王都ハウシュタット 6
決勝戦出場者は、試合後に、王との謁見を許される。
はたして、リヒトとハルは王宮内の謁見室で膝を付き頭を下げていた。
「顔を上げよ」
「は」
威厳という言葉に音を付けたらこうなるのであろう、という声でオルドヌが告げる。二人の若者は、気おされながらもゆっくりと顔を上げた。一段高い場所に設えられた豪奢な椅子から、オルドヌ王と王妃テルミーテが二人を見下ろしていた。オルドヌは王冠をその頭上に頂き、真紅のマントを羽織っている。黄金に玉が散りばめられた王冠は、オルドヌの明るい金髪の上で尚、四方に輝きを放っていた。王妃のドレスも豪奢なもので、薄絹をふんだんに使ったドレープが椅子の周りにまで広がっていた。王と王妃の横には皇太子と皇太子妃、後ろには五人の側室が並んでいる。その誰もが、同じような豪奢なドレスを身にまとっていた。部屋の両脇には、手入れの行き届いた鎧を身にまとった兵士たちが、三重に一糸乱れず立ち並び王の威厳を後押しする。
――住む世界が違うのだぞ
そう平民上がりの兵士にしっかりと叩き込もうとしているのではないか、そう感じるほど重々しく仰々しい空気が満ちていた。リヒトは自分にとって全く現実味のない空間に、飾りのように置かれ何も考えられなかった。
「二人は旧知の友人だそうだな」
オルドヌは、少しくだけた様子で語りかける。しかし、はい、と細い声で答えたのはリヒトだけだった。オルドヌはハルの返事がないことに気がついていないのか、気にしていないのか満足げに頷く。ハルの返事がないのは緊張しているからなのか、友人という言葉に対する否定からなのか。ふと沸いた疑問に我を取り戻したリヒトは、初めて景色が目に入ったように瞳を動かす。ゆっくりと動いた黒い瞳が、ミレスの上で止まった。
「では特別に、今回は二人に褒美を取らせよう。何なりと申せ」
オルドヌは白い歯を見せる。その笑顔は、子供に対する父のような寛大さを漂わせていた。リヒトの視線がゆっくりとオルドヌに戻る。
「なんなりと?」
リヒトが発したその一言には、微かな敵意が含まれた。着心地のよさそうな絹の服に身を包み、一段高いところに座り、健康そうな顔で慈父のように微笑みながら、なんなりと? だと? 封じ込める、と決めていた憎しみがじわり、と溢れた。
なんなりと、にアルスの命は含まれるのか? 返せるのか? お前は神か? リヒトの目に反抗の色が浮かぶ。不穏な空気に気がついた者たちが気忙しげに視線を交し合った。
「それってえ! なんでもいいって事っすか!?」
その空気にそぐわない声とタイミングで、ハルが素っ頓狂な声をあげた。
「例えば家とかー 財宝とかー 女の子とかあ」
指を折りながら言って、女の子でにへらあ、と笑う。まずは、何事かと判断するための沈黙が訪れ、やがて、凍りついた空気があっという間に解けて、笑い声があちらこちらから漏れる。オルドヌも白い歯を見せて笑った。
「ハル、といったな。面白い奴だ。なんなりと、とは申したが限度があるぞ。王宮はやれん。王冠や宝剣もだし、俺の娘は絶対にだめだ」
王の軽口に、周りからは媚びるような笑いが起こる。
「……じゃあ、やっぱお金が良いかな。あ! すんません。お金がいいでございます」
深く頭を下げるハルに、今度は裏のない笑い声が上がる。王も満足げに笑い声をあげた。
「よかろう。リヒト、そなたはどうする?」
王の声に、周りのものにわずかな緊張が走る。リヒトは考えるように俯いて黙っている。王は急かさずに答えを待ち、緊張した空気は続いた。
「では、美しい宝石をお願いできますでしょうか」
リヒトは、王に視線を戻すと言った。オルドヌは羨望のようなからかいのような視線をリヒトに向けた。
「ほう。好いた娘でもいるのか?」
「……いいえ、母にです」
リヒトの言葉に、周囲からは感心したようなため息が漏れる。親孝行……礼儀正しい……言葉遣いも……などと囁き声がこぼれる中で、ミレスだけがすっと表情を固くしたのを目の端でリヒトは確認した。
「良い心がけだな。母上はその気持ちこそを喜ぶであろう。父上には何も無くて良いのか?」
オルドヌも感心した様子で、リヒトを見つめる。リヒトはオルドヌから目を逸らさない。
「はい。母は私のためなら全てを、必要であれば命さえも差し出してくれるような人ですから、私の無事と登用だけで充分喜んでくださるでしょう。父は……私が幼い頃に心無いものの手にかかり亡くなりました。お気遣いありがとうございます。」
「そうか。母親というのはそういうものであるのだろうな。よし、そなたの母のために何か見繕わせよう」
オルドヌは先程までの威厳に満ちた口ぶりとはうってかわって、優しげな口調で告げる。
「父上は天上で、さぞかしそなたを誇りに思っていることだろう」
心なしか、オルドヌの声には羨望が混じっているようだった。リヒトは王太子テュランの顔がわずかに歪むのを見て慌てて首を振り頭を下げた。何も気がつかない人々が、和やかに二人を批評するささやきの中、リヒト、ハルの二人は謁見室を後にした。
◆
「おまえええ、バカじゃねえの? つか、バカだろマジで?」
王宮から出て開口一番に、ハルは呆れたように言った。
「すまん。助かった」
リヒトは面目なさそうに肩を落とす。
「王様に殴りかかるんじゃないかと思ったわあ」
「割り切ってたつもりだったんだよ。でも何か、この世の全てを持ってます、みたいな……こいつ、何をしても許されるのか、って思ったら」
はあ、とハルはため息を付く。
「そうですか。それにさ、あの後ろに居た……黒髪の。あれお母さんだろ? 似てたもん。お前、わざと言ったろ」
お母さん、を声を潜めてハルは聞くが、リヒトは返事をしない。
「よくねえよ、ああいうの」
「お前に何がわかるんだよ」
リヒトは声を荒げる。道行く人が振り返った。
「わかんねえよ。はじめてあった人に甘えられるその神経」
「甘え?」
「甘えてんだろ。産んでくれただけで感謝しろよ。何を求めてんのよ。例えば今ここでフリッケがお前を見放したとして、お前は恨むのか」
いつになくハルは饒舌で手厳しい。だが、怒りよりもハルに指摘された自分の気持ちに疑問が沸いた。
「いや……」
母親が居ることを仄めかせて、自分が王子である可能性を考えられないようにしよう、と思いついたのも事実だ。しかし、どうしてわざわざ、あの人を傷つける言い方を選んだのか。傷つけて当然だと思ったのか。確かに、例え今、シシィに見捨てられたとしても、自分の胸には感謝しか残らないだろう、と思う。それはシシィが他人だから? 五年間、なんの義理もないのに育ててくれたシシィを他人だから、としておいて、産んだだけの母親の方に、当然のように無償の愛を求め、責めたのだろうか。黙ってしまったリヒトを心配したのか、ハルはリヒトの肩に腕を回す。
「母親に幻想を抱きすぎ。その辺の女の子を見てみろよ。王様や国に逆らって子供を守れるように見えるんか?」
「見えない」
毒気が抜けたようにリヒトはつぶやく。マキノやフリッケは例外中の例外な女なんだぞ、とハルが続ける。
「大体、フリ……ああ、ええと、シシィだった。シシィにもちょっと失礼な話だぞ。そんなんでお前を大事にしてるんじゃないだろ、あの人」
言葉もなくリヒトは頷く。世話になり始めて半年ほどたった頃だった。仕事をしくじって捕まり、私刑を受けた。自分を探し出し、迷うことなく前に飛び出してきたシシィの、精一杯に腕を広げた後姿を思い出す。
――これ以上、うちの子に手を出したら許さない。
どんなに殴られても、蹴られても、リヒトの前から動かなかった小さな体。先祖返りのフィデリオが駆けつけるのがあと少し遅かったら、本当に殺されていたかもしれない。あの日からだ。自分の家はここなのだと、ここに居てもいいのだ、と思えたのは。それは、こんな石コロなどで返せるような質の恩ではないのだ。
「俺、だめだな」
ふう、と息を吐きながらリヒトはつぶやいた。誇りでは本当に大事なものは何も守れない、ということを知っているつもりだったのに。
「本当だな。リヒトはなんつうか人として駄目だな。ちょっと剣が強いだけ。だめだめ人間だ」
ハルは畳み込むように言う。
「そこまでいうかよ?」
リヒトは情けない声を出す。気がつくと町の外れまで歩いていた。日は沈みかけ、薄暗がりの中、家路に急ぐ人の群れもまばらになっていた。
「うるせえな、俺は負けたんだ。そのくらい言わせろ」
ハルは口を尖らせる。ふふふっとリヒトは笑い、ハルもつられるように笑った。心の奥にたまったものを吐き出すように、二人の若者は、笑い、じゃれ合いながら歩いた。シシィの用意した一軒家の戸を勇ましく開ける。
「ただいま!」
「おかえり。あら、その様子じゃ、うまくいっちゃったみたいね」
大きなゼノの影から顔を覗かせ、シシィは木へらを持ったまま安心したように笑う。リヒトは照れたように近づいて、より小さく感じるようになった彼女の体を力いっぱい抱きしめた。




