王都ハウシュタット 7
同じ頃、王宮では新人兵士の人事について、晩餐の席で話し合われていた。もちろん、この場は非公式であり、最終の決定は明日の会議で行なわれるが、毎年何の問題もなく、晩餐での雑談通りに決まっている。御前試合の打ち上げをかねたこの席は、机と椅子が取り払われ、床に直に食事が並べられていた。位が高いものも低いものも、同じ高さの床に座る。この国では無礼講の席である、という意味であった。
「リヒトはテュランの護衛にと考えている」
オルドヌ王が口火を切ったのがきっかけだった。何人もの得心した頭が肯定を示し縦に揺れる。その中でレーゲン大神官は面白くない気持ちを隠しきれない顔を隠すため慌てて頭を下げた。王太子に付かれてしまっては亡きものにすることは難しい。なんとかしたいが、それを覆すだけの理由を思いつかなかった。レーゲンの怒りは「男の一人も取り込めないとは」と例によって体調不良でこの場に参席していない姪、王妃テルミーテにも向けられた。役立たずの小娘が頼りにならない青瓢箪のような王子を産んだばかりに要らぬ苦労をさせられる――ぐつぐつしたものを腹に抱え、しかし、人事には全く興味がない素振りをして、レーゲンは料理に手を伸ばした。王は、誠実さを絵に描いたような面立ちの男に視線を移す。
「太子の稽古相手にも申し分ないだろう、何よりもハンネスに磨いてもらいたい」
ハンネス、と呼ばれたその男は、濃い茶色の髪をこざっぱりと短く切りそろえた頭を軽く下げる。御前試合の審判も勤めていたもっとも王の信頼が厚い男である。テュランの護衛隊長を務めており、その清廉な人柄は神殿まで聞こえている。賄賂などとても通用しないだろう、レーゲンは舌打ちを堪えて目の前の肉に噛みついた。
「お引き受けいたします」
王宮護衛隊の副隊長も兼任するハンネスは、箸をおいて慇懃に答え深く頭を下げた。王は満足げに大きく頷いて、その視線をテュランに向けた。
「テュラン。良き練習相手を得たな。ハンネスに師事してますます精進するよう」
オルドヌ王は息子に言葉をかける。こういった席でオルドヌがテュランに語りかけるのは珍しい事だ。いつもの太子など居ないような振舞いは家臣の気苦労が絶えない程である。レーゲンにとっては面白くないことではあるが、王族としては頼りない甥っ子を見れば王の気持ちもわからないではなかった。当のてゅらんと言えば、喜びのためか焦りのためか真っ赤な顔をして返事が出来ずとうとう俯いてしまった。どこからともなくため息のような、失笑のような音が漏れる。レーゲン大神官は今度こそ飛び出しそうになった舌打ちをかろうじて堪えた。白けた空気の中、大袈裟なため息が響いた。
「テュランの指導なら私でもよろしいではないですか、兄上。なんだか、私では物足りない、と言われている、よ、う、な?」
王にそっくりな顔で、これまたそっくりな金髪を長く垂らしたオルドヌの実弟テオルトだった。不平なフリだけをして口を挟み、おかしな口調で笑いを誘ってその場を和ませる。王も不機嫌なになりかけた顔を緩ませてテオルトに向き直った。
「そう言うなテオルトよ。お前には仕事が多すぎる。兄の優しい計らいだ」
オルドヌ王は、自身の護衛隊長でもあるテオルトに向かって、お世辞にしか聞こえないような口ぶりで言うと、親愛を込めた顔を向け、目を細める。
「お二人がそうして強く手を握り合っている限り、バルトは健勝であること間違いございません」
二人の伯父である宰相がここぞとばかりに恭しく口上を述べ、場に居たもの全てが食事をやめて平伏する。心の内で盛大に舌打ちながらも平伏したレーゲン大神官は、ハルというもう一人の少年の存在に思い当たった。どうやら、リヒト王子「かもしれない」少年の親しい友人のようだ。リヒトの人事はもうどうしようない。こちらを手に入れればあるいは何かの役に立つかもしれない、レーゲンは勢いよく頭をあげた。
「そのご加護を、ぜひ神殿へもお願いいたしたく存じますなあ」
静粛な沈黙を破ってレーゲン大神官の高い声が響いた。その瞬間、す、とミレスが顔を上げた。
「それならば奥にもお願いいたします。賭けを覚えていらっしゃいますか、王様」
レーゲンが次の句を告げる前に、鮮やかに響く声で告げ甘えた表情を王に向ける。
「おーや、おや、おや、おや、私の話が、途中、でしたぞ?」
レーゲンも負けては居られない。何も面白くはないのに大声で笑いながら、不必要な程の大声を出した。
「まあ、そうでしたか。側室ごときが、大神官様の言葉を遮るなど、勘違いとはいえ、大変申し訳ありませんでした」
ミレスは恐れ入った様子で深く頭を下げて、そのまま俯く。オルドヌ王はその様子を見ると、
「はっはっは。この席は無礼講だ。大神官殿、ここは私の顔に免じてお許しをいただいて、美しい女性を立てるとしよう。ミレス、望みは何だ?」
と、楽しくてたまらない様子で告げた。
「ええ……」
ミレスは顔を上げて、気忙しげにレーゲンに視線を送る。レーゲンは面白くない気持ちを隠しもせず、目の前の杯をあおった。この日ばかりは聖職者も飲酒が許されているが、普段は全く飲んでいないような芝居をすっかり忘れてしまい、慌てて咽るふりをして杯をおく。
「よいよい、申せ」
更に王に促されて、仕方がない、というようにミレスは口を開いた。
「あの、ハルとかいう、かわいい子。あの子を奥にくださいませ」
「ほう、気に入ったのか」
王は驚きを隠せない様子で聞き返す。
「ええ、侍女たちがとても。あの子が居れば、きっと奥の空気が明るくなりますわ」
ミレスは花が咲いたような鮮やかな笑顔をオルドヌ王に返した。
「うむ。あの者ならそうであろうな」
ミレスの申し出に、王は頷く。
「約束しよう。ハルはミレス直属の護衛にする」
ざわ、と会場に声が上がる。王妃テルミーテには、王宮の敷地内に広い住居が与えられ、数人の直属の護衛官が居る。だが、側室たちは「奥」と呼ばれる、その名のとおり王宮の一番奥に位置する建物群で生活をしている。各々の住居は別棟であるが、台所や湯浴み場は一緒であり、護衛も「奥の護衛」として建物群全体を護衛しているのだ。側室に直属の護衛など、かつて与えられた事はない。
「いえ」
ミレスが断ろうと言葉を選ぶのを、オルドヌは制した。
「賭けの褒美だ。もう決まった事だ」
◆
「あの女ぁ!」
レーゲン大神官は持っていた盃を、神殿地下の床に叩き付けた。
「間違いない。あれは王子だ。おめおめと生きていたばかりか、王宮にまでやってくるとは! なんと腹黒い! 母子揃って!!」
突き出た腹をゆすりながら、磨かれた床の上を右左に歩き回った。
「生贄がなくとも飢饉が去ったことがわかれば、神殿の権威に傷がつくではないか! しかも事実を隠していたとなれば……」
立ち止まって、その場合の自分の身を思案する。
「ええい! 最近では王も宰相も神殿を甘く見ておるし! テュランが王になれなければ私は……」
独白は、コンコンというノックの音で止まった。
「入れ」
襟元を直しながらレーゲンは、精一杯の威厳を込めた声で言う。
「失礼いたします」
彼の忠実な犬である、神兵隊長のツヴァイと副長のイヌルであった。
「よくきた。例の子供の暗殺の手はずはどうなっている?」
先程、貼り付けた威厳はどこへ行ったのか、キイキイとした声で問い詰める。ツヴァイ隊長は見たくはないものを見るときのように、黒い部分の少ない目をす、と細めた。
「王宮を出てから後をつけさせて居場所を把握しました。内示が出るのは明後日、勤めはその翌日でしょうから、それまでに」
「早いほうがよい。今日はいけるか」
ツヴァイは意見を聞くようにイヌルを見上げる。
「念のため、手錬を殿内に数名残しております。決勝進出したといっても、三年兵にも足らぬ実力。問題ないかと」
イヌルは長い髪を掻きあげながら報告した。
「そうか。では頼む。お前たちだけが頼りだ。尽くしてくれれば家族共々悪い様にはしないからな」
レーゲンは或いは脅しとも取れる言葉を一気にまくし立てた。
「では行け」
「はっ」
二人の神兵が退出する。少年の死をあの生意気な側室ミレスにどうやって伝えようか、という考えを巡らせてレーゲンは一人、笑いを堪えていた。




