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竜の住む国  作者: タカノケイ
第二章 少女の宿命
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少女の宿命 4

 翌朝早く、ゼノは宿を後にした。一刻ほど馬を走らせてから、適当な窪地を見つけての遅い朝食となった。


「ごちそうさま」


 イリスはほとんど食べずに膝の上の屑を払った。服の中に入れていた首飾りを引っ張り出して光にかざす。石に反射した青い光がキラキラとイリスの白い頬の上で踊った。これほど喜んでもらえるなら、ゼノも買った甲斐があるというものだ。


「じゃあ、行こうか」


 ゼノの言葉にイリスは頷く。どこへ? と聞いたことはない。幼い胸のうちに潜むものを考え、ゼノは知らずに眉間に力が入っていた。この一月を共に生活し、イリスが愛されて優しく育った娘だということがわかった。行儀もいいし、言葉遣いも悪くない。何より他者に対する気遣いと愛情がある。だが、同時にとても危険な娘でもあった。感情が高ぶると竜化が始まる。――主に自分の危険に対しての防御反応だと思われるが、何がきっかけになるかはわからなかった。それは始まったら最後、イリスの意思はなくなり、あたりかまわず破壊・殺戮行動に及んだ。ほとんどの場合、記憶は残らないようだった。

 今までは完全に――それがどのような状態なのかゼノにはわからなかったが――変化する前に宥めることが出来ているが、押さえ込むことより、そもそも不安な状況や興奮するような状態にしないことが大事に思えた。やはり、イリスを匿うならあそこしかないだろう、と考えゼノは馬を進める。また迷惑をかけることになってしまうな、と苦笑した。



 ◆



 十日ほどたってゼノとイリスは、バルト国を左右に走る大陸公道と、縦に走るフルース水路が交差する王都に次いで巨大な都市、グロセンハングに到着した。イリスには初めて見る大都市である。イリスは無中で馬の上から見ても更に遥か高い建物を見上げていた。口が開いたままである。


「ごみが入るぞ」


 ゼノに指摘されて慌てて両手で口を隠す。にぎやかな大通りをどんどん進むと水路に出る。整備された太い水路には大きな船から小船までさまざまな船が浮かぶ。向こうに渡るには、渡しの船に船賃を払って渡してもらうのだが、ゼノは水路に沿って左折した。しばらくは大きな店が並んでいるが、しばらくすると庶民的な店構えの商店が並ぶ界隈に出る。そこから更に細い路地を入った。


【占い】


 と書いた看板が川風に揺れている。戸口の前でイリスを抱いて馬から降りて馬棒に馬を繋ぐ。ただならぬ雰囲気の店構えに怯えたのかイリスはぴったりとゼノの胸に張り付いた。


「イリス」


 ゼノは屈んでイリスの目を見つめる。


「ここは俺の知り合いの店だ。何も怖くない。いいね」


 イリスは静かに頷く。


「いい魔女?」


 そっと聞き返すイリスの言葉に、この店の女主人の顔が浮かんで、ゼノは思わず頬を緩めた。これを聞いたらなんと言うだろう。


「ああ、いい魔女だ。イリスを助けてくれる」


 イリスはやっと安心したような顔をする。二人は手を繋ぎ店に入った。店の中では白髪の男が一人、棚を掃除していたが、ゼノの顔を見ると嬉しそうに微笑んだ。息を飲むほどの美青年である。


「お久しぶりです。ゼノ」

「ああ、元気だったかフィデリオ」


 二人は歩み寄って握手を交わした。フィデリオの視線がすっと降りてイリスを眺める。


「この子は……」

「先祖返りだ。竜玉がある」


 フィデリオは複雑な表情でイリスを眺めると、奥へ、と二人を促した。奥の部屋から通じる隠し扉を開け、ランプに火をつけてゼノに渡す。


「覚えていますよね?」

「ああ、大丈夫だ。面倒をかけることになりそうだな」


 申し訳なさそうなゼノの言葉に、フィデリオは首を降り、ドアを閉めた。ゼノは隠し扉の奥の部屋に置かれた作り付けのクローゼットの扉を開ける。下に付いている引き出しも引くと、階段が見えた。イリスが怖がらぬかチラリと確認すると、嬉々とした顔で隠し階段を眺めていた。不思議な仕掛けが面白いらしい。大丈夫そうだ、と中に入り、内側から扉を閉める。階段を何段か下りると引き出しの下に付いていた取っ手を引いて引き出しも閉めた。クローゼットから繋がる地下通路を少し進むと階段が見えてきた。その階段を上がり、扉を上に押しやって開けるとこじんまりした住居の食料置き場に出た。イリスは興味深々にあたりを見回している。ゼノは食べ物をいくつか見繕って掴むと食料置き場から出て台所へと向かった。


「椅子にかけていなさい」


 イリスはゼノの言葉に頷き、しかし椅子には座らずにゼノに近づいてマントを引いた。


「どうした?」


 ゼノが屈むとイリスはゼノの耳に口を近づけて


「魔女の家じゃあ、ないみたい」


 と囁いた。


「魔女なことは秘密だからな」


 ゼノも小声で言うと、イリスは、なるほど、という顔で頷いて椅子に向かい、真面目な顔をして座った。その様子がおかしくてゼノの頬はまた緩む。

 四人分の食事が出来上がる頃、台所にフィデリオが顔を出した。台所に並ぶ料理を見て目を細める。


「お疲れだったでしょうに。シシィもすぐに来ます」


 フィデリオは袖をまくりながら食器棚から新しい皿を下ろした。フィデリオの置いた皿に、ゼノは器用にいためていた野菜を盛り付けた。


 ばたん!


 そのとき、凄い勢いで玄関の扉が開く音がした。ばたばたという足音が聞こえたかと思うと、台所の扉が引きちぎれるのではないかという勢いで開いた。


「ゼノ!」


 入ってきた赤毛の女がゼノに飛びつく。


「シシィ! 全く、一体いくつになったんだ?」


 呆れ顔でゼノはシシィを抱きとめた。小柄で細身のシシィだが、かなりの勢いだったのでゼノの足元がふらついている。


「三十くらいよ」


 だから? というようにシシィは笑う。


「おかえりゼノ。全くはこっちのセリフ。音沙汰なしで三年ぶりよ? で、この子は?」


 早口でまくし立てると、くるり、と首を回してイリスを見つめる。


「イリスという」


 ゼノから離れると、シシィはイリスに近づき、そっと前に屈みこんだ。真っ青な目をじっと目を見つめる。


「こんにちわ、イリス。あたしはシシィ。よろしくね」


 シシィの勢いにぽかんとしていたイリスは、慌てて背筋を伸ばす。


「イリスです。こんにちわ」

「はい、こんにちわ。可愛い子ね」


 シシィは両手でイリスの頬を包む。


「おなかすいたね。ごはん、食べようね。……ほれ、ちゃっちゃとテーブルに運んでよ」


 前半をイリスに、後半を男たちに言うと、イリスの隣にどっかと腰を下ろした。男たちは顔を見合わせる。


「すまんなフィデリオ」

「いいえ、いつものことなので」

「いいから、早く!」


 にぎやかな夕飯になった。よくしゃべるように見えてシシィはとても聞き上手で、ゼノの三年間の旅について楽しそうに聞いている。そのうちイリスはこっくりこっくりと船を漕ぎ始めた。ゼノがそっと抱えて革張りの長いすに寝かせる。


「寝室を用意しましたが」

「いや、一人にしないほうがいいだろう」


 フィデリオに答えると、ゼノはイリスとの出会いから竜化までを話して聞かせた。


「なるほど。で、ここにあの子を隠したいってわけね」

「頼めるか?」


 シシィは今日一番の笑顔をゼノに向ける。


「水臭いな。ゼノが居なかったら、あたしは今ここに居ない。恩返しが出来て嬉しいよ」

「ありがとう」


 ゼノは目を閉じて深く頭を下げた。年をとると涙腺が弱くなっていけない、と思いながら。


「で、フィデリオは竜化は制御できているのか?」

「ええ」


 ゼノの言葉にフィデリオは頷いた。フィデリオは今年で二十八になるが、見た目は十代に見える。先祖返りは年をゆっくりとるのかもしれない、とゼノは思った。イリスは自分で五歳だと言ったが、それにしては少し幼いようにも見える。


「しかし、私には竜玉はありません。この子を同じに考えていいものか……」


 はあ、とシシィは大きなため息をついた。


「全く。誰もこんな風に生まれてきたいって望んだわけじゃないのにね」


 短く刈り込んだ真っ赤な髪を掻きむしる。

 

 かつてグルクフ領の奥地には「緋の一族」と呼ばれるその部族が住んでいた。その部族には稀に真っ赤な髪の色と、虹彩のない真っ黒な瞳をした者が生まれたと言われている。そして、赤い髪を持って生まれたものは人の心を読んだり、未来を見たりすることが出来た。その赤が鮮やかであればあるほど力が強かったという。

 一族の巫女のような存在で、穏やかな暮らしが約束されていたのだ。しかし、その不思議な力のせいでバルト国の統一後、緋の一族は穏やかな暮らしを続けることが出来ず各地に散り散りになり絶えた。数百年経った今でも時折赤い髪をした赤ん坊が生まれる事がある。

 シシィがそれであった。実の親の顔は知らない。物心付いたときには金持ちに囲われており、主人の為に能力を使わされていた。家から出ることは許されず、読みが外れるとひどい折檻を受けた。夢も希望もない生活が何年も続いた後、能力を持った子供を作るため、と始めて会った赤い髪の男との間に望まぬ妊娠、出産をさせられた。

 シシィの祈るような願いもむなしく、生まれた娘の髪の色は燃えるように真っ赤だった。同じ目にあわせたくない。シシィは娘を連れて屋敷を逃げ出した。無一文になり、道端で死にかけていたところをゼノに助けられた。しかし、娘は事切れた跡だった――


「そうですね。でもイリスは外に出さないほうがいいでしょう。容姿が人目を惹きすぎます」


 フィデリオはシシィとゼノのグラスにぶどう酒を注ぎながら言った。娼婦の粗相によって生を受けたフィデリオは生贄にされることを免れ、王都にある大きな娼館で娼館以外の世界を知らずに生きていた。

 何の苦労もない生活に膿んだ上流階級の者たちの慰み者になりながら、こんなものなのだと年老いて客のつかなくなった母を養い生きていた。だが、ついにその存在が教会に知られるところとなった。フィデリオに入れあげたつまらぬ町商人の男が逆恨みで通報したのだった。神兵に捕まる寸前に母の依頼を受けたゼノによって助け出され、以来、シシィとともに生活している。


「そうだね。きっと今までもそうしてきたんだろうし。ゼノはイリスが落ち着くまではここに居るんだろ」


 シシィは甘えた声を出す。最近では過去の痛みを思い出して眠れぬ夜も少なくなったというが、どうしても幼い少女に失った子供を重ねてしまうのだろう。ゼノを頼っているのがわかった。


「邪魔にならないかね」

「もちろん」


 ぱっと輝いたシシィの顔をゼノは感慨深く見つめた。過去を考えればこうして笑っているのが奇跡に思える。ゼノはそっと目を閉じた。


「さて、そろそろ休ませてもらおうかな」


 ゼノはぱっと目を開くと立ち上がり、イリスを抱き上げる。


「2階の奥の寝室を使ってください」

「ああ、ありがとう。お休み」


 フィデリオが差し出すランプを受け取って、ゼノは階段へ向かう。ベッドにそっと横にしたイリスの規則正しい寝息を聞きながら、ゼノもあっという間に眠りに付いた。

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