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第34話 芽吹きの前に、影が立つ

翌朝、水路の先と畑には、もう村人たちが集まっていた。


昨日まで「水が来た」と喜んでいた場所が、今日はもう「何を植えるか」を決める場所になっている。

前へ進む村というのは、忙しい。


「で、何を入れるんだい」


マルタが腕を組んで言う。


レオは畑の脇へ置かれた小袋を見た。

村に残っていた種だ。

量は多くない。

だからこそ、無駄にはできない。


「三つだな」


レオが畑を見渡しながら、周囲に聞こえるよう話す。


「小麦、もう一つは葉物、最後は豆だ」


「ああ、なるほど」

「葉物は早い、豆は根の張り方が見やすい」

「理にかなってますね」


テオドールはすぐに紙へ書きつける。


「通常水路+通常土壌、通常水路+巨猿珠処理土壌試験区画」


「名前が固いな」


「記録ですから」


「で、植えるのは?」


「同種・同量・同間隔です」


「そういうのほんと好きだな」


「比較試験ですので当然です」


横で、エルマーが少しだけ誇らしげに腕を組んでいた。


「で、俺の土の方が勝つ」


「まだ分からんだろ」


レオはいつもの調子で返した。


「分かる」


「どこから来るんだその自信」


「感触だ」


「お前の感触は危ないんだよ」


ガレスが喉の奥で笑う。


「まあいい、種は嘘つかねえ」

「芽が出るか、根が張るか、それで分かる」


「その通りだ」


植え付けは、女たちが中心になった。

土の深さを揃え、間隔を測り、ひとつずつ丁寧に埋めていく。


子供たちも今日は妙に真面目で、小さな籠に入れた種を、落とさないよう両手で運んでいた。


「こっちが普通の畑?」


「そうだよ」


「こっちが、レオの土?」


「いや、巨猿の珠の土だ」


「レオのじゃないの?」


「レオ様のではないですね」


とテオドール。


「まあ、管理責任者ではありますが」


「言い方が役所っぽいな」


そんなやり取りをしながらも、作業は進む。

見た目には、まだ大差はない。

だが土へ触れば分かる。


巨大猿の珠の影響を与えた方は、ほんの少しだけ重みがある。

水を含んだ時のまとまりが違う。


「…やっぱり、こっちの方が土っぽいねえ」


マルタが指先でつまんでそう言った。


「前は、つまむとすぐ崩れてた」


「水が来たからだけじゃないか?」


とバルド。


「それだけなら、あっちも同じだろうよ」


女はそう言って、巨大猿の珠区画の土をぽんと軽く叩いた。


柔らかい。

だが逃げない。

妙に頼れる土だった。


最後に、エルマーがしゃがみ込み、珠を置いた石台の位置をほんの少しだけ調整した。


「近すぎると強い」


「遠すぎると?」


とレオ。


「効きが薄い」


「面倒だな」


「未知の大地核なんだから当たり前だ」


その言い方に、テオドールが顔を上げる。


「大地核、で定着しそうですね」


「嫌か?」


「いえ。むしろ分かりやすい」


「ならそれでいい」


「もう広まってると思いますよ」


「早いな」


「新大陸ですから」


たしかにそうだった。

村の人間は、こういう言葉だけは広まるのが早い。



植え終わった頃には、昼が近かった。


水路は相変わらず細いが、止まらず流れている。

パン炉の熱も落ちていない。

アカネは今日も卵を産んだ。

スミは相変わらず大人しく、ヒイロは子供たちの輪の中にいた。


そして最近は、その雛たちの様子もまた少しずつ変わってきていた。


「アカネ、止まれ」


レオがそう言うと、檻の扉から出したばかりのアカネが、ぴっと首を立てたまま、その場で止まった。


「…おい」


ミハルが思わず言う。


「分かってるな」


完全ではない。

だが、明らかに反応している。


「スミ、こっち」


と子供が呼べば、スミがよたよたと寄ってくる。


「ヒイロ、だめだ」


とエルマーが言うと、ヒイロは少し不満そうに尾を振りながらも、そこで踏みとどまる。

子供たちはもう完全に仲間だと思っているらしく、工事の合間にも雛たちと走り回っていた。


「アカネ、こっち!」


「スミ遅い!」


「ヒイロずるい!」


雛たちは雛たちで、追いかけっこを遊びだと理解し始めている節がある。

走る、止まる。

呼ばれたら振り向く。

尾の先を赤くしながら、ぴぴ、と鳴く。


村の女たちは、その様子を見て笑うようになっていた。


「ほんとに番鶏になったらどうするんだい」


「夜番も少し楽になるかもね」


「その前に、こっちが焼かれないようにしないとね」


「違いない」


そんな会話が、前よりずっと自然に出る。


水が来て、土を試せる。

雛は懐き卵は増える。


生活が少しずつ、次を見始めているのが、誰の目にも分かった。



そして、その日の夜。

夕食は、いつもより少しだけ賑やかだった。


焼き立てのパン。

湯気の立つ汁。

目玉焼きを崩した豆の煮込み。

卵が入るだけで、鍋の匂いもぐっと豊かになる。


子供たちは食べるのに忙しく、

女たちは明日の種と水路の話をし、

男たちは川の堰をもう少し高くすべきかどうかを話していた。


レオも、ようやく一息ついて椀を手にしていた。

そこへ、子供たちが三人そろって近づいてきた。


珍しく、さっきまでみたいに騒がしくない。

少し様子が違う。


「レオ」


「ん?」


最初に声をかけてきたのは、いつも一番元気な男の子だった。

だが今は、声を少し潜めている。


「どうした」


「…あのさ、昨日から」


子供は一度、周りを見た。

誰に聞かせるでもなく、でも少し不安そうに。


「知らない男たちが、村をチラチラ見てる」


レオの手が止まった。

椀から立つ湯気だけが、静かに揺れる。


「…知らない男?」


「うん」


「どこで見た」


「森の方」


「こっち見てた」

「二人じゃなくて、もっといた」


子供たちが口々に言う。

ふざけている様子はない。


レオはすぐに声を低くした。


「今日もいたのか」


「昼にも見た」

「アカネが鳴いたから見たら、木の向こうにいた」

「でも、すぐ隠れた」


そこまで聞いたところで、レオの横にガレスが立った。

いつの間にか話を聞いていたらしい。


「…どうした」


「子供たちが言うには、昨日から知らない男が村を見てるらしい」


「何人だ」


「はっきりしない。だが複数」


ガレスの目が、一瞬で変わった。


食事中の顔ではない。

戦場の顔だ。


「ふざけて言ってる感じは?」


「ない」


「だろうな」


子供たちは、褒められたい時の顔ではなかった。

ちゃんと大人へ知らせた方がいいこと、として持ってきている顔だ。


「どの辺で見た?」


今度はガレスがしゃがみ込み、子供と目の高さを合わせた。


「森の手前」

「大きい木のところ」

「あっち」

「港の道じゃない」

「村の横」


バラバラの言い方だが、全部を繋ぐと見える。

村の外周を、偵察みたいに見て回っているのだ。


レオはゆっくり椀を置いた。

夕食のざわめきが、少しずつ遠のくような気がした。


知らない男たち。

森の手前。

昨日から、村をチラチラ見ている。


商人ではない。

なら誰だ。


他の開拓村の人間か。

流れ者か、盗賊か。

それとも本家か、どこかの貴族の手の者か。


「レオ様?」


テオドールの声。

彼も、こちらの空気の変化に気づいたらしい。


「子供たちが、外に知らない男を見たらしい」


「…何人ほどです?」


「分からん、だが複数」


「昨日から?」


「ああ」


テオドールの顔も、すぐに引き締まる。

女たちも、何かあったと察したようで声を潜め始めていた。

さっきまでの温かい夕食の空気が、じわりと冷える。


だが、レオは慌てなかった。

慌てるのが一番まずい。

そういう時にこそ、村全体が揺れる。


「お前たち」


レオはできるだけ静かな声で言った。


「よく知らせた」

「明日も見たら、すぐ言え」


「分かった、レオ」


「今夜は絶対に一人で外へ出るな」


子供たちは素直に頷いた。

その頷きが終わる前に、ガレスが立ち上がる。


「見張りを増やす」


「ああ」


「食い終わったら、俺とバルドで外周を回る」


「俺も行く」


「いや、お前は中央にいろ」


「なんでだ」


「村が動揺した時に、真ん中に立つのはお前だ」


一瞬だけ、レオは黙った。

だが、すぐに頷く。


「分かった」


「テオドール、今夜の見張り順組み直せ」


「もうやってます」


すでに立ち上がっていた。

紙と筆を持つ手が早い。


パン炉の熱はまだある。

卵も、水路も、土も、全部そのままだ。

村はようやく前へ進み始めたばかりだ。


だからこそ。

この知らない男たちは、ただの通りすがりでは済まない気がした。


レオは、夕闇よりなお暗い村の外れを見た。


森の影は深い。

その向こうに、誰がいるのかはまだ見えない。


だが見られている。

それだけは、はっきり分かった。

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