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竜の住む国  作者: タカノケイ
第一章 少年の運命
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少年の運命 4

 生きていると変わったことが起こるものだ……竜は静かに自分のもとに迷い込んだ人間の少年を見つめる。ようやく落ち着いたようだ、と顔を上げると夜の帳が深山を包んでいた。汗をかいたリヒトの体は夜気に触れて冷え切っている。ぶるっと震えたのを見て、竜は前足で器用に落ち葉をかき集め、ふっと息を吹きかけた。吐かれたのは息ではなく炎だ。落ち葉は一瞬にしてぱっと燃え上がる。


「明日、人の歩く道の近くまで送ってやろう」


 竜の言葉にリヒトは腫上がった目で見上げる。と、同時にぐぅと腹がなった。


「人とは不便だな。何か……」


 動きかけた竜に向かって首を振って、リヒトは燃えている落ち葉の上に枝をくべた。袋からブロトーを取り出し、適当な木の枝を見つけて刺し、炎であぶる。座りなおすとフードを外して紐を解き、ソルベルの実を取り出す。


「食べますか」


 リヒトが差し出した赤い実をしばらく見つめてから、竜は小さな声で、必要ない、と答えた。


「どうして助けてくれるんですか」


 少し首をかしげて尋ねるリヒトを、愛しいものを懐かしむように見つめ、竜は話し出した。


「俺は名をクストという。昔、お前くらいの少女が付けてくれた名だ。今のお前のように疲れて腹が減って死にそうなときに助けてもらった。だからその恩返しだ」

「じゃあ、その人は僕にも恩人ですね」


 ああ、そうか、ふふふ、そうだな、とクストは笑う。


 昔々、自分がいつどこで生まれたのかも定かではないが、気が付いた時にはもうクストは一人だった。

 とても寂しかったが、それは寂しいという感情だということを、誰も教えてくれなかった。胸にたまるモヤモヤとしたものを、他の生き物にぶつけることで生きていた。

 そんな時、初めて出会った自分と同じ姿をした生き物は、自分を傷つけることのできる生き物だった。逃げて逃げて逃げて逃げて。疲れ果てて動けなくなった時に差し出された、小さな掌の上の小さな木の実……。


 大丈夫。あたしがずっと一緒に居てあげる―――


 忘れかけていた声が鮮明に脳裏に浮かんだ。


「ずっとここに居たらだめですか」


 遠い昔の記憶の狭間を漂っていたクストは、リヒトの声に我に返った。


「あいつはいつも俺と一緒に居た。死んでから俺のために人の生き方を棄てたことに気が付いた」


 自分の寂しさの犠牲にしてしまった。俺と違ってあいつには仲間が居たのに。クストの胸に刺さった何かがちくりと痛んだ。


「それに人はすぐ死ぬからな。いつか一人になるなら、ずっと一人がいい」


 クストは遠い目をして黙る。気まずいと思ったのかリヒトは質問を続けた。


「他の竜とは一緒にいないんですか」

「何も考えていないやつらといる気にはならないな。竜玉を使えば単純な感情くらいはわかるが」


 何度も話しかけてみた。友愛を持って近づいたことも。しかし、分かり合えるものは居なかった。


「あなたは他の竜とは違う?」


 興味を持ったようにリヒトの目が輝くのを見ながら、クストは本当に不思議な子供だと思った。あの少女に良く似ている気がする。


「ああ、おれは竜の先祖返りなんだろう。他のはその辺のトカゲや蛇と一緒だ。腹が減ったら食って眠くなったら寝る。時々群れのようなものはあるが、居心地がいい場所だから集まってるというだけだ」


 だから、とクストは続ける。


「その辺で竜を見かけても話しかけたりするなよ? いや、見かけないようにしろ」


 ウロコを持って生まれるという、人の先祖返りについて少女が話したことがあった。クストはきっと竜の先祖返りなのだ、と。人の先祖返りが何人も居るのだから、竜の先祖返りも他にもたくさん居るに違いない、と。


「クストは竜の先祖返りなのか……」

「そうかもしれん、という話だ。今まで俺以外の話すやつには会ったことがない」

「他の、普通の竜の気持ちは竜玉でわかるんですか」

「怒ってるとか、怯えてるとか。わかるというよりは同調する感じだ。怒ってるやつに会うとこっちも……」


 立て続けの質問に答えていたクストは、リヒトの顔を見て唐突に言葉を切った。

 

「……竜に興味を持つな、お前は人だ。俺のことは誰にも話さず、今日のことも忘れてしまえ」


 そのかわり俺が覚えていると約束しよう、とクストは心の中で続けた。


「さあ、早く食え。そして寝ろ」


 リヒトはブロトーを齧りだした。星がキラキラと瞬く静かな夜に、パチパチと炎がはぜる音だけが響く。食べ終わるまで二人とも無言だったが、嫌な沈黙ではなかった。


 「誰にも言いません。でも、いつか必ず会いに来ます。やることが終わったら」


 最後の一口を食べ終わると、リヒトは早口に言った。


「おやすみなさい」


 返事を待たずに、リヒトは布の上に寝転がった。クストはリヒトの目が一瞬だけ暗く沈んだことに気が付いて戸惑った。


「……いけない」


 こんな目をすることは良くない、ということだけは確かなのだが、かける言葉が見つからない。聞こえたのか、聞こえなかったのか、リヒトは横になったまま返事をしなかった。

 小屋を出てから三回目の夜が更けようとしていた。



 ◆



 翌朝、リヒトが物音に目覚めると、魚が草の上でピチピチと跳ねていた。竜の体も水で濡れていたが、あっという間に乾いていく。竜の体の中には火でも燃えているんだろうか、と思いながら眺める。


「おはようございます」

「魚を獲ってきた」

「ありがとうございます」


 クストの言葉に頷いて頭を下げると、魚に枝を刺し、消えかかっている焚き火に木の枝を足して串刺しの魚を炙る。


「それを食べたら、送っていこう」

「……はい」


 リヒトはふと父の言葉を思い出した。人の居るところでは開けるな、といわれたけれど、クストは人ではなくて竜だ。それにここより安全なところは他にないだろう。寝ていた布をばさばさと敷きなおすと、袋の中身を並べていった。


 ロープ、小刀、火きり棒、など、旅に最低限必要な道具類がまず並ぶ。これらは父が袋から出すのを何度も見たことがある。クストは興味深げに出てくる品物を目で追っていた。次に布の塊が出てきて、広げてみると子供用の上衣とズボンだった。背が伸びて丈が短くなっていることに気が付いていたんだ……鼻の奥が少し痛くなる。


「水場はありますか」

「ああ、そこを少し下ったところに沢がある」

「顔を洗って着替えてきます」


 竜に言われたとおり、北側に少し下りると沢があった。頭と顔を洗い、血と泥で汚れた服を脱ぎ、ごわついた安物ではあるが新しい服に着替えると、人心地が付いた気がした。


 戻ると魚はすっかり焼けていていい香りが漂っていた。少しためらったが、血の付いた衣服は焚き火にくべた。魚をかじりながら袋の奥を探る。小さな革袋が出てきて、中には銀貨が数枚と銅貨が十数枚入っていた。

 最後には薄っぺらい布の包みが出てきた。開けると更に油紙に包まれている。油紙を広げると手紙が数枚と、二枚の革を縫い合わせた丸い飾りの付いた鎖が落ちた。リヒトは鎖を首に下げて、飾りを服の中にしまってから手紙を拾った。手紙は全部で三枚、一枚はリヒト宛、残りは「フリッケへ」「ゼノへ」と書かれている。


 息子へ、と書かれた手紙を開ける。クストが気にしていたので声に出して読んだ。


「本当にすまねえ。オレはさいていの親父だ。ティレンの港町にフリッケという女が居る。そこを頼っていってくれ。昔の誼でオレの紹介だって言えばこづかいにでも何でも使ってくれるだろう。じゃあな、元気でやれ」


 いつもの父の字と言葉ではなかった。万が一、落として見つかったときのことを考えたのだろうと思ったが、他には何も父を思い出せる品が無いので少し寂しい気がした。


「ティレンに行ってみようと思います」


 顔を上げてクストに告げる。迷いは無い。生きなくては何も出来ないのだ。そして生きる事は食べる事で、食べるにはお金が要る。子供を雇ってくれるところを当ても無く探すのは難しい。


「東の港だな。北の山を回って海に出て、行けるところまで行ってやろう」


 クストが立ち上がるとひらり、と何かが光りながら落ちた。


「竜燐!」


 リヒトは慌てて拾う。竜燐は竜から剥がれ落ちた鱗で、便利で実用的な道具だ。火きり棒であっという間に火がつくし、それ自体も一刻(一時間)近く燃え続ける。運よく山で一枚拾って町で売れば、少なくとも銀貨一枚にはなる高価なもので、リヒトとは使ったことも、使うところを見たこともなかった。


「ああ、いくらでもあるぞ?」


 朝日の中で良く見ると、キラキラとそこいら中に落ちていた。リヒトは夢中になって拾えるだけ拾った。


「それじゃあ行くか」


 竜燐をたくさん手に入れた興奮が残ったままだった顔から興奮がすうっとひいた。そうだ、今から一人で生きていかなくてはならない。何かが喉に詰まっているような気がした。


「ロープがあったな、俺の首にかけろ」

「え?」

「飛んでる最中に落ちたら困るだろう」

「飛ぶ……飛ぶ!?」


 またも一転して一気に興奮の絶頂という顔でロープを探すリヒトを見て、クストは声を上げて笑った。


「見られないように低くしか飛ばないが」

「はい!」


 クストが下げた首にロープを渡すと、下に回ってしっかりと結ぶ。


「乗れ」


 クストは左肩をぐぐっと地面すれすれまでに下げる。麻袋のヒモをたすきがけにしっかり体に結ぶと竜の体によじ登り、ロープの下にもぐり、左右のロープを手に巻いてから握った。


「持ったか」

「はい!」


 クストが四本の足で立ち上がる。馬には乗ったことが無いが、きっと倍以上の高さだろうとリヒトは思った。


「いくぞ」


 クストは走り始めた。リヒトはその背にぴったりと体をつけて足で胴を挟んでいる。風の音がごうごうとなり、目を開けていられなかった。

 風の音がやんだ、と思ったのと、ふわり、と浮く感じがしたのとどちらが早かったか、目を開けるとそこは空中だった。


「わああああああああ!」


 思わず喚声をあげる。山と山の間をすべるようにクストは飛び、ぐんぐんと景色が後ろに流れる。太陽を確認すると北に向かっているようだった。空気は冷たいがクストの背中が温かい。


「大丈夫か」

「はい!」

「感謝しろ、乗せるのはお前で二人目だ」

「はい!」


 山が高さを増していくと、クストは右に旋回した。東へと向かっている。獣は慌てて逃げ出し、鳥も急旋回して進路を変える。人に見られるから顔を出すな…とクストはつぶやいたが、リヒトはお構いなしに身を乗り出して風景を楽しんでいた。夢のような時間はあっという間だった。昼頃には海が見え始めた。また右に旋回し南へと向かう。山が低くなり、山肌に人工物らしい建物が見え始めると竜はぐうっと高度を上げた。高い位置から下を見下ろしながら旋回する。


「すごい! すごい!」


 リヒトは叫ぶ。遠くに町が小さく見える。あの中で人が暮らしている。笑ったり泣いたり……でもなんて小さいんだ。二階建ての宿屋らしき建物も見えるが、何もかもが小さかった。


「あそこがいいだろう」


 人気の無いのを確認し、一本の道に向かって竜は急降下をしはじめた。リヒトはたまらずに背中にしがみつく。ふわり、着地すると、リヒトはロープを持ったままずるずると滑り落ち、目を回して尻餅をついた。


「叫ばなかっただけたいしたものだ」


 クストは含み笑いのような声で言った。


「あ……りがとうございました」


 ようやくリヒトは声を出す。立ち上がって首に巻きついたままのロープをはずす。


「ティレンどころか、近くの町までも相当あるが……人に見られてしまうからな」

「はい」

「元気でな。俺のことは忘れろ」

「いいえ」


 リヒトはにっこり笑う。言っても無駄か、というようにクストはフウと息を吐いた。


「馬車が来るな」


 リヒトには何も聞こえない。竜は人より聴覚が優れているのだろうか。


「では」


 別れもそこそこにクストは立ち上がって駆け出した。ものすごい砂埃にリヒトは思わず顔を覆う。


「ありがとう! ありがとう、クスト!」


 目を瞑りながら、必死に背中に向かって叫んだ。


「リヒト、ありがとう」


 名前の主の耳には届かない上空で、クストは呟いた。



 ◆


 

 同じ頃、ツヴァイとイヌルは沢を登っていた。ラーゴで金を握らせた男は子供を見ていないという、更に金を握らせて、捕まえればそれ以上の報酬があることをちらつかせ、自分たちは小屋の周辺を捜索していた。

 あの日から既に二日経っている。リヒトが踏んで倒れたであろう草は起き上がり、足跡が付いたかもしれない落ち葉は風に吹き散らかされていて痕跡は何一つない。探し物は死体かもしれない―――広い範囲を丁寧に円状に捜索していた。


「おい」


 ツヴァイが沢の中を指差す。セリナだな と言いかけて、ああ、とすぐにイヌルも気が付いた。


「動物じゃないな」

「ああ、間違いないだろう」


 ふう、と、どちらともなく安堵と失望の入り混じったため息が出る。こちらに逃げたとすぐに気が付いていれば。しかし痕跡が一つでもあったのだ。二人は頷くと足を速めて沢を登った。


「沢を登ったという事は北周りで東、だろうな」


 ツヴァイは推測し、歩き始める。こんなに冷たい沢を子供が登ったのか、アルスは子供にどれだけの事を仕込んだのか……熟練の兵士のような逃げ方にツヴァイはため息を付く。だが、逆を言えば、子供の行動が読みやすくなったとも言える。


「この辺に何かあるか? 道に出る前に野たれ死ぬだろうに」

「隠れ家が用意してあるのか……何にしても動物に食われて跡形もなくなる前に見つけたいところだな」


 左右に目を配りながら道なき道を進んでいたツヴァイの足が、ふと止まった。おかしい――熟練した刺客の嗅覚が違和感を感じ取っていた。


「生き物の気配がしない」


 心なしか声を低めてツヴァイが告げると、イヌルも不安そうに辺りを見回した。美しく実りの多い春の山なのに生き物の気配がしない、となれば。


「竜の森、か」

「間違いないな」

「だったら」

「戻るぞ」


 長くこういった仕事をしていれば、遠くから竜を見る機会は何度かあった。竜は遠目にも、人間にどうにかできる相手ではないことはわかりすぎるほどわかる。見つかれば生は無い。二人は足早にもと来た道を音を立てずに慎重に戻っていく。小屋まで戻ると、どちらともなく、ふう、と大きく息を吐いた。


「竜……間違いなく死んでいると思うが確認の仕様がないな」


 二人は重く黙り込む。


「王都に戻るしかないだろうな」

「ああ」


 アルスの首はとった。だが、肝心なのは子供のほうだ。多分、で許されるものではない。すぐそこまで手が届いていたものに逃げられた虚脱感でその後は一言も発せなかった。



 ◆


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