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竜の住む国  作者: タカノケイ
第五章 アヘルデ領主城の惨劇
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アヘルデ領主城の惨劇 1

 領主城を抱えるアヘルデ領最大の街キノと、東の港町ティレンを結ぶ街道をリヒト達は進んでいた。キノの中心街より少し北の高台に位置する領主城へ続く一本道である。

 大きな街と街を結ぶ、荷馬車もすれ違うことができるほどの太い街道はもともと往来が多いのだが、今はキノからティレンへ、ひっきりなしと言っていいほどの通行があった。多くは荷馬車であり、近いうちに起こるかも知れない戦乱から逃れようとしている、キノの住民たちだった。それでも、反乱軍に対抗する軍隊が到着していないこともあってか、街道にはまだのんびりとした空気が流れていた。

 人目が多い事に安心しながらも、リヒトは隊の最後尾で、神経を張り詰めて馬を操っていた。ティレンからキノに向かうものはほとんど居ない事もあり、六組の騎馬は異様に目立った。少人数で軽武装とはいえ、今までになかった緊張を辺りに撒き散らしながら進んでいく。

 その街道から少し逸れた木立の中では、一際大きな男が太い弓を担いで馬を操っていた。ゼノである。ゼノは余裕すら感じる表情で、深い藪の中をまるで何も無い草原かのように馬を進め、付かず離れず騎馬隊を追っていた。リヒトが離脱したら、すぐさま駆けつけられるよう、常に騎馬隊に意識を集中しつつもどこか悠然とした表情であった。


 リヒトはふ、と馬の上で背伸びをして、こった首を回すようなそぶりで後ろを振り返った。瞬間、隣の大きな神兵が馬の足を弱めて少し下がる。逃げることを警戒されている。わかってはいたが、ここにいる全員が自分を殺す目的で人気のないところまで馬を進めているのだ、とリヒトは情けなく思った。出発の時、隊の中に見知った顔が居て、御前試合でハルと対戦したグンタだと思い出した。神殿に配備されていたのは知っていたが……話しかけられる雰囲気でもない。

 なんとかして逃げなくては、リヒトはさりげなく左右を確認する。見晴らしの良い田園が続き、身を隠す事のできる木立は遠い。先頭の二人は弓を持っているし、隣の大男の大剣は投げつけられただけで相当の怪我をさせられるだろう。千載一遇であろう好機を逃すまいと、リヒトは更に慎重に馬を進めた。


 「休憩する」


 先頭を行く神兵が、横を向いて何事か囁くと、少し後ろについていた神兵が振り返ってそう告げた。後ろで結んだ灰色の長い髪が、頭と同時に回る。グンタが不思議そうに首を捻ったところを見ると、どうやら計画的なことではないらしい。リヒトは不審に思い、少し距離を取って馬を止めた。

 先頭の二人は馬を降りると、街道を逸れて草むらに入り、手ごろな大きさの石に腰を下ろす。チャンスだろうか? と一瞬リヒトは思ったが、二人は弓を離していない。ここで逃げれば「反逆の疑いあり」と射殺される理由を与えるようなものだ、と諦めて皆に続いて馬を降りた。視線を感じて顔を上げると、一人の神兵が白い部分の多い目でリヒトを見上げていた。


「自己紹介がまだだったな」


 視線を外さずに男は言った。石に座った状態で見上げているため、三白眼が更に強調されている。感情の全く見えない視線に、リヒトは冷たいものを背中に感じた。灰色の髪の神兵が意を計りかねるように男の横顔を見つめる。


「神殿兵長のツヴァイだ」


―――ツヴァイ。


 リヒトの脳内で記憶が鮮やかな奔流となって、心を襲った。暗い地下の穴の中に満ちていた鉄の匂い。リヒトはかっと目を見開く。血がピリピリと四肢の末端まで駆け巡り、髪の一本一本が逆立っていくのがわかるようだった。


 無意識にゆっくりと剣の柄に手を伸ばす。


 だが、その手が柄に届く前に、二人の間にリヒトの隣に並んでいた大柄な神兵が立ちはだかった。尚も剣の柄に伸びるリヒトの手を大きな手で包み込む。じっと目を見つめると、口だけを動かし「やめろ」と告げた。

 リヒトは我を取り戻して、その神兵の目を覗き込む。不思議な色を宿しているそれには、リヒトに対する敵意が全く含まれて居ない。驚きと共に、周りの雑音と風景が戻ってくる。徐々にリヒトは落ち着きを取り戻した。そして、ツヴァイは感情に任せて剣を抜かせるのが目的で名乗ったのだ、ということに気づいた。


「俺はゼクスだ。よろしくな」


 ゼクスは握ったリヒトの手を上下にぶんぶんと振りながら、明るい声音で告げた。リヒトは決して忘れまい、とあの日の会話を何度も何度も繰り返し思い出していた。ゼクス……仲間を弔いたいと言っていた男だ、とすぐに思い当たった。


「リヒトです。よろしくお願いします」


 訳はわからないが、助けられたようだ、だからといって許しはしないが……リヒトの目が冷たい落ち着きを取り戻した。ゼクスは安心したようにすっと側を離れる。ツヴァイの黒目が何か言いたそうに、ゼクスの背中へと流れた。


「グンタだ。御前試合で一緒だったね」

「ああ、覚えてる。よろしく」


 気さくに名乗るグンタにつられ少し緊張を解いてリヒトが答えると、グンタは困ったような照れたような笑顔を向けた。


「副長のイヌルだ」


 流れなので仕方がない、という様子でイヌルが素っ気無く名乗る。イヌル、こいつも居た……リヒトは軽く頭を下げて答える。そして、あと一人残る新兵に目を向けたが、虚ろな視線はリヒトを認識すらしていないようだった。


「どこか……」

「水を飲んでおけ。すぐに発つぞ」


 具合でも悪いのか、と問いかけようとしたリヒトを遮って、イヌルが命ずる。おう、はい、と応じてゼクスとグンタは皮袋の水を口に含んだ。リヒトも喉が渇いていたが、この水袋は支給されたものであることを思い出し、口をつけなかった。


「あ」


 聞き取れないほど小さな声が聞こえ、もう一人の新兵が周りを見回すような仕草を見せる。だがすぐに元の目つきに戻って俯いた。


「いくぞ」


 ツヴァイは素早い動きで馬上の人となり、気がつくとイヌルも騎乗していた。ゼクスとグンタが慌てた様子で例の新兵を馬に乗せる。一人で乗れないのか? 何故連れて行く必要がある? リヒトは思ったが、尋ねられる雰囲気でもない。


 結局、好機は訪れないままキノの街に到着した。大きな街とはいえ、街外れは簡素な住宅がポツリポツリと並んでいる長閑な風景だ。キノと書かれた頑丈な作りの門があり、街を取り囲むように柵が巡らされてるが、肝心の門は門番も居ないまま開け放たれている。門を過ぎると道は緩やかな上りとなっており、その先に建物の寄り集まった中心街が見え、さらにその先に領主城の屋根を確認することができた。


「見ろ」


 ツヴァイの言葉に視線を近くに戻すと、二組の騎馬が坂道を駆け上っていくところだった。おそらく、神殿兵の到着を知らせに行ったのであろう。イヌルがゼクスを振り返り、頷く。


「我々はハウシュタット神殿の大神官長レーゲン様の使いで参った! 争う気はない、ひとまず話し合いの席を設けられよ」


 すうっと息を吸い込んだあと、通り中に響き渡るような声でゼクスは叫んだ。見た目にそぐわず美しい声に、リヒトは一瞬聞きほれる。


「我々はこれより領主城に向かう」


 返事を待たずにもう一度ゼクスが叫ぶと、六人はキノの街へと入って行った。


「う……あ……あ」


 グンタと並ぶ新兵のうめき声が微かに聞こえた。ふわりと街を通り過ぎる風にリヒトは眉をひそめる。


―――コカの葉の匂い?


 どこの街でも、飲み屋街の裏路地などで飲んだくれて動けなくなっている男達を見かけるものだが、その中に時々この匂いをさせたものがいる。

 酔っ払いとはまた違った弛緩した顔で、死んだような目つき……そうだ、あの新兵の目は、コカの葉を焚いた煙を吸い込んだ者の目と同じだ、とリヒトは思った。

 リヒト自身、試したことはないが、独特の浮遊感と、幸福感に包まれると聞いている。痛みに鈍くなるため医療にも使われるが、常用すれば中毒となる。度を越えれば日常生活も出来なくなる危険な薬草であり、実際に夢から現実に戻れなくなった者を見たこともある。

 緊張から、コカの葉を吸ったのだろうか、ならば連れて来る必要もないだろう。それとも話し合いの段取りをつけるのに、必要な人脈を持つ者でもあるのだろうか。深い思考に陥りそうになった頭を軽く振って、リヒトは周囲に目を配った。


 進むにつれ、家が多くなっていき、板で縫いとめられていない窓からは、勇敢にもまだ街に残っている住民の恐怖と好奇心の混ざり合った顔が覗いていた。人目がいくらかでもあることに安心しながら、飛び込めそうな路地を探す。だが、整えられた街並みに、そんな隙間はなかった。

 突然と言っていいくらいに中心街の町並みが終った。一本の道を挟むと家は全く無くなり、目の前には良く手入れの行き届いた林が広がっている。整えられた林道を、爽やかな緑の風が通り過ぎ、木に囲まれたトンネルのようなその道の先に、遠く領主城の門が見えた。

 まずい、と、リヒトは慌ててあたりを見回す。林の中は人目がない。矢で射殺され、反乱軍のせいにされればそれまでだ。逃げられる可能性があるとすれば、木々が邪魔をして矢が逸れる事に賭けて、すばやく林に駆け込むしかない。リヒトは機を待って五人に続いて林に入った。


「あ……あう……」


 新兵のうめき声がだんだん大きくなる。繰り返される耳障りな声に、逃げなくては、と焦るリヒトは苛立ちを募らせた。領主城の城門はもうすぐそこまで迫っていて、策の向こうからこちらを伺う兵士の影が見えるほどまでになっている。林の中は薄暗く、向こうからこちらは見えないであろうが、射かけられたりはしないだろうか、とこちらにも不安を覚えた。


「え……あ……グンタ? ああ、そうか」


 突然、新兵があたりを見回して声をあげた。その声はリヒトの想像よりずっと幼い。そしてその声音に含まれた諦めに似た響き。そのことに心が囚われた一瞬分だけ、ツヴァイが剣を構えて振り返った事に気がつくのが遅れた。というよりは、ツヴァイの動きがそれほどまでに早かったとも言える。


「うあああああああ」


 静かな林に絶叫が響き渡り、驚いた鳥たちがけたたましい羽音を立てて一斉に飛び去つ。


 林の中での異変に気がついたゼノは、一目散に馬を走らせた。良く手入れされ下草のない林は見通しが効いたものの、何が起こったのか目視する事は出来ない。木々の間を縫うように駆け、ようやく人影が確認できる距離まで来ると、弓に矢をつがえて、きりきりと引き絞った。

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