バルトの真実 4
問題なく船に乗り込むことの出来たゼノとリヒトがティレンの港に到着したのは、大神官・王太子が王都に向けて発ってから一週間後の事だった。街はすっかり落ち着きを取り戻し、いつもと何ら変わらぬ日常が営まれていた。港から、繁華街に入ってもその長閑な風景にも何の変化も無かったが、町外れの隠れ家の前の角を曲がった途端、思わずリヒトは駆け出した。
―――家が
リヒトは呆然として何も残っていない焼け跡を見つめた。
「いくぞ」
ゼノに促され、生きた心地もしないまま頷いて後に従う。ゼノはバルバラの占い小屋へと向かった。隠れ家の焼け跡の隠し通路の扉が丸見えになっていたせいだろう。占い小屋には鍵が掛かっていたにも関わらず、家の中には布切れ一枚残っていなかった。
ゼノはつかつかと部屋の中を横切ると、壁板を一枚外す。中に折りたたまれた紙が入っており、広げると簡単な地図に、仲間にしか読めない文字が記されていた。それにじっくりと見入って元に戻すと、二人は足早に占い小屋をあとにした。地図が置いてあったという事は、少なくともシシィかフィデリオは無事である事は間違いない、だが、間違いなく何か起こったのだ。
「こっちだ」
ティレンを出て南にある森に入り、地図どおりに歩いて、隠してある洞窟の入り口を見つけた。入り口近くに置いてあったランプに火を灯すと、二人とも終始無言で黙々と進む。しばらく進むと上に向かって縦穴が伸びており、はしごが掛けてあった。上からかすかな光が漏れている。ゼノはナイフを口に咥え、音を立てないよう、ゆっくりとはしごを登りはじめる。上まで登り、しばらくそのまま動かなかったが、右手でゆっくり扉を押し上げたかと思うと、下から見上げているリヒトの視界からふっと見えなくなった。
「いいぞ」
ゼノの声にリヒトは慌ててはしごを登る。何度も足を踏み外し、くそっと毒づきながらようやく登りきると、裏路地によくあるような、奥に細長い石造りの家の貯蔵庫に出た。開いている扉から居間に出ると、ゼノが一通の手紙を見つめている。毟り取りたい衝動を抑えて、リヒトはじっとゼノの言葉を待った。
「イリスとシシィは無事だ。フィデリオは怪我をしているが命に別状は無い」
ゼノの言葉に、リヒトはガタガタと膝が震えて座り込んだ。
「だが」
ゼノの言葉にリヒトははっと顔をあげる。
「イリスが神殿兵に捕らわれているらしい」
「神殿兵に?」
リヒトは青ざめた顔で立ち上がりゼノから手紙を受け取った。手紙には、イリスが神殿兵に捕らわれ、ハウシュタットの大神殿に向かっていること。神殿兵に戻ったグンタ、巫女のカルラ、王太子テュランが味方になってくれていて、現状、イリスの身に危険は無いこと。シシィ、フィデリオ、マキノ、ラビは、付かず離れず後を追うこと。などが、簡潔に書かれていた。
「馬を探そう」
黙って手紙を見つめているリヒトに言うと、ゼノは部屋の片隅にある小机の引き出しから鍵を取り出す。リヒトはランプの蓋を開けると手紙を燃やして、中の蝋燭を吹き消し、二人は二つ目の隠れ家を後にした。
◆
ハウシュタットに着く前に追いつくだろう、という二人の見込みは大いに外れた。キノの復興のため人馬が大量にティレンから借り出されており、一日中心当たりを回っても、まともな馬が残っていなかったのだ。
「焦っても仕方が無い。」
ゼノの言葉にリヒトは頷くものの、リヒトは宿屋の狭い部屋の中をイライラと歩き回った。全て自分が引き起こした事だ―――後悔と自責の念で押しつぶされそうだった。
「明日、グラウのところに行ってみよう」
ゼノの言葉にリヒトは重く頷いた。グラウにかかれば、法外な金額を要求されるだろう。リヒトの持っている竜燐では、多少枚数が増えたとはいえ、全く足りそうにもない。
翌日の朝、ゼノとリヒトはグラウの許を尋ねた。
「おや、これは珍客だ」
二人を嘗め回すように見ると、グラウは大きさを増した腹をゆすって出迎えた。大神官と王太子の滞在と、キノの復興で大儲けしているに違いない。
「馬を二頭、用立ててほしい」
「馬」
ゼノの単刀直入な言葉に、グラウは下舐めずりが見えそうな顔で答える。儲け話が転がり込んできた、と思っている心のうちが透けて見えたし、透けて見えていることも計算しているのだ、リヒトは思わず目を逸らす。
「知ってると思うが、そいつはちょっと難しいな」
「ああ、だが、あんたならなんとかなるだろう」
ゼノは、目の前の机にゆっくりと数えられるよう金貨を八枚積んだ。馬一頭の相場は金貨二~三枚である。
「いやあ、無理だな。いくら商人でも、無いものは売れん」
ゼノは黙って、もう一枚金貨を積む。ううむ、とグラウは唸る。馬を用立てる方法を考えているらしい。グラウが何か答える前に、ゼノは金貨の山にもう一枚金貨を追加した。
「よし、七日くれ」
グラウは言うと、目の前の金貨を太い指で掴むとあっという間に懐にしまった。書付を乱暴にちぎってゼノに渡す。
「五日だ」
ゼノは書付を受け取らずに答える。
「そりゃ、無理だ。その代わりこんな情報はどうだ?」
にやり、と笑ってグラウは書付をひらひらと振る。
「港町ティレンと商業都市グロセンハングを結ぶ大陸公道上に、いくつもの検問所ができている」
グラウはちらりとリヒトを見やる。そして、菓子盆に乗っている、いかにも甘そうな菓子を摘むと、ポイと口に入れてくちゃくちゃと音を立てて噛んだ。
「海沿いを大回りする経路上にも、主要な地点毎に敷かれてるようだ。キノの残党がハウシュタットに向かわぬように、という表向きだが」
グラウは二つ目の菓子を頬張る。
「どうやら探してるのは十五歳くらいの少年らしい、背が高くて肉づきは普通」
グラウは、砂糖のついた指を嘗め回しながら、リヒトを見つめる。
「黒髪、黒目……」
「いいだろう、七日だ」
グラウの言葉を遮って、ゼノは書付を受け取る。
「お前のように賢い商人は、自ら面倒ごとに巻き込まれたりはしないものだろうが……」
ゼノは帽子をかぶりながら言うと、幅広なつばの下からグラウを見やった。それを聞いたグラウは椅子に座ったまま、はっはっは、と高い笑い声を上げる。
「勿論だ、金にならないことはしねえし、金になっても面倒になる事はしねえ、安心しな兄弟」
頷いて立ち去るゼノを、リヒトは慌てて追いかける。リヒトは昔からグラウが苦手であった。いつも自分を値踏みするように眺め回し、文字通りに受け取ってはいけない言葉を投げてくる。上手い話に乗せられて危険な目にあったこともあった。商店を出て、外の光を浴びると、窮屈さから抜け出したように腕を伸ばし、ふう、とリヒトは大きく息を吐いた。
「商売はごまかさない男だ。馬は七日後に手に入る」
そんなリヒトをチラリと見て笑みを作るとゼノは言った。大神官と王太子が出立してから半月も経ってしまう。ハウシュタットの門は恐らく厳重に警備されているだろう。王都に入る前にシシィたちに追いつきたいが……とリヒトは気忙しく考える。
戻ってクストに飛んでもらえれば、とも思うが、王都のあるハウシュタット領は、バルト国で一番栄えている領である。人目の無いところに降り立つ事は不可能だ。夜に降りればあるいは、とも思うが夜行性ではない竜が夜飛ぶことには不安がある。かといって、離れた地に降り立つのでは、戻るだけ時間の無駄であることはわかりきっている。
「わかった」
リヒトは小さくつぶやいた。
◆
七日後、グラウは約束どおり二頭の馬を用意した。若くて健康である事を確認すると、ゼノは満足げに頷く。この七日で、キノとティレンで起こったこと、世の中の情勢に関してはほぼ把握できていた。ハウシュタットまでは何とかなるとして、王都に入るにはそれなりの手引きがないと難しそうだ。しかも、手引きしたものを危険に晒すとなれば……ゼノはいつになく深刻な面持ちで馬を操る。
ゼノはザイレ領、領主の家に長男として生まれた。ハウシュタットの次に豊かなザイレ領は島国と言う事もあって、バルトの一国であるという意識が低い。大きな骨格と、しなやかな筋肉を兼ね備えた丈夫な体を持つものが多いため、本国の生白ども、と本国を馬鹿にする嫌いもある。
英才教育を施され、剣の腕も並ぶものがなかったゼノは父の自慢の息子であった。ゼノが成長すると父は、本国を自由に見てくるようにと大金を手渡した。
その旅で、ゼノは不思議な事に気づく。バルトの各領で起こったとされる竜の暴走を細かく調べていくうちに、他国の侵入者が上陸した時に起こる影で、偶然というには高確率で王家や神殿に逆らった領でも起こっている。
まさに神が起こしているとしか思えない一方で、全く何の非もない小さな村などでも時折暴走は起こった。先祖返りの子供を神に差し出さなかったから……暴動の記憶の残る人々はそう答えた。
何かおかしい―――ゼノは国に帰り、真実がわかるまで、調べたいと願い出た。しかしそれは父の怒りを買った。言い争いはこじれにこじれ、とうとう絶縁状を叩きつけられた。
既に、島内外で独自の商売を始めていたゼノは生活に困窮する事はなく、それらを友人に任せて、自らは真実を求める旅に生きる道を選んだ。
遠く彼方の記憶の渦に飲みこまれそうになり、ゼノは馬上で軽く頭を振る。
―――全ては明らかになった。
ゼノは運命の波に飲み込まれそうな少年と少女の行く末を思った。




