アヘルデ領主城の惨劇 4
ティレンとキノを結ぶ街道は、先ほどののんびりした雰囲気とはうって変わって殺伐とした空気が流れていた。馬が外された荷馬車があちこちに打ち捨てられていた。人々は一頭の馬に二人も三人も乗って我先にティレンへと向かっている。
「どけ!」
「荷馬車を捨てろ!」
「竜が出たぞー!」
その騒ぎの中を、イリスとマキノだけが逆走していく。イリスは走りながら、どこそこかまわず炎を吐きつけた。火のついた服のまま転がり叫ぶ人々や、燃え盛る荷馬車が、街道にさらなる混乱を招いていた。
「あんた! 戻れ!」
老人がマキノに向かって叫ぶ。マキノは軽く会釈すると、一定の距離を開けてイリスを追った。せめて炎を吐くのを止めたかったが、出来ることと言えば「避けて」と後ろから叫ぶことくらいであった。
怒号や悲鳴が入り混じり、逃げ惑う人々が混乱する街道を、二頭の騎馬が駆けてきた。市民とは明らかに違っている馬の乗りこなし方を、流しの護衛で鍛えられたマキノの目が捉える。その二組の騎馬がイリスとすれ違った瞬間、イリスの体は草原に向けて吹き飛んだ。
マキノは慌てて馬を止める。馬で走りぬけながら、イリスの体を弾き飛ばした男はツヴァイだった。馬を止めて引き返し、剣を抜いて草原に降り立つとイリスが吹き飛んだであろうあたりに向かう。
神兵?
マキノがその衣服を確認できるほどに近づくと、ツヴァイは小さな子供を抱えて馬に乗りこんだ。マキノは警戒されぬよう、興味心から立ち止まったような顔で、二組の騎馬が行き過ぎるのを見つめる。
ツヴァイの前にうつぶせで横たわっている子供の顔は見えなかったが、長いプラチナブロンドの髪から少女かと推測する。あのイリスとかいう化け物ではない? マキノは困惑したまま二人を見送った。
「兵士様! あの化け物は?」
道行く男が神兵に声をかけた。
「消えていた。娘が倒れていたが、知り合いは居るか」
神兵は、つまらなそうに答えたが、街道からは、おお、ありがたい、と感嘆の声が上がった。人々はあたりを見回し、知り合いか? いや、知らない、と互いに首を振り合った。
「一体、何があったんです?」
「アヘルデの領主城に立てこもっていた反乱軍を竜が襲ったのだ」
天罰、恐ろしい、はた迷惑な、とひそひそとした声が漏れ広がっていく。
「竜はここまでは来ない。ティレンには大神官長レーゲンさまがおられるからな。皆、落ち着いて避難するように」
その言葉にどっと歓声があがり、人々は怪我人を助けながら、ティレンへと移動を再開した。男たちの姿が見えなくなると、マキノは草原へと馬を進めた。
「何も居ない……じゃあ、あの子があの化け物?」
草むらの中を何度も確認し、何も居ない事を確信するとマキノは急いでティレンへと引き返しはじめた。
マキノの心配をよそに、二人組にはあっけなく追いついた。二人は避難民たちと並んでゆっくりと馬を進めている。気づかれぬよう少しづつ近づくと、マキノの鼻はコカの葉の匂いを嗅ぎ取った。少女に嗅がせたのか、怪我をしている神殿兵の痛み止めに使うためか、どこかで止まってコカの葉を炊いたらしい。そのおかげで簡単に追いつくことが出来たのだろう。二人は疲弊し、周りに気を配る余裕すらないようである。それでもマキノは用心しながら後を尾けて行った。
二人組は少女を連れたままティレンへと戻り、神殿兵の宿泊している宿屋に消えた。
「やはり神兵」
辺りは闇に包まれて初めている。フィデリオを探してとりあえずバルバラの占いの館に向おう、マキノは馬首を巡らせた。
「フィデリオ」
扉が開いたままのバルバラの占いの館の前で、幾重にもなった布のカーテンに向かって声をかける。
「入って」
赤毛の女が、勢い良くカーテンをめくって、マキノを家に招き入れた。若い男が普段バルバラが座っている長いすに横になり、荒い息をついている。マキノはすっと目を細めた。髪も、体型もフィデリオに似ている――この美しい男は誰だ?
「イリスは?」
マキノが質問する前に、呻く男を介抱しながら、赤毛の女が尋ねた。
「あんたは? あれは誰なの?」
マキノは勝手知ったる様子の女に怪訝そうな目を向ける。ここを訪れるようになってから十年以上になるが、フィデリオとバルバラ以外の人間を見るのは初めてだった。
「バルバラよ。そしてフリッケ。本名はシシィ、緋の一族よ。あれはフォデリオ。左腕を切断したけど命に別状は無いわ。お願い、早く知ってる事を教えて」
イライラを隠し切れない顔で一気に言う。なるほど、とマキノは頷いた。この赤い髪に、この目、フリッケの恐ろしいほどの情報網、すべてのピースが完璧なまでにはまる。
「マキノ……」
ソファの男が呟く。それは間違いない、フィデリオの声だった。マキノは頷いて、見たままを話し出す。
「神殿兵に捕らえられて……」
話の途中でシシィは立ち上がり、かたわらに置いてあったマキノの剣を掴んだ。マキノは慌ててその腕を掴んで引き止める。
「行かなきゃ。離して」
「行って、あんたに何ができる?」
「離してよ、離して!」
パン! と、振り解こうともがくシシィの頬をマキノが打った。シシィはその場にへなへなと崩れ落ちる。
「あの子は先祖返りなの。殺されるわ。殺されてしまう」
自分の頬を伝う涙にも気づかぬ様子で呆然と呟くシシィを、マキノは屈んでそっと抱きしめた。
「何故、あの場では殺さなかった? わざわざ連れ帰って、すぐに殺すかしら? 竜玉のある先祖返りだけが、王都の神殿で生贄にされるのは何故? そこでなくてはならない理由があるのかもしれないわね」
はっと顔を上げたシシィの顔に落ち着きが戻っていく。マキノはそっと腕を解くとシシィに手を貸して立ち上がらせた。
「あんた、本当にフリッケ? これじゃただの女みたいだわ」
「ただの女なのよ」
シシィの顔に弱々しいが笑みが浮かぶ。やがて、パン! と、両手で自分の頬を叩くと、いつものシシィの顔に戻っていた。
「マキノ。全てを話すから、命を賭けて巻き込まれて頂戴」
マキノは片方の眉をすっと上げてそれに応じる。
「さて……」
我を取り戻したシシィは、その夜のうちにマキノと共に傷ついたフィデリオを連れて、別の隠れ家に移動した。
翌日の朝早く、リヒトとゼノを探すため、マキノはキノへと発つこととなった。いってくるわ、といつもと何も変わらぬ表情でマキノは馬上の人になり、振り返る事もなく雑踏へと馬を進める。
ティレンの街は、イリスが残した傷跡はまだ残っているものの、いつもの活気を取り戻しつつあった。ゆっくりと北に向かいながら、マキノは民衆の会話に耳をすませた。
昨日、アヘルデ領主城で起こったことが、少しづつ広まりはじめている。それも恐らく事実とは違う方向に。恐らく、夕刻までには、神の使途である神官に対して反乱軍が攻撃したことが、神の怒りを買い竜を呼んだのだ、ということが噂の域を超え、真実になってしまうだろう。マキノはふっと眉を寄せる。
先発隊を見送った後、レーゲンとテュランはアヘルデ領の、バルト国を横に走る大陸公道を挟んで南側に位置するグルント領の領主城に訪問したという。表向きは、戦乱になった場合の援軍の打診という名目であるが、竜を恐れたレーゲンがすこしでも離れようとしたのであろう。
そんな理由で、レーゲンはティレンに不在だったのにも関わらず、噂には目と鼻の先のティレンが襲われなかったのは、大神官様のご加護である、という尾ひれもついていた。マキノはふう、とため息をつく。全ては敵の思い通りらしい。
◆
世も更けた頃、大神官の宿泊する宿に潜入していたラビが、バルバラの占い小屋に残してきた地図を見つけて、新しい隠れ家に現われた。
「女の子が居たのね? 無事?」
「まあ、無事。コカの葉で飛んでる状態を無事というならだけどねえ」
ラビは疲れたように首を回すと、長いすにナナメに深く腰掛けて言った。ハルとそこだけが違うさらさらの直毛が目にかかったままだ。シシィは眉を寄せて唇を噛む。
「バタバタしてたわあ。怪我人とか居てさ」
最近になって雇われた従業員は、神官たちの宿泊する部屋に近づく事は許されない。リヒトの出発も、今のイリスの状態も、宿で古くから働く者―――主に女性たちからラビが聞き出したことだが、これ以上探るのは危険だ、とシシィは感じた。
「わかったわ、あなたはもう引いて頂戴」
シシィは銀貨を数枚、ラビに差し出すが、ラビは受け取るそぶりを見せない。シシィの手が銀貨を握ったまま空中に止まっていた。
「しかし、フリッケが女だったとはなあ。俺ってば、フリッケには一生かかっても返せない程の恩があるんだけど。どうやら俺は、役に立たないと思われてるみたいね」
前髪の下から、ハルに良く似た薄茶色の瞳がシシィを見つめる。ふう、とシシィはため息を吐いた。味方は多いほうがいい。だが、これからは本当に危険である。
何より、ハルを巻き込んだ上に、家の稼ぎ頭であるラビを巻き込むということが憚られた。重い沈黙が流れる。
「……シシィ」
その時、掠れた声が響く。
「私はしばらく動けそうにありません。……考えたくはありませんが、リヒトもゼノもどんな状態か。……マキノ一人では……」
まだ下がらぬ熱に苦しむフィデリオは、ようやく声を搾り出して伝えた。
「……ラビ、あなたには何の関係もないことなのよ? 得もないわ。それでも助けてくれるの?」
長い沈黙の後、諦めたようにシシィは呟いた。ラビはにやりと笑って、もちろん、と頷く。
「全てを話すわ」
それを聞いて、ふう、と息をつくとフィデリオは眠りに落ちた。シシィは昨夜マキノにしたのと同じ説明をこの夜も繰り返した。




