王都ハウシュタット 1
快晴の空の下、太鼓の音が響き渡る。縦に長いバルト国の南端、王都ハウシュタットで、年に一度の御前試合が開幕したのだ。
開会の式は王宮中央にある広い闘技場で、賑やかに、だが厳かに行われていた。十日間に渡って催される祭に国中から人々が押し寄せて、ここ数年の不況にも関わらず王都は賑やかな声で溢れている。
この御前試合は、王国きってのイベントであると同時に、貴族や武官の家に生まれなかった男たちが仕官する唯一の機会でもある。十五歳から二十歳までが参加でき、この大会の上位入賞者は王宮の兵士に取り立てられるのだ。
十五歳の成人を迎えた腕自慢の若者たちが人で溢れかえる王都の街道を肩で風を切って歩いていた。街道沿いは色とりどりの紙飾りで飾り立てられ、そこかしこに露天が立ち並び、商人達の威勢の良い掛け声が響き渡っている。
しかし、よくよく見れば裏窓に打ち付けられた板や、店の前に立つ武装した男たちが見受けられた。不況の影が町の至る所でそっと息を潜めて潜んでいるようだった。
「うええ。昨日よりもまた多くなってる……すっげえ人だよなあ。どこから沸くんだよ」
最も賑わう王都前の大通りで、柔らかく癖のある栗色の髪の少年が、明るい緑色の目を細めて連れの少年を振り返った。ひょろりと背の高い猫背気味の体型にも、少女のような端正な顔立ちにも、似つかわしくない言葉使いである。
「ほんと。なんか酔いそうだ、俺」
声を掛けられた少年が情けない声で答えた。こちらもその風貌にはなんとなく合わない緩い口調である。先の少年より拳ひとつ分ほど、背が高く、体も一回りがっちりとしている。上品で柔らかな顔立ちだが、長い前髪の隙間から見える黒い目は強情そうにも見え、まっすぐな眉は意思の強さを感じさせた。
二人とすれ違った数人の少女たちが口元を手のひらで押さえて、何事かを囁きあいながら振り返った。それに気がついたクセ毛の少年が、少女たちにひらひらと手を振ると街道に可愛らしい嬌声が響いた。
「リヒトはいいさ。絶対に受かるしさあ」
クセ毛の少年は恨めしそうに黒髪の少年を見て、頭をガシガシと掻きまわす。ただでさえ癖のある髪がもこもこと広がった。
「ハルも大丈夫だって」
笑いながらリヒトはハルの膨らんだ髪を、撫で付けて直してやった。
リヒトが東の港町ティレンで、占い師バルバラ兼何でも屋フリッケであるシシィと、先祖返りのフィデリオ、イリスと暮らし始めた夜から五年の月日が経ち、リヒトは十五歳になっていた。
成人を迎え、同じく成人を迎えた護衛団の賄夫であるルッツの息子ハルとともに、仕官を夢見てティレンを飛び出してからは、ひと月になる。
「あんなに反対されたのに飛び出して。落ちても帰れねえよ? ……あああああ! 何て言ってフリッケに謝ろ……」
ハルは肩を落として呟いた。
「万が一落ちても、来年があるだろ?」
御前試合に出られるのは二十歳までである。まだ少年という呼び方が似合う十五になったばかりの自分とは違い、既に「男」と呼ぶにふさわしいガッシリとした体型の男達を見て、ハルはすっかり自信をなくしていた。リヒトはなだめるようにハルの背中を叩く。
「それに、北で反乱が起きそうだから、今年は兵士を多めに取るって聞いたから大丈夫だよ」
ハルは更に恨めしそうに横目でリヒトを見て、大袈裟なため息を付いた。
二人はこの五年間、フリッケの元で働いてきた。酒場の揉め事の仲裁から商団の護衛まで、様々な仕事を経験する傍ら、プロの護衛であるマキノや、時折訪れるゼノに剣を習った。ここ数年の不作による治安の悪化で、嫌でも実戦経験は多くなった。ハルもその辺の賊ならば数人いても軽々と相手をすることが出来る腕前なのだが、強い人間に囲まれていたために、強くなったという実感が沸かないのだろう。
「痛ってえな!」
賑やかな街道に、若者の怒鳴り声が響いた。リヒトを振り返ったまま後ろ向きで歩いていたハルが、前から歩いてきた若者の一団の一人とぶつかったのだ。怒声はその若者のものだった。
「あらら、わりい。見てなかったわ」
へろり、という表現が似合う笑顔でハルは若者に謝った。どんどんハルの兄であるラビに似てくるなあ、などと思いながらリヒトは若者の一団を観察する。若者たちとリヒトの距離はおよそ三歩。何もされないとタカをくくっているのか、若者たちは隙だらけで立っている。
「わ……わりいで済むかよ」
ぶつかった男の声が一瞬どもる。転ばせるつもりでぶつかったのに、と顔に出ている。ハルの余裕の笑顔もなんだか薄気味悪いのだろう。
「こいつは御前試合に出るんだ。怪我したらどうすんだ!」
「手えついて謝れ!」
その様子を見て、一緒に歩いていた若者たちが煽り始める。通りの人々は輪を作って、揉めている若者たちを面白そうに見物し始めた。
出場者狩りは御前試合の前に、よくある事らしい。仕官が叶わずに数年たってしまった若者たちが顔見知りになり、目ぼしい者に難癖を付けて怪我をさせ、出場人数を減らそうとしているのだ。たった二人でふらふらと歩いているのは「どうぞ狙ってくれ」と言っている様なものだったのかもしれない。
「は? これで怪我するようなら、試合なんか出ないほうがよくねえ?」
ハルは相変わらずへろりとした笑いを顔に貼り付けている。ぶつかってきた若者の顔色がすっと変わった。だが、その立ち姿からも若者の実力がハルにははるか及ばないことがわかる。その気になれば一瞬で、ハルは若者の腹を刺せるだろう。
「御前試合への出場者同士のケンカは裁き無用と知ってるんだろうな」
若者は剣の柄に手をかけ、ジリっと距離をつめた。血気さかんな若者たちの起こす絶え間ない諍いに、王都の警備兵が匙を投げた結果……御前試合の参加者たちの争いは死人さえ出なければ目を瞑るという暗黙の了解があるのだ。しかし、脅しの言葉を使うところから見てもこいつは小物だ。リヒトは後ろに立つ複数の男たちを見回した。ぐるりと囲んだ野次馬たちの向こうに、ふ、と流れた美しく長い金髪が目に留まる。
――行かないで。一人にしないで
リヒトの腕の中で細かく震えていたイリスの細い髪が浮かんだ。少しの間だ。必ず仕官してそれなりの立場に上り詰め、大きな屋敷を構えてイリスを外の世界に出してやる。
「あ? ここでやんの? どうするリヒ……っておい? 親友の危機なんですけどもぉ! 何で金髪のお姉ちゃんを見てるわけ!?」
「見てねえよ」
呆れたように振り返って怒鳴るハルにリヒトは冷静を装って言い返したが、自分の顔に血が上っているのがわかる。恐らく真っ赤になっているだろう。リヒトは慌てて袖で顔を隠した。
「おまえら……ふざけんなよ!」
バカにされたと思ったのだろう、若者は痺れを切らせたように剣を抜き、勢いにまかせてハルに向かって振り下ろした。ハルはひょいと軽く避けてがら空きになった男の背中を軽く突く。若者は勢い余り、果物を商っている物売りの棚に突っ込んだ。棚は倒れ、積んであった果物がゴロゴロと道端に転がる。
「あ、ああ……」
リヒトの横で果物売りの老女が慌ててこぼれた果物を拾い始めた。
「邪魔だ、ばばあ!」
真っ赤な顔で老女を押しやろうとする若者の咽元にリヒトは剣先を突きつける。
「お……前……殺る気かよ」
若者の声は震えている。リヒトは刺さるような冷たい目で若者を見下ろした。
「殺さなきゃいいんだろ? 鼻、なくても死なないよな?」
リヒトは喉元の剣先を顎、口と這わせるようにして鼻の下へと移動させる。
「だなあ。 口があるからなあ」
あはははは! と声を立ててハルが笑った。リヒトは剣先を少し滑らせて、若者の鼻の薄皮一枚だけを切る。血も出ていないのに、大袈裟にひいいい!と声を上げる若者に、聴衆が失笑を漏らした。
「相手になるが、場所を変えよう。その前に、この棚を直せ」
リヒトは、そう言うと笑い続けているハルを見つめる。
「お前もだよ、ハル。突き飛ばすときは後ろも見ろよ」
ええー、と口を尖らせながらも、ハルは素直に棚を直して布をかけ、果物を拾い始めた。リヒトは懐の巾着を取り出して、銀貨を一枚出して棚の上に置く。
「すみません。ダメになったものは買い取りますので」
老女にリヒトが言うと、周りから拍手が沸いた。リヒトはまた恥ずかしさに赤面する。
「お前ら! 試合では見てろよ!!」
若者はその隙に、というように慌てて立ち上がり、仲間と共に捨て台詞を残して立ち去った。
「さあて、じゃあ気を取り直して申し込みに行きますかあ」
「ああ」
リヒトとハルは再び、大通りを王宮に向かって歩き出した。賑やかな通りを抜け、川に掛けられた大きな橋を渡る。物々しい王宮の正面門の横にある通用門の前に、御前試合出場への申し込み所が設えてあった。受付の男が近づいてくる二人に気がついて立ち上がる。
「参加希望か? ここに名前を書きなさい」
促されるままに、ハルは台帳に名前を書いた。
「初試合は明後日の十刻だ」
「はいはーい」
ハルの二つ返事に受付の男が苦い顔をする。渋々と差し出す参加証……番号の書かれた布を受け取り、二人は今来たばかりの道を引き返しはじめた。リヒトは昨日の朝一番に申し込みを済ませている。ハルと早くに当たらないよう、申し込みの時間をずらしたのだ。リヒトの参加証には十二、ハルの参加証には三二五の数字が書かれていた。午前試合には毎年五百人ほどの参加があり、多い年で数十人、少ない年でも十数名が登用される。
「リヒトは明日の十一刻、俺は明後日かあ」
「ああ、明日明後日で、五百人が半分になるんだな」
ハルは両手を目の前に広げて指を折って数える。
「一日一試合だから……六回? 六日? 勝ち残ったら登用されっかなあ」
「全員がさっきの連中並なら楽勝だな」
リヒトはにやりとハルを見る。
「ありがたかったわあ。俺、超落ち着いた」
先程は面目ない、というようにハルは頭をかき回し、リヒトはまた髪を整えてやらなくてはいけなくなった。
◆
御前試合二日目と三日目に行なわれた初戦を、二人は難なく勝ち抜いた。四日目の第二戦・五日目の第三戦も危なげなく勝ち抜く。五百居た参加者は、あっという間に六十名ほどになっていた。
「明日からの試合は、王宮内の闘技場で行なう。十二番から二百十七番までの者は明日、三百五番から四百八十番までの者は明後日、九の刻までに王宮前に集まること」
試合後の説明を聞き終えて、二人は宿に戻った。旅費の節約のため、質素な宿に連泊している。
「リヒトは明日だなあ。応援には行けないけどがんばれよ」
ハルは悔しそうに言った。王宮の闘技場で行われる御前試合を見物するには、まとまった金が必要だ。金があっても名の通った生まれの者、またはその紹介があるものでなければ入れない。王族たちが観戦するからである。リヒトやハルのような田舎生まれの若者が観戦するチャンスはない。
「ここまでは楽勝だったけどさあ。運が良かっただけだったかもしれないしなあ」
「でも、あと一戦勝てば残りは三十人。選ばれる可能性はかなり高くなるだろ」
相変わらず、マイナス思考のハルにリヒトは笑って言う。ハルはばりばりと頭を掻く。
「ええとぉ、あの中で危ないかなって思うのは……百二番だろ、二百三十八番だろ……」
「ああ、あのヒゲか。あれは強いな。ヒゲ変だけどな」
真面目に答えるリヒトにぷっとハルは笑い、つられてリヒトもニヤリとする。
「確かにあれはないわ。ぱやっぱや過ぎだよなあ」
ハルの言い方に、リヒトは堪らず大声で笑う。道行く人が何事かと振り返る。若いせいだろう。二人とも、何故か負ける気がしなかった。
事実、リヒトは翌日の、ハルは翌々日の第四戦をかすり傷ひとつなく勝ち抜いて、今年の新顔に相当の剣の使い手がいる、と噂されるまでになっていた。




