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第27話 水と土の話

その日の夕方、レオは広場の隅で紙束を抱えていたテオドールの前に立った。


「地図を描いてくれ」


「またですか」


テオドールは顔を上げもせずに返した。

声だけで、もう嫌な予感を抱いているのが分かる。


「森の浅層、川、村、畑、今ある道、候補の水路筋。全部だ」


「雑ですね」


「細かいのはお前がやれ」


テオドールはようやく顔を上げ、じとっとした目でレオを見る。


「最近、私の扱いが完全に便利な頭なんですが」


「頭脳労働はお前しかいない」


「言い切りましたね」


「事実だろ」


「事実ですが、もう少しこう、労いとか」


「終わったら卵二個やる」


「安いですね」


「焼き立てパンつきだ」


「…少しだけやる気が出ました」


その返しに、後ろでガレスが笑う。


「現金なやつだな」


「違いますよ、現物主義です」


レオはそのまま、川で見た地形を土へざっくり描き始めた。


「村はここ」

「森の浅い層を通る川がこうだ。一度蛇行して、ここで少し落ちる」


「ふむ」


「ここの削れた岸から、水が分かれた跡があった」


「自然流路の痕跡ですか」


「たぶん」


「なら使えますね」


そう言った瞬間から、テオドールの手はもう動いていた。


白紙の上へ、村の位置、森の外縁、川の流れ、地形の高低差を簡易記号で落としていく。

さらさらと、迷いなく。

こういう時のこいつは本当に早い。


「まず平面図です」


「平面図?」


「ええ、村から川までの位置関係。次に勾配の確認」


「勾配まで出せるのか」


「大まかなら。現地でもう二、三点見れば十分です」


「助かる」


「そう言いながら、さらに仕事を増やすんでしょう?」


「可能なら工事図面も頼む」


「ほら来た」


テオドールは盛大にため息をついた。


「可能ならじゃないですよね、当然やるよなの顔ですよね」


「当然やるよな」


「言葉にしないでほしかったですね」


だが、口では文句を言いながらも筆は止まらない。


「工事図面といっても、城壁や橋ほど大げさなものではありません」


紙の端に、今度は断面のような図が描き足される。


「最初は試験水路です。幅は狭く、深さも浅く」


「どれくらいだ」


「人の膝より浅くていいかと、畑一枚分を潤せれば目的は達します」


「大水路は?」


「まず流れるかを見ましょう」


「妥当だな」


「でしょう」


テオドールは、さらに水門のような簡易構造まで描き始めた。


「川から直接全部引くのではなく、入口に枝と石で粗い堰を組む」


「堰か」


「ええ、流量を少しだけ曲げる。大工事ではなく、流れに癖をつける感じです」


「なるほど」


「その先は溝、畑の上手までゆるく落とす」


「崩れないか?」


「そこは土質次第です。だから現地確認がもう一回必要ですね」


レオは紙を覗き込み、思わず感心した。


「…こうして見ると、本当に分かりやすいな」


「でしょう」


「偉そうだなぁ」


「実際、こういうのは私が一番向いてますから」


否定しづらかった。


森の線引きもそうだったが、脅威や資源を扱える形に変えるのは、やはりテオドールの仕事だ。

レオは現場で決められる。

ガレスは修羅場を抜けられる。

だが、全体の流れを紙に固定するのは、この男しかいない。


「お前、ほんとに便利だな」


「褒め方が雑すぎません?」


「便利で有能だ」


「だいぶ良くなりました」


「偉そうだなぁ」


「そういうことにしておかないと、やってられないので」


その時、紙の端に新しい図が描かれた。

そして、その横に小さく「第一期試験」「第二期拡張」と書かれる。


「そこまで考えるのか」


「当然です。いきなり全部は無理ですから」


「第一期が通れば?」


「第二期で畑の面積を増やします。さらに余裕があれば、水車のようなものも考えられるかもしれません」


「水車?」


「夢の話ですよ、今は」


そう言いながらも、目は少し楽しそうだった。


パン炉がそうだったように。

テオドールにとっても、生活を一段上げる仕組みを組み立てるのは面白いのだろう。



一方その頃、エルマーは広場の喧騒から少し離れた場所で、例の巨猿の珠に取り憑かれていた。


あれ以来、ほとんど毎日のように見ている。

触れ方を変え、角度を変え、火尾鶏の赤い魔石とは離して置く。

朝の光、昼の光、夜の灯り、全部で見ていた。


もちろん、勝手に魔力を流すような真似はまだしていない。

レオが本気で止めに来るのが分かっているからだ。

それにエルマー自身も、これは雑に扱っていい代物ではないと理解していた。


理解している。

その上で、どうにも面白すぎる。


「…やっぱり、ただの魔石じゃない」


エルマーはそう呟いて、珠を木台の上で転がした。


焦げ茶の球体。

欠けもない、丸いのにどこか塊感がある。

石というより、圧縮された何かに近い。


テオドールが図面を書いている間にも、エルマーは独りで考えていた。


巨猿の性質。

土を沈めるような踏み込み。

そして、珠に触れた時のあの感触。


「…大地だ」


ぽつりと呟く。

レオが後ろから近づいてきていたが、その声が聞こえた。


「何が大地だ?」


「これだよ」


エルマーは珠から目を離さずに答える。


「大地の力を宿した、大地の核みたいなものだ」


「…またでかいこと言うな」


「でかいぞ、これは」


冗談ではなく、本気の顔だった。


「魔石ってのは普通、何かの属性に寄る。火なら火、水なら水、風なら風」


「ああ」


「でもこれは違う。属性というより基盤だ」


「基盤?」


「支える方だ。流すとか、燃やすとかじゃない。土を落ち着かせる、重さを与える、形を保つ、そういう側の力」


レオは腕を組んだ。


「戦いで使うってより、土地に使う感じか」


「そうだ」


エルマーは頷く。


「最初は、防壁や土塁にでも使えるかと思った」


「それもできるのか」


「たぶんできる。だが、それより面白い可能性がある」


その面白いで、レオは少し警戒した。


「何だ?」


「土壌の改善」


今度はレオが一瞬黙る番だった。


「土壌?」


「ああ」


「…畑の土か」


「そうだ」


エルマーは珠を軽く指先で叩いた。


「この辺の土は痩せてるだろ」


「そうだな」


「だったら、こいつで土の落ち着きを底上げできるかもしれん」


レオは眉をひそめる。


「もう少し分かるように言え」


「土が、ちゃんと土の形になるってことだ」


「分からん」


「だよな」


エルマーは少し考え、それから言い直した。


「痩せた土地ってのは、水を抱けない、栄養を留めない、根が落ち着かない、そういう状態が多い」


「ふむ」


「こいつは、そこへ留まる力を与えられるかもしれない」


「留まる力?」


「水も、熱も、栄養も、土の中に少し長く置けるようになるかもしれん」


「…本当にそんなことができるのか」


「分からん」


「またそれか」


「だが、筋は通ってる」


そこへ、図面を書き終えたテオドールも近づいてきた。

紙束を抱えたまま、会話を聞いていたらしい。


「興味深いですね」


「だろう?」


テオドールは珠を少し離れた位置から見た。


「つまり、土木や農地改良への転用可能性がある、と」


「そういうことだ」


「魔石を農地へ?」


「巨猿の珠は普通の魔石じゃない、大地の核だ。だったら大地に使う方が自然だろう」


「…理屈は通っています」


テオドールはすぐに記録帳を開いた。


「もしそれが本当なら、水路計画とも噛み合いますね」


「どういう意味だ」


とレオ。


「水を引くだけでは駄目です。土がそれを保てなければ流れて終わります」


「確かに」


「でも、巨猿の珠が土を落ち着かせ、保水を助けるなら」


「畑そのものが強くなる、か」


「ええ」


そこでガレスもやってきた。


「何だ、今度は土の話か」


「そうだ」


「忙しいな、お前ら」


「止まる暇がない」


「違いねえ」


だが、老剣士も珠を見る目は少し真面目だった。


「で、どうやって試す」


「そこだ」


エルマーが言う。


「いきなり畑全部は無理だ。そんなことしたら、何が起きるか分からん」


「当然だな」


「だから、小さく試す」


「試験区画ですか?」


テオドールの反応が早い。

もう話を図に落とし始めている顔だ。


エルマーは珠を見つめた。


「直接埋めるのは強すぎる気がする」


「気がするってなんだよ」


「勘だ」


「お前の勘は怖いんだよ」


「俺も少しそう思う」


珍しく本人が認めた。


「なら、どうする?」


「珠を近くに置いて、土へほんの少しだけ魔力を滲ませる」


「ほんの少し、ね」


「俺が調整する」


「信用していいのか」


「レオが横で見てるなら」


「俺前提かよ」


「お前がいないと止めるやつがいない」



パン炉が生活を変えた。

卵が体を変えた。

次は水で村を太らせる。

そして、その先に土までいじれるなら。


この村は、ただの開拓村ではなくなる。


「…面白くなってきたな」


レオがそう言うと、エルマーがにやりと笑った。


「今さらか」


「お前が来てから余計にな」


「褒め言葉として受け取る」


「半分だけな」


「お前までその文化に染まるなよ」


広場の向こうでは、アカネがまた卵を産み落としていた。

マルタたちが歓声を上げ、子供たちがぴょんぴょん跳ねる。


生活の火、食の余裕。

水の計画、土の改善。


それぞれは別の話に見える。

だが、今この村では全部が一本に繋がっていた。


レオは巨猿の珠を見下ろした。


化け物の腹の中にあった、不気味で美しい球体。

最初は、ただ価値ある何かだった。

だが、今は違う。


ひょっとすると、こいつは村の畑そのものを変えるかもしれない。

そう考えると、胸の奥が少し熱くなった。


「よし」


レオは言う。


「テオドール、水路図面の次は試験区画の図だ」


「やっぱり増やすんですね」


「当然だ」


「頭脳労働は私しかいない、と」


「その通りだ」


「開き直りましたね」


「事実だからな」


「…卵三つください」


「増えたな」


「仕事も増えたので」


その交渉に、ガレスがまた笑う。


面倒は増える。

だが、それはこの村が前に進んでいる証拠でもある。

そして今、前に進む理由は、もう十分すぎるほどあった。

続きが気になる方は、ブクマお願いします!

また、少しでも面白いと感じた方は評価お願いします!

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