第20話 試験炉起動
試験炉づくりは、その日の午後から始まった。
広場の一角。
風下で、家から少し離れた場所が選ばれる。
万一暴れても、すぐに水をかけられる位置。
そして、人が集まりやすい位置でもあった。
「まず土台だ」
エルマーは珍しく、最初から手順を口に出していた。
地面を浅く掘り、平らにならす。
その上へ、村の男たちが運んできた平たい石を敷く。
隙間は粘土で埋める。
さらにその周りへ、拳大の石を半円状に積み、簡単な炉床を作る。
大きさは小さい。
鍋を一つ乗せられる程度。
パン焼きの本命炉というより、あくまで実験台だ。
「ここまで、はただの竈ですね」
テオドールが記録を取りながら言う。
「そうだ、危ないのはここからだ」
エルマーはそう返し、布で包んでいた赤い魔石を取り出した。
少し角張った赤い石。
火尾鶏の腹から出たそれは、日の光の下で見てもなお、内側に熾火を抱いているようだった。
周囲の空気が少し引き締まる。
村人たちは、さっきまで石運びや粘土練りをしていた手を止め、その赤を見ていた。
子供たちは少し後ろへ下がらされている。
女たちも、水桶をすぐ取れる場所へ並べていた。
「削るぞ」
エルマーが言う。
レオは腕を組み、すぐ横に立った。
必要があれば止める距離だ。
エルマーは小型の鑿と金槌、それに短い刻み刀を並べた。
そして赤い魔石を布の上に置き、まず杖の先でほんの少しだけ触れる。
すう、と細い熱が走る。
「…暴れはしない」
「今のところは、だろ」
「そうだ」
正直でいいのか悪いのか分からない返答だった。
それからエルマーは鑿の刃先を魔石の角へ当て、呼吸を整える。
「魔力は流すなよ」
レオが言う。
エルマーは鑿から目を離さずに返した。
「分かってる、最初は純粋に削る」
最初の一打は軽い音だった。
だが、普通の石を削る音とは違う。
どこか乾いていて、その奥に小さな鳴りがある。
少しずつ、角が削れていく。
赤い粉ではない。
剥がれるのは細かな欠片だ。
それ自体が、ほんのわずかに熱を持っている。
「布だ」
エルマーが言うと、テオドールがすぐに厚手の布を差し出した。
削れた欠片はそこへ受けられる。
「思ったより素直ですね」
テオドールが記録を取りながら言う。
「火にしてはな」
エルマーの声は低く、集中していた。
見ていて不安になる類の集中だ。
レオはちらりとガレスを見る。
老剣士は腕を組んだまま、面白そうでもあり、いつでも動けるようでもある顔をしていた。
「危なくなったら蹴るぞ」
「その時は頼む」
やがて、魔石の一角がはっきりと削り取られた。
少し歪な三角に近い塊。
手のひらに載る程度だが、それだけでも赤は濃い。
エルマーはそこでようやく鑿を置いた。
「終わりか」
「ああ、これ以上は今やらん」
今は、という言い方が不穏だったが、ひとまず無視する。
次は尾だった。
火尾鶏の尾の先、赤い繊毛のような部分を、エルマーは短刀で慎重に切り分ける。
毛というには硬く、糸というにはしなやかすぎる。
細く、赤く、わずかに熱を残したそれは、動物の体毛というより、火そのものを縒ったように見えた。
「これか」
レオが言う。
エルマーは頷いた。
「全部はいらん。少しでいい」
赤い繊維を束ね、削った魔石の欠片の周囲へ巻きつけていく。
芯、導熱、保持。
そういう理屈なのだろうが、見た目だけなら妙な護符だった。
「…本当にこれで炉になるのかい」
マルタが半信半疑で呟く。
エルマーは顔も上げずに答えた。
「なるか、爆ぜるかのどっちかだ」
「やめな!」
女たちが揃って叫び、子供たちまでびくっとした。
レオは即座にエルマーの後頭部を軽く叩いた。
「余計なこと言うな」
「痛い」
「当然だ」
「でも嘘じゃない」
「黙れ」
そのやり取りで少し空気が緩み、また戻る。
芯になる欠片と尾の繊維は、小さな石皿の中央へ据えられた。
その周囲を粘土と石で囲う、直接むき出しにはしない。
熱が集まりすぎれば暴れるかもしれないからだ。
「空気穴は?」
とテオドール。
「小さく二つ」
エルマーが答える。
「完全に閉じると死ぬ、開けすぎると暴れる」
「…その言い方、やっぱり生き物みたいですね」
「そういう類のもんだろ、これは」
炉の形ができる。
背の低い、丸い土炉。
前面に小さな口。
上には鉄板代わりの平石。
見た目だけなら、本当にただの小さな焼き炉だ。
だが中身が違う。
レオはその完成した試験炉を見つめた。
エルマーはようやく立ち上がった。
赤い魔石の欠片を仕込んだ炉の前に立ち、右手の指先を軽く振る。
「ここからが起動だ」
「どれくらい入れる」
「ほんの少し」
「信用ならん」
「レオ」
「なんだ」
「俺も今ちょっと緊張してる」
「ならよし」
その一言で、周囲の全員がさらに黙った。
風も弱い。
広場には、人の息遣いだけがある。
エルマーは試験炉の前へ片膝をついた。
右手を炉の口へかざす。
左手は膝の上。
目を閉じる。
その瞬間、さっきまでの軽薄さが消えた。
これだ、とレオは思う。
魔法に向き合う時だけ、こいつは本当に別人みたいに澄む。
ふざけない、媚びない、ただ真剣だ。
「火は食う」
エルマーが、低く言う。
誰に向けたものでもない。
術式を組むための、独り言のような声。
「だが、こいつは燃やす火じゃない。残す火だ」
「走るな、留まれ、散るな、保て」
指先に、小さな赤が灯る。
普通の火球でも火矢でもない。
点だ。
針の先ほどの、小さな魔力の火。
それを、エルマーはそっと試験炉の口へ入れた。
何も起きないと皆が思った時、炉の内側で小さな音がした。
まず芯の辺りが淡く光る。
それから、尾の繊維に沿って熱が走る。
ぱち、と小さな火花。
だが燃え上がらない。
むしろ逆だ。
火が、炉の中へ沈む。
「…おい」
バルドが思わず声を漏らす。
平石の下、炉の奥にだけ、赤い熱が宿っていく。
表へ噴き出さない。
土と石に抱かれたまま、内部で丸く熱を持ち始める。
エルマーが目を細めた。
「いい」
「いいのか?」
「かなりいい」
その声と同時に、炉の口からふわりと温かい空気が流れ出した。
火柱ではない、爆ぜもしない。
ただ、確かな熱。
「鍋」
とエルマー。
マルタが慌てて小鍋を持ってくる。
水を少し張っただけの簡単なものだ。
それを炉の上へ置く。
最初は何も変わらない。
だが、ほどなくして鍋底が鳴った。
「…沸いてる」
女のひとりが、ぽかんと呟く。
火は見えないのに、水が沸いている。
鍋底を通して、じわじわと熱が入り続けているのだ。
「成功、か」
レオが言うと、エルマーはゆっくり立ち上がった。
額には少しだけ汗が滲んでいる。
「…第一段階としてはな」
「またそれか」
「未知素材だぞ?」
「知ってる」
テオドールはもう、紙へ猛烈な勢いで書きつけていた。
「試験炉、初回起動成功。火勢は外部噴出せず、内部蓄熱型。小鍋の水、短時間で沸騰…」
「お前、楽しそうだな」
「ええ。こういう文明の更新は、かなり好きです」
「性格が悪いな」
「褒め言葉として受け取ります」
その横で、マルタはまだ沸いた鍋を見つめていた。
「火を起こしてないのに」
「起こしてはいる」
エルマーが少し得意そうに言う。
「ただ、消えにくい形にしただけだ」
「これ、ほんとに保つのかい」
「今すぐ消える感じじゃない。たぶん、かなり持つ」
「たぶん?」
「かなりのたぶんだ」
その言い回しに、さすがに皆が笑った。
子供たちなどは、もう炉の周りをぐるぐるしている。
「すげえ!」
「火がないのにあったかい!」
「パン焼ける!?」
「毎日!?」
エルマーはそこでにやりと笑った。
「焼けるぞ」
「本当に?」
「本当にだ、こいつを大きくすればな」
その瞬間、女たちの目の色が変わった。
レオは、ああこれ決まったな、と思った。
巨猿や火尾鶏を倒した時とは、また違う。
生活が変わる音がしたからだ。
毎日火を起こさなくていい。
毎日温かいものが作れる。
毎日、焼き立てのパンが焼けるかもしれない。
それは村にとって、武器や防具とは別の意味で大きい。
「本命を作るか」
レオが言う。
マルタは即座に頷いた。
「早いな」
「こんなの見せられて待てるかい」
「違いねえ」
バルドまで笑っていた。
エルマーはその反応を見て、少しだけ顎を上げる。
「言っただろ、必要で面白い物だって」
「必要なのは認める」
「面白いのも認めろ」
「それもな」
レオは試験炉の前へしゃがみ込み、口元から漏れる熱を手で受けた。
温かく安定している。
不気味なくらい素直だ。
火尾鶏の尾と赤い魔石。
この新大陸の脅威が、そのまま村の火になった。
そう思うと、妙に感慨があった。
「…面白いな」
ぽつりと漏らすと、エルマーが横で笑う。
「だろう?」
「ああ」
「魔法を極めるために俺は…」
「その先はいい」
「言わせろよ」
「長い」
「短いだろ」
そのやり取りの向こうで、試験炉の上の水はなお静かに沸き続けていた。
火は見えない。
けれど、たしかにある。
この村も同じだと、レオは少し思った。
まだ小さい、まだ脆い。
だが、内側ではもう火がついている。
簡単には消えない火が。
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