第22話 刷り込みは二対一
結局、卵は三つとも孵った。
一つ目が殻を割ってから、そう時間はかからなかった。
二つ目は最初の個体より少し大人しく、殻の中でしばらく身をよじり、それからぴしぴしと細かく割って出てきた。
三つ目は逆に気が強いのか、最初から勢いよく殻を蹴り飛ばし、藁の上へ頭から転がり出た。
どれも小さい。
両手に乗るくらいの大きさ。
胴はまだ丸く、鱗も柔らかい。
火尾鶏の面影はあるが、親の禍々しさは薄く、今はまだ「妙な雛」と言った方が近い。
頭はやはり鶏に近い。
首から下は小さな蜥蜴みたいな鱗。
尾は短いが、先端だけ赤い。
そして目だ。
まだ幼いのに、目だけはしっかり火尾鶏だった。
「…三つともか」
レオが低く言うと、テオドールは紙を抱えたまま頷いた。
「全部ですね」
「全滅じゃなくて、全生存の方かよ」
「珍しい表現ですね」
「気分だよ」
藁の上で三匹の雛、火尾鶏の雛と呼ぶしかない命は、それぞれ首を振りながら周囲を見ていた。
そして予想通りというか、予想以上というか。
二匹目は、よたよたとレオの方へ歩いてきた。
三匹目だけが、少し遅れてエルマーの足元へ寄っていく。
「…おい」
レオが半眼になる。
足元では二匹が革靴のつま先へ頭を押しつけ、ぴ、ぴ、と鳴いていた。
エルマーの方でも、最後に孵った一匹が杖の先をつつき、それから裾に体を寄せる。
「はは」
エルマーが、少しだけ勝ち誇ったように笑う。
「選ばれたな」
「一匹だけだろ」
「数の問題じゃない」
「二対一だぞ」
「質の問題だ」
「どういう質だよ」
ガレスが後ろで喉の奥を鳴らした。
「面倒くせえ争い始めやがったな」
「いや待て」
バルドが頭を抱える。
「そこじゃねえだろ。問題は」
「そうですね」
テオドールが珍しく即座に同意した。
「問題は、この三匹をどうするかです」
その一言で、部屋の空気が少し締まる。
可愛い。
たしかに今は可愛い。
両手に乗るサイズで、歩き方もおぼつかない。
ぴぴ、と鳴くたびに、子供たちは目を輝かせ、女たちもどこか頬が緩む。
だが相手は火尾鶏だ。
裂牙犬を焼いて食う魔物の子。
今は掌サイズでも、成長した先はあの親に近づくのかもしれない。
「まずは飼う」
最初にそう言ったのは、レオだった。
部屋の中の視線が集まる。
「飼うのか」
「ああ」
「…理由は」
バルドの問いに、レオは一つずつ並べた。
「まず、鶏に近い習性があるなら、卵が取れる可能性がある」
「卵か」
「雌雄の区別はまだ分からん。だが、雌がいれば、交尾させなくても無精卵は定期的に出るかもしれん」
「なるほどな…」
マルタが腕を組み、真顔で頷く。
さすがに女衆は、そこへの反応が早い。
「卵はでかそうだね」
「火尾鶏の卵だぞ」
「だからだよ、食えるなら大きい」
「旧大陸でも卵は高いしな」
レオは続ける。
「旧大陸でも、卵は比較的高価だ。使い道も多い」
テオドールもそこで口を挟んだ。
「村の食料事情を考えるなら、かなり大きいですね」
「だろ」
「定期的に取れるなら、肉以上の価値があります」
エルマーは足元の雛を見下ろしながら言う。
「しかも火尾鶏なら、ただの卵じゃ済まない可能性もある」
「どういう意味だ」
「栄養価が高いかもしれないし、下手をすると微量の火属性を帯びるかもしれん」
「食い物に余計な属性を持ち込むな」
「まだ仮説だ」
「お前の仮説はだいたい面倒なんだよ」
それでも、卵が取れる可能性自体はかなり魅力的だった。
今の村には、継続的な動物性食料源がほとんどない。
卵が手に入るだけでも、生活はかなり変わる。
「次に」
レオは足元の二匹を見ながら続ける。
「人に慣れる可能性がある」
「刷り込み、でしたっけ」
テオドールが言い、エルマーが頷く。
「少なくとも今の時点では、こいつらは俺たちを親だと思ってる」
レオは続けた。
「人に懐くなら、制御しやすい」
「制御、か」
「そうだ。成長しても言うことを聞くなら、村の防衛に使える」
「番犬ならぬ番鶏、ってことか」
バルドが半ば冗談みたいに言った。
だがレオは真顔で頷く。
「そういうことだ」
「おいおい」
「笑い話じゃない。火を持つ魔物が、村を守る側につけばかなり頼もしい」
「たしかにな…」
ガレスも、その点については否定しなかった。
「裂牙犬程度なら追い払えるかもしれねえな」
「成長すれば、な」
エルマーはしゃがみ込み、自分に懐いた一匹の背を指先で軽く撫でた。
雛はぴっと鳴いて、素直に目を細める。
「魔物っていうだけで全部敵に回すのは、もったいない」
「お前が言うと危険思想に聞こえるな」
「事実だろ、使えるなら使う」
「それはそうだが」
レオはそこで、一度言葉を切った。
「…ただし、不安がないわけじゃない」
その一言で、また部屋が静かになる。
雛たちはそんな空気も知らず、藁の上をよたよた歩いている。
一匹はレオの脛に寄りかかり、一匹は靴紐を嘴でつつき、もう一匹はエルマーの杖の先を獲物みたいに見ていた。
「相手は魔物だ」
「ええ」
今度はテオドールも軽くならなかった。
「今は小さい。だが、成長してどうなるかは分かりません」
「ああ」
「人に懐いたまま大きくなるのか。途中で本能が勝つのか。火の扱いがどう変わるのか。何も分かっていない」
「それが一番の問題だな」
バルドが低く言う。
「今はいい、可愛いし、手のひらサイズだ。だが半年、一年でどうなる?」
「親と同じになるなら、村の中で飼うのは危険かもしれん」
「しかも三匹だぞ」
女たちも、さすがにそこは浮かれきらなかった。
マルタが言う。
「今のうちに情が移って、後で殺せなくなるのも厄介だよ」
「…それもある」
レオは素直に認めた。
足元の一匹が、ちょうどそのタイミングでぴ、と鳴いた。
こっちを見る。
小さいし頼りない。
そして明らかに、自分を敵だと思っていない。
今ここで「危ないから処分する」と言えるほど、レオも冷たくはなれなかった。
「だから条件つきだ」
レオが言う。
「飼う。だが放し飼いじゃない」
「囲うのか」
「まずは檻だ。丈夫なやつ」
「火を出したら?」
「だから火も見るし、餌も見る。成長も見る」
テオドールがすぐに補足した。
「観察記録を取るべきですね」
「お前、そういう時だけ嬉しそうだな」
「こういうのは非常に大事です」
紙を構える手が早い。
「食性、体温、尾の発熱、鳴き声、睡眠時間、懐き方、攻撃性」
「家畜じゃなくて研究対象だな」
「今は両方でしょう」
それはその通りだった。
「あと」
エルマーがふいに真面目な顔になる。
「俺とレオ以外には、いきなり素手で触らせるな」
「…理由は」
「刷り込みがどこまで強いか分からん。今は親認定した相手に寄ってるが、それ以外を敵か、ただの背景と見るか不明だ」
「成長途中で噛みつく可能性もあるってことか」
「特に火を持ち始めたら面倒だ」
その一言に、また空気が締まる。
だが、必要な警戒だ。
「檻は村の中央だな」
「そうだな」
「見張れる位置がいい」
「女と子供が勝手に近づけないようにもしたい」
「それもだ」
話が、少しずつ現実的になる。
飼う。
だが管理する。
期待はするが備える。
「名前つける?」
不意に、子供のひとりがそう言った。
部屋の空気が少し止まる。
「名前?」
「だって、三匹もいるし…名前ないと呼べないよ」
レオが額を押さえる。
だが、子供たちの言うことももっともだった。
雛たちはもう、ただの火尾鶏の子ではなくなりつつある。
二匹はレオに寄り、一匹はエルマーに寄っている。
村の中で飼うなら、呼び分けも要る。
「今はいいだろ、そんなの」
「よくない」
意外にも、マルタがきっぱり言った。
「飼うなら名前はいるよ」
「そういうもんなのか」
「そういうもんだよ」
「知らんかった」
「坊っちゃんだからね」
その言葉に少し笑いが起きる。
レオの足元では、二匹がまたぴ、ぴ、と鳴いた。
片方は少し気が強そうで、もう片方は妙に大人しい。
たしかに区別はできる。
「…あとで考える」
結局、レオはそう言うしかなかった。
バルドが最後に纏めるように締めた。
「じゃあ、決まりだな」
結局のところ、今この場で決められることには限界がある。
分からない以上、見て、育てて、判断するしかない。
「面倒が増えましたね」
テオドールがしみじみ言う。
「いつものことだ」
「でも今回は、かなり生き物感のある面倒です」
「お前のせいでもあるぞ」
「卵を孵したのは私じゃありませんよ」
「魔法狂いが来た途端に孵るの、なんか因果を感じるな」
エルマーは肩をすくめた。
「俺のせいにするな」
「じゃあ誰のせいだ」
「新大陸のせいだろ」
「それはそうだ」
そこで、レオの足元の二匹が同時に鳴いた。
エルマーの一匹も、それに続く。
小さい声だ。
けれど、たしかに生きている声だった。
危険かもしれない。
役に立つかもしれない。
厄介事かもしれない。
宝かもしれない。
今はまだ、何も決まっていない。
だが、それでいいとレオは思った。
この村は、最初からそうやってきた。
分からない脅威を見て、調べて、線を引いて、自分たちの側へ寄せていく。
この三匹も、その延長にいるだけだ。
「よし」
レオはしゃがみ込み、片方の雛をそっと持ち上げた。
温かく軽い。
尾の先だけが、ほんの少し熱を持っている。
「餌はどうする」
「親が裂牙犬食ってたから肉寄りか?」
「いや、虫も食うかもしれん」
「雑食かもしれないですね」
「…やること多いな」
「多いですね」
部屋の中に、また小さな笑いが起きた。
面倒は増えた。
だが、絶望ではない。
むしろ、少しだけ未来が増えた感じすらある。
番犬ならぬ番鶏。
定期的な卵。
あるいはそれ以上の何か。
もちろん楽観はできない。
魔物であることに変わりはないのだから。
それでも今は飼う。
それが、この村の答えだった。
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