1-1 こんな光景、見たことある?
俺は、瞼を開けた。
突然、意識が明快となる。
だが、思考には空白が生まれていた。
「あ、起きた?」
耳に届くのは、ミユキの声だ。
俺が立っていたのは、紋様と文字が描かれた魔方陣の上だった。
周囲に窓はなく、天井は吹きぬけのように高い。
四方にかがり火がたかれ、炎の踊りにあわせて、俺の影も揺れていた。
この場にいるのは、七人。
四人は、床に伏している。
まったく何が起こっているのか、わからなかった。
俺とミユキ以外の人たちの格好は、映画の中でのみ存在するヨーロッパの中世のもの。
きったねーローブ姿だ。
まったく、信じられない。
こんなことがありえるだろうか。
「なあ、おまえ何をしているんだ?」
「え、何って、見たまんまだけど?」
大きな瞳を、さらに大きく丸めて、不思議そうな表情を、ミユキがした。
「あのなあ……」
――幼なじみの女の子が、痩せ細った老人の首に刃物をつきつけていた。
こんな光景見たことあるだろうか?
俺の幼なじみは、危ない人だったらしい。
とても、信じられない。
「だって、あまりにもこの人たちあやしいんだもの」
気絶しているローブ四人組をノックアウトしたのは、ミユキだった。
四人は完全に白目をむいていた。
身体能力は確かに高く、スポーツ万能な女ではあった。
しかし、格闘技はやっていなかったはずだが……。
「わしは、何もしておらん。そこの若いの、この娘をどうにかしてくれんか?」
禿頭で、ローブをまとったじいさんが、俺に助けを求めた。
「ずいぶん、余裕があるのね。まさか、私が何もしないと高をくくっているんですか?」
じいさんの発言は、どうやら、ミユキの怒りセンサーに引っかかったらしい。
物心ついて以降、腐れ縁は続いているが、いまだに、俺も、彼女のセンサーが何に反応するのかはわからなかった。
「そうね、あなたの考えは当たっている」
「なに?」
じいさんの声には、疑念がまじっていた。
かわいそうに。
冷静な美人というのは、こわいものなのだ。
どこ吹く風の俺は、周辺を調べる。
「殺しはしない。でも、他のことならやると言ったら、どうします?」
「………」
「あなたは、そういうこと詳しそうですね。でも、私たちの世界の方が、進んでいるかもしれません? 試してみますか?」
「――待て。何か、勘違いをしているのだ。話せばわかる」
「あ、なに、今の。こっちの世界の知識はあるぞ、っていうアピールのつもりですか?」
かっちーんという音が聞こえてきそうだ。
話せばわかる、くらい、普通に使うと思うが……。
俺は、弁護してやらなかった。
敬老の精神がないから、というわけではない。
「何を言っているんだ。おい、そこの。何とか、言ってくれ」
「言うのはかまわないけど――」
俺は、二人に向きなおった。
刃物を突きつける女子高生と、怯える老人。
相変わらずシュールである。
「じいさんの援護をするとは、かぎらないよ」
「そうね。心情的に私側につくに決まっている」
「理性的に言って――」
俺の言葉に、ミユキの形の良い眉がぴくりとした。
「じいさんを援護することはできないな」
「……誤解だ」
「この床、汚れているけど、その理由を聞いてもいいですか?」
「………」
「赤黒い染み、というのは、考えたくないけど――」
「血ね」
ずばりとミユキが結論を言った。
考えたくはないが、掃除をしても血の跡が消えないほど、ここで命が消えた、ということだろうか。
「じいさん、俺たちでいったい何人目なんだ?」
じいさんの目が鋭いものへと変化した。
ミユキの空気も変化する。
「やめるんだ!」
重厚そうな両開きの扉の向こうから、若い男の声がした。
「ローザス。いいかげんに、外の世界の人間に頼るのはやめろ。聞こえているのか! 早く、この扉を開けるんだ」
がんがんと扉を叩く鈍い音がする。
大きな扉は頑丈なようで、その程度の力では微動だにしない。
「外にいるのは誰?」
ミユキが訊ねる。
「我が国の王子だ」
「王子の意思に反する行動を、あなたはとっているというわけですか?」
「殿下に反しても、陛下の言葉には、反していない」
じいさんは、嘘をついているようには、見えなかった。
俺とミユキの視線が交錯する。
俺は、扉へと向かった。
「この扉を開けます。私は、有馬真一郎というものです」
「……すまない。すでに、儀式は成功してしまったようだな」
騙されているのかもしれない。
だがおそらく、扉の向こうにいる王子は、じいさんとは、反対の陣営に属している人だ。
何より、王子の真摯な声は、俺の心に響いた。
俺は、錠となっている棒を外すと、扉をゆっくりと開いたのである。