第一章 互いに
第一章 互い
休日の午前、十時二十七分を部屋のアナログ時計が指している。
来客をもてなすために、緊急で部屋を片づけている俺がいる。
「あっついなー」
エアコンがあるのだが、地球環境にやさしい活動をするために作動させていない。実際は電気代を考えて、扇風機を使っているだけである。
「あー」
扇風機に向かって叫ぶ。声が振動するのがいい。扇風機をつけるとやっぱりやってしまう。子供だな。やっぱ。
扇風機を首振りモードに切り替えて、作業に戻る。まずは、机だ。
目の前に立ちはだかるのはプリント、教科書、参考書などの山だ。これが片づけても片づけてもすぐできちまう。それに、親に整理が悪いって言われて片づけられちゃったりすると、後でプリントを探すのが大変だ。
とにかく、取りかかるしかない。決心した俺はプリント達との決闘を始めた。
まず、プリントと教科書、参考書に分ける。これはわりと簡単。こっからが問題。プリントを、いるプリントといらないプリントに分けるんだ。
「これは・・・いる。・・・いらない」
独り言が入りつつも順調に作業が進む。
「いらない。いる。いる。・・・ん?」
さっき仕分けたはずのプリントが手元に戻っている。
「げっ!」
扇風機の強の風によって、プリントがはばたいていく。
「ふぇー」
ため息。出るんだよ。こういうとき。
すぐに拾って終了。かと思ったら、またまたプリントが飛ぶ。
今度は扇風機を先に止める。んで、拾う。
「・・・ふぅ」
収集完了。なんだか疲れた。ちょっと掃除するだけでこれだ。サッカー部引退してからあんまりたってないのに。やっぱり、現役とは違うね。今度からはもう少しこまめに掃除しよう。掃除するときはこう思うが、いざやるかというとやらない確立が高い。「男はみんなそんなもんでしょ」と思いたい。少なくとも、俺だけじゃないのは確かだ。
プリント達との格闘を終え、再び扇風機をつける。やっぱ、扇風機ないと暑い。窓開けてたって、風なんか入ってきやしない。
机の整理を終えて、本棚の整理に移る。参考書や問題集を本棚にぶちこむ作業だ。とにかく、これがほこりっぽくて嫌になる。この本棚、もう何年かふいてないからほこりが積もりに積もってやがる。
「こいつを・・・ごほっつ・・・」
本を動かすだけでほこりが宙に舞う。
「げほっつ・・・」
動かすたびにほこりが舞う。そして、扇風機によってまた舞い上がる。扇風機を止める。こんなものが部屋にあったなんて、今まで気づかなった。いや、何度かきれいにしようとして断念したことがあったな。サボった分が積もってるってわけか。やる気なんてなかったけど、自分のためだとしょうがなくやった。
ほこりが舞う中、作業は終了。でも、これで終わりじゃない。
次の作業。本をじいちゃんの書斎に持っていく。んでもって、空いてるスペースに入れる。これが次の作業。
本を右手にかかえて、左手で部屋のドアを開ける。部屋を出てすぐの階段をトントン降りて、そのまま書斎へ向かう。さいわいなことに、今日は、俺以外の人は家にいない。書斎にさっと入ることができるわけだ。
「失礼しまーす」
誰もいない書斎。書斎って考えてたよりも案外狭い。入るといつも思う。机とイス、本棚。シンプルだ。ぎっしりと本がつまった本棚に近づく。右端にしっかりとスペースがつくられていた。
「失礼しまーす」
本棚に本を入れていく。そんなに量があるわけじゃないからすぐに終わる。
「はい、どんどん」
独り言はくせだ。
「はい、終わり」
作業終了。また、部屋に戻らなきゃ。そうだ。ちょっと、時間あるから整理しとくか。そう思って、きれいに整理された本棚から、面白い本がないか探すことにした。面白い本をだ。
本棚を右から左に見ていく。すると、他よりも飛び出ている本を見つけた。
「これ・・・」
なんとなくだったけど、本棚から抜いてみた。青い扉の辞書みたいな本だ。ドスっと重い。そして、なんだか雰囲気が他の本と違う。気づくとページを開いて冒頭文に目を通していた。
空に四つの月が輝き、月の力を受けて生きる人間たちがいた頃。
彼らは月に力を求めすぎて、持ってはならないものまで持ってしまった。
彼らはそれに気づかずに力を求め続けた。
その結果、人は二つに別れ生きることとなった。
力を得ることをやめたものは、月の力を恐れ北へ。
力を持ったものは月に近い南へと向かった。
力を持ったものすなわちパウストはさらに力をため、人間から形を変えていった。
だが、あまりにも強い月の力により草や動物、川、池などがなくなった。
生き延びる為にパウストは感情などと引換えに共食いという方法を考えてしまった。
そして、南の地は生きるしかばねの住みかとなってしまった。
南の状況を把握した北の王は、パウストが北の地に来ることを恐れて南に侵攻することを決めた。
北の王の・・・
何かの歴史書だろう。古くて紙が黄色っぽい色になっている。
「面倒くさい」そう思った俺は、本を戻し本棚の物色に戻った。
「げほっ・・・げほっ・・・」
古い本には、ほこりがたまっていた。また、ほこりが舞う。
「失礼しましたっ」
本を全て戻す。本からの攻撃で鼻水と目のかゆみが止まらなくなっている。
「かゆっ!」
目がかゆい。涙が出る。
「ハクション!」
・・・こんなんだったら遊ぶんじゃなかった。損したな。でも、何でじいちゃんが整理してるはずなのに、こんなにほこりっぽいんだ? 実際、あの歴史書以外の本にはほこりがたまっていた。
「あ、そゆこと」
一人で「ひらめいた」のポーズをする。一人で・・・。
要するに、最近読んだのが歴史書だけってことなんだな。きっと。後で、聞いてみよう。
「ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン」
壁にかけられた古い柱時計が十一時を告げる。
時計のチャイムで本来の目的を思い出した俺は、書斎を出て部屋に戻ることにした。
トコトコっと階段をのぼり、ドアを開けて部屋に入る。
「ふぇー」
自然と出るため息。
部屋はまだまだ片づけきれていない。「面倒臭い」を意味するため息だ。
「どっこいしょ」
机の前にあるイスに腰かける。小学校のとき使っていたイスとは違う。中学入るときに親戚の伯母ちゃんに買ってもらったものだ。
部屋を見わたす。後掃除しなきゃならないのは・・・床。
俺の部屋には床がない。床がないわけはない。服で埋め尽くされていて足場がないのだ。きっと、これが一番の難関だろう。
「やりますか」
ため息混じりの独り言。正直、だるいよ。
とにかく物を拾う。それから、スタートだ。シャツにワイシャツ、靴下、タオル。ここに落ちてる物はいつから洗濯してないのかさだかじゃない。不潔そのものだ。このタオルだっていつのか輪かりゃしない。
とりあえず、拾い終わった。やっぱり、疲れる。体がだるい。
俺はまたイスにもたれかかり、休憩を始めた。
―ズー、チャッチャラチヤッチャッチャッチャー、チャッチャラチヤッチャッチャッチャー―
ケータイが鳴り出した。
誰だ? 「春」にした覚えなんかないぞ。
液晶に「仁太」の表示。
「ピッ」
着信拒否。
あいつ、勝手に設定しやがったな。きっと、「俺は上品だから」とか言って設定したな。あいつはたしか「迷子の子猫ちゃん」だったはずだ。どうせ、またかかってくるぞ。
待ち構える俺に、一件のメール。
―迷子の迷子の子猫ちゃん、あなたのお家はどこですか?―
あいつ、メールのほうは変えなかったんだな。
とりあえず、見てやることにした。
『件名 バーカ』
『本文 着信拒否やめろ! ってかそれより、駅前のゲーセンに面白いの発見! すぐに集合すべし』
面白いもん?
はっきり言って、どうでもいい。仁太の言うことよりも、絶対こっちのほうが重要だ。早く掃除をすませよう。
作業に戻ろうとする俺にまたメールがくる。
―迷子の迷子の子猫ちゃん、あなたのお家はどこですか?―
仁太からだ。一応見といてやるか。
『件名 おい!』
『本文 無視すんな! ってかしたら損!』
だるいな。まったくひま人だよな、あいつ。とりあえず、返信。
『何があんの?』
件名は入れない。面倒臭い。
ケータイを閉じた。でも、すぐに返信がくる。
『来てからのお楽しみ!』
それで人を呼ぶのには無理がある。つまんない物のために時間つぶしてらんない。これが、まっとうな意見だろう。俺の場合はそうでもないけど。
『だったら行かねぇ』
またすぐに返信がくるだろうな。
ケータイを閉じるとやっぱり返信が・・・。
―ズー、チャッチャラチヤッチャッチャッチャー、チャッチャラチヤッチャッチャッチャー―
電話だ。それも、仁太だ。
やっぱりでないとまずいかな。
かわいそうだからでてやった。
「もしもし」
「よっ!」
この場におよんで「よっ!」はないだろ。
「で、何なんだ?」
俺はその面白いものについて聞いた。
「あぁ、えっと、俺の弟が英会話に行っててさ」
俺はその面白いものについて聞いている。
「・・・」
「もしもーし、大丈夫ですかー? もしもーし、坂本翔さーん?」
ムカッとした。誰でもする。
「切ってもいい?」
「え、あ、すいません。切らないでよ」
「・・・」
「切らないでください!」
俺と仁太はいいコンビだ。少なくとも俺はそう思っている。
「で、面白いものって何なんだ?」
「それが、バーチャルゲームみたいなもんなんだけど」
バーチャルゲーム? そんなもんが面白いものなのか? 無駄話だな。
そう思って、切ろうとした。
「それが、どうも痛いらしい」
痛い? 痛み?
「痛いって?」
疑問だ。
「敵に切られたりすると、体が痛みを感じるらしい」
そんなものあるのか? バーチャルゲームごときで。
「うそだろ?」
ごく普通の疑問。
「ホント、ホント。話によると筋肉痛になったりするらしいよ」
「筋肉痛?」
「うん。体を動かしてるみたいな感じなのかな」
今までそんなゲームはなかった。痛みを感じるゲームか・・・。
「とにかく、やってみてなんぼだから」
「そうだな」
「じゃあ、今すぐ来れるか?」
「何で俺が?」
「そのゲーム、二人一組でやるらしいんだ。一人が戦闘して、もう一人がサポートするんだって」
と言われてもな。こっちはこっちで大事だからな。
「悪いんだけどさ、今は無理」
「どして?」
「え? 用事があって」
仁太が一呼吸置いた。何かあるな。
「用事? ホントか?」
もしかしてばれてるか? そんなわけない。
「あぁ、用事」
「ふーん。あっそ。用事ね」
「・・・用事だよ」
「ふーん。要するに、女の子を家に連れ込むことが用事だと」
ちっ! ばれてたか。でも、精一杯ごまかすしかない。
「何言ってんだよ? 今からいとこが来るんだよ」
「へー、そう。何? 水上さんはいとこなの?」
全部ばれてやがる。
「・・・」
「今、正直に言えば許してあげてもいいよ。みんなにばらさないであげてもいいよ?」
まったく嫌なやつだ。
「すみませんでした」
「ん? 聞こえないよ?」
「すみませんでした!」
「あーーー、何言ってるかわかんなーい」
あー、もう嫌だ。
「ぬけがけしてすみませんでした!」
「・・・よろしい。以後、ぬけがけはつつしむように」
くそ。やられた。
「はい。肝に銘じておきます」
「よろしい。じゃあ、熱いデートが終わり次第、連絡するように」
―プー、プー、プー―
電話が切れた。だが、やつからすぐにメールがきた。
『終わった後でいいから来てな』
その手があったか。どうせ、ひまだしな。
すぐに、俺は了解のメールを送った。
また、メールが届く。
『あんまりおいたをするなよ。女は泣かせるな!』
大きなお世話だっーの。
『へーい』
と送って、ケータイを閉じた。
仁太とのメールを終えて、また掃除に戻ることにした。
仁太とのやり取りで、まだ途中だった作業を再開する。と言っても床にはもうほとんどない。次の作業に移ろう。
床から拾ったものを洗濯機に入れる。楽な作業だ。部屋を出てすぐの向かいの部屋に洗濯機はある。
俺は洗濯物をかかえて部屋のドアを足で開け、何歩か歩いて洗面室のドアも足で開けた。
「よいしょっと」
たくさんの洗濯物は洗濯機の中にわりと楽に入った。洗濯層には、一日では決して出ない量の洗濯物が空間をうめている。
「パン!」
掃除終了の一本じめ。
机、床、本棚、共にきれいとまではいかないが、普通の状態には戻った。ここまできれいになったのは、きっと何年ぶりの話だろう。小学校の頃はそんなに汚くなかったから、二年ぶりぐらいかな。
時計は十一時二三分。ざっと一時間で掃除終了。
久しぶりに掃除に成功した。俺ってやればできる。・・・よな。
いつもなら、すぐ片づける予定だったのが、ぐだぐだしているうちに時間がたち掃除中に友達が来てしまう。それでだいたいが「俺の部屋よりきれい」ですましている。今日だけは、成功させたかった。さすがに、汚い部屋に女の子を招待できないだろう。それに女子なのに「私の部屋よりきれい」はないだろう。きっと、かける言葉に困って話題を変えるに違いない。そんな雰囲気は嫌だ。誰だってそうだろう。
さてと、あまった時間どうしようか。・・・練習しとくか。
俺は部屋の端に置いてあるギターを持ってきた。
今日、水上に曲を披露することが決まっている。そのために、呼んだわけだ。ちなみに曲っていっても歌詞はない。ただ弾くだけ。アコースティックギターだ。一年くらい前に、歌うんじゃなく弾くことを中心にしたグループがヒットしたときに買ってもらった。そのときは、そのグループにかなり影響されていて、その曲を何度も弾こうとしては難しくてやめていた。でも、そのグループは今、解散してしまった。でも、俺は一人で続けている。今は影響とかなんもない。ブラスバンドにいるわけじゃないし、アーティストを目指すわけでもない。ただの趣味ってことだ。
指で弦を弾く。
「ジュワーン」
アコースティックギターの音。いい音だ。
何ヶ月か放り出していて、手入れをしていなかった期間があったのにまだまだ音色はきれいだ。
作曲 坂本翔の楽譜を前に置き、弾き始める。
「ふー」
この曲は二分。結構、大変なんだ。二分だけでも。それに、一人だからどんな音が出ているのかそれすらもわからない。だから、聞いてもらうわけだな。
間違ったところはない。今日のために練習したと言っても過言ではない。間違えなくて当然だ。
俺はもう一回練習しようとギターをかかえた。
―キミのこと、忘れない。キミは夢じゃない。ボクがキミに―
これは・・・水上のメール受信音。水上からメール。
『ごめんなさい。今日、二時から用事が入っちゃったから、今から行っていい?』
用事ね。オッケー。
『いいよ』
やっぱり一言だよな。
仁太と違って水上は返信が早くない。遅いときは一日後だったりもする。
ケータイを閉じて、二分。返信がきた。
『よかった。じゃあ、いつ行けばいい?』
掃除もすんだし、練習はもういいだろう。
『今からでもいいよ』
きっと大丈夫だろう。
またちょっと待つ。
『はーい。今から家出まーす』
水上の家から俺の家まで自転車で約十五分。正確にいうと一六分かな。遠くないし、近くもない。
水上は小学校からの友達だ。友達。六年間、一緒のクラスだったけど交流は多くなかった。なんとなく近く感じるようになったのは中三になってからだ。っていっても、俺が近くにいると思ってるだけなんだけど。
ギターを元の位置に戻し、イスを戻し、ドアを閉めて部屋を出た。一階に下りていって、冷蔵庫を開けジュースがあることを確認する。
「ピーチか」
久しぶりに見たピーチジュースにちょっと驚いて冷蔵庫を閉める。
あと十分ぐらいかな。
そう思って、俺はテレビをつけてニュースを見ることにした。
この時間帯にはほとんどニュースはやっていない。やっているのは、民放だけだ。キャスターが次々に事件についての原稿やいいニュースの原稿を読み上げている。
「ふー」
ため息。
やっぱり、事件ってのがあるからニュースやるんだよな。嫌な世の中だ。
ニュースは興味があるもの以外はみんな聞き流しだ。良いニュースだろうと悪いニュースだろうと興味がなければ聞かない。聞いていても頭には入らない。俺の場合、たいはんに興味がないからつけていても無意味に等しい。スポーツニュースと天気予報以外は、聞き流す。俺にとって、無意味なニュース番組を今つけているのは、他の番組がニュース以上に無意味だからだ。中途半端な番組が多い。視聴率を気にしているのか、していないのかさっぱりだ。でも、きっと年配にとってはなかなかの番組なのだろう。若者に理解を得ることは難しいだろう。
テレビの画面上に表示された時刻が、十一時四十分をまわって四十二分になりつつある。
もうすぐ来るな。玄関の靴をそろえておこう。何となく今日は気が利く。いいぞ。
玄関はリビングを出てすぐのところにある。逆に言えば、家に入ったらリビングはすぐそこといううことだ。
せっせと玄関を片づける俺のポケットがゆれる。
水上からメールだ。
『忘れ物しちゃったからいったん家にもどりまーす』
忘れ物か。じゃあもうちょっとかかるかな。
『OK』
即行で返信。
もともと整理されていた玄関はもう一段階整理された。普通からきれいになった感じだ。
ケータイを閉じて、テレビがつきっぱなしのリビングへ戻る。
『・・・二十九才が道路交通法違反及び過失致死罪で現行犯逮捕されました。市警によりますと容疑者は現行犯でありながら、やっていないと容疑を否認しています。この・・・』
ちょっとだけだけど、頭に入った。興味があるわけじゃないけど、最近よく聞く事件だ。おととい起こったコンビニ強盗の事件で、現行犯逮捕された犯人も「やっていない」と主張していた。この容疑者は酒も飲んでいなければ、薬もやっていない、前科も一切ないといういたって一般的な人だ。なのに、大きな事件を起こしてしまった。こんなふうに、一般人が急に事件を起こすことが、ここ最近になって増えてきている。もうほとんど、耳にしない日はないと言ってもいいと思う。今日も報道され、今週は毎日聞いていたことになる。興味がなくても頭に入るのは当然とも言える。これらの事件は、年齢や性別には関係ない。十三歳の少年だって、六十代のおばちゃんだって事件を起こしている。共通して言えることは無実を主張することだ。現行犯で捕まった犯人が「私じゃない」と主張したらそれはこれらの事件扱いになる。
正直なところよくわからない。俺だけじゃなく警察もそうだろうと思う。捜査がうまくいかないのも確かだしな。
女性キャスターが甲高い声で原稿を読み上げている。かむことがなく早い。キャスターが一呼吸おいたところで、画面上に横からスライドして大きな文字が現れた。
『またもや私じゃない事件発生』
私じゃない事件・・・なんかださい。でも、シンプルでわかりやすい。
『・・・車のガラスを・・・自分ではない・・・』
またか・・・。
ため息が出た。今日二回目だ。いつまで続くんだろう。まぁ、俺とは関係ないか。
キャスターは正午までの何分間か、まだニュース原稿を読む。その中にも、もしかしたらそれらの事件と同じようなものがあるかもしれない。
「・・・でした。次のニュースです。午前・・・」
俺はまた聞き流しに入った。
―ピーンポーン、ピーンポーン―
次々とニュースが読まれる中、インターホンが鳴った。
水上かな?
ちょっと早い気がしたけど、気持ちが高ぶった。
「ふーっ」
深呼吸、深呼吸。第一印象は大切に。
インターホンの受話器をあげた。
「はいっ」
声に答えた人間は、水上よりも低い声の持ち主だった。
「吉宅配便です。えーと、坂本・・・宏尚様宛ての小包です」
坂本宏尚は親父だ。親父宛てだな。
「はい、今行きます」
なんだか恥ずかしい。思いっきり「はいっ」って言っちまった。変に思われたかもな。無駄にテンション上げるんじゃなかった。
リビングのドアを開けて玄関に行き、鍵を開けた。
そこには、小さなダンボールを持った若い男性が立っていた。爽やかな青年というイメージが強い。細身ながらも肩幅は広く、顔も体のわりに小さい。あごに生えているひげも格好よく見える。世にいうイケメンだ。
「ここにハンコをお願いします」
青をベースにした作業服の袖から出る白くて大きな手、指がハンコを押すところを指している。
俺はハンコを玄関の引出しから出して、指示されたところにしっかりとハンコを押した。
「はい・・・ありがとうございました」
青年は帽子に手をあてながら笑顔でお辞儀をした。
「失礼します」
そう言って、素早く車に戻っていった。
届けられた小包は会社関係のものだ。「ワレモノ注意」のステッカーが貼られた小包の中身は、きっと化粧品だ。大手化粧品メーカーの企画部長である親父には、こういう形で会社から新商品が送られてくることがある。会社でも見れるのに家に送るわけは、母が欲しがるという理由だけみたいだ。母もただでもらっているわけじゃない。母は新商品のモニターをやっているのだ。母いわく、「新商品の実験台という大役をやっている」ようだ。それに、ちょっと前にヒットした商品の中に母が企画したものがあった。会社に対しては親父の意見ということになっているが、その意見はもともと母が言ったものだった。母が言った女性目線の意見を親父が会社に伝え、それが新商品のきっかけになったというわけだ。その新商品のおかげで親父は企画部長に昇格した。今でもたくさんの人に使われているその化粧水を企画したのは母だから、昇格は母のおかげとも言えるわけだ。それ以来、ひんぱんに化粧品が送られてくるようになり、その化粧品を俺が受け取ることも多くなってきた。
宅配便の車のエンジンがかかり、だんだんと遠くなっていく。
俺は鍵を閉めて、リビングに戻ろうとした。リビングのドアに手をかけたところでベルが鳴った。
―ピーンポーン―
水上かな? でも、違うかもしれないな。
俺はリビングに戻り、さっきよりも慎重にしゃべった。
「はい」
聞こえてきた声は、トーンの高い女の子の声だった。
「あっ、水上でーす」
声に反応して、鼓動が高鳴った。水上が来るのは初めてじゃない。先月も来た。なのに、いつまでたっても緊張が直らない。水上が好きだから緊張してるってわけでもない。好きかって聞かれたら普通って答える。仁太が言うには、好きとか嫌い関係無しに女子を家に呼ぶこと自体が緊張すべきことみたいだ。だから、当然と言えば当然なのかもしれない。きっと、仁太は呼んだことないな。呼んだって来てくれないのがオチってとこだな。
俺は素早く玄関に行って、鍵を開けた。
「よっ」
仲がいい友達に「こんにちは」と言わないのとは、ちょっと違った恥ずかしさだけど、改まってあいさつをするのは恥ずかしい。それも、長い付き合いでお互いのことを結構知ってるから、もっと恥ずかしい。
「おはよ。こんにちは・・・かな?」
言葉を探しながらの俺に対し、向こうは余裕みたいだ。満面の笑みで対応してきやがる。かわいいっちゃあかわいいけど、まぁかわいいのかな。
「ま、中入れよ」
中に入るように言う俺に、水上は笑顔で答えた。
「おじゃましまーす」
玄関に上がった水上は靴をきれいに並べて、何かを差し出した。
「これ、お菓子なんだけど」
差し出されたケーキ屋の袋には真っ白な箱が入っていた。
「あ、悪いな。ありがとう」
袋を受け取ると甘いかおりがただよった。
ケーキだ。きっと、ケーキだな。そう思ったところを水上に見抜かれた。
「家の近くにあるケーキ屋がね、新しいケーキをだしたんだ」
水上の家の近くにあるケーキ屋はちょっと有名な店だ。テレビにも何回か出ていて、買うためには並ばなきゃならないことなんてざらにある。でも、並んでまで買いたくなる理由もわかる。どれもこれも並ぶ必要があることに納得できる一品なんだ。
「悪いな。並んだだろ?」
「ううん、それがね、なんだかすいてたの。お客さん全然いなくて五、六人しかいなかったの」
「へー、めずらしいな」
普通の店なら一度に五、六人も客がいたら繁盛なんだろうな。やっぱりあの店は格が違う。格が違うと言えば、そのケーキ屋は値段の格が一般的な店とは違う。男の目線から言えばただのいちごのケーキが千二百円だ。甘いもの大好きな女性から見ればたいしたことないのだろうか。水上が言うには「あんなにおいしいんだから高くて当然」だそうだ。母や俺に言わせれば「おいしくても高いからダメ」だ。とにかく高い価格設定によって、母はあの店のケーキを買うことも食べることもない。一回だけ父の昇格祝に買ったものの、それ以来買うことはおろか店の前を通ることもなくなった。あの店は妙に甘いものが好きという特徴をもたない庶民には好かれていない。
「でしょ? びっくりしちゃった」
いつもよりすいてることに気づくのは通っている証拠だ。もう一つ、格が違うと言えば水上の家だ。
水上家は毎週日曜日のデザートをあそこのケーキに決めているようだ。何度も自慢気に話しているところを見たことがある。しかも、今日みたいに友達の家に来るとき持ってくるお菓子はだいたいこれだ。要するに、友達の家に一週間の内、二回だけでも行った場合、週三回はあそこのケーキを購入していることになる。一番安いタルトケーキを買っていたとしても三万円はかるい。例え、家族全員が甘いものが大好きだとしてもケーキ代に三万円かける家はそうそうない。簡単に言えば、水上の家は金持ちだ。祖父が不動産会社の社長だったらしく、祖父が死んだ後、水上の父が会社を継いで社長になっている。不動産会社の社長ともなれば金持ちなのは当然と言えば当然だ。
「そうだな、なんかあったのかな」
「わかんない。お店の人に聞いたら、この方が楽ですって」
たしかに楽だ。いつもなら休みなく仕事を続けているわけだ。商品と個数を聴いて取り出し
箱に詰め会計をする。なれてしまったら手が勝手に動いてしまうんだろう。すごい速さで店員の人は作業をこなさなければならないのだ。
「そうだよな、あそこの店、いつもすごいからな」
「そうだね、いつもがすごすぎるんだよね」
話が一段落ついて俺たちは階段を上って俺の部屋に入ろうとしていた。
「そういえば、翔ちゃんの新しい部屋って初めてだね」
小学校からの付き合いである水上は何度も家に来ている。小学校までは書斎の隣にある小さい部屋が俺の部屋だった。水上とは中学では中三になるまで違うクラスだった。中三になり水上が家に来ても、部屋を片づけるのがめんどくさくってリビングで話しただけだった。だから水上は、まだ俺の新しい部屋に来たことがなかった。
「ちょっと待って、一回確認するから」
きれいにした部屋だが、見落としがあるかもしれない。友達が来たときなんかは必ず確認してから中に入れるようにしている。
「入っていいよ」
「おじゃましまーす」
入った途端に水上が感想を述べる。
「へー、いい部屋」
「そうか?」
「うん。並みの男子じゃここまでいい部屋を持ってないよ」
並みの男子って・・・何が基準なんだよ。
「そうとう大変だったけどな」
事実を話せる女子は水上ぐらいだろう。
「片づけ? だね。でもさ、いい部屋だよ。片づけるとかの前に」
笑顔の水上に、なんとなく俺もうれしくなった。
「片づけなきゃこうはなんねぇよ」
実際、さっきまでの部屋は足の踏み場もないとんでもない部屋だ。
「そっか。そうだよね。前の部屋もそうだったしね」
「あぁ、前のは片づけとかしたことなかったからな。別に意識してなかったからさ。汚くても」
前の部屋は今の部屋よりももっととんでもないものだ。紙という紙は床に散らばり、なんだか逆に芸術みたいになっていた。
「でも、ホントいい部屋だね」
水上が黒いソファーの腰をかける部分を触りながら答える。
「あんまり眺めるなよ」
水上は一周ぐるりと周りを見渡した後、笑った。
「そうだね」
「ま、その辺座ってよ」
俺の示したその辺に水上は座った。さっきのソファーだ。前足をそろえて行儀良く座っている。
水上はさっき言ったように家が金持ちのお嬢様だ。しっかりと流儀はわきまえているし、言葉づかいも普通の女子よりはずっといい。
「ちょっと待っててな。今、コーヒー用意するから」
「え? コーヒーなんていいよ」
「ケーキ食うんだから、コーヒーだろ」
あれ? コーヒーは確か飲めたはずだけどな。嫌いなんだっけか?
「違うよ」
「コーヒー嫌い?」
ケーキ屋の袋を持つ俺の右手を水上が指差す。
「そうじゃなくて、私ケーキいいから」
「なんで?」
「それは後で食べてくれればいいから」
「いいよ。食べようぜ」
水上が肩を大げさにすくめた。こいつのお得意のポーズ。
「だ、か、ら、そのケーキはおばさんとおじさんと翔ちゃんの分しかないの」
「あ、そういうことか」
水上がため息をつく。でも、笑っている。
「翔ちゃん、相変わらずだね」
「決まってんだろ。俺は俺だ」
力のない笑顔で水上がつぶやいた。
「そうだね。翔ちゃんだもんね」
「じゃあ、他のお菓子用意するよ」
部屋を出ようとする俺を水上が引き止める。
「いいよ、おかまいなく」
「遠慮すんなよ」
久しぶりに来たわけだし、お菓子を出さないわけにもいかないだろう。
「いいって」
「ケーキのお返し・・・にはならないけどさ、とりあえずな」
水上が「負けました」の顔をつくる。
「わかったよ。じゃあ、お願いしちゃうね」
階段を軽快に降りる。トントントンと音が響く。
台所の引き戸にバームクーヘンがあったはずだ。さっき、確認しといたから間違いないな。あとは、紅茶でいいかな。
「レモンでいい?」
俺の部屋にいる水上に届くように声を張り上げた。家中に声が響く。
「何が?」
水上も同じように声を大きく出している。とてもよく聞こえる。
「紅茶」
家中に声が響いた。でも、返答が遅い。
また遠慮するっぽいな。レモンティーでいいか。
「ダージリン」
しっかりと耳に届いたその言葉に遠慮は含まれていなかった。
ダージリンってあったっけかな? 戸棚に・・・ないや。
「レモンじゃダメか?」
「ダージリン」
なんでそこまでこだわるんだ? まったく、これだかお嬢はやなんだよ。
「ないんだけど」
返答はない。
「レモンじゃダメなの?」
少しの間があって、返答された。
「嫌い。レモンティー嫌い」
そういうことか。嫌いなわけね。最初から言えよ。でも、ダージリンはもうないしな。どうしようかな。
「ダージリンじゃないとダメなのか?」
「レモン以外は大丈夫」
冷蔵庫に牛乳があったな。ミルクティーにするか。
「ミルクティーでいい?」
「いいよ、ありがと」
お湯を注ぐだけ。っといった簡単な方法で紅茶をいれることができる市販の小袋をカップに入れ、ポットのロックを解除して思いっきりお湯を注ぐ。お湯を入れた途端にいい香りがする。そんな紅茶の中にただの牛乳を注ぐ。はい、完成。いたって簡単にミルクティーが出来上がった。速攻でつくったわりには、なかなかおいしそうだ。
戸棚に置いてあったバームクーヘンを皿に移して、ミルクティーのはいったカップの横に置く。こぼれないように階段をあがって片手でドアを開ける。
「おまちどうさん」
「あー、いい香り」
部屋に入った途端、ミルクティーの香りが部屋中に広がった。
「バームクーヘンしかなかったから」
別にバームクーヘンしかなかったわけじゃないけど、お茶うけで出せるのはこれぐらいだった。他にも戸棚には、せんべいとかポテチとか男子用のお菓子がたっぷりとある。ポテチを出しても問題ないけど紅茶にそれはないだろう。
「いい、いい、おかまいなく」
そう言ってカップを口に運ぶ。
「はー、おいしい」
それを見て俺も飲む。
「あぁ、おいしいな」
バームクーヘンも同時に水上の口に運ばれた。
「やっぱ、合うね。久しぶりかなー、こういうの」
「何が?」
「いやいや、あの、ゆっくりするのがさ」
確かに最近、ゆっくりすることは少ない。毎日毎日が素早くて、気づいたら一週間、一ヶ月経ってたってことはよくある話だ。朝だって、夜だって急いでるから歩いてなんかいないしな。それももしかしたら早い原因なのかもな。
「そうだな、最近はな」
「そうそう、こないだのテストだってあっという間だったし、もう気づいたら三年なんだよね」
「そうだよな、早いって言うかなんというか」
「はやっ! かな?」
「それもどうかな」
水上が家に来たとき何をしているのかと言えば、こんな感じだ。いつもこう。ただ気ままに意見を言い合ってストレスを発散してるだけ。男友達に言うよりも水上に言ったほうがお互いに理解出来る。まぁ、思ってるのは俺だけかもしれないけど。でも、小学校の頃からずっと続いてたわけだから、水上もそう思ってるのかもしれないな。
「そうだ、早くで思い出した。やってよ、あれ」
「あれね、あれ」
「そうそう、あれ」
あれとかそれとか代名詞を使うのはあんまりよくない。そうテレビで言っていた。老化の進行が早くなるらしい。
俺は部屋の端に置いていたギターを体でかかえた。
「へー、初めて見た」
小学校の頃は持っていなかったから見るのが初めてで当然だ。
「上手いの?」
胸にぐさっときた。本当のところどうなのかはわからない。。親に聴かせたときもあいまいに「上手いんじゃない?」でごまかされた。どうなんだろう。
「え? 知らん」
本心だ。
「ふーん、じゃあ私が上手いか言ってあげる」
「じゃあお願いします」
「はーい」
「じゃあ、始めるよ」
笑顔で返事をした水上の顔が真剣になった。
「あのさ」
「なに?」
「出来れば、リラックスして聴いて欲しいんだけど」
「あぁ、ごめん。責任重大だからさ」
責任重大・・・ねぇ。
俺はベルトを肩にかけ直した。
「じゃあ、まじでいくよ」
―パチパチパチ―
ささやかな拍手の後、俺は大きく息を吸い込んで弦に手を触れた。
―パチパチパチ―
ささやかな拍手を受けて俺の演奏は終わった。
「すごい! びっくりしちゃった」
「ありがとな」
「いやいや、ホントに。すごいって」
「すごいって何が基準?」
「私」
「はー」
大きなため息をつく。やっぱり、こんなもんかな。
「はーってなに? ため息とかなに?」
「別に、ただ、そんなもんかなって」
「すごいって! なんかもう上手く言えない」
上手く言えないか・・・。まぁ、別にミュージシャンとか目指してるわけじゃないから、どうでもいいって言えばどうでもいいんだけどな。
「ありがとう。喜んでもらえて嬉しいよ」
「あー、なんか上から見られてる感じ」
めんどくせぇな。ったく。
「いやまじでさ、一人でも喜んでくれる人がいてよかったよ」
「ホントに思ってる?」
「あぁ、本当に」
「だったら、学校でやったら? みんな喜ぶけど」
「やだね。学校だけは」
学校なんかでやったら、いい恥さらしだ。笑われるのが落ちだな。
「笑われなんかしないよ」
心の中を見透かされたようだった。水上の言葉には少し力がこもっていた。
「大丈夫! 私が保障するよ」
水上に保障されてもな。正直なところだ。
「ありがとう。でも、俺はいいよ」
「・・・そっか。だよね」
「あぁ、別にただの趣味だからな」
「そうだね」
残念そうな水上は何か言いたげな顔をしている。
「そうそう。あんまり広まると面倒だしな」
「そうだね・・・でも、もったいない」
そう、ぼそっと口にして冷めたミルクティーを飲み干した。
「おかわりいる?」
「いい。ごちそうさま」
バームクーヘンののっていた皿の上に、ミルクティーのカップと皿を重ねカップの中にスプーンを入れた。それを見て、水上も同じようにした。
「悪いな」
「ううん。これぐらいは」
おやつを食べ終えた後、最近の出来事で盛り上がった。でも、それはあまり長く続かなかった。
これといってやることがなくなった。時刻は十二時四十三分。お互いにストレスを発散しきったのか会話が心なしか減ってきた。男友達なら何でも楽しめばOKなのだが、友達と言っても女の子だ。そんな簡単に決められない。気まずいんじゃないけど、どこかしらけた空気が部屋に流れ始めた。もっと話が続くかと思っていたが、小学校の時とはやはり違うようだ。お互いの気持ちとかを考えながらしゃべることもあって、何度もぎくしゃくした。
話が途切れたところでやっぱり言うべきかと思った。
「あのさ」
「なに?」
「思ったんだけど、そろそろ無理があるんじゃないか?」
思い切って言った。
「うん・・・私もそう思う」
通じた。きっと悪い空気の中、水上も同じことを考えていたんだと思う。
「やっぱ思ってたか」
「うん。厳しいよね。翔ちゃん的にも」
翔ちゃん的にも・・・水上もきっと同じことを考えている。この年頃になると異性で親友という関係は難しい。好きでもないのに一緒に話したり、遊んだりすることは中学生ましてや中学三年の俺らには無理に等しい。それに、昔の親友を好きになるのというのはなんとなく複雑だ。お互いにただの友達である俺たちにはわからないけど、きっと複雑なんだ。複雑とかの前に互いに好きでもない俺らには関係ない話だけど。
「・・・」
その質問には、答えない。わかってるはずだ。だから、あえて言わない。言ってしまったらこれからも親友でいること自体が出来なくなる。そう思った。
「だよね・・・」
水上のため息。水上といてここまで雰囲気が悪くなったことはない。水上のため息を初めて聞いたのかもしれない。初めて聞いたということもあってそれはすごく重く、部屋全体に浸透するようだった。
「・・・」
「・・・」
お互いに沈黙が続く。でも、俺は切り出す気はない。水上もだろう。
この部屋の雰囲気は気まずいよりも上をいく何かになった。
もうしゃべらない。お互いに。怒ってるんでも、悲しんでるんでもない。なぜかだ。何でだかもわからない。でも、しゃべることはない。それは、言い切れた。
時計の針が動く音が鮮明に聴こえる。騒然とする部屋にそれは響き渡っている。が、突然、あまりにも突然に大きな音が部屋にとどろいた。それは今までの雰囲気を一気に取り払うものだった。
―ズー、チャッチャラチヤッチャッチャッチャー、チャッチャラチヤッチャッチャッチャー―
水上も俺もあまりの突然さに体をびくつかせた。が、俺も水上も着信であることにすぐに気づいた。それを気遣って水上は「出てもいいよ」と仕草で示した。
俺は立ち上がり、ポケットからケータイを出した。仁太であることはわかっていた。
「もしもし」
「ちーす! 終わったか?」
声がもれる。きっと、薄っすらと水上にも聞こえている。
「終わってねぇよ」
「あっそうか。悪かったな。で、いつ終わる?」
きっともうすぐ帰ることになるだろう。この雰囲気だ。
「もうすぐ」
「わかった、わかった。じゃあ、来てな」
「あぁ、行くよ」
「はい、OK! じゃあ、おやすみ!」
「あぁ、おやすみ」
―プー、プー、プー―
ケータイをしまい、水上の方を見る。「じゃあな」を言おうとした。だが、それをさえぎる言葉が水上の口から発せられた。
「あのさ、ねぇ」
「なに?」
久しぶりに水上の言葉を聞いた。そんな気がした。
「思ったんだけど、今までなにしてたんだろう? って」
「今までって?」
「今だよ。何を悩んでたのかなって」
何を悩んでたのか? えー、何だっけ? 俺たちのことだったはずだ。
「おれたちのこと?」
「そうなんだけど・・・よく考えたらね、何を悩んでたのかわかんないんだ」
悩んでたことって、同じだろ。
「俺たちのことじゃないの?」
「そう。でも、それって、私が翔ちゃんの家に来なくなるだけの話じゃない?」
確かにそうだ。何悩んでたんだろう。
「確かにそうだな。友達のままでいいんだからな」
「そうだよ。翔ちゃんは翔ちゃん。私は私だよ」
「そうだな」
何を悩んでいたのか。なんで雰囲気が悪かったのか。どちらもわからないし、もうどうでもいい。ただ、水上の言葉に少し寂しさを感じたのは確かだった。
読んでいただきありがとうございました。
これからがこの小説のメインになりますので、もしよければ是非読んでいただきたいです。
今回はありがとうございました。