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竜の住む国  作者: タカノケイ
第五章 アヘルデ領主城の惨劇
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アヘルデ領主城の惨劇 8

 レーゲンをはじめ、兵士全体が賛辞の声と勝利の酒と酔いして居た為、神殿兵の寝泊りしている宿屋でグンタとラビが接触する事は容易であった。「軍規が乱れている」などで済む騒ぎではなかったが、レーゲンがそれを許した。そのことによりレーゲンへの賛美は王宮兵士の中にまで広がっている。テュランが体調を崩し、ほとんど部屋から出てこなかった事も兵士達の気持ちの弛緩を増長させていた。


「へえ、じゃあだいぶ元気になったんだ?」

「ああ、都に着くのが楽しみだと言っているよ」


 明るい光が差し込む廊下に立つグンタと、庭掃除をしているラビは開け放たれた窓越しに会話している。

 旅館の従業員と、暇を持て余した警備の兵士がしばらく世間話をして笑顔で別れたところを目撃したものは多数居たが、気にも留めた者はなかった。


「で、何か聞けた?」

「手紙は渡せた。その時は泣いてたけど、イリスちゃんは元気。ご飯も食べてるし、よく笑ってるってさ」


 シシィは夕刻を過ぎに帰ってきたラビに開口一番で尋ね、そう、と安心した顔で言った。そして初めて気がついたようにラビに椅子を勧める。


「馬には乗れそ?」


 ラビはフィデリオに問いかける。


「ええ、馬車を追う程度の速度でいいなら行けそうです」


 熱が引くと、フィデリオはめきめきと回復した。腕を切り落としてからまだ十日も経っていないのに、腕が無い他は何事もなかったかのようである。何より皆を驚かせたのは、切り取られた腕の先に爪が生えたことだった。


「先祖返りってすっげえな。あれかな、トカゲの尻尾的な?」

「傷の直りが早いし、傷跡も残らないと思っては居ましたが」


 ラビの歯に衣着せない言い方に、フィデリオは苦笑して答えた。悪気がないことはわかっているし、余りに飄々としていて怒る気にもならないのだろう。


「あ、あと、グンタが言うにはカルラが味方になってくれてるらしい」

「え、どういうこと」


 この子はどうして重要な事を世間話のように話すのかしら、と思いながらシシィは唖然として尋ねる。


「神殿の中を変えるんだって」

「神殿の中を変える?」


 シシィはぽ同じ言葉を繰り返す。


「そ、神殿の方が安全だから。逃がそうとしたら邪魔するんだって」

「どういうことよ」


 怒りを含んだシシィの声に、俺を睨んでもさー、とラビは目の前のグラスを振る。


「神殿では竜化できないらしいよ。とりあえず橋を渡れば安心だって」

「橋って、神殿に渡る橋の事よね? どうして?」


 王都ハウシュタットは、枝分かれしたフルース川により、幾つかの街に分かれている。それぞれ、商人の街であったり、工業の町であったりと特色がある。そして、それらの街を繋ぐ為に大小いくもの橋が掛かっている。都の中心に王宮があり、リヒトらが合格の発表をみた王宮前の大広場から、小さな川に掛かる立派な橋を渡ると大神殿だ。

 観光の名所にもなっており、ハウシュタットで一番賑やかな地域である。


「それは言えないんだってさ。神殿に勤めた何百人の人間が隠し続けた事を、今、話していいと決められるほど傲慢じゃない、だったかな」


 シシィはあごに手を当てて考え込む。静かな沈黙が流れ、フィデリオが片手で差し出した料理をラビは食べ始めた。


「それも考えるべきだね」


 沈黙を破ったのはマキノだった。シシィは聞きとがめた、と言うような顔をマキノに向ける。


「始めにイリスの秘密を聞いたときに思ったんだ。なんて無責任なんだ、って」


 非難を含んだ言葉に眉を寄せるシシィに負けず、マキノは続ける。


「だってそうだろ。一歩間違えば消えてたのはティレンだ。死者数十人じゃすまないよ」

「あれは神殿が……」

「キッカケは何でもいいさ。それが起こるか起こらないかでいったら、起こる可能性があった。そうだろ」


 マキノの言葉にシシィは詰まる。


「あんたがあの子を大事に思うように、子供を大事に思う母親がティレンには何千人も居るんだよ。あたしには子供は居ないし、今からも出来ないだろうが、もし居たらイリスと同じ街に暮らすのだけはごめんだね」


 徐々に俯くシシィの背に、フィデリオがそっと手を添えた。


「イリスを助けたくないとか、ましてや生まれて直ぐ死ぬのがいいとか思ってるんじゃないよ。あの子があたしの目の前で誰かに襲われてたら、何があっても助けるさ。でも、それとこれとは違う。あたしに賭けられるのはあたしの命一つだけ」


 沈黙が流れ、蝋燭の明かりが風にちらちらと揺れた。


「もちろん、カルラの言った事をが事実って事が前提だけど、イリスは神殿で暮らすべきだと思うよ」


 ダメ押しのようなマキノの言葉に、カタン、と椅子を揺らして立ち上がり、シシィは寝室へと消えた。



「言いすぎだった?」


 声を潜めて言ったマキノにフィデリオは横に首を振る。


「いえ。シシィは賢い人です。自分の中でもその答えが出ていたでしょう」


 フィデリオは二人に酒を注ぎながら、シシィの消えた寝室のドアを見つめた。


「ミレスさまの話を聞いても?」


 フィデリオは、片手でチーズを切り分け、皿に盛り付けながら尋ねた。ラビが閉じかけていた目をうっすらと開く。


「……ああ。妹とは四つ違いでね。あと二人妹が居る。男が生まれなかったもんで、父親はあたしを息子のように扱ったんだよ。狩に連れて行ったり、剣を仕込んだり。あたしも嫌じゃなかったしね」


 ふふふ、とマキノは笑った。


「妹達のことは、ちゃんと娘として扱っててね。下二人は大人しいんだが、ミレスはそれが面白くなかったらしい。姉さんばかりズルイと屋敷を抜け出しては近所の男の子連中と剣を振り回してたよ……そこで一番仲がよかったのがアルスだ。リヒトは二人によく似てるよ。何で気がつかなかったんだろうね」


 物思いにふけるマキノを急かすことなく、フィデリオは片手である事を思わせない滑らかな動作でグラスに酒を注ぎ足す。ちらちらと揺れる蝋燭の炎が、マキノの顔に陰影をつけた。


「あたしたちは幸せだった。でも、王がやってきてミレスを攫っていった」


 マキノは注ぎ足されたばかりの酒を一気にのどに流し込む。


「許せなかったのは、ミレスを救えなかった自分。そして次の日からあたしに求婚を迫ってきた男たちと、そんなあたしにドレスを着せようとした父親」


 王家の親戚筋となった家の娘にわれ先にと求婚する男達と、それに目がくらんで、突然娘として扱いだす父親。目に浮かぶ光景に、フィデリオはそっと目を閉じた。ラビがちっと舌を打つ。


「で、家を飛び出して以来、この生活ってわけさ」

「後悔していますか?」


 フィデリオは空になったグラスに再び酒を注ぎ足す。


「全然。そのおかげで、可愛い甥っ子を助けられたんだしね」


 幸せそうにマキノは微笑んだ。フィデリオはそんなマキノの肩にそっと手を載せる。


「すみません、先に休ませていただきます」


 二人のために酒瓶を空けて置くと、フィデリオは寝室に向かった。


「眠れませんか」


 フィデリオは寝室に入るとベッドに腰を下ろし、膨らんだ毛布をそっと撫でた。


「マキノの言うとおりだわ」

「そうでしょうか」


 毛布から覗いた赤い髪を、フィデリオは愛おしそうに見つめる。


「そうでしょう。あたしはティレンの人たちにとても良くして貰ったのに」

「でも何も起こらなかったでしょう。ティレンでの怪我人は私だけですし、燃えた家にはそれなりの支払いをしておきましたから」


 毛布がもぞもぞと動いて、泣きはらして真っ赤になった目が現われた。


「いい考えがあるんです。こういうのは、どうでしょう」


 フォデリオは焦らして面白がるようにゆっくりと言いながら、シシィの目にかかる前髪を撫で付ける。


「シシィが大神官になってしまいましょう。神殿は安全なので、そこでイリスと他の先祖返りと楽しく暮らす。どうです?」


 シシィの目が驚きで見開かれる。勿論、そんなことは不可能である。だが、神殿の近くに住むだけならば可能かもしれない。いや、可能だ。神殿こそ、ぐるりと高い塀に囲まれているが、橋から神殿まではびっしりと建物が並んでいるではないか。シシィはゆっくりと、いたずらを考え付いた子供のような顔になっていった。


「それ、いいわね」


 ね、いい考えでしょう、と言いながら、フィデリオはシシイの上に乗りかかる。


「ちょっと、重いわよ」

「腕が片方ないんですよ? 優しくしてください」


 シシィは少し体をずらして、腕を伸ばすと、フィデリオの首に巻きつけた。


「ありがとう、愛してるわ」


 耳元で囁いてから、クスクスととおかしそうに笑う。


「どうしました?」

「またマキノに普通の女って言われそうだと思って」


 フィデリオは片手で器用に体を持ち上げると、蝋燭を吹き消した。

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