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私の撃たれた亡霊たちへ

作者: しえすた

 たとえばもし私がきのう裕弥くんに傘を貸すのをためらわなければこの人はおとなしく実家に戻っていたかもしれない。ふらっと帰宅した弟に玲子姉さんは驚くかもしれないけど、お姉さんのことだから夜食ぐらいはさらっとこしらえてみせるだろう。「だったらさえちゃんも来ればよかったのに」いつかの私にそう言った長身のお姉さんに、勝手に敗北感を覚えたのはいつだっけ。

 もし本当にうちなんかに寄らずに家に帰ってたら、ゆうくんは約半年ぶりぐらいに実家のベッドで寝転がって、さほど使われてもいないはずの自室がそれなりにこぎれいなことなんて気にも留めないで、でもあいつはいつもの変な直感でお姉さんを気にかけちゃったりして、家庭のあたたかさを感じながら眠りについたはずだ。少なくとも今の私みたいに夜中の二時を吹きすさぶ暴風雨に耳をふさいだりはしないはずだし、そんな私をソファーに押し倒したまま耳元すぐ横でアルコールの入り混じった生ぬるい寝息をまぶせたりもしなかったはずだ。絡まったままの太股は冷え切ってるのに、中途半端に二人へとかぶせたタオルケットをはがすのが面倒で、このまま起きるのもかったるくて、寝たり醒めたり、ろくでもない夢をみたり、私だけ醒めたまま取り残されたり。ていうか暑いよ、ゆうくん。

 なんだか腹がたってきた。脱ごっかな。いっそ脱がせてやろうか。しずめてやれ。やだよめんどい。ばーか。そんな一人問答が寝息で吹き消される。乗せられた頭の深く、うちのシャンプーの匂い。でもそれは確かにゆうくんの汗の匂いになっていて、弾みでどうでもいいことを思い出しそうになる。


 バタフライ効果、という言葉を教えてくれたのは意外にも西島先輩だった。見知らぬ町の隅っこではためいた蝶の羽が、めぐりめぐって別の町で大嵐を引き起こす。そんな自然界の途方もないドミノ倒しの話を、あの人はウェーブがかった髪を指先でいじりながら、ちょっと得意げに語ってみせた。あれはいつだっけ?私たちがあの高校にいた頃で、夏服の半袖がはためいていて、たしか、背後のカーテンが真っ白に明るかったから夏の盛り?いや、そこに熱気はなかった。あの先輩の見透かした目も悪気なくにやけた口元も、もっとこうしっとり冷たい、寝汗をかいて夜中に醒めた時のような、熱ごとはがれ落ちて冷めたタオルケットみたいな、そんな天気のなかだったはずだ。だからこう、9月ぐらいの、初秋の曇り空でふたりきりになった時の……

 どうでもいいよ。そんなこと。頭の中でそう言いつけて、思考をさえぎった。さえぎるのに使った声、たしかに私の声だったはずなのに、頭の中ではねかえってきたのはゆうくんのだった。「どうでもいいよ、そんなこと」これもいつかに聞いた言葉なのだ、きっと。するとゆうくんがふいに寝返りを打った。

 わわ、落ちそう、引っぱる、あぁこのひと意外と重たいんだ……かろうじて腕一本で引き戻して、よけいに重くなった気がした。つぶされそう。私の腕、細すぎる。これからもうちょっと太くしなきゃいけないのかも。風の音がすごい。台所の換気扇がガタガタ鳴る。いい加減起きなきゃいけない、のかもしれない。ああでもこの人の酔いがさめるまでは、こうしていてもバチ当たらないはずだ。……バチが当たる? 私は、ゆうくんに、なにかしてしまったことでもあるのかな?

 ああそうだ思い出したターゲット1900だ。私が日直日誌を置いて部室に戻ったとき、一人で残ってた西島先輩が思わず隠した青い表紙。単語帳ぐらい見られたっていいじゃないですか、そんなことを言ったら、らしくないだろ、って少しいじけた。唇のとがらせ方があの人みたいだ、と思ったとたん、ぼすんと音がして(カバンに投げつけられた単語帳)急にふってきた話題。「そうだ。谷川、カオス理論って聞いたことある? 英語の過去問で出たんだけどね、」

(記憶が一瞬にして膨らんでハジける破裂した懐かしい光から流れ出たのはあのフローリング水しぶきは窓枠へと形を変える結晶化したテーブルと空のペットボトル埃のにおいわずらわしい光を背に受けてあの人が笑っているゆうくんがいないここは二〇一三年いや違う二年前の部室だ私はすべてを思い出す冷め切ったペットボトル問われた声なぜか涙が流れる西島先輩が慌てて近寄る私は思わずはね飛ばしたそうちょうどこんな風に腕を伸ばしてゆうくんがいない腕の中に居るのに私が二年前に引きずり込まれて寒気がするゆうくんがいない……)

 その時。暗闇の中でからだが少しはなれて、思わずつかまえようとしたらまた重なった。息が止まった。いや、奪われたんだ。私は自分の息をうばわれ、ゆうくんに舌を濡らされてしまった。心臓になにか滴ったみたいで指先がふるえて先輩の身体にすがるように脚をからめてしまう。この頭をつかまえる二つの手が、親指が耳の裏をすべる音でさえぎられて、水の音がちゅるちゅると止まない。行き場のない私の腕をゆうくんの背中に回して、素肌に指がふれようとする。重なった両脚の交点をもっと近づけようとして。するとゆうくんはふいに顔を上げて(レントゲンのように透き通される目。この人はときどきこんな目をしてみせる!)ひらいたままの唇から垂れた涎が私の首もとに垂れ下がる、その垂れた熱が冷え切る手前、この人はこう言う。

「あれ。さえ子、寝てたの?」

 そしてそのまま寝落ち。うわあ、また置いてかれた! ていうかなんだったの、今の。いい足りなくて吐き出した長いながい私の溜息、それが薄暗い部屋に蒸発しきる頃、別の意味で身体じゅうの力が抜けた。あくびのような漏れ出る笑い声が寂しい。引き寄せるように抱きしめた彼の身体、それでも抜けがらみたいだ。ゆうくんはいつだって置いていく。ひねくれた私が帰ろうとすると、道の向こう側で思い出したようにきらきら手を振ってみせる。星のまたたきみたいな瞳に惹かれて、結局一緒に無駄足をふんでみたりして。何年か前と変わらない二人。愛されてるか不安だなんてありがちなセリフで問いつめた言葉、使い古されたやり取りをまた思い出す。

(また記憶が立ち上がる。今度は時系列に沿って、西島先輩に子どもみたいにあやされてから、迎えにきたゆうくんと二人で帰る道。九月か十月の夕空は春先と似ていた)

 ゆうくんは私を選んでよかったの? 私、こう、めんどくさいでしょう? 大学行って、いろんな出会いがあって、私がこうして手を伸ばさなければもしかしたら別の可能性がいくらでもあって、他の誰かと口づけして、私の無理した手で引っ張られなくたって楽しくやっていけるような、そういうふうになってたかもしれないのに、

『んー、どうでもいいよ。そんなこと』

 数メートル先、背負ったカバンと伸びる影。近くのコンビニの光がまぶしくて、ゆうくんの方がみれなかった。でも、あのゼリービーンズみたいに甘くて透明な声の固さはこの耳をばきゅんと撃ちぬいて、今でもからから反響しっぱなし。「そうだ。こないだね、姉ちゃんと向こうの商店街にいったの! そしたらうまいラーメン屋発掘してさぁ、」子供っぽくはじけた笑顔で車道にはみだしそうな先輩に追いついて、細い片腕で引き戻して、それから三年と少し経って、相変わらずそんな感じ。


 手持ちぶさたに頭を撫でていたら、今度こそ本当に寝入ってしまったらしい。幸せな人だ、まったくもう。いっそ私も追いつこう、ゆうくんが待つ夢の世界へ。数メートル先の影の中へ。先輩だったゆうくんの後を追いかけなかった私、未練がましく追いかけて同じ大学へ入学したりしなかった私、遠距離恋愛なんてばかにしたまま年を取った私、ゆうくんと付き合わなかった私。バタフライ効果を真に受ければ、そんな私の亡霊たちが見えないところで折り重なっているのかもしれない。もっと幸せだったかもしれない、もっと普通だったかもしれない。かもしれない、かもしれない。


「――どうでもいいよ、そんなこと!」

 響く私の声。部屋の隅の暗がりに宣告してやった。私たちは大して変わらないまま、相変わらずそんな感じでやっている。あなたたちに追いつかれるもんか、私は私の道を行くのだ。さらば、失われた谷川紗江子たち! なんてね。あはは、もう寝よ。



end.

某所のタグが流行ってたので、試しに最近作ったものを晒しがてらに

もとは二次創作として作ったので、設定は適当すぎた

次は百合小説をつくろうと思う

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― 新着の感想 ―
[一言] へきへき……ですね。 これからもへきへきした作品作りを頑張ってください。
2013/03/28 07:37 退会済み
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