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第31話 商人が見た村の値打ち

取引の話は、最初から腹の探り合いだった。


荷台の脇に板を渡して即席の机にし、その上へ巨猿の骨、毛皮の一部、それから火尾鶏の青い鱗を一枚だけ置く。


全部は見せない。

だが、見せるものはきちんと食いつかせる。


ハウルは骨を手に取り、節を確かめ、重みを測るように掌の中で転がした。

次に毛皮へ指を滑らせ、最後に青い鱗を光へかざす。


「…なるほどな」


低い声だった。

村の来た時より、さらに商人の顔になっている。


「で?」


とレオ。


「で、とは?」


「値だよ」


「せっかちだな、坊ちゃん」


「嫌いか?」


「いや、嫌いじゃない。話が早いのは助かる」


そう言いながらも、ハウルはすぐには答えなかった。

一度、沈黙を置く。

考えている、というよりこちらの顔色も値踏みしているのだ。


「骨は面白い」


と、ようやく商人が口を開く。


「加工屋が見れば喜ぶ。毛皮はもっといい。手間はかかるが、商会に流せば確実に値はつく」


「青い鱗は?」


「こいつが一番面倒だ」


ハウルは鱗を卓へ置き、指で軽く弾いた。


「こんな鱗、旧大陸では見たことねぇ。流す先がまだ定まらん」


「売るのが難しい?」


「最初はな、逆に言えば当たればでかい」


「ふむ」


レオは頷いた。


テオドールが後ろで黙って聞いている。

ガレスは腕を組み、いつでも口を挟める位置だ。


「こっちの希望を言う」


とレオ。


「聞こう」


「塩、布、針、糸、鍋の補修材、鉄具、砥石。あと紙」


「最後のはそっちの軍人崩れだな」


「そうだ」


ハウルがちらりと軍服の男を見る。

テオドールは涼しい顔で頷いた。


「ええ、私です」


「見りゃ分かる、紙を食う顔してる」


「初めて言われましたよ」


「たぶん褒めてる」


「半分だけ受け取っておきます」


その返しに、小さく笑いが起きる。

だが、交渉の空気そのものは緩まない。


「骨だけじゃ足りねえ」


とハウル。


「毛皮は?」


「それを出せば、だいぶ近い」


「青い鱗は?」


「一枚や二枚じゃ数合わせにしかならん。まだ値は読みづらい」


「読みづらいから安く見る気か」


「読みづらいから慎重に見る気だ」


「似たようなもんだろ」


「商人の矜持の問題だ」


そこでガレスが鼻を鳴らした。


「矜持、ねえ」


「お前は昔からそこを茶化す」


「昔から、金勘定の良し悪しを綺麗な言葉に言い換えるのが上手えと思ってな」


「それが商売だろうが」


ミハルがその横で、少し感心したように言った。


「なんか、慣れてますね」


「そりゃな」


とガレス。


「こいつとは昔から、命と荷の重さを天秤にかける話ばっかしてきた」


「傭兵と商人が長く付き合うと、だいたいこうなる」


とハウル。


その時だった。

広場の向こうから、香ばしい匂いが流れてきた。


パンだ。


しかも、今ちょうど焼き上がったばかりの匂い。

焼けた皮の香りと、中の甘い湯気が混ざった、あの匂いだ。


交渉の場にいた全員の鼻が、思わずそちらへ向く。


「お昼だよ!」


マルタの声が飛ぶ。


「話してる連中も、いったん食べな!」

「焼き立てを逃すんじゃないよ!」


その勢いに、さすがのハウルも少し目を瞬かせた。


「…辺境の交渉ってのは、飯で切るのか?」


「この村はそうだ」


「悪くないな」



昼の広場には、パン炉の熱と匂いが満ちていた。


マルタたちが焼いたパンが、木の板の上へ次々に並べられていく。

きつね色の焼き目と、表面の細かな割れ。

そこから漏れる湯気。


ハウルの手代たちも、最初は遠慮していたが、女たちに「働いてるなら食べな!」と押しつけられて、結局全員が椀とパンを手にすることになった。


「気前がいいな」


とハウル。


「売り物じゃないからね」


とマルタ。


「今日来た客への顔見せさ」


「…なるほど」


そう言って、ハウルも焼き立てのパンを受け取る。

最初のひと口で、商人の目が変わった。


ほんの少し。

だが、レオにははっきり分かった。


値踏みの目だ。

しかも、素材を見た時より強い。


「…おい」


ハウルはパンをもう一口噛み、それから手の中の断面を見た。


「何だ、これ」


だが、声色が違う。

驚きが混じっている。


「粉は?」


マルタが笑いながら答える。


「たいしたもんじゃないさ」


「嘘つけ」


「旧大陸じゃ、家畜の餌になるような粉だよ」


「…それでこの味か?」


ハウルはまた噛んだ。

表情がますます真面目になる。


「明らかに質がいい」


「質?」


レオが聞き返す。


「焼きもいい、香りも悪くない。帝都のパン屋と比べても負けてねえ」


その場が少し静かになる。


帝都。

その単語は、この村にとってかなり遠い。

だが、遠いからこそ重い。


「そこまでか」


とレオが言うと、ハウルは即座に頷いた。


「そこまでだ」


「お世辞じゃなく?」


「商人がうまい時に、わざわざお世辞を混ぜるかよ」


「混ぜそうだな」


「失礼だな、お前」


だがハウルの目は、もうパンではなく、その向こうにあるパン炉を見ていた。


土と石で組まれた、あの炉だ。


火が見えない。

薪をくべる様子もない。

なのにパンが焼け、湯が沸いている。


「…あの炉」


ハウルが低く言う。


「火が入ってる様子はなかった」


「そうだな」


「どういうカラクリだ?」


その問いで、広場の空気がまた少し締まった。


パンの話はいい。

うまいと褒められるのも悪くない。

だが、炉の仕組みそのものは別だ。


レオは一瞬、テオドールとエルマーを見た。

書類屋は涼しい顔をしている。

魔法狂いは、少しだけ口元を歪めた。


「秘密だ」


とエルマーが即答した。


「お前誰だ」


とハウルがぶっきらぼうに問う。


「パンの質に責任を持つ者だ」


「一番信用ならんやつが出てきたな」


広場に小さな笑いが起きる。

だが、笑いながらも皆、炉のことは軽く流さない。


ハウルもそこをすぐ理解したらしい。

商人の目をしたまま、それ以上は踏み込まずに肩をすくめた。


「なるほど、触れちゃいけねえやつか」


ハウルはもう一度パンを見た。


「ただ、これが売り物になりうる質だってのは覚えとけ」


「パンが?」


「パンそのものというより、この村の火と焼きの技術だ」


「大げさだな」


「いや、本気だ」


その言い方は軽くなかった。


「辺境でこのレベルの焼きが安定して出るなら、商いの種になる。少なくとも、通る奴に飯を出すだけでも金が取れる」


「宿場でもないのにか」


「辺境にこそ、まともな飯は高く売れるんだよ」


テオドールがそこで口を挟んだ。


「…なるほど」


「何がなるほどだ」


またこいつ変な事考えてるなと、レオが返す。


「いえ、視点として面白いなと」


「また仕事増やす気か」


「私はまだ何も言ってませんよ」


「顔に書いてある」


「お互い様ですね」


ガレスがパンを噛みながら言う。


「だが、今は売るより食わせる方が先だ」


ハウルもそこはすぐ頷いた。


「村の顔色見りゃ分かる。売る段階じゃない。だが、そのまだ先の金の匂いまであるって話だ」


「金の匂いか」


「俺はそれを嗅ぐのが仕事だ」


その時、マルタが焼き立てのパンをもう一籠持ってきた。


「ほら、あんたらももっと食べな」


「いいのか」


「どうせ坊ちゃんから、値切る気なんだろ」


「値切る」


「なら腹いっぱい食べて、気持ちよく値切りな」


「豪気だな」


「女の方が商売うまいんだよ」


その一言で、広場がどっと笑う。

レオはその様子を見ながら、少しだけ思った。


商隊が来る。

女と子供が喜ぶ。

焼き立てのパンが振る舞われる。

そのパンの質に、辺境商いの男が本気で目を見張る。


それだけで、この村がどこまで来たか少し分かる気がした。

ハウルはそこでパンを食べ終え、指についた粉を払ってから、改めてレオを見た。


「よし」


「何がだ」


「値の話、少し上乗せしてやる」


「パン一つでか」


「パン一つじゃねえ。村を見た分だ」


その目は、やっぱり商人だった。

冷静で、がめつくて、でもちゃんと現実を見ている。


「この村、まだ小さい」


「ああ」


「だが、伸びる」


「そうか」


「その初手に乗るなら、今多少譲っても後で回収できる」


テオドールがぼそりと言う。


「本当に正直ですね」


「商人は計算を隠すふりだけ上手いんだよ」


とハウルが返した。


その返しに、レオは少し笑った。

悪くない。

やっぱりこの男でよかった。


「じゃあ昼が済んだら、もう一回詰めるか」


「ああ、今度は本気の値でな」


「最初からそのつもりだ」


「知ってる」


パンの香りは、まだ広場に残っている。

商隊の馬も、荷も、女たちの声も、子供の笑いも、全部がその香りの中にあった。


辺境の開拓村。

見捨てられた土地。

そこへ、外の商いが来て、焼き立てのパンが出され、商人が本気で目を見開く。


それはきっと、小さくても確かな一歩だった。

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