第26話 人が暮らす場所へ
村人たちが広場で集まり、卵とパンと素材をどう回すか話し合っている頃。
レオはガレスを連れて、村の東寄り、森の浅い層を流れる川の方へ出ていた。
次の一手は、もう決まっていた。
水だ。
井戸はある。
生活用水としては、今のところ何とかなっている。
飲み水も、汲み上げれば足りる。
だが、それだけだ。
問題は畑だった。
今の畑は、村のすぐ脇に小さく広がっているだけだ。
痩せているし、広くもない。
雨が降れば多少は持つが、乾く日が続けばすぐに弱る。
人が増え、食い扶持が増え、村を本気で回していくなら、畑は今のままでは足りない。
「理想はあれだな」
レオが前方の川を見ながら言う。
森の浅い層を縫うように流れる川。
幅はそこまで広くない。
だが流れは安定している。
岸も、切り立っている場所ばかりではない。
ところどころ緩やかなところがある。
「水路か」
ガレスが頷く。
老人は川岸へしゃがみ込み、土を掴んだ。
湿っている。
だが、ぬかるみすぎてもいない。
「浅い層を通ってるなら、村まで引ける可能性はある」
「ああ
」
「ただし、森の中を掘るってことは、魔物の縄張りを横切るかもしれんぞ」
「分かってる」
レオは川の流れを目で追う。
村まで真っすぐ引ければ話は早い。
だが、そんな都合のいい地形なら前任の連中だってやっていたはずだ。
問題は勾配に魔物。
そして人手だ。
「いきなり大水路は無理だな」
「当たり前だ」
「まずは細くでいい、畑を潤せる程度」
「試しの一本、ってことか」
「ああ」
ガレスが鼻を鳴らした。
「水は強ぇぞ」
「知ってる」
「掘っただけじゃ流れねえ。浅すぎれば止まるし、深すぎりゃ崩れる」
「だから爺さん連れてきた」
「俺は土木屋じゃねえぞ」
「戦場で壕掘っただろ」
「…それはそうだが」
結局、経験はあるのだ。
生き延びるために掘った溝も、引きたい水路も、やることの根っこはそう変わらない。
レオは岸沿いを歩きながら、村までの地形を頭の中で繋いでいく。
川は一度、小さく蛇行する。
その先で少し高さが落ちる。
さらにそこから村側へ寄せれば、畑の上手へ持っていけるかもしれない。
「…いけるかもな」
「かもが多いな」
「最初はそんなもんだ」
「違いねえ」
ガレスが立ち上がり、顎で少し先をしゃくった。
「あそこ見ろ」
「ん?」
川岸の一角が、自然に削れて小さな流れ込みの跡になっていた。
雨の多い時期には、そこから別の筋ができるのだろう。
つまり、水はもうそっちへ流れたがっている。
「使えるな」
「ああ」
レオは口元を少し歪めた。
「全部を人間がねじ曲げるんじゃない、もともと水が行きやすい筋を拾えばいい」
「戦場の道探しと同じだな」
「だろ」
「敵のいねえ分、まだ気楽か」
「森の中にいるんだよなあ」
「それもそうだ」
だが、希望はあった。
水路が引けるかもしれない。
それも、無茶な大工事ではなく、村人の手で少しずつ形にできる程度の規模で。
それだけで大きい。
「戻ったらテオドールに地図引かせる」
「また仕事増やすのか」
「増やす」
「嬉しそうにやりやがるぞ、あいつ」
「知ってる」
レオは川の水をひとすくいして、手のひらから落とした。
冷たいし、澄んでいる。
この水が畑へ回れば、村はまたひとつ強くなる。
パン炉で生活が変わったように。
水路が通れば、今度は生産そのものが変わる。
「よし」
レオは立ち上がる。
「次は水だ」
「忙しいな」
「止まる理由がない」
「若えな」
「爺さんは止まるか?」
「止まらねえな」
答えは最初から決まっていた。
村へ戻ると、広場の空気はまた少し変わっていた。
前より明るい、柔らかい。
理由ははっきりしている。
雛たちだ。
火尾鶏の雛、アカネ、スミ、ヒイロ。
三羽はもう、村の人間にとって単なる魔物の子ではなくなりつつあった。
もちろん、完全に油断しているわけではない。
檻は頑丈だし、大人の目もある。
だが、それでも三羽は着実に村へ馴染み始めていた。
「アカネ、こっちだ」
レオが呼ぶと、アカネがぴっと首を上げ、短い足でとことこと寄ってくる。
「…おい」
川から戻ったばかりのレオは、思わず声を漏らした。
隣でガレスが笑う。
「理解してるな」
「ああ」
完全に言葉を分かっている、とまでは言わない。
だが、自分の名前と、呼ばれた方向、そのくらいはもう繋がっている。
スミは少し遅れて寄ってきて、レオの靴をつつく。
ヒイロの方は、少し離れたところで村の子供たちの周りをうろうろしていた。
「ヒイロ!」
と子供が呼ぶ。
するとヒイロが振り向く。
そのまま走っていって、子供の足元をくるくる回る。
「…遊んでるな」
本当にそうとしか言えない光景だった。
雛たちは賢いのか、最近は村の子供たちの言葉や動きをよく見ている。
投げた小枝を追いかけたり、追いかけっこみたいなことまでしている。
尾の先を赤くしながら、ぴぴ、と鳴いて走り回る姿は、危ういのに妙に愛嬌があった。
「大丈夫なのか、あれ」
バルドが少し不安そうに言う。
レオは子供たちと雛の距離を見た。
「今のところはな」
「今のところ、か」
「火が強くなり始めたら、もっと線を引く」
「だな」
だが少なくとも今は、子供たちと遊んでいる間の雛たちは、本当にただの鶏だった。
それに加えて、もう一つ。
村の空気を大きく変えているものがあった。
「…また産んでるのか」
レオが檻の隅を見て言う。
アカネが今日も、檻の藁の上に卵を二つ転がしていた。
しかも朝に二つ、昼に一つ、夕方までにまた一つ、という具合で、最近はほぼ毎日四つか五つほど産み続けている。
生後数日で、だ。
さすが魔物というしかない。
「普通じゃねえ」
とガレス。
「普通だったら困るだろ」
とレオ。
「違いねえ」
もうこの会話も何度目か分からなかった。
おかげでここ数日、村では毎日卵が食べられている。
朝は目玉焼き。
昼は湯へ落として半熟。
夜は煮込みへ割り入れる。
時にはパン生地へ少し混ぜて焼くことまで始まっていた。
しかも、その卵が明らかにうまい。
黄身が濃く、味が強く、火を通すと香りまで良くなる。
卵ひとつで、食事の格がひとつ上がるのが分かる。
「卵が毎日あるって、こんなに違うんだねえ」
マルタがしみじみ言ったのは、三日連続で目玉焼きを焼いた朝だった。
「子供の食いつきが違うよ」
「男どももだろ」
「それもそうだね」
実際、皆の顔色は目に見えて変わってきていた。
特に女たちがそうだった。
以前より頬がこけていない。
唇に色が戻っている。
肌も少しつやを帯びてきた。
「…本当に分かりやすく出るもんだな」
レオがぽつりと言うと、テオドールが記録帳から目を上げた。
「出ますよ」
「そうなのか」
「温かいパン、温かい湯、卵。栄養の質が違います」
「質、か」
「ただ腹に入るだけじゃない。体が戻るんです」
「…なるほどな」
レオは広場の向こうで笑っている女たちを見た。
前より声が明るい。
歩き方まで少し軽い。
食べるものが変わるだけで、ここまで変わるのかと改めて思う。
「特に女衆は強いな」
ガレスが言うと、レオは頷いた
「そうだな」
「飯が変わると、村を一番変えるのはあいつらだ」
「違いねえ」
「男はだいたい、うまいで終わるからな」
「耳が痛いな」
「本当に痛がれ」
広場では、アカネがまた鳴いていた。
得意げに胸を張っているように見えるのが少し腹立たしい。
「お前、働きすぎだろ」
レオが檻越しにそう言うと、アカネは首を傾げて短く返した。
その横でスミは少しのんびりした顔で餌をついばみ、ヒイロは子供たちに混じってまた走っている。
村人たちの会議は、まだ続いていた。
卵をどう回すか。
パンをどれだけ焼くか。
素材を何に優先して回すか。
このまま村の外へ売れるものはあるのか。
そんな話だ。
レオは村を見渡した。
パン炉は生活を変えた。
雛は卵をくれた。
村人の顔色は良くなった。
子供たちは笑っている。
だが、ここで止まるわけにはいかない。
次は水だ。
水路を通し、畑を増やす。
村の腹を、もっと太くする。
そうすれば、この村は本当に生き残れる。
「よし」
レオが小さく言う。
「次の会議は水路だな」
「忙しいねえ」
マルタが笑いながら言う。
「パンが焼けて、卵が取れて、今度は水かい」
「嫌か?」
「まさか、そういう忙しさなら歓迎だよ」
その答えが、妙にうれしかった。
歓迎される忙しさ。
それはきっと、前へ進んでいる証拠だ。
アカネがまた卵を産み、
パン炉では湯が沸き、
雛たちは子供たちと走り回る。
そしてその裏で、レオとガレスは川から水を引く算段を始める。
村はもう、ただ生き延びるだけの場所ではなかった。
少しずつ、だが確実に。
新大陸の辺境で、人が暮らす場所へ変わり始めていた。




