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第7話 この土地の価値

俺は手を伸ばし、そっとそれに触れた。


冷たい。

だが、ただの石の冷たさではない。

もっと密度のある、芯まで詰まったような感触だった。


持ち上げてみると、見た目より重い。

そして、表面は驚くほどなめらかだった。


「こんなもの、見たことないな」


俺が言うと、ガレスも眉をひそめた。


「俺もねえ。魔石って柄でもなさそうだが…」

「だが、こんな丸くてでかいもんは聞いたことがねえ」


テオドールが珍しく無言で近づいてきた。

いつもの気だるげな空気が薄い。

真面目な顔で、その珠を見ている。


「テオドール?」


「…少し、見せてください」


俺は珠を渡した。


テオドールは両手で受け取り、しばらく黙って眺める。

表面を指でなぞり、耳元に寄せ、光に透かすように角度を変える。


「どうだ」


「分かりません」


「おい」


「本当に分かりません」


だが、その声には奇妙な熱があった。


「少なくとも私は、こんなものを文献でも実物でも見たことがない」

「魔石、核、胆石、どの分類にも綺麗に当てはまりません」


「価値は」


「未知です」


「雑だな」


「ですが…」


テオドールは珠から目を離さずに言った。


「未知というのは、時に高値より厄介で、時に高値より面白い」


その言い方で、ただの石じゃないことだけは分かった。

村人たちも、固唾を呑んで珠を見ていた。

怖れているというより、圧倒されている。


それもそうだろう。

あれだけの化け物の体内に、こんな美しい球体が収まっていたのだ。

気味が悪いのに、目が離せない。


バルドが低く言う。


「…呪われてる、とかじゃねえだろうな」


「だったら昨夜の時点でもっと嫌な感じがしてるだろ」


ガレスが肩をすくめる。


「少なくとも、今はただの玉だ」


「ただの玉に見えるか?」


「見えねえから面倒なんだよ」


俺は再び珠を受け取り、朝の光の下で眺めた。


焦げ茶の奥に、わずかに別の色が見える気がした。

岩肌のような筋。

乾いた土のような濃淡。

まるで、この新大陸の欠片を丸く磨いて閉じ込めたみたいだった。


「…取っておこう」


「売るんですか?」


「すぐには売らん」


俺はきっぱり言った。


「正体も価値も分からんものを、今の俺たちが迂闊に手放すのは危ない」


「賛成です」


テオドールもすぐに頷く。


「もしこれが新大陸特有の何かなら、情報そのものが価値になります」

「少なくとも、軽々しく帝都へ流すべきではありません」


「本家に嗅ぎつかれるのも面倒だしな」


「ええ、とても面倒です」


その「とても」に妙な実感がこもっていて、少し笑いそうになった。

だが笑ってばかりもいられない。


巨猿一匹で、これだけ出た。

毛皮、骨、肉、そして正体不明の珠。


もし新大陸の魔物がどれもこんな価値を持つなら、この土地は想像以上に危険で、想像以上に宝の山だ。


「レオ」


バルドが、初めて名前を呼んだ。


「なんだ」


「昨夜あれを殺して、今朝これを剥いで…お前、本当に逃げねえつもりなんだな」


俺は少しだけ考え、それから答えた。


「逃げる理由が減った」


「理由?」


「この土地、思ったより使える」


そう言うと、ガレスが喉の奥で笑った。

テオドールは半ば呆れた顔をする。


「レオ様、それを村人の前で平然と言うのはどうかと思いますよ」


「本音だ」


「知っています」


だが、バルドは怒らなかった。

むしろ、疲れた顔のまま少しだけ口元を緩めた。


「…そうかよ」


朝の光の中、巨猿の解体は続く。


肉は鍋へ、毛皮は干し場へ。

骨は選り分け、牙と爪も使い道を考える。


昨日まで、ただ生き延びるだけで精一杯だった村に、ほんの少しだけ先の話をする空気が生まれていた。




その頃になっても、テオドールはまだ例の珠を気にしていた。


いつもの、気の抜けたような表情ではない。

考え込んでいる顔だ。


朝日を受けた焦げ茶色の珠は、相変わらず不気味なほど美しかった。

血を洗い流したことで、余計にそう見える。

ただ丸いだけなのに妙に目を引く。

見ていると、こちらの目が吸い寄せられるような感覚すらあった。


「テオドール」


俺が声をかけると、軍師は珠から目を離さないまま返した。


「はい」


「何か分かったのか」


「断言はできませんが、ひとつ仮説があります」


「聞こう」


テオドールはようやく顔を上げた。

その目には、珍しい本を読んでいる時みたいな熱が宿っていた。


「おそらく、これは元々は魔石です」


「魔石?」


バルドが眉をひそめる。

村人たちの中にも、何人か反応した者がいた。

知らない言葉ではないのだろう。


テオドールは頷く。


「旧大陸でも、ごくありふれた低級魔物…ゴブリンやオークを倒した時、小さな石が出ます」


「ああ」


俺も知っている。


戦場の後や討伐の帰りに、兵や傭兵がたまに懐へしまっていた、あの石だ。

大きさは爪の先から、せいぜい親指ほど。

くすんだ色をした、小さな鉱石みたいな代物。

魔法使いが欲しがる、魔力のこもった石。


「獣と魔物の違いは何か、という問いには諸説ありますが」


テオドールは珠を指先でそっと回した。


「一番分かりやすい答えが、魔石の有無です」

「魔石を宿すものが魔物で、宿さぬものが獣。ざっくり言えば、そういう扱いですね」


「じゃあ、これは…」


「その巨大版、というだけでは済まないでしょうね」


そう言って、テオドールは少しだけ息を吐いた。


「恐らく、この巨猿は長い時を生きたのだと思います」


「長い時」


「ええ。ただ大きかったのではなく、長く生きて、魔力を溜め込み、魔石そのものが変質した」


ガレスが腕を組んだまま言う。


「年食った魔物の魔石が、こんな玉になるってのか」


「少なくとも、その可能性はあります」


テオドールは少し言葉を選ぶように間を置いた。


「龍は、長い時を生きた個体を古龍と呼ぶことがあります」


「古龍…」


その言葉には、さすがに場の空気が少し重くなった。


龍。

それだけで、旧大陸の人間にとっては伝承と災厄の境目みたいな存在だ。

見たことがある者は少ない。

だが、いるとされている。

山脈の奥地、深い森、海の彼方。

人の手が及ばぬところに棲み、長く長く生きる化け物。


テオドールは珠を見下ろしながら続けた。


「過去に一度だけ、古龍の遺体を解体した記録があるんですよ」


「一度だけ?」


「ええ。帝国の軍記ではなく、辺境伯家が秘蔵していた古記録の写しです」

「私は昔、それを図書庫で読んだことがあります」


いかにもこいつらしい。

普通の人間が読まないようなものばかり拾って読む。


「その記録によれば、討たれた古龍の腹の中から、純白の巨大な魔石が出てきたとあります」


「純白」


「拳どころではない、大人の頭二つ分ほどの大きさで、雪より白く、光を内に抱く珠だったと」


村人たちがざわめく。

俺は腰の袋に仕舞った焦げ茶の珠を思い出した。


白い龍の珠。

茶色い巨猿の珠。


たしかに、ただの偶然にしては妙に繋がっている。


「つまり」


俺はゆっくり言った。


「こいつは、古龍ほどじゃないにせよ、かなり長く生きた魔物かもしれない、と」


「そう考えるのが自然です」


「じゃあ、この珠は…」


「成熟した魔石、あるいは変質した魔石。呼び方は何でもいいですが、少なくとも低級魔物の魔石と同列には扱えません」


ガレスが鼻を鳴らした。


「面倒なもん拾っちまったな」


「価値があるなら結構なことだろ」


「価値がありすぎるのが面倒なんだよ」


たしかにその通りだ。


小さな魔石なら、売るなり使うなりで済む。

だが、こんな得体の知れない大物は違う。

もし本当に古い強大な魔物の核だとすれば、値がつくかどうかすら分からない。

下手をすれば、金より厄介事を呼ぶ。


「使い道はあるのか」


バルドが恐る恐る口を挟む。

村人たちの関心もそこだろう。


テオドールは首を横に振った。


「それも分かりません。普通の魔石なら、魔法の触媒や蓄魔具の材料として使います」

「ですが、ここまで大きいものは前例がなさすぎる」


「爆発したりはしないだろうな」


「今すぐはしないと思います」


「今すぐはって言い方やめろ」


「正直に言っているんです」


いつもの調子に戻ったようでいて、やはりどこか緊張があった。


俺は珠を取り出し、改めて光にかざした。


焦げ茶色。

けれど単なる茶色じゃない。

乾いた土、焼けた岩、深い森の根元…そういう大地の色が幾重にも重なっているように見える。


「色も関係あると思うか」


「あるかもしれません」


「大地のような色だ」


「ええ」


テオドールは頷く。


「もし魔石が、宿主の性質や生きた環境、蓄えた魔力の傾向で変質するなら、この色にも意味があるはずです」


「巨猿の性質、か」


ガレスが笑う。


「じゃあ龍なら空で白、猿なら土で茶色ってか」


「単純化すれば、そういう話かもしれません」


「面白えな」


俺は珠を掌で転がした。


冷たい。

だが、ただ冷たいだけじゃない。

持っていると、妙に手の中で重みが馴染む。

まるで、そこにあるのが当然みたいに。


「売るのはなしだな」


俺が言うと、テオドールはすぐ頷いた。


「賛成です。こんなものを帝都へ流せば、確実に面倒な連中が嗅ぎつきます」


「本家もな」


「本家も、軍も、魔術師も、商人も。たぶん全部です」


「ろくでもないな」


「ええ。ろくでもありません」


バルドが低く聞く。


「なら、どうする」


「保管する」


俺は珠を布で包み直した。


「正体が分かるまで隠しておく。少なくとも、今この村の外へ出す気はない」


「それでいいと思います」


テオドールは珍しく、はっきりした口調で言った。


「これはたぶん、金になる物ではありません。力になる物です」


「力?」


「ええ、どんな力かはまだ分かりませんが」


その言葉で、村人たちの視線がまた珠へ向いた。

怖れ、期待、戸惑い。


全部が混ざった目だ。


それも当然だろう。

昨日まで飢えと襲撃に怯えるだけだった村に、いきなり未知の素材と未知の珠が転がり込んできたのだ。


俺は珠を袋に戻し、腰に結びつけた。


「とりあえず、こいつは俺が持つ」


「それがいいでしょう」


「異論あるか?」


誰も何も言わなかった。

言える雰囲気でもない。


ガレスだけが、ちらりとこちらを見て口を開いた。


「レオ」


「なんだ」


「その玉が何にせよ、強え魔物の中にあったもんだ。軽く扱うな」


「分かってる」


「ならいい」


短いやり取りだったが、それで十分だった。

俺は西の森へ目を向ける。


昨日、あの中から巨猿が出てきた。

そして、その腹の中にはこんな珠があった。


つまり、この森にはまだいるのだ。

もっと長く生きたものが。

もっと強いものが。

そして、もっと価値のあるものが。


危険だ。

だが、価値がある。


「…なるほどな」


俺は小さく呟いた。


「何がです?」


テオドールが聞き返す。

俺は森を見たまま答えた。


「帝国の貴族どもが、諦めきれなかった理由だ」


「ええ」


「逃げ出したくせに、捨てきれなかったわけだ」


「でしょうね」


テオドールもまた、森へ目を向ける。


「この土地は、人を殺します」


「ああ」


「でも同時に、人を狂わせるだけの価値がある」


風が吹いた。

森の奥で、どこか遠くの獣の声がする。


昨日までは、ただの地獄にしか見えなかった。

だが今は違う。


この土地は地獄だ。

その上で、宝の山だ。


そしてその宝は、臆病者には取れない。

昨日までここにいた貴族たちは、それに手を伸ばすだけ伸ばして、掴みきれずに逃げた。


なら、今ここにいる俺たちが、先に取る。

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