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竜の住む国  作者: タカノケイ
第四章 動き出す歯車
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動き出す歯車 4

 リヒトとハルが正式な任務についてから、数ヶ月が経っていた。すっかり仕事にも慣れ――もっともハルは仕事という仕事もないようなふうではあったのだが――神殿からの接触も全くなく、何事もない穏やかな日々が続いている。リヒトはこのまま何も無く過ぎていくのではないかという気がしていた。今日もいつも通り、王太子テュランの稽古の相手を務めている。


「テュラン様、今の動きは良かったですね」

「そうかな、自分でも最近は体が軽いのがわかるんだ」


 テュランは明るい笑顔をリヒトに向け、二人は笑顔を交し合う。この数ヶ月で確かな信頼のようなものが二人の間には芽生え始めていた。


「では、もう一度」


 リヒトは剣を構え、テュランも頷いて剣を握りなおした。リヒトが剣を打ち込もうと一度引いたその時、


「やめ」


 と、ハンネスの号令がかかる。固まったテュランの視線につられてリヒトが首を巡らせると、誰あろう、オルドヌ王がこちらに向かって歩いてきていた。オルドヌの実弟であり、護衛でもあるテオルト、二人の護衛、側室ミレスとその護衛のハルが同行している。突然の出来事に反応できずにテュランとリヒトが立ち尽くす中、ハンネスがすっと佇まいを正して王に敬礼をする。リヒトが両親である二人に会うのは、大会後の謁見室以来の事であった。


「リヒト」


 囁くようにハンネスに促され、我に返ったリヒは慌てて王に敬礼をする。


「よい、よい。慣れたか、リヒト」

「はい」


 リヒトは返事をして、急いでハンネスの隣まで体を下げた。訓練場にはテュランだけが残される。


「どうだ、テュラン。励んでいるか」

「はい、王様」

「すこし見学させてもらう。気にせずいつも通りにな」


 父であるオルドヌ王を前にして、テュランはいつもの明るくのんびりとした彼らしさが全く無くなっていた。うつむき、小さな声で返事をするのが精一杯という様子である。実の親子なのに何故、リヒトは縮こまるテュランを黙って見つめる。どこからか椅子が用意され、真ん中にオルドヌ、両脇にテオルトとミレスが座った。二人の護衛とハルはその後ろに立ってあたりを警戒する。その間もテュランはじっと俯いていた。リヒトはちらりとミレスに視線を送った。ハルに聞いたところによると、ミレスはリヒトの事は一切尋ねないらしい。今も何の屈託もない表情でテュランを見つめて座っている。


――俺には興味がないのか


 息子だと気がついたと思ったのは気のせいだったのかもしれない。どちらにせよ、それで構わないとリヒトは思っていた。


「さあ、王様に訓練の成果をお見せしなくては」


 オルドヌは屈託ない様子で言う。ここ数ヶ月でテュランの剣の腕は確実に上がっていた。リヒトとの稽古時間以外にも、一人でも鍛錬しているらしく、驚くほどの上達を見せている。恐らくそのことが王の耳に入り、ミレスを誘って見物に来たのであろう。ハンネスに促されて、リヒトはテュランの前に立って剣を構える。それを見たテュランも慌てて剣を構えた。


「はじめ」


 号令がかかり三合を打ち合う。リヒトはすぐに、おや、と思った。動きがいつものテュランではない。これでは初日の方がまだましだったというような固く小さい動きだった。リヒトはすっと剣を引き、テュランは困ったような目でリヒトを見て再び俯いた。


「いつもの稽古と王様はおっしゃいました。王太子様、剣を置いてください」


 冷静な中に温かさを込めてリヒトは言った。我を取り戻したテュランが頷いて剣を置く。リヒトはゆっくりと剣を突き出した。テュランはぎこちなく避ける。王と王弟は顔を見合わせて訝ったが、ミレスだけはその様子を真剣に見つめていた。数回繰り返すうちにテュランの動きはみるみる滑らかになった。慣れた動きに体がほぐれて、同時に集中し始めている。リヒトは少しづつ突く早さをあげていく。普段は避けにくいように突いていくのだが、今日はわざと美しく避けられるようテュランを誘導し、それを王に気づかれる前に剣を引いた。


「では、剣を持ってください」


 テュランは剣を構える。力が抜けている、いいぞ、とリヒトは同じ角度、同じ場所に正確に突きを入れながら、時折剣を振った。突きは避けて斬劇は受ける、テュランはすっかりいつも通りの動きに戻っていった。


「やめ」


 ハンネスの声がどこか得意げに響く。自分が為し得なかったことをリヒトが為したのだから、嫉妬しても良いようなものだ。だが、事この王太子の評価が上がることに関しては、全てをおいて嬉しいらしい。そもそもが人を羨まない、というハンネスの持って生まれた性質のせいでもあるだろう。


「素晴らしい」


 王が手を叩き、テオルトとミレスも続く。


「どうだ、私の目に狂いはなかったろう」

「いやはや、御慧眼、恐れ入ります」


 リヒトを稽古相手に推挙した自分の手柄だ、と言わんばかりにオルドヌは自慢げに言ってのけ、王弟は恭しく、だがどこかからかっているように答える。同じ顔なのに表情でこうも違うものか、とリヒトは思った。


「リヒトはなかなかの強さだな、テオルト、勝負してみるか」


 王は仕返しのように、おどけた様子で弟に問いかける。


「いやいや、私が相手ではリヒトも遠慮して存分に腕を奮えないでしょう」

「ずるいやつめ」


 さも楽しそうに王は笑う。何故だろう、この男には何も感じない。テュランに感じたような懐かしさを一切感じない……リヒトはそのことを不思議に思った。


「では、わたくしがお相手致しましょう」


 オルドヌの隣で静かに訓練を見守っていたミレスが声をあげる。


「なんと、本気か」

「ええ」


 驚く王に、ミレスは艶やかに微笑む。王が答える前に、服はこのままでけっこうです、と言うとテュランから木剣を受け取り、リヒトに向かって構えた。一瞬怯んだリヒトも、剣を構える。ハルが何か言いたげな顔でリヒトを見つめていた。


「はじめ」


 困惑を含んだハンネスの号令を同時に、ミレスが大きく踏み込む。ぶうん、と音を鳴らした剣先がリヒトの剣を払った。リヒトは危うく剣を取り落としそうになって、慌てて二歩下がる。が、体勢を整える間もなく間髪入れずに突きが飛んできた。かろうじて体を捻って躱すと同時に、条件反射でミレスの手元あたりを突いてしまった。がらん、とミレスの剣が落ちる。


「ミレス!」

「も、申し訳ありません!」


 オルドヌが叫んで立ち上がり、リヒトは慌ててミレスに駆け寄った。


「大丈夫よ、当たってないわ。ああ、がっかり。こんなに腕が落ちるのね」


 ミレスは剣を拾うと、ひゅひゅん、と剣を片手で踊らせてテュランに差し出した。若者がよくやる仲間同士の合図のような動きでそれはとても様になっていた。ほう、という感嘆がもれミレスは得意げに笑う。リヒトは呆然とミレスを見つめた。その剣を扱う所作がアルスにそっくり……いや、そのものだったのだ。リヒトはゆっくりと薄れ、忘れかけていた父の面影を目の前にして、打たれたように動けなくなった。


「怪我はないか」


 オルドヌ王が心配そうに声を掛ける。ミレスは、ええ何とも、と言いながらオルドヌに向かって、ひらひらを手を振って見せた。


「最近なんだか体も重いですし、ハルも鈍ってしまうといけないから、太子様の稽古に参加させていただこうかしら」


 冗談のように肩をすくめながら言うと、ミレスはオルドヌの隣に戻って微笑んだ。


「お前の気が晴れるならそうしなさい。だが、くれぐれも怪我だけは無いようにな」


 オルドヌ王は苦笑する。心を開いているように見せて、どこまでも底を見せないミレスに惹かれて止まないことが傍目にもよくわかった。


「では、ときどき遊びに来てもよろしいかしら? テュラン様?」

「ええ、もちろんです。いつでも歓迎します」


 テュランは笑顔で答えた。その笑顔が作り笑いではないことがわかる程度にはリヒトはテュランを理解し始めている。ミレスはテュランに好かれているのだろう。それを見て王が満足げに立ち上がった。


「では、戻るとするか。テュラン、引き続き励みなさい」


 王の一行が立ち去っても、リヒトは気持ちを切り替えられなかった。ミレスとアルスが幼馴染であったこと、恋人同士であったことが、情報ではなく心に沁みてきて止まらなかった。


「……緊張したようだな、今日はもう良いから戻りなさい」


 ぼんやりしたリヒトの様子に気がついたハンネスに稽古を早めに切り上げて宿舎に戻った。



「テュラン様も、戻りましょう」

「いや、僕はもう少し稽古していく。ハンネスは仕事があるんだろう? 戻っていいよ」

「では……」


 ハンネスは穏やかな笑顔で去っていった。父に少しでも認められた……テュランの心は高揚していて、まだまだ訓練をしたいと思ったのだ。訓練場にはテュランと、テュランが子供の頃からテュランの護衛をしている男だけが残っている。


「すまない。座って休んでいてくれ」


 笑顔で言うテュランに、護衛の男はやさしげに頷き、少し離れた場所に控えた。テュランは素振りを始め、護衛の男はそんな主人を見守りながら、周囲に鋭く目を光らせる。


「ん?」


 少し経った頃、テュランの目に何かが映った。近づくと、それは革で作った粗末な首飾りのようなものであった。訓練場はテュランが入る前には隅から隅まで調べられるので、今日落ちたものに違いない。王族が身に付けるような品物でもないし、落ちていた場所からしても恐らくリヒトの物だろう、とテュランが首飾りを拾い上げると、飾りの解れた縫い目から、何かが落ちてキラリと光った。


「これは……」

「いかがなされましたか?」


 異変に気がついた護衛が立ち上がり、声を掛ける。テュランが拾い上げたものは、竜を象った指輪であった。バルトで竜の意匠の装飾を身に付けることが許されているのは王族だけである。とすれば、父かテオルトだろうか。しかし、放り投げでもしない限り、この位置に落ちるわけがないし、そんなことは二人ともしなかった……。


「いや、なんでもないよ」


 テュランは振り返って笑顔で言うと、首飾りと指輪を握り締めた。

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