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竜の住む国  作者: タカノケイ
第四章 動き出す歯車
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動き出す歯車 6

「王様! アヘルデ領の領主より使者が到着しております!!」


 返り血を浴びて疲弊しきった使者の到着に、王宮内は騒然となった。


「アヘルデ領、領主より言伝を預かってまいりました! アヘルデ領主城、市民による反乱軍により、占拠されました! 至急、援軍をお送りくださいますようお願いいたします!」


 ここ数年続く飢饉により、地方の国が困窮している事実は把握していた。だが、より北に位置するベルクフ領やラヴァルト領ではなく、アヘルデ領で起こったということが、オルドヌには、にわかに信じられなかった。領主は人質に取られ、暴徒は食料と領主の交代を要求しているという。しかも暴徒の中には薄給にあえぐ兵士も混じっているという話だ。食料だけならまだしも、領主の交代を要求するとは……アヘルデ領主がどのように内政していたのか、遺恨の根はかなり深いものに思えた。


「……完全自治を認めているとはいえ、バルトと言う国に認められた領主を民衆の暴力によって代える訳にはいかぬ。至急、鎮圧する」


 長い会議の後、オルドヌは眉間に皺を寄せて断言した。


「指揮はテオルトに任せる。ハンネス、テオルトに助力してもらえるか? 護衛長には代理を立てるように」


 オルドヌの切れの良い指示に、テオルトとハンネスが頷く。


「少しお待ちください」


 会議室の重い扉が、両側から勢い良く開けられ、夕方の斜めから差し込む光を背に現われたのは、大神官長レーゲンであった。 皆の注目が集まる中、レーゲン大神官は恭しく一礼すると、王であるオルドヌの許可も得ずに語り始めた。


「アヘルデ領は北方の領に比べて、農作物にも海からの恩恵にも恵まれた土地。それが反乱を起した背景には、かねてより問題視されていた領主の不徳もあることでしょう。いきなり軍隊で制圧とは、飢えた民衆があまりにも不憫でございます」


 オルドヌ王は、自分の策を……他でもないレーゲンに否定されたことが気に入らず不快さに目を細めたが、仕方なく続きを促すように頷いた。


「まずは私が誠心誠意を持って、説得しに参りましょう」

「なるほど、神殿は武力を使わずとも、心で民衆を統治できる、と言いたいのか」


 自分の言葉と声色に棘が含まれていることは重々承知でオルドヌは言い、レーゲンを睨め付けた。即位前からもその後も、この小男はオルドヌにとって目障り極まりない存在である。即位前に大神官長の姪であるテルミーテを正妃に押し付けられ、そのおかげで即位できたのだ、というような含みのある言い方をことあるごとにされること、だから国が安泰なのだと恩着せがましく言われることにほとほと嫌気がさしている。それは、婚姻を拒絶する力がなかった自分の不甲斐なさに対する自己嫌悪を含めてピリピリと心を逆撫でした。そうとなれば、レーゲンの姿にも声にさえも嫌悪感が募っていった。

 そして、初めこそは彼女も自分と同じ犠牲者であると思い、愛おしさを感じていたテルミーネの言動から、ふっとレーゲンとの血の繋りを感じるたびに、少しづつ彼女を愛せなくなっていったのだ。

 それでも「国のため」と神殿を立てテルミーネを愛している素振りをしていた。だが、ミレスを側室に迎えた頃から、王太子だったオルドヌと神殿の間の亀裂は、徐々に目に見えるものとなりはじめる。

 それに重なるように数年に及んだ飢饉が限界を越え、国は建国史以来と言われるほどに荒れはじめた。悪いことは重なるもので、神殿の言うなりだった先王が急逝し、時を同じくして王都のすぐ近くの長閑な町が狂竜によって一夜にして壊滅した。飢えた国民の不満は王家に向かって爆発した。王の不徳である、これは王家への神の制裁である、と。そして神殿が神のお告げを告知する。


 リヒト王子が国を滅ぼす―――。


 即位して間もない若いオルドヌ王に止める力があるはずもなく、何の抵抗すら出来ぬまま、愛する女が産んだ息子を奪われたのだ。それはオルドヌと神殿との関係に決定的なひびが入った瞬間だった。年月は流れ、時には暴君にすら見えるオルドヌの尊大さに惹かれた人々が、オルドヌの周りに集まり始めた。王家の勢いは徐々に増し、今では神殿と対等、或いはそれ以上の権力を手にしている。

 表面上はそれなりの関係を維持しているものの、王家と神殿の確執は誰の目をはばかることも無いほどに周知の事実となっていたのだ。

 

「滅相もございません。ただ私は、まず、国の礎である民の声を聞きたいと思ったのです。反乱が怠惰な気持ちや反抗心からのものであれば、後は王様にお任せいたしましょう」


 対して、大神官長も負けては居ない。オルドヌの最も嫌うところである、何の役にも立たない正論を振りかざす。時間が経てば、反乱軍は大きくなる。領主城を抑えられているのだ。商売っ気を出して協力するものも出てくると、更に厄介なことになるだろう。戦いは消費である。商人にとって、それは金になるという事なのだ。


「……では、同時に軍隊を」

「いけません」


 オルドヌ王の言葉をレーゲンは遮る。あってはならないことに、王の顔に朱が上る。レーゲンは気にするそぶりも見せずに続ける。


「軍隊が編成された、となれば何を言っても聞いてはくれますまい」


 レーゲンは殊更に太い体に声を響かせ、言葉をためる。


「出来れば、テュラン王太子をお連れいたしたい」


 どよどよと会場がざわめく。テュランは驚いた顔で伯父の顔を見つめた。


「本心から誠意を持ってやってきたということを伝えたいのです。反乱などしなくても王太子は下々の言葉に耳を傾けてくれる、国は弱きものの味方である、そのことを怒った彼らに伝えたいのです」


 レーゲン大神官の言葉は、先程の決定に対する真っ向からの批判である。レーゲンの人間性を知らぬものなら、民衆の為に王に嘆願する慈悲深い神官に映ることだろう。オルドヌがレーゲンを排除できないのはそのせいだ。巧みな話術と情報操作によって、民衆はレーゲンに対して絶大な親愛を寄せている。


「……失敗したらどうするのだ? 反乱は日に日に大きくなるのだぞ」

「私の首ひとつで御満足いただきたい。他の者は一切、処分なさいませぬようお願いいたします。民衆を救いたい一心で、私の一存で申し上げていることです」


 ……腹立たしい。オルドヌは腸が煮えくり返るような思いだった。国の事、ましてや民衆の事など考えるような男ではない。それがこうも自信満々に首をかけるという。反乱さえも飢えた民衆が起したのではなくレーゲンの差しがねで起こったのではないかという気さえしてくる。これが成功すれば教会はさぞかし賛美されることだろう。しかし教会を派遣することに反対すれば、反乱を鎮めたとしても狭量な王と評価されてしまう。


「よかろう。ただし条件がある」

「それは何でございましょう」


 お互いの視線がぶつかったところに火花が散りそうな目でお互いを睨みつける。


「猶予は一ヶ月だ。一ヵ月後、本隊を出発させる。望みどおりテュランも同行させよう。護衛にはハンネスとリヒトを付ける」

「……いいでしょう」


 レーゲンは馬に乗れない。馬車で進めばどんなに急いでもアヘルデ領まで一ヶ月と言うところだろう。王太子も一緒に、となれば準備までも十日以上は由にかかる。だが、一ヶ月の間に準備を進めて出発する本隊の騎馬隊は半月あれば到達する。つまり、レーゲンにはアヘルデに到着してからほとんど余裕は残っていないということだ。


「では、準備を急ぎますので失礼致します」


 頭も下げずにくるりと踵を返すとレーゲンは部屋を出て行った。オルドヌは目の前に置かれた書類の載った小机を思い切り殴りつけた。がららん、と大きな音を立てて机は床に転がる。ハアハアという荒い息を整えると、オルドヌは表情を消したハンネスを見つめる。


「ハンネス、道中、テュランから目を離すなよ」

「はっ」


 ハンネスは一礼すると、王太子出発の準備のため、レーゲンに続いて部屋を出て行った。テュランを押しているのだから滅多なことはさせないだろうが、とテュランを見ると、青くなって固まったように俯いている。


「……テュラン、お前も準備せよ」


 いつもよりも更に冷たく尖った声でオルドヌは告げる。これでは滅多なことをさせたくても出来まい、と諦めと同時に安心を感じた。頼りなくとも一人息子である。


「あ、は……」


 引きつった声で中途半端な返事をすると、テュランは慌ててハンネスの後を追った。



 ◆


「アレを使う」


 レーゲン大神官の声に、神殿の会議室の空気が一瞬どよめいた。神殿の一家にある会議室に窓もカーテンもぴったりと閉められ重苦しい沈黙が降りた。背もたれの高い豪華な椅子が十二脚、向かい合わせに並びレーゲンの座る一脚は部屋の一番奥、竜を象った銅像のまん前に置かれている。


「……しかし大神官長」


 神官服を来た恰幅の良い男が沈黙を破り、かろうじて聞こえるような小声でつぶやく。


「王が神を粗末に扱った話は先程の通りだ。神殿あってこそこの栄華を極めた都の王宮で安寧と暮らせることを愚王に今一度知らしめる必要がある!」


 レーゲンは捲くし立てるような早口で言うと、机を叩いた。


「で、ですが、アヘルデの領主城は、港町ティレンまでも目と鼻の先、ティレンにも被害が及んでは……」

「それも致し方なし」


 線の細い、針金のような男がやっとの思いで発した言葉を、レーゲンは途中で鋭く遮った。


「これ以上、戯けた王族に神の存在を踏みにじらせるわけにはいきません。責任はすべて私が取ります」


 打って変わって、ゆっくりと噛み含めるようにレーゲンは声を落とす。会議場には再び重い沈黙が流れた。


「……大神官様が……そこまでおっしゃるのでしたら……ねえ?」


 レーゲンの腰巾着がつぶやいて左右を見渡したのを契機に、そこまでいうなら、おまかせしましょう、と言った呟きがあちこちから漏れ始める。


「では、皆さん賛成でよろしいですな。いいですか? ……これは神罰なのです」


 一人ひとりの顔に数秒ずつ視線を留めながら、レーゲンは止めのように呟いた。


「では、時間がありませんので、撤回は認めません。賛成の方は挙手を」


 誰もが口を閉ざして目を伏せる。やがて一人が挙手すると、全員が慌てて手を上げた。


「では、全員の賛成をもって、決定いたします」


 言い切ると、太った体に似合わぬ俊敏さで足の届かない椅子から飛び降りて、レーゲンは部屋から出て行った。何ともいえない空気だけが椅子に座った十二人の神官服の男達の間に流れた。



 ◆


「……というわけだ。わかったな?」


 神殿の地下にレーゲンの声が響いていた。前に並んで立つのは、神兵隊長のツヴァイと副隊長のイヌルだった。普段、滅多な事では感情を表に出さない二人の顔面からは血の気が失せ、暗い地下の部屋でさえ、それとわかるほどに蒼白だった。目を見開き、驚いた時のまま口が半分開いている。


「上手く行けば、それ相応の見返りを約束する」


 ゆっくりと含めるように小声で言うと、レーゲンはにたあ、と歪んだ笑みを浮かべた。それでも尚、二人はまだ事態が飲み込めないというように瞬きすることも出来ない。


「そういえば、ツヴァイ隊長の末の妹さんが結婚するとか」


 大袈裟な咳払いの後、打って変わって事務的といえる口調でレーゲンは言った。ぴくり、とツヴァイの肩が揺れる。レーゲンはコツコツとツヴァイに歩み寄ると、ツヴァイの感情を読み漏らすまいとするように、至近距離からその目を覗き込む。


「私からもお祝いをしないといけないね?」

「……お気遣いありがとうございます」


 返事をしたツヴァイの顔は、未だ血の気は戻っていないものの、いつもどおりの無表情に戻っていた。


「全て上手くやります。お任せください」


 やっと色を取り戻しはじめたイヌルが答える。


「うむ。お前達なら必ず上手くやってくれると信じているよ。これは神の意思なのだ」


 地下室の湿った空気の中、レーゲンは狂気にも似た笑い声が響かせながら立ち去った。


「すまない」


 消え入りそうな声でツヴァイがささやく。


「いや」


 答えるイヌルの声もまた、薄暗闇に溶け込んでしまいそうなほど小さかった。

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