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竜の住む国  作者: タカノケイ
第一章 少年の運命
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少年の運命 2

「来てくれ、足跡だ」


 小屋の外を捜索していたイヌルの声が響いた。ツヴァイは小屋を出てイヌルの声のした方へと向かった。小屋から少し離れた沢の近くに立つイヌルが指差した先には、小さな子供の足跡があった。足跡は西の山へと向かっている。


「少し時間が経ってるな。見てきてくれ」


 ツヴァイの言葉に頷くと、イヌルは足早に山を登っていく。ツヴァイが小屋に戻ると傷の手当を終えたゼクスが突然、深く頭を下げた。


「ツヴァイ、頼む、二人を埋葬させてくれ」

「時間と体力の無駄だ」


 ツヴァイは再び調べ始めた本から目を離さずに冷たく言い放った。ゼクスは拳を握り締めて、目を伏せると押し黙る。


「余計なことを言った、すまない」


 やがてぽつりと小さく言って、ゼクスは目を閉じて髪のない頭を抱えた。傷の痛みだけではない痛みに、必死に耐えているようだった。この男は神兵でいるには甘すぎる、ツヴァイは舌打ちを堪えて、情報収集に没頭した。間もなく足跡を調べに行ったイヌルが小屋に戻ってきた。


「山頂近くに洞窟があった、そこに入ったらしい」

「洞窟?」

「ああ、足跡が続いてた。入り口が、子供がやっと通れるくらいで」

「いこう」


 二人を促し、小屋を後にして洞窟に向かう。確かに岩と岩の間に隙間があり、何かが通り抜けたようにコケがはがれていた。


「これは、どこに繋がっている」


 ツヴァイは穴を覗き込みながら言う。小柄な彼でも、中に入るのは無理そうだった。


「どこに繋がっているとしても」


 イヌルはぐるりと周りを見渡して地形を確認する。


「西側に降りてどこかで街道に出るしかないだろう。どの道、そろそろ日が暮れるから入っても無駄だろうな」


 イヌルの意見にツヴァイは頷く。念のため辺りを捜索したが他の痕跡は何一つなかった。


「一旦、小屋に戻るぞ」


 小屋に戻る頃には、折り悪く雨が降りはじめ、かなりの雨脚になっていた。雨の中、もう一度くまなく小屋周辺を捜索する。数箇所の子供が入れそうな穴が見つかったが何もなかった。


「洞窟から西の街道、洞窟から戻ったとしてもラーゴの町を通る以外の道はないな?」


 ツヴァイは思案するようにあごに手を当てた。


「ない」


 イヌルが細い目を更に細めて答える。


「東の山脈を越える道は?」


 続く質問に、ううむ……とイヌルは唸る。


「一番近い南のラーゴまで子供なら歩いて三日、西の街道に出て北のオヅルか南のリステルに出るなら五日。北はまず無理だ。東、となると一番近くても」


 イヌルは遠くを見つめて計算する。東の山を越えること自体、無理に思えた。


「よし、一旦ラーゴまで戻って休む。おそらく西だろうがイヌルは念のため、このあたりをもう一度探してくれ。定期的にラーゴに戻って子供が通らなかったか確認しろ。俺はラーゴから南回りで西の街道沿いを探す」


 一気に言うとツヴァイはゼクスに向き直る。


「ゼクスは首をレーゲン様の元に運べ」


 その意味を理解した瞬間、今にも爆発するのではないか思うほど、ゼクスの顔から頭までが紅潮した。重苦しい間が流れる。


「わかった」


 大きく息を吐いてから呻くように言うと、ゼクスはアルスの首に刀を当てて両腕に力をこめた。



 ◆



 男たちが居なくなってからだいぶ経ち、すっかり夜も更けた頃、リヒトはようやくむっくりと体を起こした。身じろぎ一つしなかった体から、乾いて固まった泥がペリペリと剥がれて落ちる。

 頭上の布を剥ぎ取ると、枯れ草が穴の中に落ちた。手探りで、穴の中に用意してあった縄梯子を掴み、床板の隙間に鉤をひっかけて上る。ぐらぐらと揺れたが何度も練習していたので簡単に登り切った。

 地面と床板の間はリヒトが這い出すのがやっとの高さだ。一旦外に出て、頭から潜り直して縄梯子を床板から外して引っ張りあげた。縄梯子にはアルスに手渡された麻袋が結び付けられている。

 ふう、と白い息を吐き、縄梯子から外した麻袋を背負うとリヒトは小屋に入っていく。外では緑色に光る数組の目が、少年の動向を伺うように動いていた。


 小屋の中は更に暗闇が増して、アルスの姿はほとんど見えない。

 手探りで床板を外すと、アルスは自分の重みで床板ごと穴に落ちた。残った床板のふちから手を伸ばして、周りの土をかけられるだけかけるとリヒトは両手を合わせて深く祈った。何かを言いかけて思いとどまり、外に出ると、雨の中を歩き始める。


「土の上を歩かない。コケを踏んではいけない。枝を折ってはいけない。落ち葉の上を歩くこと」


 気を紛らわすために声に出しながら、リヒトは父に教えられたとおりに東側へ山を下っていった。

 西に向かって山を登った先にある洞窟まで走って足跡をつけることはリヒトの日課であった。帰りは今のように足跡をつけないようにしながら遠回りして帰る。男達はその足跡に騙されて床下にいる自分に気がつかなかった。……父はこの日がいつか来ることを予感していたのだ。リヒトは漠然と思った。数年毎に住処を変え、逃げるように暮らしてきたのも、いつか来るこの日を恐れての事だったのだ。


「レーゲン、ゼクス、イヌル、ツヴァイ、ツヴァイ、ツヴァイ……」


 リヒトはつぶやきながら山を東に下っていく。しばらく下ると沢に出た。長雨の季節の前の暖かい春の夜だが沢に流れる雪解け水は氷のように冷たい。リヒトは編み上げブーツを脱ぐと迷いもなく沢に入った。ブーツの紐を結び、肩にかける。沢は足首くらいの水位だったが、あっという間に膝の辺りまで冷たさが伝わる。

 リヒトは沢の流れに逆らって北に進んだ。この沢を逆に南に下ればラーゴの町の近くを流れる川に合流する。



 ◆



 どのくらい沢の中を上ったか、あたりは白み始めていた。リヒトは休まずに歩き続けていた。父との旅はもっと過酷な時期もあったから、このくらいの冷たさや一晩寝ないで歩き続けることはさほどつらいことではない。ただ、一人の心細さで自分の判断が全て間違っているような気がしていた。湧き上がってくる心細さをを怒りで封じ込める。


「レーゲン、ゼクス、イヌル、ツヴァイ、レーゲン、ゼクス……」


――絶対に許さない、絶対に。


 ふとリヒトは動きを止めて沢の中を凝視する。


「セリナだ」


 セリナはこういった沢がすこし深くなっている所に群生する植物で、えぐ味がないのでそのまま生で食べられる。ざぶざぶと膝まで入って少しを残して収穫した。岸を見やり、太陽の位置を確認するとそのまま歩きながらセリナを口に運ぶ。空腹は感じていなかったが、昨日の昼から何も食べていない。両手一杯だった野草はあっという間に胃の中に入った。



  ◆



 少年がセリナを見つけた頃、三人になった刺客たちはラーゴの宿で朝食をとっていた。

 昨日は日が暮れ始めてから小屋を出たため、宿に着いた時にはとっくに真夜中を回っていた。しかし旅慣れした男たちの顔に疲れはない。

 朝食はブロトーにテナ茶という一般的な組み合わせに、春野菜と玉子を炒めたもの、この辺では珍しい豚の腸詰の燻製がついていた。


「昨日言ったとおりだ。何かあったら柔軟に対応しろ」


 ツヴァイの声にイヌルは立ち上がったが、ゼクスは座ったままだった。ツヴァイはゼクスの前に置かれた手のつけられていない食事を三白眼でちらりと見やったが、そのまま扉に向かい出て行く。

 動かないゼクスをイヌルは黙って眺めていた。ゼクスは、はあ、とため息をつくと、宿の店主がずっと気にしていた薄汚れた麻の袋を太い腕で持ち上げ


「何か白い布はないか」


 と尋ねた。店主が恐る恐る差し出した白い布に麻の袋を包み込むとようやく、ゼクスは重い腰を上げて店を出て行った。その背中を見送って、ひとつ小さくため息をつくと、イヌルも小屋へと向かった。


 休まずに馬で駆けて、昼前に小屋に着いたイヌルは愕然とした。床板が壊れて、アルスの体が無くなっている。すぐに埋葬されていることに気がついた。


「……戻ってきたのか」


 西ではない。だとすれば子供の足なら、ラーゴまで三日は掛かるだろう。このまますぐに引き返せばツヴァイを呼び戻しても間に合う、と、イヌルは今来たばかりの道を引き返し始めた。



 同じ頃、リヒトは沢の水源にたどり着いていた。岩の隙間から湧水が染み出している。

 泥地に足跡をつけぬよう気を付けて岸に上がると岩の上に腰かけた。

 陽の当たっている岩はわずかに暖かさを帯びていて、いつまでも冷えた足を温めていたかったが、思い直してブーツを履いた。

 麻袋を開けて生焼けのブロトーを取り出す。焼き直したいが火を付けるわけにはいかない。外側の焼けているところだけを剥がして食べる。育ちざかりの少年にはとても物足りないが、ぐっと堪えると残りを袋にしまった。


 イヌルの追跡から免れた事も知らず一息つくとまた歩き出す。


 少年の住むバルト国は縦に長い王国である。国の南側が半島の形だ。

 四百年程前に第一代目の王が統治して一つの国家となった。

 王都のあるハウシュタット領と一つの島を含む七つの領からなっており、王家が直接統治しているのは王都のあるハウシュタット領のほか、大陸を東西に走っている大陸公道、北南に流れているフルース河を利用した水路であった。


 七つの領には完全な自治が認められていたが、大陸公道と水路が交差する土地にある大都市グロセンハング、大陸公道の西端にある港町のラグーネと東端にある港町ティレンも王家が統治しているため、国のほとんどの交易税は王家に集まっている。

 それでなくともハウシュタット領は、一年中まぶしい太陽、河口に向かって何本にも枝分かれしたフルース河の支流、南に広がる豊かなツェア海の恩恵を受けた実り豊かな土地であり、他の領とは比べるまでもないほど栄えていた。


 リヒトとアルスは王都のあるハウシュタット領や、大陸公道の南側にある温暖で人々も裕福なパラスト領やグルント領を避けて、転々としながら暮らしていた。大陸公道の北側にあるネべルク領やアヘルデ領で過ごす事がほとんどだった。

 冬には雪で見動きができなくなるような最北のベルクフ領やラヴァルト領で暮らすこともあった。それより北の山々には竜が多く出没するため、未開の地となっているような場所である。


 ラーゴの町はアヘルデ領にある。東の港町ティレンと商業都市グロセンハングのほぼ中央のあたりで、南北に走っている街道を北に上りきった辺鄙な町だ。ラーゴより北はラヴァルト領との境界になっている険しい山岳地帯だ。


 追っ手のいる南のラーゴと、西の街道には出られず、北の山を越えることは不可能なので、リヒトは東に向かうしかないのである。


 記憶が正しければ、数年前に住んでいた小屋があるはずだった。見覚えのある道に出ればなんとか辿り着けるかもしれない。

 とにかく今は少しでもあの男たちから遠ざからなければ、リヒトは歩き続けた。

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