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第33話 最初の水路

水路工事が始まったのは、ハウルたちの商隊が村を発って二日後の朝だった。


空はよく晴れていた。

風も弱い。

土を動かすには、これ以上ない日和だ。


村の中央には、テオドールが仕上げた地図と工事図面が板に貼り出されていた。


森の浅い層、そこを流れる川。

川から分かれる試験水路の筋。

高低差と掘る深さ。

仮の堰を置く位置。


紙の上では、もう水の道ができている。


「…相変わらず、お前はこういうのだけは綺麗だな」


レオが図面を見ながら言うと、テオドールは気だるげな顔のまま答えた。


「だけはいりませんね」


「いる」


「ひどい」


「事実だ」


「頭脳労働は私しかいない、と」


「そうだ」


「最近、それを隠す気がなくなりましたね」


「今さらだろ」


「まあ、そうですね」


文句は言う。

だが、どこか満足そうでもあった。


その横で、エルマーはあからさまに嫌そうな顔をしていた。


「で、俺をここに立たせる必要は本当にあるのか」


「ある」


レオは腕組みしながら頷いた。


「戦闘魔術師なんだが」


「知ってる」


「土魔法の練度は高いが、俺は工兵じゃない」


「知ってる」


「知ってて呼んだのか」


「知ってるから呼んだ」


レオはきっぱりしていた。


「土魔法の使い手がいて、水路工事に使わない理由がない」


「お前、最近俺の扱いが雑じゃないか?」


「村の生活がかかってる」


「そう言われると弱いな…」


ガレスが後ろで笑う。


「諦めろ、お前の土魔法が戦場で重宝されたのは、こういう時にも使えるからだ」


「殺し合いの土壁と、水路の溝掘りを一緒にするな」


「掘るのは同じだ」


「うるさい」


言葉ほど本気で嫌がっていないのは、もう分かる。

むしろ少し面白がっている顔だった。



工事に出る面子は、村の動ける者ほぼ全員だった。


男たちはもちろん。

女たちは、土嚢づくりと食事の準備。

子供たちは石拾いと道具運び。

雛たちはさすがに工事現場には出さなかったが、檻の中から騒いでいる。


「確認する!」


レオが皆の前に立つ。

声はよく通った。


「今日は試験水路だ。川から少しだけ水を分ける。畑一枚分でも流れれば勝ちだ」


「おう!」


「無理に広げるな、まず通すことを優先する!」


「分かった!」


「掘るのはこの線だ!」


レオはテオドールの図面を指し、それから実地で打った杭を示していく。


川岸の分岐点。

森の浅い層を抜ける筋。

少しずつ低くなる場所。


昨日まで紙の上にしかなかった線が、今日から地面の上へ現れる。


「第一班、分岐点の堰づくり!」

「第二班、水路本線!」

「第三班、土嚢と石運び!」

「女衆は後ろから水と道具を回してくれ!」

「子供は邪魔になるな、じゃない。使える石だけ拾え!大きすぎるのは転がすな!」


レオの指示が飛び、人が動く。

その様子を見て、ガレスは少しだけ感心したように鼻を鳴らした。


「板についてきたな」


「何がだ」


「指揮だよ」


「そうか」


「最初は戦場の小隊長だったが、今は村の頭の顔になってきた」


「褒めてるのか」


「七割くらいな」


「だいぶ上がったな」


その返しに、老剣士は喉の奥で笑った。



川辺では、エルマーがとうとう引っ張り出されていた。


膝まで捲ったズボンに杖。

顔は不本意そのものだが、目だけはもう地形を読んでいる。


「…ここだな」


分岐候補地点を見て、エルマーが言う。


「自然に削れてる。少し掘れば水は流れたがる」


「どれくらいだ」


水にはいったエルマーを見下ろしながら、レオが問いかけた。


「大きくはいらん、最初は指一本分でも向けば、あとは水が勝手に土を食う」


「じゃあ最初の癖だけつけてくれ」


「任せろ」


エルマーは杖の石突きを地面へ当てた。


「派手なのはやらんぞ」


「頼むからやるな」


「お前、本当に俺を信用してないな」


「土木に関してはしてない」


「魔法使いに対する侮辱だ」


「村が壊れなきゃ何でもいい」


エルマーはため息をつき、それから静かに目を閉じた。

火の魔法を使う時の鋭さとは違う。

もっと遅く、もっと深い。


杖の先からじわりと、土へ魔力が沈む。


「…動くなよ」


誰にともなくそう言ってから、エルマーは小さく息を吐いた。

次の瞬間、川岸の土がゆっくりと軋んだ。


一気にと盛り上がるわけではない。

爆ぜるわけでもない。

ただ、湿った土の層が、少しだけ形を変える。


自然に削れていた筋が、さらに浅く長く引き伸ばされる。

掘るというより、土に「そこへ落ち着け」と言い聞かせているような動きだった。


「…ほう」


テオドールが思わず声を漏らす。


「戦場で見るのと、だいぶ違いますね」


「当たり前だ。人を埋める時と、水を通す時で同じやり方をするか」


効果は確かだった。

川岸に、小さな水が入りたがる口ができる。


「今だ!掘れ!」


レオが怒鳴る。


男たちが一斉に鍬と鋤を入れる。

魔法で全部を作るのではない。

魔法は最初の形を与えるだけだ。


後は人の手。

そこが大事だった。


「深すぎるな!」


「そっちは削りすぎだ!」


「石を入れろ、崩れる!」


「土嚢!早く!」


指示が飛ぶ。

テオドールは図面を見ながら、次々と修正を口にする。


「右が低すぎます!そのままだとそっちへ逃げる!」


「聞いたな!右に土を足せ!」

「左の流れはそのまま! 畑側へ落とせ!」


女たちは土嚢を運び、子供たちは使える石を抱えて走る。

誰も、ただ命じられて動いている顔ではなかった。


今、自分たちの村に水を引こうとしている。

その実感が、皆の足を速くしていた。



ガレスは工事そのものには加わらなかった。

その代わり、護衛役をまとめていた。


「森側、二人ずつ散れ」


「おう」


「裂牙犬の気配がしたら、声じゃなく笛だ。近すぎる時だけ叫べ」


「分かった」


「深追いするな、今日は守る日だ」


老剣士の指示は短く、無駄がない。

工事に人が集まれば、それだけ隙もできる。

森の浅い層とはいえ、何が出るかは分からない。


だからこそ今日は、戦える者が勝手に前へ出ないよう線を引く必要があった。


ユルとミハル、それに若い男二人が槍を持って周囲へ散る。

さらに少し離れた高所には弓手を置く。


「師匠」


レオが一瞬だけそちらを見る。


「任せろ」


「水路はお前が通せ、こっちは俺が止める」


「助かる」


「口より手を動かせ」


そのやり取りだけで十分だった。



日が少しずつ上がり、汗が流れ始める頃。

川の分岐は、はっきり形になり始めた。


堰は粗い。

だが、ちゃんと効いている。

石と枝と土嚢で、本流の水がわずかに押し曲げられているのが分かる。


「…来たぞ」


最初にそう言ったのはバルドだった。

皆が思わず手を止める。


川の本流から、細い細い筋が分かれる。

それが、エルマーの作った口へ吸い込まれ、村人たちが掘った浅い溝へ乗る。


最初は本当にわずかだった。

糸みたいな流れだ。


だが、確かに進む。


「止まるな!道を切れ!」


レオが怒鳴る。


「水が来てる!前を開けろ!」


鍬が入り、土が飛ぶ。

溝が繋がる。


水は細いまま、だが確かに伸びていく。

人の手で掘った小さな筋の中を、きらきら光りながら進んでいく。


「…おお」


誰かが、思わずそう漏らした。


それは、戦いに勝った時とは違う声だった。

もっと静かで、もっと深い。


女たちも、子供たちも、工事の手を止めてその流れを見ている。

水が来る。

森の川の水が、村の畑へ来る。


「通った…」


マルタが口元を押さえた。

子供たちは無邪気に歓声を上げる。


「来た!」


「水だ!」


「畑に来た!」


レオは、水が畑の端へ染み込んでいくのを見ながら、ゆっくり息を吐いた。


まだ細い。

まだ仮の水路だ。

これで全部が解決するわけじゃない。


だが通った。


「よし」


レオは短く言う。


「第一段階、成功だ」


エルマーは杖を地面に突きながら、わずかに口元を歪めた。


「土魔法は便利だろ」


「そこは認める」


「お前、素直に褒める気ないな」


「村が壊れなかったから褒めてる」


「基準が低い」


そのやり取りに笑いが起きる。

後ろでは、ガレスも戻ってきた。

つまり、周囲も無事だ。


水は、なお細く流れている。


畑の土へ、じわじわと染みる。

痩せた土地が、少しだけ色を変える。


それを見て、レオは思った。


パン炉で生活が変わった。

卵で食卓が変わった。

そして今、水で畑が変わろうとしている。


人が生きる村には、こういう変化が要る。

派手ではない。

だが、確実に根を張る変化だ。


テオドールが、濡れた靴のまま試験区画の端へしゃがみ込む。


「ここ、印を立てましょう」


「印?」


「どこまで湿りが回るか見たい。今日、明日、三日後で変わります」


「仕事熱心だな」


「村の財産ですので」


「最近そればっかりだな」


「便利な頭ですから」


「自分で言うな」


「レオ様が最初に言ったんですよ」


その横で、マルタが畑の土を手に取っていた。


「前より、やわらかい気がするね」


女たちはもう、その先を見ていた。


ここに芋を植えたらどうか。

豆はどうか。

今ある畑の外も使えるか。


水が一本通っただけなのに、会話が変わる。

視線の先が変わる。


それが何より大きかった。


「レオ様」


少し離れた位置から、テオドールが声をかける。


「これは、本当に第一段階ですね」

「ここから先へ進める形にはなりました」

「前は、ただ川があるだけでしたから」


「今は?」


「今は、引ける水です」


レオはその言葉を聞きながら、ゆっくり頷いた。


川があるだけでは足りない。

見て、測って、掘って、繋いで、初めて村の力になる。


この村は、そういうものを一つずつ増やしてきた。


巨猿を倒して毛皮を得た。

火尾鶏を狩って炉を作った。

雛を飼って卵を得た。

外と取引して塩と布を手に入れた。


そして今、川の水が畑へ来た。

広場のあちこちで笑いが起きていた。


エルマーが杖を肩に担ぎながら言う。


「で、次は土壌試験か…少し休ませろ」


「無理だな」


レオが少し笑いながら即答した。


「お前まで容赦ないな」


「面白いからな」


「本音が漏れてるぞ」


「最初から漏れてる」


そのやり取りの向こうで、水はなお静かに流れていた。

細いく頼りない。

だが、途切れない。


それは今の村そのものみたいだった。


まだ小さい。

まだ脆い。

だが、確かに前へ進んでいる。


次は、この細い流れを太くする番だ。

続きが気になる方は、ブクマお願いします!

また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!

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