剣を向けた。
「一度だって、あなたを愛した事なんてない」
ゆっくりと言い放つと、ミレスは剣を振った。オルドヌは掛け棒で受けるが、一撃で折れて弾け飛んだ。小机に足を取られ、オルドヌは転倒する。ミレスの二撃目が振り上げられた。
「王様、逃げて」
剣はオルドヌの頭を砕く寸前で止まった。飛び込んで、ミレスの剣を防いだのはハルだった。
「どきなさい! ハル! どかないならあなたも殺すわ!」
泣き叫ぶミレスの剣を押し上げ、みぞおちに拳を叩き込む。ぐったりと倒れるミレスを片手で支えて、ハルはオルドヌを振り返った。しばしの沈黙が流れる。
「えっとー、俺どうすればー」
場にそぐわぬハルの暢気な声に、オルドヌは我を取り戻した。
「手当てをして牢に入れておけ」
立ち上がり、苦しそうにそれだけを呟く。
「畏まりました。あの、ほっといたら死んじゃうと思うんで、俺が付いててもいいですか」
「よかろう、このことは他言無用だ」
ハルの言葉に頷いて、侍女に向かってそう言うと、オルドヌは部屋をあとにした。
王に剣を向ければ通常、死罪は免れない。十五年前にリヒトを失ったときは気丈に振舞っていたミレスを思い出し、オルドヌはため息をついた。息子と同じ名、ザイレ島民特有の顔立ちをした少年護衛兵に、死んだ息子を重ねていたのだろう。その死を聞いて、当時蓋をしてしまった感情が吹き出し、あのような恐慌をきたしたのかもしれない……オルドヌはそんな風に自分を納得させようと勤めた。だが、その胸にはミレスの言葉が繰り返し響いている。
――― 私の愛する人をその手で殺したも同然
――― 一度だって、あなたを愛した事なんてない
オルドヌは王になるべくして生まれた。与えられるものは多かったが、選ぶ事はできなかった。そういうものだと、半ば諦めて王という衣を着続けていた。ミレスは、オルドヌが生まれて初めて、絶対に欲しいと思った女性だった。オルドヌは自室に戻ると、誰も入らぬよう言い渡し声を押し殺して泣いた。




