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竜の住む国  作者: タカノケイ
第四章 動き出す歯車
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動き出す歯車 9

「おはようございます」


 翌日の朝、ハンネスとともに部屋の前で護衛をしていたリヒトが、いつも通りの挨拶をした。テュランは黙ってリヒト見つめ返した。取り立てておかしなところもない。その表情には自分に対する忠誠が見える。


「王太子様?」


 不審に思ったハンネスが問いかける。テュランは我に返って、おはよう、と言うと立ち去ろうして、思い直したようにリヒトに向き直った。


「リヒト、夕べは非番だったんだね」

「はい」

「ご家族には会えたかい?」

「はい」


 リヒトは嬉しそうに笑う。疑わしいところが全くない。だが、それが逆にテュランの心に暗い影を落とした。王太子であるテュランは、心の底から信じていたものに裏切られた事が一度や二度ではない。それはほんの小さな――テュランの為、と言っていた事がその者の欲の為であったり、信じて打ち明けた秘密を母が知っていた、というようなもの――であったが、信じたものに繰り返し裏切られた事は、テュランの繊細な心に細かい傷をつけていた。信じている思いが深いほど、裏切られた傷が大きいことも知っている。


「……リヒトには世話になっているから。一度ご家族にお会いしてみたいな、どうだろう?」


 テュランは何気なさを装ってそう尋ねた。リヒトはゆっくりと瞬きをして、目を伏せた。


「……僕は、孤児です。血の繋がった本当の家族はおりませんので……」


 しばらくの沈黙の後、リヒトがようやく搾り出した答えは全く的を得ていなかった。その事にはハンネスも気がついたようで、リヒトを見ている顔が観察に変わった。


「かまわないよ。リヒトを育てた人と会って見たいんだ」

「あの……妹が病弱で……」


 リヒトは困り果てたようにいよいよ俯く。やはり、何かあるのだろうか……テュランは黒いシミのようなものが自分の心を染め始めたことに気がついた。そして、それは深い悲しみを伴っている。


「なら、僕が行こうか」

「王太子様」


 食い下がるテュランに、堪らないという様子でハンネスが割り込む。テュランははっと我に返った。自分が何かに気づいたとリヒトが仲間に伝えるかもしれない。


「ダメなら仕方ない」

「すみません……あ、剣を教えてくれた先生ならばお連れすることができます」


 訳がわからない様子で、リヒトは掠れた声を搾り出した。剣の……テュランはリヒトの真意を図りかねてその目をじっと見つめる。


「……その人は強いの?」

「はい。ものすごく強いです。俺なんか、あ、私など、とてもかないません」


 リヒトは自分の事のように自慢げに答える。そんな風な男を用立てることは簡単だろう。リヒトは何かを隠している。それは自分には教えられないことだし、家族を紹介することすらしたくないとすれば……。


「そう、もういいよ」


 テュランは冷たく返事をすると、朝食の席へと向かった。



 ◆



 それから数日、リヒトはテュランは素っ気無い態度をとり続けられた。自分が弟である事がバレたのだろうか? それならばいっそ全てを話してしまおうか、と思ったり、このまま隠れ家に逃げ込んでしまおうか……などと思ったりしながら、リヒトはそれでもいつも通りに護衛をこなしていた。


「リヒト、王太子様がお呼びだ」


 交渉の使者が旅立つという日の慌しい朝に、リヒトはハンネスに呼び止められた。リヒトは不思議そうに首を捻る。


「……行って見なければわかるまい」


 ハンネスは呟いたが、ハンネス自身も釈然としていない様子だった。ハンネスに連れられてリヒトは足取りも重く王太子の部屋へと向かった。家族に会ってみたい……と言われても二人は法律で生贄にすることが決まっている先祖がえりで、もう一人は価値の高い緋の一族……紹介が出来るわけもなかった。これが私の家族です、と胸を張って紹介できたらどれだけ嬉しいだろう。


「リヒトに任務だ」


 部屋に入るなり、テュランは書物に目を落としたまま言った。


「神殿兵の先発隊が今日、アヘルデ領主城に向かって出発するから同行するように」


 言葉の意味を咄嗟には理解できず、二人は黙ってテュランを見つめる。


「話はそれだけだ、下がりなさい。支持は大神官様に仰ぐように」


 パタン、と読んでいた革貼りの書物を閉じると、テュランはそれを片手に立ち上がる。


「テュラン様、何故、その、急な……」


 ハンネスが言葉を選びあぐねたように黙り込む。


「あの……」


 リヒトも何か言わなくては、と思うのだが言葉が出てこない。交渉役はすべて神兵だ。神殿兵はレーゲンの私兵、間違いなく自分を殺そうとするだろう、この任務は何としても避けなくてはいけない。だが、ここ数日のテュランを思うと説得できるような可能性のある言葉が何も浮かばなかった。ごほん、とハンネスが咳払いをする。

 

「そうですね、神殿兵にばかり手柄を取られるわけにはいきません。私もいきましょう」

「いや、それでは私の護衛が薄くなる。ハンネスには残ってもらう」


 相変わらずテュランは二人を見ない。動かない二人にテュランはとうとう背中を向けた。


「伯父上がお待ちかねだ、早く準備しなさいリヒト」


 伯父上。今まで、決してそうは呼ばなかったテュランの変化にリヒトは気づいた。そして電撃が走ったように全てに合点がいった。


――テュラン様も俺を殺す気なんだ


 テュランは真実を聞かされたのだろう。そして自分の即位を阻むかもしれない、という理由で、リヒトに気持ちを尋ねる事すらもせず、殺そうとしているのだ。瞬間、激しい怒りが胸のうちに湧き上がった。テュランの即位を磐石にするために、自分は殺されかけ、アルスは殺された。その時は子供だったテュランの意思はなかっただろう。テュランには全く関係の無い事だ、そう、思っていた。テュランを本当の兄だと思い始め、テュランのためなら命を惜しむまいとすら思っていた。だがそれはテュランがリヒトを信じ、認めていてくれてこその話だ。


――こいつもレーゲンと同じだ


 自分の為であれば、邪魔な小石を蹴る様に何のためらいも無く人を殺すのだ。王家の血はそうなのだ。


「リヒト?」


 リヒトから発するただならぬ何かを感じたハンネスが、困惑したように問いかける。


「……わかりました。すぐに準備します」


 声はしっかりと強かった。それは発したリヒト本人が思ったよりもずっと冷たく響く。その声に背中を向けていたテュランも振り返り息を呑んだ。恐らく自分は今、怒りに満ちた顔をしているだろう。構うものか。テュランは迷うような顔で自分を見ている、なんて情けない顔だ、とリヒトは思った。俺が邪魔ならここで殺してみろよ、出来ないだろ? 出来損ないめ、という野蛮な優越感のようなものが心に芽生えた。


――お前もいつか殺してやる。


 先発隊に選ばれた神殿兵の中に、あの日アルスを殺した連中が居るかもしれない。いや、居なくてもいい。全員殺して俺は生き延びてやる。アルスが命をかけて守った命だ、大人しく殺されてなどやるものか。リヒトは自分の目がどんどん暗く沈んでいくのを感じた。テュランとハンネスが息を呑み見つめる中、リヒトはくるりと向きを変えて部屋を立ち去った。


 ◆


「この暴動が血を見ずに終えられるかどうか、君達の手にかかっています。どうかどうか、私が彼らと話す機会を作ってきてください」


 出発の朝、港町テュランの高台で、レーゲンは先発隊に選ばれた兵士達に向かって頭を下げてみせた。ああ、勿体無い……というような声が一目大神官を見ようと集まってきた観衆の間から漏れる。たっぷりとその賛辞を受け取ってから、レーゲンは片手を上げてテュランを促す。テュランは無表情のまま兵士達の前に立ち剣を抜き、天に掲げた。


「バルト国、万歳」

「万歳! 万歳! 万歳!」


 大地が揺れるような唱和が続く中、リヒトだけが黙ってテュランを見据えている。その視線から逃げるようにテュランは目をそらした。やがて、リヒトと五人の神殿兵が華々しく出発し、テュランはレーゲンと同じ馬車に乗り込む。


「テュラン様、リヒトのあの目つきを見ましたか」

「……」

「私の考えは思い過ごしではなかったかもしれませんな」


 レーゲンは満足しきって柔らかな革の椅子に沈み込み、肘掛けに頭を預けて鼾をかき始めた。テュランは自分を見ていたリヒトの目を思い出す。さっきのリヒトの目にはあの部屋で見たような強い怒りはなかった。伯父の言ったような計画がダメになった諦めの表情? いや、本当はわかっている。リヒトが自分に見せたあの目……そう、あれは軽蔑の目だ。自分は何か重大な間違いを犯している気がする、テュランは納まらない不安を閉じ込めるように胸の前で腕を組む。いや、間違いであったなら、どんなに嬉しいか。許してくれるなら、誤解してすまなかったと頭でも何でも下げよう。リヒトは無事に帰ってくるのだから。そう考えると、目を閉じて馬車の揺れに身を任せた。



 ◆



「とても似合いますよ」


 目を細めて笑うフィデリオが、今初めてそこに居るのに気がついたようにイリスは驚いて鏡から目を離した。


「本当?」

「ええ」


 イリスは顔を真っ赤にして問いかける。フィデリオの肯定の返事に嬉しそうに微笑むとまた鏡に目を戻した。リヒトからの贈り物の、葉っぱのような形の銀の髪飾りにイリスはそっと触れる。黒い石の付いたシンプルなデザインだ。バルトでは愛する娘に自分の瞳と同じ色の装飾品を送って求婚する習慣がある。シシィはそこのことで散々イリスをからかい、イリスはここ数日、すっかり舞い上がっている様子なのだった。リヒトの気持ちは間違いないとしても、求婚の風習まで当のリヒトは果たして知っているのだろうか……まだ鏡から目を離さないイリスを見てフィデリオは苦笑した。

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