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竜の住む国  作者: タカノケイ
第三章 王都ハウシュタット
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王都ハウシュタット 5

「なんと、二人とも勝ったか」


 オルドヌは残念そうな声で、しかし残念そうには見えない顔でミレスに言った。ミレスは得意げに片方の眉をすっとあげてみせる。


「ええ。何をいただこうか、そろそろ本気で考えるとします」


 あの子は私のリヒトだ、とミレスは確信していた。わたしのリヒトが生きていた。五年前にアルスの首を見た時の悲しみと怒りと恐怖と絶望がよみがえり、知らずにぎゅう、と右手で左の二の腕を掴んでいた。


 ――神具など盗んでも、一年分の給金にもなるまい?


 ――王様、恐らくは儀式を邪魔しようというたくらみかと


 ――何か、国に恨みを持っているという事か?


 ――逆恨みでしょうな


 ――浅はかな男だ。まじめに生きればよいものを


 ――本当に。天に唾するとは、馬鹿な男でございます


 含みのある笑顔をミレスに向け、げひゃひゃひゃ、と笑うレーゲン大神官の声が脳内に再生され、ミレスは思わず顔をしかめてしまいそうになる。あの日あの時まで……常に自分だけに愛情を傾けるオルドヌに、情が動いた事など一度もなかった、といえば嘘になる。だが、オルドヌがアレスの顔すら覚えていないことに気がついた時、ミレスはオルドヌに対して初めて、燃えるような殺意を抱いた。


 ――お待ちください王様! ミレスは私の婚約者です! どうかお許しください!


 ――まだ成人も迎えていない者同士の口約束ではないか! 下がれ!


 今のリヒトよりもまだ、幼かったアルス。自分のために、すべてを投げ捨てたアルス。


 ――ミレス様、大丈夫です。リヒト様はかならず俺が助け出します。だからどうか、どうか、生きてください。


 ……そうして、命までもを失ったアルス。


 すぐにでも、後を追いたかった。アルスに会いたい。声が聞きたい。たとえそれが叶わぬ夢でも、死の国でアルスに抱きしめられる妄想は、痺れるほど甘くミレスを死に誘惑した。だが、リヒトが生きているかもしれない、それだけを希望に生を繋いで来たのだ。殺したいほど憎い男に肌を許してまで。零れそうになった涙を隠すため、オルドヌの視線を避けて、ミレスは闘技場に目を戻す。


 あの子だけは、絶対に守ってみせる――


 そのためには、王にも神殿にもあの子の存在を知られてはいけない。不自然を悟られてはいけない。ミレスは輝くような微笑をオルドヌに向けた。


「考えてみましたが、急には思いつかないものですね」


 欲しいのはお前の命だ、といったら、この男はどんな顔をするだろう。そんなことを思いながら、ミレスは優雅に立ち上がった。



 ◆



 御前試合は、九日目、午前中の第七戦、午後から準決勝戦、最終日の決勝戦を残すのみとなった。リヒトはベッドの上に座り、じっと手を見つめる。静かな興奮に包まれ、自分は戦うことが……勝って認められることが嫌いではないのだ、と思い知る。


「何、ぼーっとしてるのさ」


 寝癖で爆発したような頭のハルが、リヒトの顔を覗き込む。


「いい夢見ちゃったかんじー? イリスちゃんってかあ。なーんにも教えてくれないとは、友よ……」


 ああ、何と悲しいことよ、とでも言いたげに、大袈裟に額に手を当てて上を向く。


「だから、そんなんじゃねえから。妹みたいなもん。イリスに会えばわかるよ」


 リヒトはハルを睨み付ける。どうやら、先祖がえりは年をとるのが遅いらしい。イリスは今年十八歳だが、見た目は十代前半といったところだった。少女というよりほとんど子供のイリスを見たら、ハルも納得するだろう。そして多分……間違いなくからかわれる。でも、五年前はちょうど良かったんだ、とリヒトは心の中でつぶやいた。ハルは聞いていないように着替えをすませて大きく背伸びをした。


「さあて、飯食いに行こうぜ。今日は二戦もしなくちゃいけないかも、だしさあ」


 まるで勝ちたくないように言うハルに苦笑して、リヒトも立ち上がり、食堂に向かう。気持ちのいい緊張感が体を包んでいた。

 

 結局、ハルもリヒトも二戦することにはならなかった。午前中の第七戦はリヒトの相手が、午後からの第八戦ではハルの相手が、怪我で出場できなかったからだ。最終日の決勝戦に残れば、名誉とともに、それなりの職を与えられる。皆、必死なのでおのずと怪我による不戦敗が増える。二人は共に戦わずして決勝戦へと勝ち進んだのだった。

 何もせず椅子にだけ座っていて逆に疲れた腰を叩きながら二人は食堂に向かった。夕食の席で、二人はいつになく静かにゆっくりと食べる。


「明日はリヒトとかあ。リヒトはともかく、俺がここまで残るなんて……運だけはいいからなあ」


 ハルは木匙を咥えたまま、もにょもにょと呟く。


「んー」


 リヒトはため息に似た返事を返してから、決心したようにハルを真剣な目で見つめた。


「俺、本気でやるからな」

「まじでえ?」

「まじで」

「わかった」


 ハルは宙を見つめたまま、咥えていた匙を上下に動かした 勝てっこない、んだろうか。いや。ハルはぷっと匙を吐き出す。カラカラと音を立てて、匙は器の中に納まった。


 ―――勝ちたい


 親友の思いがリヒトに伝わった。そして、それはリヒトも同じだった。



 ◆



 同日同刻。


「で、どう思うかね?」


 代神官レーゲンは、黒い神官服の前がはち切れそうな腹を揺らしながら、並んだ神兵の前をそわそわと歩き回っていた。王都ハウシュタットに程近い大神殿の地下礼拝堂に、その声は重々しく反響した。

 レーゲンの前に立っているのは五年前に逃げ出した王子捜索に参加した、ツヴァイ、イヌル、ぜクスの三名だった。神殿の警護、というのが表向きの神兵の仕事である。だが、実情はレーゲンの欲望を満たすためにどんな汚い仕事でもやってのける、彼の犬だった。


「証拠がありません」

「そんなことはわかっておるっ」


 男性にしてはあまり大きくないツヴァイを、それでも見上げるようにして睨み付けて、レーゲンは怒鳴る。


「では、ミレス様に良く似ている、と思います」


 レーゲンは短い首でうんうん、と頷くと、瞳が小さく感情の読めないツヴァイの目を覗き込んだ。


「やれるか?」


 ツヴァイはすっと目を細める。隣で副長であるイヌルが心持ち顔を伏せ、灰色の髪がはらりと垂れた。ゼクスのこぶしは硬く握られている。


「大会中は無理でしょう。王宮内での殺傷は避けるのが懸命です。大会が終わり、内示が出る前までの間に、事故に見せかけます」


 その返事にレーゲンは満足して、げぎゃぎゃぎゃぎゃと高笑いをした。


「期待しておる」


 こつこつこつこつ、という足音を立ててレーゲンは礼拝堂を後にした。あそこに居る三人は知ってはいけないことを知りすぎている。足抜けは絶対に許さない。もし逃げ出せば、仲間たちから追われる身になることを良く知っているはずだ。田舎から呼び寄せられ、慣れない王都での暮らしに一生懸命に馴染んだ家族とともに。



 ◆


 翌日、午前試合の決勝戦の日は太陽がこれでもかというほど照りつける晴天だった。


「ティレンのリヒト」

「ティレンのハル」


 この二日間で名前を知られた二人は、大喝采の中で剣を合わせた。朝起きてから一度も目を合わせていなかった二人が、この日初めてお互いの目を見つめる。前日までの試合には見せなかった、二人の少年の緊迫した雰囲気に会場全体が呑まれていった。


「リヒトが勝てば賭けはお前の勝ちだな。何か欲しいものは考えてあるのか?」


 さも楽しそうに振り返るオルドヌ王に、側室ミレスは微笑だけを返した。


「なんだか怖いな」


 おどけるように言ったオルドヌは「はじめ!」の声に、少年のような顔を会場へと向けた。開始後しばらく、相手の出方を伺っていた二人だったが、やがてリヒトから仕掛けた。三合、四合と打ち合い、距離を置いてまた打ち合う。美しい演舞を思わせるような二人の打ち合いを、観衆は息を呑んで見守っていた。

 だが、徐々に差が出始める。リヒトの剣が少し早い。そして重い。右上段から力強く打ち込まれた斬撃を受けきれずに、ハルがわずかによろめいた瞬間をリヒトは見逃さなかった。返す剣で体ごと、強引に押し込む。堪えきれず倒れたハルの喉元にリヒトの剣が突きつけられた。

 もしくはハルが奇策を弄すれば、という可能性すらも感じられない地力の差を見せ付けられる試合展開だった。今回の参加者の中でリヒト一人が抜きん出て強いことを、剣の心得があるものたちは感じとっているだろう。


「勝者、ティレンのリヒト」


 しばらくの間があり、はっとしたように審判が告げる。会場は割れんばかりの歓声に包まれた。


「お前の勝ちだな」


 オルドヌは微笑んでミレスを振り返る。だが、ミレスの視線はリヒトから離れなかった。オルドヌがつられるように視線をリヒトに戻す。リヒトが差し出した手を、ハルが乱暴に振り払ったところだった。

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