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竜の住む国  作者: タカノケイ
第三章 王都ハウシュタット
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王都ハウシュタット 2

 五戦目は、第四戦までを勝ち抜いた三十ニ名が、二日に渡って戦い、十六名に絞られる。ようやく「御前試合」らしく王族が試合を観戦する。王族の公務であり、つまらない仕来りや行事の多い彼らにとっては、数少ない楽しい年中行事の一つだ。

 今年の五戦目の朝、王宮内に慌しい雰囲気が流れていた。「アヘルデ領で暴動が起こった」との連絡が入ったのである。バルトでは領ごとに自治を認めているため、急遽王宮が動くことはない。今は遠い地の話、である。だが、王政憎しと思っている輩はそこかしこに居る。何がキッカケでくすぶりだすかわからず、念には念を入れ警備を強化するひつようがあった。それに伴う観戦時間の変更などで、予定の時間をだいぶ過ぎても王族は観戦席に移動できずに居たのだった。

 正面の椅子にオルドヌ王とテルミーネ王妃、側面にテュラン王太子とリベラ王太子妃が座っている。王族といえど家族水入らずであるはずなのにひとつの会話もない。王太子テュランは黙り込む父と母を見てそっと溜息をついた。


「王様、準備が整いましたので観覧席へお越しください」


 息を切らせた侍従の言葉に頷いて、オルドヌ王は立ち上がった。今年四十歳という年齢を感じさせない引き締まった体、明るい金髪は豊かに波打って白いものが混じっている気配はない。オルドヌは隣に座る王妃テルミーネの前に立ち手を引いて立ち上がらせようとした。が、テルミーネは立ち上がらなかった。ひどく華奢でオルドヌと同じ四十であるにも関わらず子供のようにも見えるテルミーテは、細いうなじを見せてそっと俯く。結い残した薄茶色の後れ毛がふわりと顔にかかり、彼女の儚げな印象を際立てた。


「……具合でも悪いのか」


 オルドヌは苛立ちを隠すつもりのないような厳しい口調で言って、乱暴にテルミーネの手を離した。


「体調が思わしくありません。申し訳ございません」


 目も合わさず、頭も下げずに謝罪するテルミーネを見下ろし、ふう、とオルドヌは深くため息をつく。決意したようにおもむろに顔を上げて侍従を見た。


「ミレスを呼べ。隣に座らせる」

「そ……それは」


 侍従は困りきった様子で口ごもる。テルミーネも伏せていた顔を上げて抗議するようなまなざしをオルドヌに向けた。


「お前は来なくていい。公務もせず、いい服を着てうまい物を食ってだけ居たい王妃の顔など、民も有難くはあるまい」


 辛辣な言葉だった。二人の間が冷え切っていることは、王宮に居る全ての者が知るところではあったが、人の目のある場所でここまで言うのは初めてのことだった。意味を理解したテルミーネの薄い唇がわなわなと震える。


「本当に気分が悪いのです!」

「だから、来なくていいと言っている」

「側妃を王妃の席に座らせるなんて!!」


 叫ぶテルミーネの言葉に視線すらも返さず、オルドヌはその場を立ち去った。そのあとを追って、慌てた数人の侍従が駆け出していく。


「王妃様……」


 癇癪を起こし震えているテルミーネをなだめようと、王太子テュランはそっとテルミーテに歩み寄った。


「お前が悪いのよ! 王様をがっかりさせるから!」


 テルミーネは持っていた団扇をふってテュランを拒む。頬にチリッという痛みが走り、テュランが手をやると指先に赤く血の色がついた。


「テュランさま!」


 リベラ王太子妃が慌ててテュランに駆け寄ってくる。


「こんな団扇も避けられないのね……本当にがっかりだわ」


 俯くテュランを残したまま、テルミーネは立ち去った。リベラがそっとテュランの手を握る。テュランは顔を上げて、すまない、と小さく言って無理に微笑んだ。リベラは泣き出しそうな目でそっと首を横に振る。


「こんな時くらい、わたくしに当たってくれてもいいのですよ」

「お前にはいつも支えてもらっている。そんなことはしないよ」


 王の器ではない、テュランは幼い頃からずっとそんな風に言われ続けてきた。自分よりも母がその言葉に傷ついていたことを知っている。母が不甲斐ない自分を責めるのは、他でもない自分の将来を心配してくれているからなのだ、それだけ愛されているのだ、と思い精一杯の努力をした。だが、努力で背丈は伸びず、華奢な体には筋肉がつかない。年に数回は起き上がれないほどの感冒に罹る。ならばせめてと勉学に励むが、そちらも捗捗しくはなかった。


「太子様、太子妃様、そろそろ……」


 テュランの侍従が痛ましい、という様子で声をかける。


「今行く。お前達にも嫌な思いをさせてすまないね」

「とんでもございません!!」


 侍従はこぼれる涙を隠そうともせず、道先に立つ。父にも母にも愛されず、それでも健気に努力し、目下のものにも声を荒げたりしない情けなくも心優しい王太子を、彼の部下たちは心の底から慕ってくれている。それでもテュランは情けない、という気持ちをどうすることも出来なかった。



 ◆



「今年は、腕の立つものが多いそうだ。お前も楽しめるだろう」


 オルドヌは笑顔で隣に座るミレスに上機嫌で話しかけた。王妃の座るべき椅子に腰掛けていることがミレスには窮屈でたまらなく、返す笑顔もわざとらしいものになってしまっているのではないかと不安になる。ミレスはテルミーネとは間逆に、しっかりとした体つきをしている。目も髪も黒く意志の強そうな顔立ちは生意気そうにも見えるだろう。恐らく、そこを王に見初められ、婚約者がいたにも関わらず、強引に側妃に召し上げられてから十数年が経っていた。

 オルドヌ王の子を産んだ側妃は五人。しかし、十三年前にミレスの産んだ男児を竜神に捧げてから、オルドヌの愛はミレスにのみに与えられているということはミレス本人も含め、周知の事実だった。それでも愛する人と無理に別れさせられたこと、子供を守って貰えたなかったことはミレスには到底許せることではなかった。


「第五回戦、第一試合」


 号令がかかり、西門と東門から出場者が姿を現す。


「グロセンハングのホルガ」


「ティレンのリヒト」


 名乗りを上げて一礼し、出場者が中央まで進んでカツン、と剣を合わせ、再び距離を置いて対峙する。ホルガという男はとても大きな男だった。リヒトと名乗る少年も小さくはないが、更に縦にも横にも大きい。リヒト、という名前を聞いてミレスの肩が思わずぴくり、と動いた。オルドヌがそれ気づき、何か言いたげな顔でミレスを見つめる。


「大丈夫です。申し訳ありません」

「……」


 かける言葉もないというように、オルドヌは視線をさまよわせた。王子が生まれた、姫が生まれた、と聞けば市政のものたちはこぞって同じ名前を付ける。生贄にされた王子は生きていれば十五歳。同じ名前の者が参加していて不思議はない。ミレスは王に気づかれぬようふう、と息を吐く。


「はじめ!」


 試合開始の号令とともに、ホルガは突進してするどい突きを放った。リヒトはひょい、と上半身だけをずらしてかわしている。


「うおおおおおおお」


 雄たけびを上げながら、ものすごい勢いで突き捲るオルガの剣を、飄々とかわしながらリヒトは左に左に回っていく。危機一髪という展開におおお、と場内にため息が漏れた。

 そのうち、リヒトは微動だにしなくなった。なのにオルガの剣は当たらない。闇雲に剣を突き出しているが、リヒトが左に回るうち、ゆっくりと半歩分下がって剣の届かぬ距離に下がったことに気がついていないのだった。

 カン! と高い音が響き、ホルガの剣は空高くクルクルと回って地面に落ちた。リヒトの剣はオルガの喉元に突きつけられている。


「勝者! ティレンのリヒト!」


 ぜいぜいと息をつくオルガの横を、汗ひとつかいていないリヒトがゆっくりと礼をして去っていった。


「リヒトか。あれは強そうだな。相手が牛のようなあれでは図りかねるが」


 オルドヌは、楽しそうにミレスに話しかけミレスも笑顔で頷く。が、視線はリヒトから離れることはなかった。会場では第二試合が始まろうとしていた。





 翌日に行なわれた第5戦をハルは少々苦戦しながらも勝ち抜き、二人とも八日目の第六戦へと駒を進めることとなった。下町の食堂で、ハルはヘラヘラとはしゃいでいる。


「もう決まったよなー! 残り十六人だし。明日は怪我しないように負けでもいいんじゃねえ?」

「は? 行くとこまで行くだろ?」


 呆れたように聞き返すリヒトに向かって、ハルはちっちっちと顔の前で人差し指を振ってみせた。


「変に目立つのって良くな……」


 そこまで言ってハルの目が点になる。口は「な」の形のまま開けっ放しだ。訝るリヒトの顔は見ずに、顔の前に立てていた人差し指をリヒトの後ろに向けた。何事かと振り返って、リヒトも同じように固まった。食堂の入り口に立っていた小柄な人影が旅行用マントのフードをそっと外す。現れる真っ赤な短髪。


「シ……」

「フリッケ!」


 シシィという名前を飲み込むリヒトの隣で、金縛りが解けたようにハルは叫んだ。立ち上がりで逃げようとするハルをがっしりとリヒトは抑えつける。


「離せ! 裏切り者ぉぉぉ! 見殺しにする気かぁぁぁ!」

「無駄だ。同じ街に居てフリッケの目から逃げられるわけない。逃げたらもっと怒らせるだけだぞ」


 謂れのない悪態をついて暴れるハルにリヒトがささやくと、チーンという音が聞こえそうに、一瞬でハルはぐったりと座り込んだ。終わった……とぶつぶつ呟いている。


 「リヒト! ハル!」


 切れが良すぎるシシィの怒声に、二人は条件反射で立ち上がり、背筋を伸ばした。


「ついてきなさい」


 有無を言わさせぬ言葉に、二人はそそくさと会計を済ませて、黙ってあとについて行くしかなかった。無言のまま都の大通りを少し外れた家にシシィは入っていく。神妙な面持ちの二人の若者は、シシィよりたいぶ高くなった背を、出来るだけ縮めようと努力してすごすごと付いて入った。


「ゼノ!」


 家の中で待ち受けていた人物の名を二人は同時に叫んだ。二人ともかなり背が伸びたのだが、更に大きなゼノの前では子供に戻ったように感じた。


「座れーーーい!」


 ゼノに駆け寄り、旅の話をせがみ出しそうな二人に向かってシシィが怒鳴る。二人は途端にしゅんと小さくなって四人がけのテーブルの椅子に腰掛けた。


「まあま……」

「ゼノは黙ってて!」


 とりなすゼノをシシィが鋭く制止する。ゼノはコホンと咳払いをして黙り、二人の若者になんともいえない憐憫の表情を向けた。ガッシリとした大男が小さい女性に頭が上がらない様は滑稽であったが、若者二人に笑う余裕はない。


「こ……の……恩知らず共……!!」


 シシィは二人にツカツカと歩み寄り、ゴン! ゴン! と頭を殴る。


「いてええええ」

「当たり前! 痛く殴ったのよ! 私の胸の痛みはこんなものじゃないと知りなさい!」


 頭を抱えるハルに、シシィは言い放つ。


「王宮勤めの兵士になることを、あきらめる気は?」


 シシィはリヒトに向き直って、まっすぐ目を見て尋ねる。


「ない」

「復讐のため?」

「ちがう。父さんの見た景色が見たい。何を思って生きて、何があったのかを知りたい」


 リヒトはまっすぐに十歳の時から彼を育ててくれた恩人の目を見つめた。。フウ……とシシィは長いため息を付いた。


「ハル、リヒトの為に死ぬことはできる?」


 リヒトから目を離さずにシシィはハルに尋ねた。ハルが突然何を言いだすのか、という顔をゼノに向ける。ゼノは静かに見つめ返して黙って聞きなさいというように頷く。


「これからする話を一緒に聞けば、あなたはリヒトの為に死ぬことになるかもしれない。もしかしたらリヒトを裏切って殺すことになるかもしれない。それでも一緒に聞く覚悟があるか、と聞いているの」


 シシィは言葉を切る。視線はリヒトから外れない。


「リヒト、あなたはもうハルを巻き込んでしまった。あなたに拒否権はないわ」


 リヒトも何のことだかわからず、黙ってシシィを見つめた。少しの間があって


「聞くよ……」


 と、ハルが掠れた声で答えた。

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