バルトの真実 2
「どれ、昔話でもしようかねえ」
二人の会話を黙って聞いていたカイゼがリヒトが食べ終わるのを待って切り出した。
「ああ……クラインはもう帰さないと」
カイゼの存在が獣を寄せ付けないので、夜道に危険はない。ゼノに起されたクラインはふらふらと立ち上がると、歩きながら寝てしまいそうな妹の手を引いて洞窟を出て行った。
「さてさて、どこから話そうか。そう、あれはこの国がまだ八つだった頃の話だ」
カイゼはゆっくりとした口調で話し出す。
「八つの国はそりゃあもう激しい戦を続けていた。あっちと手を組んでは裏切り、そっちと手を組んでは裏切り、馬鹿げた見世物だったよ。争わずに分け与えていれば、この国には、全員が食っていくだけの食べ物があるのに、戦で焼いては、また食べ物の為に争う。これを馬鹿と言わずに何と言うんだい」
静寂に満ちた洞窟の中、ゆっくりとした声が、壁に当たって不思議に反響した。
「そんな戦いに全く参加しない国があった。今の王都のあたりにね。なにせ食べ物が豊かだったから、武器だってなんだって、よその国のよりも上等だったし、争う前に食べ物を分け与えるような王様だったから、攻め入る国がなかった」
「だけど、飢饉が続いたある年、それでも争いをやめなかった隣の国は、分けてもらう食料だけじゃ足りなくなった。今まで何度も分けてもらっておきながら、略奪にやってきたのさ。だけど、国に入って数歩も歩かないうちに略奪にやってきた兵士達は、竜に皆殺しにされた」
ぐっと唇を噛むリヒトをちらり、と見てカイゼは続ける。
「そう、察しの通り、先祖返りが暴走を引き起こしたんだ」
「昔から、竜玉のある先祖返りたちは竜を呼ぶとして忌み嫌われてたよ。どこの国だって村だって生まれて直ぐに殺されていたね。親だって、その子の為に他の全てを失いたくはないだろう。だが、先祖返りは殺すのも一苦労だ。赤ん坊だって先祖返りは竜を呼ぶ。しかも先祖返りはなかなか死なないからね」
「竜を呼ばせずに先祖返りを殺す方法はひとつ。クストの言うところの先祖返りの竜、あの頃はただ、喋る竜と呼ばれてたけど。その喋る竜に抱かせて竜の守歌を聞かせることだ。守歌は竜の暴走を静める歌でね。抱くほど近ければ先祖返りの暴走も止められる」
「……あの時にここへ導いてくれた声」
クストの呟きにカイゼは深く頷く。
「昔はもっとあちこちに喋る竜が居て、今のあたしみたいに人と一緒に暮らしてたんだ。竜にしてみれば、面倒くさい暴走を起す人間の先祖返りに情なんてかけやしないよ。自分の居ついた村に先祖返りが生まれたら、殺すのを手伝う。竜の世界で生きられないあたしらは、そうやって生きていた」
ちらちらと動く蝋燭の火以外に動くものは何も無く、薪が爆ぜる音とカイゼの声以外の音はない。
「ところが、その国の変わり者の王様は「先祖返りを殺してはならぬ」という御触れを出していた。先祖返りを連れてくれば報酬を出す、王都に連れて来い、とね。もちろん、これは危険な事だよ。先祖返りが暴走すれば、王都が滅びるんだからね。もちろん、王宮にも喋る竜は居た。だけど、さっきも言ったように、守歌は触れるほど近くにいないと、先祖返りの暴走は止める事は出来ない。それでも王は先祖返りたちを庇った。―――そして一人の先祖返りの娘と恋に落ちた」
ごくり、とリヒトはつばを飲み込む。このあとの話を聞きたくない気がした。
「もうわかったようだね。攻めてきた隣の国の兵士を竜を呼んで皆殺しにしたのはその娘さ。もちろん、王と国を思っての事だったろう。だけど、娘の暴走は城に居る先祖返りたちに伝染してしまった。先祖返り同士は不思議な力で結ばれているからね。兵士達を殺し尽くした竜が王都に向かうのは時間の問題だった」
ゼノは静かに目を閉じた。イリスを見つけた村と、キノの村の惨状が脳裏に浮かんだのか、そっと眉を寄せる。
「だが、そうはならなかった」
カイゼは何かを憂うように何度か瞬きをする。
「王都に居た喋る竜が、眠りの歌を歌ったんだ」
全員が、カイゼの目を見つめたまま押し黙って次の言葉を待った。
「……あの子は、ばかな子だよ。竜が人間の男を好いて何になる? 守歌じゃあ先祖返りの暴走は鎮められないとなったら、あの子は愛する王のために眠りの歌を歌ったのさ。眠りの歌は強力でね、先祖返りの暴走も止められる。でもね、強すぎて、歌った竜は眠っちまう。眠りながら歌い続けるんだ……命が終わるそのときまでね」
カイゼは愛おしそうな苦しそうな表情で、空を見つめる。
「あたしらの寿命は長い。あの子は今でも王都で歌ってるんだよ。愛しい男の夢を見ながらね」
「あの子とは……」
クストが遠慮がちに口を挟む。
「ああ、あたしの妹だ。と言っても本当のじゃないよ。長い付き合いでね、そういうことにしてたのさ。……話を続けるよ。優しかった王と生き残った先祖返りたちは怒り狂った。娘と竜を奪った戦争を憎んで憎んで憎みきったんだ。それから先は地獄なんてもんじゃなかったよ。王は七つの王都に七人の先祖返りを向かわせたのさ。バルトはたった一日で、一つの王都しかなくなった」
遠くを見つめるようにカイゼは首を伸ばした。
「その後、何がどうなって生贄なんて話になったのかはあたしは知らない。あの子が眠ってしまってから、一度もここを出ていないんだからね」
はあ、とゼノは深いため息をつく。リヒトは何をどう考えたらよいのかわからなかった。四百年前に起こった悲劇と、バルト国誕生の真実が今、目の前に鮮やかに広がっている。国を救うため命を捧げた先祖返りの娘。娘の弔いに命を捧げた七人の先祖返りたち。七つの国を滅ぼし建国した、初代バルト国王。
そして、その後も他国の兵士を返り討ちにし続けた先祖返り達の犠牲と、それを持続するための生贄の制度。
それらを作り上げた王達。それが自分の中に流れている血―――。
「そう、思いつめなさんな。ちょっと語りたくなったのさ。年寄りの昔話と思っておくれ。さあ、もうお休み」
カイゼの声が洞窟に響く。横になったものの、リヒトはなかなか寝付くことが出来なかった。ゼノもクスとも同じようで、寝返りを打つ音や、ため息の音が朝まで途切れる事はなかった。
◆
数日後、ゼノとリヒトはティレンに向けて旅立つ準備を始めた。クラインは不機嫌を隠す事もなく、部屋の隅で膝を抱えている。
「世話になった」
準備も終わり、ゼノはカイゼに向かって静かに告げる。カイゼは黙ったままゼノを見下ろしていた。やがて、ふう、と深いため息を付くと大きな前足でリヒトの胸板をちょい、とつついた。
「ここに余計なものを溜め込ませちまったみたいだねえ」
「いえ、これから何かを決断する時に、必要なお話でした。ありがとうございました」
リヒトは深く頭を下げる。そのまま静止し、ぽん、とゼノに背を叩かれて、ようやく顔を上げた。朝日が斜めに洞窟に差しこみ、カイゼの姿を明るく照らしている。竜は本当に美しい、とリヒトは思った。
「クライン、また会おうな」
壁の隅に蹲りながら、横目でこちらを見ているクラインに声をかける。
「嘘つき。旅人は皆そういうけど、絶対会えないんだ」
クラインは慌てて顔を伏せるといじけた声で返事をした。
「お前はまだ十だろう。いつでも会えるさ。さあ、ちゃんとお別れをするんだよ」
カイゼが呆れ声で説くと、クラインは納得していない顔で、それでも立ち上がってこちらを見る。
「クライン、ありがとう」
リヒトは片手を差し出す。その手を零れそうに見開いた目で見つめると、ぱん! と叩いて、クラインは洞窟の外に飛び出した。
「絶対、会いに来いよ! 来なきゃこっちから行くからな!」
最後は涙声で叫ぶと、森の中へ消えていく。
「やれやれ。じゃあ、気をつけてお行き」
カイゼの言葉にリヒトは頷いて洞窟を出た。ゼノもカイゼに向けてすっと片手を上げて、リヒトに続く。
「行っちまったか。本当に最近は何もかも早すぎる」
広くなった洞窟で、カイゼはポツリと漏らした。
◆
「すまんな、クスト」
クストの背中からゼノが前かがみで叫ぶ。
「問題ない。それと、怒鳴らなくても聞こえる、ゼノ」
クストが面白そうに答えた。
ザイレ島はバルトの領の中でも一番広い面積を持った島で、二つの港がある。一つは南西に位置し、主にティレン港へとの間を往復する船が利用している。日用雑貨や食物などを積んだ少人数乗りの小型船が多く、この小型船に見知らぬものが乗り降りすれば嫌でも目立つ。もう一つの港は北東に位置し、他国の港からの、大きな船が停泊する。観光目的でやってくるもの、出稼ぎから帰るものなどで賑わう港だ。
ゼノとリヒトは北東の港から、他国の大型船に乗り、ティレンを目指す手筈となっていた。北東の港の近くまではクストに乗っての空の旅だった。あっという間に目的地の村が見え始める。
「クスト、あれやる?」
「ああ、勿論だ」
二人は意味深に囁きあうと、クストは急降下を始めた。ゼノは堪らずクストにしがみ付き、リヒトは楽しげに景色を眺めた。やがて、村の広場にふわりと着地する。
「……年寄りになんて扱いを」
クストから降りたゼノが、前かがみに膝を抑えて呟く。リヒトは左腕で顔を抑えて笑いを堪える。
「時間ぴったりだね、ゼノ」
村の子供が二人、馬を二頭引いてやってきた。リヒトはぺこりと頭を下げて馬の手綱を引き取る。
「西の竜に伝言はあるかい?」
「いや、特に無い。礼を言っておいてくれ」
ゼノは額に手を当てて体を起こすと子供達の質問に伝えた。
「わかった。東の竜から西の竜に伝言だ。「くれぐれも妹の真似はするんじゃない」伝えたぞ」
子供達はそれだけを言うと、クストをチラリチラリと眺めながら去っていった。
「じゃあ、クスト、また必ず会おう」
リヒトは眩しそうにクストを見上げる。
「勿論だ、リヒト。カイゼと共に待つ」
リヒトはしっかりと頷く。先に騎乗していたゼノに続いて馬に乗ると、クストに近づいた。この馬達は子馬のころから竜を知っているので怖がらないと聞いてはいたが、鼻先まで近づいても怯える気配は無かった。リヒトはクストの頬に頭を寄せて目を閉じた。
「クスト……ありがとう」
「こちらの言葉だと、何度も言っている。気をつけていけ、リヒト」
リヒトは、クストの頬に頭をつけたまま頷くと、意を決したように、さっと離れた。
「言ってきます」
「ではな、クスト。カイゼによろしく伝えてくれ」
ゆっくり頷くクストに背を向けて、二人は港を目指して走り出した。




