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竜の住む国  作者: タカノケイ
第四章 動き出す歯車
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動き出す歯車 7

 シシィが見つけ出して手に入れた新しい隠れ家の一室。こざっぱりとした石造りの家の壁をランプの明かりが優しく照らしていた。居間には清潔なラグが敷かれ、簡素な木製の家具が並んでいた。穏やかな色合いの布と飾り気の無い家具との調和は、この部屋に入ったものの心をすっと落ちつかせる効果があるようだった。秘密の通路を使ってやってきたハルから「暴動を鎮める先発隊として、大神官長レーゲンとテュラン王太子がアヘルデに向かい、リヒトもそれに同行すると」という報告を聞いてシシィは眉を寄せた。


「……で、リヒトはいつ経つの?」

「多分十日後? うん、それくらい」


 王都に来てから伸ばしっぱなしの赤い髪をくしゃくしゃとかき上げながら、シシィはハルに問いかけた。ハルは答えながら、空になったテナ茶のマグをじっと見つめて、手の中でくるくると弄んでいる。シシィはくるりと振り返った。


「ゼノ、ついていってくれる?」

「ああ」


 革貼りのソファに深く沈みこみ、聞いていない様にも見えたゼノが答えた。シシィは軽く頷く。ハルもほっとしたように顔を上げた。


「王太子様はリヒトをすごく気に入ってるし、ハンネス隊長もいるから滅多なことはないと思うんだけどサ」


 気軽そうな声で言いながらも、ハルの表情は冴えない。


「道中に何かするのは難しいでしょうね。それでもリヒトには、口に入れるものは全て自分で調達するように言っておいて」

「うん……」


 シシィがティーポットにお湯を注ぐのを見て、ことり、とハルはテーブルにカップを置く。


「ミレス様がさ、王様に王太子様を行かせないようにって超お願いしたんだけど……」


 ちらり、とシシィの顔色を伺い、ハルは注がれたばかりのテナ茶をそっと啜る。


「リヒトがリヒトだってことは言わないみたいだ」


 シシィはそんなハルを見て微笑んで頷く。


「リヒトの意思を尊重してくれているんだわね。リヒトの同行は王様が言い出したことなのよね?」

「それは確かだよ」


 シシィはこめかみに手を当てて考え込む。リヒト暗殺の計画ではないのよね、でも……と独り言のように呟き、


「アヘルデの領主城が危険ね……暴徒のせいに見せることが出来る……。それ以外に何かあったら不自然だもの」


 と続けた。ぼんやりした目でハルのほとんど空になっていないマグに、並々とテナ茶を注ぐ。


「うまく暴徒が動くかなんてわからないし……。とにかく、私は一足先にティレンに戻るわ」


 もうひとつのマグにも注ぎ、そちらはゼノに手渡す。ゼノはゆっくりと体を起して、シシィの手渡すマグを受け取った。


「……重々気をつけてな」


 ゼノは念を押すようにシシィの目を覗き込む。シシィはふっと笑って、無茶はしないわ、と答えた。


「ハル、何か変わったことがあったら、すぐにゼノに連絡して。あたしは明日発つわ」

「え、シシィ一人で?」

「護衛を雇うから大丈夫。もう戻りなさい。あなたも充分に気をつけるのよ?」


 シシィはハルの肩にそっと手をのせる。ハルは肩越しにシシィを見上げて頷き「気をつけて」とささやくと、立ち上がって玄関ではなく奥の部屋へと消えた。


「さあて、準備しないと」


 ハルが出て行った扉を見つめながら言うと、シシィは軽く頭を振って部屋に引き上げた。人気の無くなった部屋で、ゼノは何かに捉われたように冷めていくカップを見つめていた。





 会議の日からたった十日後、大神官レーゲンの御一行は王都を後にした。二頭立ての馬車が数台に、十数騎の護衛による神殿の一団が先行し、同じ規模のテュラン王太子の一団が後に続く。リヒトはハンネス隊長とともに長く伸びた行列の一番後方を進んだ。先発した神殿の者達が途中の町や村での警備、宿の確認などを抜かりなく行なっていたため、一行は驚くような速さで港町ティレンへと入った。


「リヒト!」

「……ただいま。イリス」


 イリスは透き通るような青い目を大きく見開き、素晴らしい笑顔でリヒトを迎えた。今年十八歳になったはずだが、見た目は十代になったばかり、という幼さである。先祖返りであるイリスは極端に成長が遅いのだ。リヒトはそんなイリスを見つめながら、一年ぶりの懐かしい我が家の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


「今日は嬉しい日ですね」


 同じく迎えに出てくれたフィデリオが白い髪を後ろに束ねながら微笑む。フィデリオも四十歳近いが、三十歳にも見えない。フィデリオも竜玉こそないものの先祖返りなのである。そして二人とも、少し人間離れしていると感じるほど美しい容姿をしている。


「無事だったわね」


 待ちきれずに奥の部屋から出て来たシシィが微笑んだ。ハウシュタットでは伸び放題だった赤い髪がいつものように短く切りそろえられていた。ティレンについてすぐに、フィデリオが切ったのだろう。シシィの胸には緑色の宝石が光っている。リヒトはくすぐったいような気持ちになって頭を掻いた。


「ありがとう。そこでマキノに会ったよ」


 シシィと会うのも久しぶりである。しっかり目を合わせて、自分の為に煩わせてしまっている事、その感謝の気持ちの全てを一言に込めた。シシィはリヒトの気持ちを全て受け止めて、ゆっくりと微笑む。


「マキノ? 護衛から戻ったのかしら?」

「暴動を避けて、街道を通らずに海沿いをまっすぐ帰ってきたんだって」


 まあ、それじゃあグラウは儲け損ねて機嫌が悪いでしょうね、とシシィは笑いながら部屋の中へとリヒトを促す。マキノが伯母であると知った事はシシィに話してはいないが、きっと気づいているだろうし、黙っていたのがマキノを巻き込まないためだったこともリヒトは理解していた。


「どのくらい居られるの」

「夕飯の時間だけ。すぐに戻らないと……」


 四人で奥の部屋へと進みながら、チラリ、とリヒトはイリスの表情を確かめた。外に出られないイリスが、この家でフィデリオと二人だけで過ごしているのはさぞかし寂しいだろう。シシィまで離れているのは自分のせいなのだ。案の定、わかりにくくはあるがピンク色の頬の中に落胆の色が見えた。

 ここに来る途中まで、何者かに尾けられていた。恐らく神殿の兵士だろう。シシィの手回しだろう酔っ払いのおかげで振り切れたが、滞在中にまたここに来る事は控えたほうがいいだろう、とリヒトは思った。


「……フィデリオ、ゼノが到着したみたい」


 何の気配も無いのにシシィは言ってのけ、フィデリオは疑いもせず隠し通路のある物置へと向かった。シシィの緋の一族の目の能力は、繋がりを見抜く事である。予知とも空間認知ともとれるが、シシィに言わせればゼノがこの部屋に訪れるという繋がりが見えるのだ。イリスは五つのマグを準備してお茶の用意を始め、間もなく旅装のゼノが入ってきた。


「ゼノ!」


 イリスはゼノに飛びつき、大きな胸に頬を摺り寄せた。


「ただいまイリス。大きく……なってないなあ」

「ゼノ、ひどいな」


 からかうゼノにイリスはぷくっと頬を膨らませた。しかし目は少しも怒っては居ない。リヒトがどんどん大きくなっていっても、自分の育ちの遅さを気にしているような素振りをイリスは決して見せなかった。明るく幸せそうに育つイリスは大人たちにとって癒しのようであったからだろう。そのことをイリスが本当は深く気にしていることはリヒトだけが知っている。


「イリス、夕飯の準備を手伝ってもらえますか」

「もちろん。私今日はすっごく頑張ったのよ」


 イリスはリヒトとゼノに向かって微笑む。


「……ありがとイリス」


 リヒトはイリスの笑顔のまぶしさに目を細めた。出発式の朝、手の届く距離にレーゲン大神官は居て、リヒトの腰には剣があった。あの時、沸き立った殺意を抑えることが出来たから、自分は今、懐かしく愛しいこの部屋に居る。


「で、そっちはどんな具合?」


 夕飯も食べ終わる頃、シシィがリヒトに問いかけた。


「アヘルデ領主城内にいる神職者を通して、反乱軍のリーダーと大神官の面談の場を作る予定だそうです」

「当てはあるの? 場所は?」

「それが……」


 リヒトは口ごもる。政治の事は全くわからない自分にさえ、とても成功するような話には思えない。ハンネスたち老練な兵士達は勿論とっくにその事に気がついており、時折見せる態度や言葉の端々に同じ気持ちが感じ取れた。


「説得なんて、はなっからする気はないってわけね。そもそもの目的がリヒト暗殺なのかしら」

「……どう……かな」

「調べたところでは、アヘルデの暴動に神殿が関わっている様子は無いのよ。反乱を押さえ込めるというレーゲンの自信は一体どこから……」


 考え込むシシィから視線を外して、ぐ、とリヒトは言葉を飲み込む。このまま王太子の元に戻らなければ、何の危険も無いのではないか。それなのに「ここに残るよ」という言葉が出てこない。


「そんなに心配する必要は無いかもしれないけど、とにかくテュランから離れない事」

「わかった」


 様を付けずにテュランを呼んだシシィに少し怒りを感じたことにリヒトは驚いた。リヒトは先祖返りについて調べようと、王宮内の文書室の閲覧自由の棚はほぼ読みつくしたが、そんなところには何の答えも無かった。閲覧禁止の棚にでさえ、答えは無いような気がしていた。父にも母にも会った。復讐する気もない。これ以上、危険を冒して王宮にこだわる理由はないはずだ……。カタン、と自分が思ったより勢いよくリヒトは立ち上がった。


「そろそろ戻るよ」


 そう言ったリヒを見てゼノが立ち上がる。送ってくれるのだろう。


「ありがとう」


 一人で大丈夫だから、という言葉を飲み込み、感謝を告げるリヒトにゼノが笑って頷く。ふいに曇った顔を無理やりに笑顔にしてイリスが手を振った。


「またね、リヒト……」

「うん、これ……あとで開けて」


 リヒトは準備していた小さな油紙の包みをイリスに手渡す。イリスはそっと受け取ると大事そうに胸に抱いた。


「気をつけてね、リヒト」


 不安げに揺れた瞳で笑うイリスの掠れた声が、心に刺さる。言葉も無く頷くと、シシィとフィデリオに敬礼した。シシィの目が悲しく揺れるのに動揺しながら何も言わずに家を出る。夜が暖かい家の光を覆い隠す距離まで、わき目も振らずに歩き、護るべき王太子の泊まっている宿場へと帰った。

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