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第21話 火尾鶏のヒナ

本命のパン焼き炉づくりは、試験炉が安定して動き続けているのを見届けた直後から始まった。


広場の一角、風下。

試験炉よりもひと回り、いやふた回りは大きい土台を組む。


石を運ぶ者、粘土を練る者。

水を汲む者、尾の繊維を切り分ける者。


村じゅうが、いつになく慌ただしかった。


「ここは厚くしろ」


エルマーが膝をつき、炉の底を指す。


「熱を抱かせる。逃がすな」


「このくらいか?」


「もう少し」


「欲張るな、重くなる」


「重くていい、持ち歩くもんじゃないんだから」


横ではテオドールが、また紙へ何かを書き込んでいた。


「本命炉、試験炉の二・三倍規模。火口は前面広め。上部蓄熱域、やや厚め…」


「お前、楽しいだろ」


「ええ。かなり」


マルタたち女衆は、すでにその先の話をしている。


「これができたら、朝から焼けるね」


「毎朝、ってことかい」


「芋も焼けるかもしれないよ」


「肉の炙りもいけるんじゃないか」


「夢が広がるねえ」


夢が広がるという言葉に、レオは少しだけ口元を緩めた。


たかが炉だ。

けれどこの村では、たかがではない。

火の維持が変われば、生活そのものが変わる。


その時だった。

広場の端から、甲高い声が飛んできた。


「レオー!」


「おっさん魔法使い!」


「卵!、卵が!」


走ってきたのは子供たちだった。


三人とも顔を真っ赤にして、息を切らしている。

先頭の男の子は転びそうになりながらも、必死に手を振っていた。


「卵が割れそう!」


広場の空気が、一瞬で止まった。


「…は?」


最初に間の抜けた声を出したのは、バルドだった。

だが、次の瞬間には全員が動いていた。


「どの卵だ!」


「火尾鶏のやつ!」


「三つとも!?」


「ひとつ!でも、ぴきってなった!」


レオは真っ先に立ち上がる。


「案内しろ!」


「こっち!」


子供たちがまた走り出し、レオ、エルマー、テオドール、ガレスがその後を追う。

マルタたち女衆も手を止めてついてきた。


本命炉どころではない。



卵は、一番ましな家の隅、藁を厚く敷いた上に並べて置いてあった。


その周囲には、すでに何人かの女たちが集まっている。

皆、困惑した顔だ。


「本当に、割れそうなんだよ!」


「さっき音がしたんだ!」


「中で動いたの!」


家に入った瞬間、レオにも分かった。

空気が少し違う。

静かなのに、何かが生まれようとしている気配がある。


藁の上に並ぶ三つの卵。

そのうち中央のひとつに、細い線が走っていた。


ひびだ。


「…おい」


レオが息を潜める。

卵の表面、青みがかった灰色の殻に、ぴき、ぴき、と細かな亀裂が増えていく。


中で動いている。


「本当に割れるな」


ガレスが低く言う。

珍しく、少しだけ声が柔らかかった。


エルマーはもう、ほとんど卵の目の前まで来ていた。

だが、まだ触らない。

触りたくて仕方ない顔をしながら、ぎりぎりで踏みとどまっている。


「孵る…」


「おい」


「孵るぞ、これ」


「見れば分かる」


「いや、分かってたけど、本当にか」


その声は、珍しく素直な驚きに満ちていた。

テオドールは戸口の脇で、すでに記録用の紙を抱えている。


「火尾鶏の卵、一個にひび。内部活動あり。孵化の可能性大…」


「お前も落ち着け」


「落ち着いてますよ」


「目が全然落ち着いてない」


「こういうのは仕方ないでしょう」


ひびが、また増える。

やがて、中央が小さく盛り上がった。


「来るぞ」


エルマーが囁く。

その声に、家の中の全員が息を止めた。


殻の内側から、小さく尖った何かが押し当てられる。

先端は淡い赤、嘴だ。


「…鳥だな」


ガレスがぼそりと言う。

だがその直後、殻が少し大きく割れ、その奥から覗いたものを見て、誰もがまた黙った。


赤い嘴。

その周囲に、まだ濡れたような細い鱗。


完全な鳥ではない。

やはり火尾鶏の子だ。


ぱきん、と大きな音がして、殻が一片崩れ落ちた。

そこから、小さな頭がぬっと出る。


鶏に似ている。

だが目は爬虫類のように丸くなく、細くもなく、その中間の妙な形だった。

頭の上には、まだ柔らかそうな小さな赤い鶏冠。

首から下は、濡れた青灰色の鱗に覆われている。


「うわ…」


子供のひとりが、小さく声を漏らした。

怖いのか、すごいのか、自分でも分かっていない顔だ。


孵ったばかりのそれは、殻の中でもぞもぞと動き、やがて半身を外へ出した。


小さい。

両手で抱えられるくらいだ。


だが、形はたしかに火尾鶏だった。


頭は鳥。

胴は蜥蜴。

尾は短いが、先端だけうっすら赤い。


「…尻尾」


エルマーの声が震える。

欲求と観察欲がむき出しだ。


「見ろ、もう尾が色づいてる」


「落ち着け」


「落ち着いてる」


「その前のめりが落ち着いてない」


ヒナと呼んでいいのか分からないが、それは殻の外へ完全に出ると、ふらふらと首を振った。

目が開く、赤い瞳。


だが親ほど鋭くはない。

むしろ、まだ頼りない。


その赤い目が、部屋の中をぐるりと見渡し、ぴたりとレオで止まった。


「…ん?」


レオが眉をひそめる。


ヒナは小さく首を傾げた。

それから、よちよちと藁の上を歩いてくる。


「おい、待て」


「来るぞ」


「なんで俺だ」


誰も答えられなかった。

ヒナはそのまま、まっすぐレオの足元まで来ると、革靴の先へ小さな頭をこつんと押しつけた。


そして、ぴ、と鳴いた。

家の中が、静まり返る。


「……」


レオは数秒、何も言えなかった。


その沈黙を破ったのは、エルマーだった。


「刷り込みだ」


「は?」


「たぶん、最初にちゃんと見た動く大きいものを親だと思った」


「俺が?」


「たぶん」


「なんでだ」


「知らん。位置か、目線か、運か」


テオドールが紙を持ったまま、微妙に困った顔をする。


「それ、嬉しい話なんですか、面倒な話なんですか」


「両方だな」


ガレスが即答した。


まったくその通りだった。


レオの足元で、ヒナはまたぴ、と鳴いた。

しかも、尻尾の先がほんの少しだけ赤く明滅している。


「…おい」


レオはしゃがみ込む。

ヒナは逃げない。

むしろ首を伸ばして、じっと見上げてくる。


「可愛い…のか?」


「可愛くはある」


「でも火尾鶏だぞ」


「それもそうだ」


女たちがざわつく。


「育てるのかい?」


「いや待て」


「でも、今殺すのかい?」


「それも待て」


バルドが頭を抱えた。


「なんでこう、問題が次々増えるんだ」

「新大陸だからだろ」


レオが答えると、ガレスが吹き出した。

エルマーはもう、完全に興味の塊みたいな顔でヒナを見ていた。


「…すごいな」


「何がだ」


「卵から孵った直後の火尾鶏だぞ、しかも刷り込みつきだ」


「その言い方やめろ」


「貴重だ」


「知ってる」


「面白い」


「それも知ってる」


その時だった。

藁の上で、もう一つの卵にも小さくひびが走った。


全員の視線が一斉にそちらへ向く。


「まだいるのか」


「三つあったんだから、当たり前でしょう」


テオドールのその言葉は正しい。

正しいが、まったく安心できない。


レオは足元のヒナを見下ろした。


ぴ、とまた鳴く。

小さい、頼りない。

だが、尻尾の先には確かに火尾鶏の赤がある。


本命のパン焼き炉どころではなくなった。


そう思いながらも、レオはどこかで確信していた。


この村は、想定していたよりずっと面倒で、ずっと面白い方向へ進み始めている。

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