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竜の住む国  作者: タカノケイ
第二章 少女の宿命
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少女の宿命 5

 翌朝、ゼノは幼い少女の眠るベッドの端に腰掛けて、ティレンの大きな事件や出来事などをまとめたシシィの手帳を読んでいた。几帳面な細かい字でびっしりと書かれている。客観的な視点で書いてあるが、ところどころに垣間見えるシシィの正義感と優しさにゼノは目を細めた。もぞもぞと布団が動き、イリスが寝ぼけた顔をゼノに向けた。


「起きたか」


 ゼノはイリスが目覚めるまでここで待っていたのだ。知らない場所で一人で目覚め、パニックを起こさないように、と考えたのだ。


「おはよう、ゼノ。あたしお寝坊さんだった?」


 イリスは小首をかしげてゼノを見る。よく眠れたのだろう、いつもより顔色がいい。ゼノはにっこり笑ってイリスの隣に移動して、細い髪を櫛で梳いてやった。


「これを着たら食堂に来なさい。今朝早く、シシィが買ってきたんだよ」


 青地の綿のワンピースを手渡すと、イリスは目を輝かせてぴょん、とベッドから飛び降りる。ワンピースの肩口をつまみ、自分の体にあててゼノを振り返る。


「似合う?」

「ああとても」

「お姫様みたい?」

「ああ」


 ゼノは微笑みながら、着替えはじめるイリスを置いて部屋を出る。食堂に下りるとシシィがお菓子を焼いていた。甘いにおいが漂っている。


「イリスは起きたの?」


 粉の付いた顔をゼノに向けてシシィはくっきりと微笑む。直後、ふ、と悩むように目が動き俯いた。


「母親ぶってるように見える? やめたほうがいいかな」

「いや」

「これでいいのかな。どう接したらいいだろう」


 シシィはじっとゼノの目を覗き込む。この子に嘘はつけない、とゼノは思った。イリスの母親は恐らく亡くなっているだろう。忘れなくては自我を保てないほどの「何か」が起こったのだ。その母親を思い出させるような行為は竜化へのきっかけになりかねない。だからといって、距離を置いて扱うことはイリスを孤独にするだろう。


「シシィはやりたいようにしていい。すれ違っても、間違っても、何度もやり直して少しづつ家族になればいい」


 シシィはゼノの言った言葉を反芻するように目を閉じる。


「そう……家族か。そうだね、イリスがあたしをどう思おうがイリスの勝手よね」


 とんとん、と階段をゆっくり下りる小さな足音が聞こえて、シシィは元の明るい笑顔に戻っていった。


 ◆



 ゼノとイリスがシシィとフィデリオの元に身を寄せてから三ヶ月が経った。イリスは見る見るうちに体力を取り戻してゼノを驚かせ、喜ばせた。


「朝、いつもの時間に起きて、夜はいつもの時間に寝る。それで朝・昼・晩、同じ時間にちゃんとしたものを食べれば人間は大概まっすぐになるもんなのよ」


 さすがはシシィだと褒めるゼノに、シシィは照れくさそうに言った。ある人の受け売りなんだけど、と寂しそうに付け加えて。イリスはシシィとフィデリオにすっかり懐いており、二人とも静かな生活に突然舞い込んだ小さなイリスが可愛くて仕方がない様子だった。


「そろそろ、出ようと思う」


 ゼノは朝食の席で出来るだけ普通を装って言った。先祖がえりについてはフィデリオと知り合ってから出来るだけ情報を集めるようにしていたが、イリスがこれから穏やかに暮らしていくためにもっとたくさんの情報が必要だと思ったのだ。シシィが口に入れる寸前だったフォークを下ろす。


「いつでも突然ね。で、いつ?」

「今日」


 答えるゼノにふう、とシシィがため息をつく。イリスは不安げに二人を交互に見つめた。


「イリス。イリスはとても元気になったから、俺はイリスの家を見てこようと思う。ここでシシィと一緒に待てるね?」


 ゼノはイリスの目をじっと見つめて言った。イリスの瞳に涙の粒が盛り上がる。


「帰ってくるの?」

「ああ、約束だ」


 ゼノは小指を立てる。しかしイリスは握り返さない。


「いつ?」


 真剣な表情でゼノを見つめる。


「そうだな、今日をイリスの六歳の誕生日にしよう。イリスが九歳になるまでに戻るよ」


 イリスがこくんと頷いた拍子に溜まっていた涙がぽとん、と落ちた。それでも健気に手を伸ばし、ゼノの太い小指に小さな小指をそっと絡める。一緒に居てやったほうがいいだろうに、先祖返りについての調査をするというのは言い訳で、自分は元来の根無し草なのかもしれない、とゼノは胸を痛める。


「ゼノはイリスが九歳になったらかえってく・う・る、げんまん」


 イリスは元気な大声で言った。


「ゼノを町外れまで送っていきましょうか、イリス」


 フィデリオはそう言うと微笑んでイリスを見つめ、確認するようにシシィを見やった。イリスはシシィを心配そうに見上げる。イリスはこの三ヶ月でここの主はシシィなのだと理解し、子供なりにわきまえてわがままを言ったりはしなかった。


「そうね、フードを被って馬で行けば目立たないし」

「やったー! フィーはいい考えだったね!」


 イリスの顔がぱあっと明るくなる。


「そうでしょう。いい考えついでにお弁当を作っていって外で食べましょうか」

「それもすごくいい考え! いい考え! いい考え!」


 椅子から下りて拍子をつけてぴょんぴょんと飛び跳ねるイリスを見て、大人たちは笑いあう。この俺にいつの間にか帰ってくる場所ができたのか……ゼノはくすぐったい思いで三人を見つめた。



 ◆



 日差しも気温もちょどいいお昼時に、一向はフルース川の川原へとやってきていた。グロセンハングから見て南西にあるパラスト領を通り、王都のあるハウシュタット領へと続く太い街道近くである。


 「きれい!」


 川原には秋の花が咲き誇っていた。フィデリオが麻の布を広げ、籐で編んだ籠の中から昼食を広げる間、イリスは夢中になって花を摘んでいた。


「イリス、食べるよー」


 シシィが声をかけると、草原の風に髪をキラキラとなびかせてイリスが走ってくる。フィデリオは薄く焼いたブロトーに鳥の揚げ物、煮豆、葉菜をのせ、彼特製の甘辛いソースをかけて包んだ。イリスは三ヶ月前が嘘のように、黙々と全て平らげた。


「おなかいっぱあい」


 イリスはころり、と横になりフィデリオの膝に頭を乗せる。フィデリオはまぶしそうに目を細めて、イリスの頬にかかった髪をそっと耳にかけて撫で付けていた。後ろ髪が引かれて困るがもうそろそろ……ゼノが思いはじめた時、シシィがハッと街道を見上げた。


「ゼノ、何か来る」


 フィデリオがイリスを抱えて立ち上がる。シシィとゼノはすばやく騎乗していた。フィデリオがシシィにイリスを預けて手早く荷物をまとめて自分の馬に括りつけた。

 しばらくすると何頭もの馬が駆ける音が響いてきて、一人の男が複数の騎馬に追われている様子が目に入った。追っている男たちはどうやらバルトの騎兵のようであった。

 逃げている男の乗っている馬は既に限界を超えたように右へ左へと蛇行している。そんな状態でも駆けるとは余程訓練された名馬なのだろう、馬泥棒にしても馬を殺しては意味がない、とゼノは訝った。

 一行の見ている前で逃げる男の馬はとうとう力尽き、前足を追って座り込んだ。倒れて主人に怪我をさせない為だろう、乗り手との深い信頼関係が見て取れた。馬泥棒などではない、ゼノは目を細めて男を観察する。男はさっと馬から降りると馬の首筋に手をやりうなだれた。


「すまない」


 小さな懺悔の言葉を唱えて立ち上がり、剣を抜き去る。ゼノはフードを目深に被りなおし、埃避け用に首に巻いている布を鼻の上まで引き上げた。シシィも同じように顔を隠す。イリスは不安な様子でそんなゼノを見、シシィを見、フィデリオを見た。


「フィー?」


 イリスが驚きに見開いた目でフィデリオを見る。フィデリオの顔には深い皺が刻まれて、薄いブルーの瞳が真っ赤にかわっていた。首が前に出て背中が盛り上がっている。多少の不自然さはあるが、色素を持たずに生まれてきた老人、に見えるだろう。どうやらフィデリオは竜化をうまくコントロールできているようだ。いつもの美しい顔とは似つかぬ顔で、フィデリオは頷いてにっこりとイリスを見つめる。


「フィーならいいのよ」


 イリスは小声で言ってにっこりと微笑んだ。そんなイリスを、ちょっとだけごめんね、とシシィがマントの下に隠す。恐れないことに安堵して、ゼノは男に視線を戻す。追っ手が寸前まで迫っていた。


「あの男、子供を抱いてる」


 シシィが呟くより早くゼノは駆け出した。


 キン! と剣が交わる音が響いた。


「旅のものだ。バルトの騎兵の方々とお見受けする。この者は何故追われているのか」


 有無を言わさぬ口調でゼノは問う。答えずに強引に馬を進めようとする騎兵を、ゼノは馬を左右に向けて阻止する。痺れを切らした騎兵がゼノに切りかかった。ゼノは必要以上の力でその剣を打ち返す。剣は空高くくるくると舞い上がり、騎兵たちの間に落ちて地面に突き刺さった。


「理由なく切り付けるか。だが、覚悟はできているのだろうな?」


 ゼノは剣を失った騎兵を睨みつけた。その仕草に挑発され、前面にいた騎兵たちが一斉にゼノに切りかかった。ギン! ギン! と鈍い音が続く。騎兵の剣は全て根元から折られていた。後方に控えていた騎兵たちが慌てて剣を抜き、剣を失った騎兵たちも短剣を構えた。ゼノはすう、と息を吸い込む。


「故はない。だが、相手になろう」


 ゼノは腰に挿しているもう一本の剣も抜き去った。

 ゼノの強さは圧巻であった。訓練されているだろうバルトの騎兵相手に、足だけで馬を操り、二本の剣を操って、次々と馬から叩き落した。あっという間に、うう……うめき声を上げながら街道に転がる騎兵は十数名。馬上にいる騎兵はたったの一人となった。


「殺しては居ない。助けを呼んで来い」


 ゼノが両手の剣を同時に鞘に納めながら言うと、一人馬上に残っていた若い騎兵は、あわてた様子でグロセンハングへと向かっていった。

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