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竜の住む国  作者: タカノケイ
第五章 アヘルデ領主城の惨劇
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アヘルデ領主城の惨劇 7

 神殿兵に戻ったグンタは、先祖返りの少女の護衛の任務を与えられた。要は護衛という名目の見張りである。レーゲンに見初められた神殿兵は、無理な任務のせいで数が少ない。ツヴァイを手元から離すことはないので、ゼクスが死に、イヌルが大怪我で動けない今、秘密を知って尚、戻ってきた自分がイリスの護衛にされるだろう、というグンタの読みは当たった。

 昼なのに分厚いカーテンで締め切った薄暗い部屋の中に入って、グンタははっと息を呑んだ。あの少年によく似ている。白に近いブロンドの髪に透き通るような肌。真っ青な瞳。年は十二ほどだろうか。


「はじめまして、グンタです」


 少女は、恐れるような怯えるような顔でグンタを見つめた。


「イリス、です」


 やがて細い声を搾り出すように名乗った。元々細いのであろうが、薄い体は今にも折れてしまいそうだった。グンタはぐっと額に力が入り、それに気づいたイリスはベッドの上でそっと体をずらしてグンタから離れた。


「今日から君を守る仕事をするんだよ。よろしくね」


 グンタは慌てて笑みを浮かべて、イリスに向けて手を伸ばした。すぐ後ろにはシシィと同じ髪の色の女神官カルラがいる。少しでも不審に思われたら終わりだ。目を見られてもいけない。グンタは何も気取られないように、と肩の力を抜き、なるべく頭の中を空にする。


「よろしく、お願いします」


 イリスは怯えながらもそっと手を伸ばす。その手に、カルラから死角になるように気をつけながら、グンタは紙片を握らせた。イリスは、はっとしたものの、グンタが怖くて堪らないというように毛布を口まで引き上げて紙片を隠した。いいぞ、とグンタは微笑むと真面目な顔で振り返り、カルラの目を見ずに敬礼すると部屋を出た。


「今日は具合はどう? 大丈夫よ、彼は怖くないわ」


 明るく声をかけ、やがて壁の向こうに居るだろうグンタが透けて見えるのだろうか、と思うくらい壁の一点を見つめる。


「あのね、カルラ、あの、わたしまだちょっと眠いみたい」


 そんなカルラにイリスは慌てて話しかける。紙片の中を見ずとも、あの兵士はきっとシシィの使いだとイリスは思った。


―――だから、繋がりがカルラにばれちゃいけない。


 あたしは王宮の神殿に行きたい、あたしは神殿に行きたい、あたしは神殿に行きたい。イリスは振り返ったカルラの目を避け、必死に心の中で唱える。


「そう、じゃあ、お昼が出来たら起こすわね。何か欲しいものはない?」


 カルラはそっと微笑む。イリスは安心したように首を横に振るとベッドに潜り込んだ。カルラは愛おしそうに布団を直すと、すっと表情を消して部屋を出た。



「余計な事しないで」


 カルラは誰も居ない廊下で囁く様に言った。グンタは何も答えず、まっすぐに前を見ている。


「あの子にはこれが一番いいのよ。本人もわかってるわ。私は何も言わないから、ここから去って仲間にそう伝えなさい。危ない事をしようとしないで」


 カルラは噛み含める様に続けた。二人の間に張り詰めた沈黙が流れる。彼女は緋の一族、隠し切れなかったら即座に逃げなさい、とシシィに言われている。だが、グンタはやりきれない思いがわいてくるのを抑えられなかった。ラビから、このカルラが仕事の範囲を超えて、イリスを妹のように可愛がっている事を聞いた時に湧き上がった思いが、今、強く噴き出している。


―――殺しておいて


「ユリアンにも、あれが一番良かったのからそうしたのか」


 カルラは思わずグンタを見上げる。グンタはまっすぐカルラを見下ろした。そうしてカルラに伝えたい映像を、毎晩夢に見るあの光景を思い浮べた。血を流し悲鳴を上げるユリアンが、カルラの特殊な瞳にうつった。手を切られ、足を切られ、胸を刺され、叫び続ける化け物―――カルラは思わず口を押さえてかがみこむ。


「イリスも同じ目に合わすのだろう?」


 がたがたと震える肩を抱いて座り込む女神官から目を離してグンタはつぶやく。シシィに言われたとおりにすぐ逃げたほうが良かったのだろうか。自分とさほど変わらぬ年の、おそらく命じられてそうしているだけの少女を、ここまで追い詰めることに意味はあったのか。

 やがて、よろよろとカルラは立ち上がった。この足でどれだけ逃げられるかわからないが、とグンタは覚悟を決める。


「あたしはイリスを守りたい。それには竜化を制御できる神殿に行くのが一番という思いは変わらないわ」


 グンタの耳に意外なほど、きっぱりとした言葉が届いた。

 

「でも、イリスや他の先祖返りがユリアンのような目に合わされるなら……」


 言葉に惹かれて、グンタはカルラの瞳を見つめる。


「次は必ず助ける。その時にはあなたとあなたの仲間の協力が必要だわ」

「俺には、緋の一族の目はないから……」


 慌てて目を逸らして、ごくり、とグンタは唾を飲み込んだ。


「あなたの目を二度と見ないと誓うわ。見たらあたしを殺せばいい。それで仲間は安全」


 カルラは一気に言うと、ふう、と一旦息を吐く。真っ青だった顔色が少しづつ戻り始めていた。


「あたしが裏切っても、死ぬかもしれないのはあなただけ。悪くない申し出だと思うわ。あなたは死ぬ気でここに来たのだから」


 カルラの申し出は魅力的だ、とグンタは思った。協力しよう、と言えば騒ぎにはならない、いざとなったら、カルラを裏切ってイリスを連れ出せばいいのだ。だが、その考えとは裏腹に口をついたのは自分の思いだった。


「俺はイリスを家族の元に返したいんだ」


 カルラは、はっ、と嘲る様なため息をつく。


「家族の元に返すと言うなら協力できないわ。全力で阻止させてもらう。イリスが今まで無事だった事は奇跡なのよ。竜化を止める手段がないまま街中で暮らすなんて、正気の沙汰じゃない。イリスは優しい子よ。街を壊したら、あの子の心が壊れることがわからない? 今度のような事を起こさないためには、神殿の中を変えるしかないわ」


 カルラの言葉は熱を帯びる。


「わかった。とりあえず今、イリスに危険がないなら、今だけは、その提案に乗るよ」

「ありがとう。あなた……正直ね」


 最後の言葉は笑って言ったような気がして、グンタはカルラを見ようとする自分の目を必死に押さえ込んだ。


「ああ、それから、イリスは十八歳よ」


 今度こそ、グンタは思い切りカルラの方を向いてしまったが、目に映ったのは遠ざかる背中だった。ため息と共に、背筋を正して視線を前に戻す。横目でそっと見やると廊下の角を曲がる赤い髪が目に入った。グンタは再び深いため息をつくと、足が治るまでは、と許された椅子に浅く腰掛けた。





 内容までは聞き取れなかったが、扉の向こうの話し声が止んだのを確認して、イリスは起き上がり、そっと紙片を取り出した。


    イリス、怖くない? 


    寂しくない? 


    どこか痛くない? 


    おなか空いていない?


    必ず迎えに行くから、待っていてね。


    大好きよ、イリス。


 記名はなかったが、間違うはずもないシシィの文字だった。ぱたたっと涙の粒が紙片に落ちて、イリスは慌てて毛布で水滴を拭いた。


―――帰りたいよ、シシィ


 あとからあとから湧いてくる涙をイリスは毛布の端でぬぐう。


―――でも、帰れないよ。


 こみ上げるものを抑えきれず、イリスはひくひくとしゃくりあげる。


―――だってあたしはバケモノだ


 徐々に緑色に染まっていった腕。ぎらぎらとした醜い鱗……シシィを突き飛ばした事は覚えている。フィデリオに向かって火を吐いたことも。でも、その後の記憶がない。イリスは自分の両腕を抱きしめる。


―――あたし、一体何をしたのだろう。怖い。怖いよ、シシィ、早く助けに……


「だめ、カルラと行くの。あたしはバケモノなの。カルラと居たら誰も傷つけずに済むの」


 イリスは声に出して言うと、ベッドに潜り込んだ。両手で耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑る。指が白くなるほど塞いだ耳に、懐かしい声が響いた。


「イリスはバケモノなんかじゃないよ」


―――あれは、どこだったろう、何故だったんだろう。竜化の事を、リヒトに打ち明けたくて堪らなくなったあの日。まぶたの裏に暗い森の景色が浮かぶ。そうだ、あれは夜の森の中だった。あたしは、ぶんぶんと剣を振るリヒトを、切り株に座って眺めている―――。


 イリスは時々、恐らく気がついてはいただろうが、シシィの目を盗んで抜け出し、リヒトの訓練を見に行っていた。


「リヒト、あたし竜なのよ」


 突然のイリスの言葉に、リヒトは剣を振るう腕を止めてイリスを見つめる。


「怒るとね、竜になるの。リヒトなんか食べちゃうよ」

「食べないよ」


 素っ気無く、つまらなそうにリヒトは答え、また剣を振り始める。イリスは、それが面白くなかった。


「食べるよ。あたしはバケモノなんだよ」


 切り株から立ち上がって、どんどんリヒトに近づく。


「危ないなあ」


 リヒトはくるりくるりとイリスを避けながら、やはり剣を振るう。口では危ないといっているものの、間違っても当てたりしない、という自信と余裕を感じて、イリスは更に腹を立てた。


「それで殴ってよ。わかるから。あたしがバケモノだってわかるから。ほら」


 イリスは大声を出して、両手を広げる。


「イリスはバケモノなんかじゃないよ」


 ようやく剣を止めたリヒトは目を逸らしてそういった。こんなに可愛いバケモノいるかよ、と心の中で呟き、頬が赤く染まっているが、暗闇がそれをイリスに見せない。目も見ずに何を、とイリスは遂に激昂した。


「何にも知らないくせに! あたしが怖いから皆優しくするの。きっとあたしのせいで、あたしのお父さんとお母さんは死んだのよ。知ってて誰も何も教えてくれないの。だからあたしは笑ってるしかないの。何も聞けないのよ。十六歳なのに、どうしてこんなに小さいの? 一生、外に出られないの? リヒトなんか、何もわかってないくせに!」


 雲が割れて月がイリスを照らした。イリスの髪が薄く緑色に染まっている。イリスは、はっとして後ずさった。


「緑色もキレイだね」


 リヒトは月明かりの中、目を細めていった。頬が真っ赤だった。


「何、を」


 見る見るうちに耳まで赤くなるリヒトに、今までの怒りが嘘のように退いていった。リヒトはからん、と剣を置くと、イリスをまっすぐに見つめる。


「竜はバケモノじゃないよ。俺は竜が大好きなんだ」

「でも、暴れるわよ、怖いでしょ」


 真剣な目に射抜かれて、イリスは思わず俯き、小さな抵抗を試みる。その頬も真っ赤だった。


「暴れたら、俺が抑えるよ」


 いつの間にか目の前に来ていたリヒトに、イリスは抱きすくめられた。


「こうやって。ほら、全然怖くないよ」


 あとには虫の声しか聞こえない。夜の森の湿った匂いと、リヒトの匂い。リヒトの鼓動。リヒトの体温。


 あたしここに居てもいいのかな、シシィは本当は面倒なんじゃないかな、あたしが居るからゼノはどこかにいってしまうのかな、しゃくりあげながら胸の中の思いを吐き出すイリスの背中を、リヒトは優しく撫でる。


 何度も何度も同じ事を繰り返し聞くイリスに、ここに居ていいよ、皆イリスが大好きだよ、ちっとも怖くなんかないよ、とリヒトは何度でも優しく答え続けた。


「ここに居ていいんだよ」


 イリスの閉じられた瞼から、涙がすっと一筋流れ落ちた。


―――あの時、三つ年下のリヒトは十三歳だった。いつの間にかあたしより体も心もずっと大きくなっていて、あたしは、それがとても悔しくて悲しかったんだ。


 イリスはそっと片方の手を伸ばして髪飾りを外す。リヒトの瞳とよく似た黒い石をじっと見つめ、両手で握り締めた。


「リヒト、助けて」

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