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竜の住む国  作者: タカノケイ
第二章 少女の宿命
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少女の宿命 9

 ティレンに着いてからシシィもフィデリオも忙しく動き回っており、隠れ家ではアルスと子供たちだけで過ごすことが多かった。

 フィデリオはシシィが「バルバラ」という名で占いをする為の準備、シシィは「フリッケ」という名で何でも屋の仕事を始める準備をしていた。将来、リヒトが働ける場所を作っておこうという考えらしい。フィデリオもアルスも何も言わずに見守っていた。

 一月ほど経って、ティレンの隠れ家にゼノが現れた。ゼノから発せられる旅の匂いは、家にかんづめになっていた者たちに久々の興奮をもたらした。その夜は楽しい時間となった。イリスがゼノから片時も離れずにくっついている事を笑い、ゼノがどんな風に兵士をコケにしたかで大笑いする。夜も更けて「フリッケの何でも屋」をどう経営していくかを大人たちが真剣に話し始め、退屈した子供たちはぐっすりと眠入ってしまっていた。議論も尽き、心地よい疲労感と沈黙の中、ゼノは長いすに深く腰掛けなおした。考え込むように目を閉じる。ややあって目を開くと、ゆっくりと三人の顔をを見回し話し出した。


「この国は長い不作の影響で、偏狭の地はもちろん南の領までもが荒れ始めている。いつ反乱や謀反が起きてもおかしくない状態だということは皆知っていると思う」


 三人は持っていたグラスを置いてゼノの話に耳を傾ける。


「人々の不安と不満は、とうとう王家に向けられた。これは王家に与えられた神罰である、とな。噂によると王都に近い町が狂竜に襲われて一晩で壊滅するという事件がきっかけらしい」


 シシィは不安げにゼノを見つめる。聡い彼女はその噂の町はゼノがイリスを発見した場所だと気がついたのだろう。


「王は神の怒りを静めるために自らの息子を捧げ、民の不満も静めようとした。どうやら王の意思ではなく神殿の意思らしいが……」


 アルスは指が白くなるほど両手を固く握り締めていたが、ゼノは気にせずにゆっくりと続ける。


「リヒトは生贄にされたはずの第二王子ではないのかね?」


 ゼノはアルスの目をまっすぐ見つめ、アルスも見つめ返す。長い長い沈黙の後、アルスはため息を吐いて目を床に落とし話し始めた。


「神殿にいる緋の一族の巫女がリヒトが国を滅ぼすと予言したのです」


 シシィははっと息を呑んだ。


「まだ二歳の子供の未来なんて視えるはずない!」

「はい。シシィに未来は見えないと言われて本当に安心しました。自分がしたことは正しかったのだ、と」


 アルスはシシィを見て微笑む。シシィは複雑な気持ちでアルスを見返した。


「リヒト様の母親である側妃ミレス様と私はザイレ島の出身です。私はミレス様の婚約者でした……ザイレに王様がご訪問されるまで。そのとき私たちは十四歳でした」


 アルスの整った顔が苦痛にゆがむ。ゼノはそっと目を閉じた。


「私は彼女を守れなかった。家族と家を見捨てられなかったのです。だからせめて、彼女の命だけでも守ろうと身分を偽って王都の兵士になりました。しかし」


 アルスはグラスを取り、一気に空ける。


「身分を偽った私の配属先は神殿でした。大神官長の私兵です。思いのままに汚い仕事もやってのける、死ねばそのまま打ち捨てられるような捨て駒の兵士でした。それでも外よりはミレスの近くにいてやれる」

「神殿で、リヒトが生贄にされることを知ったんだね」


 シシィは掠れた声で呟いた。


「そんなことが許せますか?」


 顔を上げてシシィを見返したアルスの瞳には激しい怒りが浮かんでいる。シシィの顔が苦痛に歪んだ。アルスの心から滴り落ちる血がシシィには見るのかもしれない。


「何の罪もない息子を国のためと言って犠牲にする。王にはそんなことまで許されるんですか?」


 静かな声は、張り裂けそうな音を含んでいる。


「民のために息子を神に捧げた情け深く偉大な王? 冗談じゃない!!」


 パリン!!と音がしてアルスの手の中でグラスが砕けた。指の間からポタポタと血が滴る。ゼノはその若い気高さと勇気と浅はかさに、アルスを優しく見つめた。その視線を受けてアルスは苦しそうに顔を歪める。


「俺は……儀式の途中にリヒトを連れて逃げました。神殿内で何人もの神官を切った。亡くなった人も居るかもしれない。本当は王を責める資格などないんです」


 うな垂れ、言葉を失うアルスの肩にゼノはそっと手を乗せた。


「よく、話してくれた。まず手当てをしなさい」


 ディルの葉を酒に漬けた消毒薬の瓶と包帯を持ってきたフィデリオが、アルスの傍らに跪き、いまだに握られている拳をゆっくりと開き、手に刺さったグラスの破片を抜く。


「すみません」


 アルスはうな垂れたままだったが、いくぶんか気持ちが落ち着いてきたようだった。


「お気になさらず。沁みますよ」


 フィデリオは微笑んで、ディルの葉を傷口に貼り付け包帯を巻いていく。カタン、と椅子から立ち上がったシシィが何か言いたげなのを見ると、ゼノはそっと首を振った。

 シシィは諦めたようにイリスを抱き上げて部屋を出て行く。フィデリオは治療の終わったアルスの手をそっと握ったまま立ち上がった。


「わたしたちはあなたとリヒトの味方です。それを決して忘れないでください」

「ありがとう。フィデリオ」

「今夜はゆっくり休んでください」

「ああ、おやすみ」


 翌朝、隠れ家のどこにもアルスとリヒトの姿はなく、きちんと整えられたベッドの上には一枚の手紙だけが残されていた。


 ◆


 ぱあん!とゼノの頬がなった。打ち据えたシシィの顔の方が痛そうに歪んでいる。


「出て行く音に気がついたでしょ!」


 と、封筒をゼノに投げつける。ゼノは封筒を拾い上げると開けて中身を読み始めた。


「あの二人の道は二人が決めることだよ」

「リヒトはまだ二歳よ! 何を自分で選べるって言うの!」

「ここに居る事、アルスと行く事、どちらとも自分では選べないだろうな」


 ぐっとシシィは黙り込む。


「……ここの方が安全だわ」

「シシィ」


 ゼノのまっすぐなまなざしから逃げるように視線を逸らせてシシィは肩を落とす。


「ごめん。本当はわかってる。でも、止められないのなら出来るだけのことをすべきだった」


 バタン! と荒々しく扉を開けてシシィは部屋を出て行く。


「追わないのか」


 ゼノは部屋に残っているフィデリオに声を掛けた。


「今は一人で居たいでしょうから。手紙にはなんと?」

「リヒトは表向きは生贄になって亡くなったことにされている。生きているのを知っているのはアレスが知らせた側室ミレスと侍従、儀式の場に居た大神官長と神官たちの数名。儀式を警備していた神殿の兵士達、と書いてある」


 フィデリオは眉を寄せる。


「では王は?」

「知らぬのだろうな。神殿は逃がしてしまった事を隠蔽しているそうだから」


 続きを読んだゼノはあまりの不快さに思わず顔をゆがめた。


「王妃は大神官長の姪だそうだ。大神官の権力に対抗しようという者たちから、リヒトを皇太子にという声が上がっていたらしい」

「正室に生まれた嫡男を差し置いて?」


 怪訝な顔で聞き返すフィデリオに、ゼノは頷く。


「王妃の子である第一皇子は、体も小さく病気がちだそうだ。リヒトはザイレ島民特有の頑健さと聡明さを感じさせる子だからな」

「万が一の可能性、というわけですね」


 フィデリオは深く息を吐いた。権力を持つ者たちの浅ましいまでのそれへの執着を何度も間近で見てきた。彼らに人の尊厳を踏みにじっても平気で居られる狂気を与える権力とは一体何なのだろう、と悪寒に似た感覚に襲われる。


「アルスはリヒトをどうしたいのでしょう……」


 フィデリオはカーテンの隙間からのぞく青空を見つめた。


「恐らく自分でもわかっていないのではないかな。だが、間違わない若者だと思う」

「そうですね」


 そうあってほしい、二人の男は願わずには居られなかった。



 ◆



 それから半年程は、ティレンでの基盤を作るために精力的に活動した。

 リヒトが居なくなったことでシシィは「何でも屋」をやる気をすっかりなくしていた。だが、いずれ何かの役に立つ、とゼノが「フリッケへの依頼」としてティレンの町にはびこっていた悪党どもを一掃した。たちまちフリッケの名は、町の人々の恐れるところとなった。どこに住んでいるのか何者なのか全くわからない、デタラメに腕の立つ手下が数十人いる、逆らってはいけない危険人物、という尾ひれのついた噂が広がっていた。バルバラの占いも着実に固定客を増やし、今では月々の生活のほかに貯蓄ができるほどの収入を得ていた。


「では、行ってくる」


 ゼノは抱いていたイリスをそっとおろした。イリスはイヤイヤをするようにゼノの腹に頭をぶつける。


「イリス、シシィを頼むよ」


 ゼノが言うと、イリスは顔を上げてゼノを見つめた。涙にぬれた目にゼノの胸がちくりと痛む。


「シシィは泣き虫だからイリスが守っておくれ」


 イリスは何か思いついたように口を開けるとにっこりと微笑んだ。


「ゼノより強いシシィを守るの? それじゃあイリスが一番強いねえ」


 後ろで聞いていたシシィとフィデリオが思わず吹き出す。一拍置いて、ゼノも大声ではははと笑った。


「そのとおりだ。イリスはとても我慢強い」

「我慢?」

「そうだ。それはケンカが強いよりずっと大事な強さなんだ」


 イリスは自慢げに笑った。


「ゼノ、行ってらっしゃい。寂しいけどイリスは我慢できるよ」


 ゼノはまぶしそうにイリスを見つめる。イリスの耳に口を寄せて何事かつぶやくと、後は頼む、と馬にまたがった。振り返らずに去っていく後姿が見えなくなるまで見送ったあと、シシィはイリスに質問した。


「ゼノ、最後になんていったの?」

「イリスと離れるのが寂しいんだって。だからすぐに帰ってくるって」


 シシィは目を丸くする。同じ顔をしているフィデリオに気がついて二人で立てなくなるほど笑ったのだった。

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