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竜の住む国  作者: タカノケイ
第六章 バルトの真実
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バルトの真実 1

―――すごく、懐かしい。土と、苔と、木の燃える匂いだ。


 カイゼの住む洞窟の中に急ごしらえで作られた寝台の上で、リヒトは懐かしい匂いにそっと目を開いた。


「目が覚めたか」

「ゼノ……」


 気配に気づいたゼノが、リヒトの顔を覗き込む。 一瞬後、リヒトはキノでの出来事を思い出した。


「クスト、が」

「ここにいる、リヒト」

「クスト!!」


 懐かしい声だ……夢ではなかったのだ、リヒトは夢中で声のした方に頭を動かした。途端に、肩口に激痛が走って顔を歪める。ゼノがそっと背中に手を入れてリヒトを助け起し、クストもリヒトから見えやすいように洞の中にぐっと頭を差し込んだ。



「無理をするな、リヒト」

「……大丈夫。また、助けてもらったんだな」


 懸命に伸ばしたリヒトの指に、クストはちょん、と鼻先を押し付ける。


「いいや、助けてもらったのは俺の方だ」


 クストは目を細める。


「会いたかった。会えて嬉しいよクスト」

「ああ、俺も嬉しい。リヒトは大きくなった」


 温かいものが胸に溢れて、リヒトは目を細める。クストに救われたからこそ、繋がった命である。感謝の気持ちが言葉になる前に、ガランガランと大きな鈴の音がして、リヒトはびくりと肩を震わせた。そういえば、寝ている間に、この音を何度か聞いた気がする。視線を少し動かすと、驚きで目が丸くなった。


「おはよう、坊や。あたしはカイゼ。食べやすい物を持ってこさせようね」

「あ、ありがとうございます」


 目はカイゼから離せないまま、そうっと頭を下げ、また痛みに顔をしかめる。


「全く。あたしを怖がらない人間に、立て続けに二人も会うなんてね」


 その言葉とは裏腹にカイゼの声は嬉しそうだった。ふふ、とゼノとクストが顔を見合わせて笑う。穏やかな時間が洞窟内に流れた。


「ゼノ、あれから何日?」

「五日だ」


 リヒトの質問にゼノは短く答える。リヒトは俯いてぎゅっと毛布の端を握った。


「ゼノ、ごめん。俺のせいだ」


 ゼノは謝るリヒトの頭をぽんぽんと叩いて、ゆっくりと寝台に横にさせた。そのまま立ち上がると、木の枝を掴んで焚き火の中に放り込む。舞い上がった火の粉が洞窟内を明るく照らした。


「キノの人たちも、俺さえ王宮に行かなければ……」

「それを考えても仕方ない。考えるべきは、次に何をするか」


 ゼノは水の入った木の椀をリヒトに手渡すと、ゆっくり考えなさい、といって洞の外へ出て行った。


「まずは、傷を治すんだ、リヒト」


 クストは優しい声色で呟くと、ゆっくりと前足を折って屈みこむ。リヒトの寝台近くまで顔を伸ばして寝そべった。リヒトは手を伸ばし、その首の鱗に触れる。クストは満足げに目を瞑った。


「おや、来たようだ」

「ばあちゃーん、お兄ちゃん起きたのー?」


 クラインの可愛い声が洞の中に響いた。続いて鼻をくすぐるおいしそうな匂いがして、リヒトの腹がぐう、と鳴る。


「沢山、食べてぐっすり眠る事だ。若いんだから直ぐ元気になるだろ」


 食事を終え、汗を拭いて着替えると、リヒトはすっかり人心地がついた。まだ少し熱っぽかったが、このまま順調に回復するだろうと思う。リヒトに懐いて喋り捲っていたクラインが眠ってしまい、洞窟内には薪のはぜる音だけが心地良く響いている。


「カイゼはずっとここに? クラインの家族は?」


 リヒトは隣で眠るクラインを起さないよう、肩を庇いながら横になると、カイゼをまっすぐ見て質問した。


「ここに居る理由は簡単。寝てるうちにそこから出られなくなったのさ」


 洞の入り口を顎で示し、くっくっくとカイゼは笑い、つられてリヒトも笑う。クストが片目を開けてリヒトが横になっている事を確認すると再び目を閉じた。


「ここの村人は全員、あたしの事を知ってるよ。もちろん、クラインの親もね。でもここに来てもいいのは子供だけ。そう決めてあるのさ。あたしの面倒を見る代わりに、月に一度竜燐をやってる」


 こんな辺鄙な場所では、換金出来る物といえばヤギのチーズくらいなものだろう。竜燐は村の重要な収入源に違いない、リヒトは頷く。


「ああ、クラインの一家は口が堅いから、あんたたちの事は知られてないよ。クストは見えるから無理だけどねえ」

「では、挨拶してくるか」


 寝ていたかと思ったクストが目を瞑ったまま呟く。おやめ、と言ってカイゼは笑った。


「子供の頃、優しくしてくれた竜の印象のままだから、村人はあたしを信じてるのさ。大人になってこの姿を見れば」


 カイゼはチラリとクラインを見て言葉を切った。


「さあ、もう、お休み」


 いつの間にか戻ってきていたゼノが、そっと蝋燭を吹き消した。洞の入り口から見える月がとてもきれいだ、まるでイリスの髪の色だ―――そんなことを思いながら、リヒトはあっというまに眠りに着いた。



 一月も経つと、リヒトは起き上がって自由に動けるようになった。ゼノと剣の稽古も始めている。一汗流したあとで、洞窟の外にある手ごろな石に座って、しつこさに根負けしたゼノがクラインに剣を教えるところをぼんやりと眺めていた。辺りはすっかり暗くなっていて、洞窟から盛れる温かい明りの中で大きな影と小さな影が躍っているようだった。

 人見知りなのか、リヒトから少し離れたところに座って、クラインの妹が兄の練習を真剣な顔で眺めていた。数年前の自分達を見るようで、リヒトの頬は自然に緩んだ。イリス……ふと、何かが心を掠めてリヒトは立ち上がった。


「ゼノ、イリスは」


 剣を下ろしたゼノがゆっくりと振り返る。


「イリスは竜玉がある。まさかイリスは」


 ゼノの瞳の色にリヒトは答えを見つけた。


「……イリスも共鳴するんだな」

「それはわからん」


 リヒトの髪が怒りに逆立つ。何も言わなかったゼノに対しても、気がつかなかった自分に対しても、怒りが湧き上がっていた。早足で洞窟に戻ると、上着を羽織り、革の鞄を持った。そのまま何も言わず洞窟を出て道を下り始める。


「今行っても船は出ないぞ」


 ゼノは落ち着いた声でリヒトの背中に言った。リヒトは足を止めて振り返る。


「クスト」

「落ち着きなさい。船を待てば六日で着く」

「イリスが心配じゃないのかよ!」


 冷静なゼノの正論に、更に苛立った声でリヒトは叫んで振り返った。


「今更、少し早く着く事に意味は無い」

「そんな……」


 リヒトは力が抜けたようにその場にしゃがみこむ。ゼノの言う事はもっともである。今更、である。三日後でも十日後でも何一つ変わらないだろうに、一ヶ月も経っているのだ。

 ゼノ一人なら直ぐにでも戻れたのに自分が足手まといになったのだ。いや、そもそもゼノがキノなどに向かわずティレンに居れば……自分のせいだ。リヒトは呆然と足下を見つめた。


「私がイリスを心配しないと思ったか。お前の傷も」


 優しく、すこし悲しげな声に、はっとしてリヒトは顔を上げる。


「ごめん、ゼノ。ごめん」

「いいんだ……。クライン、今日はここまでにしよう」


 場の成り行きを息を呑んで見守っていたクラインと妹は、ほっとしたようにゼノに続いて洞窟に入った。リヒトの目から堪えきれない涙が溢れる。


「リヒトの大切な人はイリスというのか」


 リヒトをそっと長い尾で包むと、クストは独り言のように呟いた。リヒトは泣きながら頷く。大切な人が傷ついたかもしれない、もしかしたら永遠に失ったのかもしれない、言いようの無い不安と、何も出来ない悔しさで胸が張り裂けそうだった。また、一人になる。リヒトは声を上げて泣いた。

 こんなに泣くのは、あの夜クストの前で泣いて以来だ、ゼノが洞窟に入ってくれてよかった、と考え始めたころには大分落ち着きを取り戻していた。その間もクストはじっと黙ってリヒトを包んでいる。


「イリスとはこの世で一番キレイな名前だな」


 リヒトが落ち着いたのを見計らってか、また、独り言のようにクストは呟いた。リヒトはそっとクストを見上げた。クストの赤い瞳に夜空の星が映って輝いている。


「あの人の名も、イリスといった」


 その声音からクストの中では、遠い昔の少女イリスの存在がまだ生きているのだ、とリヒトは思った。アルスの死をあれほど悲しんだ自分だが、今では遠く懐かしい人となって、思い出せば温かいものが胸に溢れる存在になっている。だが、今イリスを失えば、自分もクストのようにいつまでも思い続けるのだろう。


「ティレンまで、飛んでもいいぞ、リヒト」


 ぐぐっとクストは立ち上がって言った。リヒトははっと息を呑んだが、ぐっと唇を噛み締めて首を横に振った。


「ゼノの言うとおりなんだ。それはイリスや仲間を危険に晒す」

「では、早く沢山食べて沢山寝るといい、リヒト。いざという時に動けるように」


 リヒトも立ち上がり、クストの太い首に抱きついた。


「ありがとう、クスト」


 リヒトは手桶に張った水で顔を洗うと、袖で顔をぬぐいながらゼノたちの待つ洞窟に入っていった。一足先におなかいっぱい食べたらしいクラインと妹はぐっすり寝入っている。


「五日後の船に乗る手配をしてある」


 ゼノの言葉にリヒトは黙って頷く。きっとシシィがうまくやってくれている……そう心の中で唱えながら、リヒトは汗をかいた服を着替えた。


「イリスは大丈夫だ」


 木の椀に野菜の煮込みを取り分けながら、ゼノは言った。気休めだ、リヒトは思ったが口には出さない。


「イリスってのは誰だい?」


 カイゼが眠そうな目を開いて尋ねた。カイゼは動かないためかほとんど物を食べない。リヒト達がここに来てから、木の実の三つも食べただろうか。


「俺の孫娘のようなものだ。先祖返りでね」

「ほう、そりゃ生き辛いだろうね」


 カイゼはぽつりと漏らした。その言葉がリヒトの胸を抉る。どうして、先祖返りに生まれたというだけで、当たり前のように苦しまなければならないのか。


「……変える事ができないだろうか、とずっと思ってた」


 全く手をつけていない椀を見つめ、おもむろにリヒトは言った。


「俺なら変える事が出来るんじゃないかな」


 リヒトはまっすぐにゼノを見つめる。


「先祖返りの運命を? 俺なら、とは王子だから、か」


 ゼノの鋭い目がまっすぐにリヒトを射抜く。


「変える為に起こる悲劇も、変えた事によって起こる悲劇も、全て受け止められるだろうか、とずっと決心がつかなかった。でも、やっぱり変えたい。イリスもフィデリオも、自分の意思で好きな場所で、生きる権利がある」


 リヒトはまっすぐにゼノの目を見て答えた。やがて俯いて頭を掻く。


「どう変えれば全てがうまくいくのか、五年間考えて続けても、まだわからないけど……」


 ふう、とゼノは大きく息を付く。


「共に考えよう」


 ゼノの言葉にしっかりと頷くと、リヒトは椀に入った煮込みを食べ始めた。

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