第15話 火尾鶏を狩る夜
その夜、村は静かだった。
静かではあったが、穏やかではない。
焚き火の明かりの下で、男たちは黙々と手を動かしていた。
洞窟前に仕掛ける罠のため、短い杭を削る者。
浅く掘るための鍬を整える者。
弓弦を張り直す者。
女たちも休んではいなかった。
魚油と獣脂、それに樹脂を混ぜ、小鍋で温める。
臭いはきつい。
だが、まとわりついて燃えるもの、という点では十分だった。
「これ、本当に投げるのかい」
マルタが顔をしかめながら、革袋の口を縛る。
「投げる」
レオが即答すると、女は呆れたようにため息をついた。
「村に来てまだ日も浅いのに、やることがいちいち物騒だねえ」
「それで生き残れるなら安い」
「違いないけどさ」
そう言いながらも、手は止めない。
できあがった油袋は十。
多いとは言えない。
だが、寝床で休む相手に叩きつけるには足りるはずだ。
広場の端では、ユルが最後の投擲練習をしていた。
中身はもう水ではない。
少量の油を詰めた軽い袋だ。
少し離れた場所では、テオドールが配置図の写しを二枚目まで仕上げていた。
その横には、洞窟前の地形を再現した簡単な図。
風向き、立ち位置。
飛び出し予測線。
「ここまでやって、まだ不安そうだな」
レオが言うと、テオドールは筆を置いて肩をすくめた。
「不安に決まってるでしょう。火持ちの魔物を夜襲で燃やそうとしてるんですよ」
「お前が言い出したんだぞ」
「案を出すのと、現実にやるのは別です」
「今さらだな」
「今さらです」
だが、その声に逃げる気配はなかった。
ガレスが薪の束に腰掛けたまま口を開く。
「で、お前は来るのか」
「行きますよ」
「は?」
レオが顔を上げる。
テオドールは、少しだけ眉を寄せた。
「後ろまでです。現場の真横には立ちません」
「それでも来るのか」
「洞窟前の距離感と、飛び出し位置の判断は、その場で見た方が早い。あと、あなたたちだけだと勢いで予定外のことをしそうです」
「言い返せんな」
「でしょう」
準備は、深夜前には終わった。
最後にレオは、広場の中央で全員の顔を見た。
今夜行くのは七人。
レオ、ガレス、バルド、ユル、ミハル、ロド。
そしてテオドール。
人数としては多くない。
だが、森の中を静かに動くにはこれ以上増やせない。
「確認する」
レオの声に、皆が顔を上げる。
「最初は洞窟前に罠。油袋は俺とユル。火が走ったら伏せる。飛び出したら弓」
「左右に逃げたら?」
「ガレスとバルドが押し返す」
「正面に抜けたら?」
「そのための穴だ」
「もし燃えなかったら?」
「二投目。それでも駄目なら、今日は退く」
「…退くのか」
「当たり前だ。狩りは一度で終わらん」
それで少し、皆の肩の力が抜けた。
絶対に今夜決める、ではない。
駄目なら引く。
その余地があるだけで、人は踏ん張りやすい。
「じゃあ行くぞ」
レオが言うと、ガレスが立ち上がり、ユルが油袋を抱え直し、テオドールは配置図を折って胸に仕舞った。
村の女たちは、言葉少なに見送る。
子供たちはもう寝ている。
焚き火だけが、広場に赤い明かりを残していた。
夜の森は、昼よりずっと遠かった。
同じ距離を歩いているはずなのに、木々の影が濃いだけで世界が狭く感じる。
虫の音も少ない。
自分たちの足音だけが、必要以上に耳についた。
洞窟の近くまで来ると、全員が無言になった。
話すことはもうない、やることだけがある。
レオは手で合図を出す。
火尾鶏の洞窟は、昼間と変わらず岩場に口を開けていた。
外に火の気は見えない。
だが奥の暗がりには、ごく微かに赤がある。
尻尾だ。
「…寝てるか?」
ユルが息だけで聞く。
レオは耳を澄ませた。
くぐもった呼吸音。
時折、喉の奥が小さく鳴る。
大きく動いてはいない。
「休んでる」
「なら今だな」
ガレスが低く言う。
まずは罠だった。
洞窟前、真正面から少しずらした位置に、浅い穴を二つ。
急ぐが、雑にはしない。
足首を取る程度でいい。
その底へ短い杭と尖った枝を斜めに差し込み、落ちた足が滑るようにする。
土はあまり盛らない。
元からあった岩陰と落ち葉を使い、不自然さを消す。
テオドールは少し後ろから、声を殺して指示を出す。
「右、もう少し浅く。深すぎると飛び越えられます」
「分かった」
「左はそのままで。そこへ体重が乗れば崩れます」
作業は、息が詰まるほど慎重だった。
だが思ったより早く終わる。
罠よし。
立ち位置よし。
弓手の位置よし。
レオは右手の岩陰へ入り、ユルを横につけた。
左にはガレスとバルド。
少し後方に、ロドとミハルが弓を構える。
テオドールはさらに後ろ、全体が見える位置へ。
あとは投げるだけだ。
レオは油袋を手に取った。
ぬめる重みが掌に沈む。
心臓がやけに静かだった。
こういう時ほど、余計なことは考えない方がいい。
そっと呼吸を整える。
洞窟の中の赤が、小さく揺れた。
レオは腰をひねり、全身で投げる。
油袋は暗がりへ吸い込まれ、鈍い音とともに何かへ当たった。
次の瞬間、洞窟の中でくぐもった鳴き声が跳ねた。
「当たった!」
ユルの声が震える。
レオは即座に二つ目を掴む前に、手で制した。
まだだ。
洞窟の奥で、どっと動く気配。
尻尾の赤が大きく揺れる。
そして、火が走った。
油を浴びた体表へ、尻尾の火が移る。
最初は小さい。
だが、嫌な音を立てて胴へ広がった。
「ギィィィイイイッ!!」
洞窟の中から、耳障りな絶叫が弾ける。
眠りを叩き壊された怒りか。
焼ける痛みか。
どちらにせよ、十分だった。
「伏せろ!」
レオの声で全員が身を低くした。
直後、洞窟の中で何かが暴れ、火の粉が口から吹き出す。
赤い火線が暗闇を裂き、岩壁を舐めた。
やはり火を吐く。
だが半睡状態だったせいか、狙いはめちゃくちゃだ。
洞窟の中で自分の炎と油に巻かれ、さらに混乱している。
「ユル、二投目!」
「はいっ!」
若者が歯を食いしばり、二つ目の油袋を投げた。
少し浅い。
だが洞窟口近くで裂け、中の火尾鶏の前肢と地面に油が飛び散る。
十分だった。
火がそこでまた跳ねる。
「ギャアアアアッ!!」
今度の声は怒りより悲鳴に近かった。
次の瞬間、火尾鶏が洞窟から飛び出した。
火に巻かれてなお、その動きは鋭い。
青い鱗に火が絡み、赤い尻尾が狂ったように振れる。
目は細く、明らかに見えていない。
それでも本能のまま、真正面へ突っ込んできた。
「来るぞ!」
バルドが怒鳴る。
火尾鶏の右脚が最初の罠へかかった。
土が崩れた。
ぎりぎり鋭い爪をひっかけるように、踏ん張る。
だが次の一歩が二つ目の穴へ入る。
がくん、と体勢が落ちた。
「今だ、弓!」
レオの声と同時に、弦が鳴る。
矢は火尾鶏の首、胸、肩口へ突き立つ。
硬い鱗に弾かれたものもある。
だが一本、嘴の脇に深く入った。
火尾鶏が甲高く叫び、首を振る。
火花が散る。
その尻尾が横へ薙いだ。
「避けろ!」
ガレスが飛び込んでバルドを突き飛ばす。
真っ赤な尻尾が二人の前を掠め、岩へぶつかった。
危なかった。
まともに当たれば、火傷だけでは済まない。
「まだ動く!」
ロドが叫ぶ。
火尾鶏は罠で足を崩し、火に巻かれ、矢を受けてもなお立ち上がろうとしていた。
嘴が開く、喉の奥に赤い光。
「吐きます!」
テオドールの声が飛ぶ。
レオは反射で地面を蹴り、側面へ走った。
次の瞬間、火尾鶏の口から短い火炎が吐き出される。
一直線ではない、乱れた火だ。
だが十分危険だ。
炎は正面を舐め、罠の縁を焼いた。
その横腹が、今だけ無防備になる。
「そこだ!」
レオが叫ぶ。
弓が再び鳴る。
今度は首の付け根へ二本。
目の下へ一本。
そして最後の一射が、開いたままの嘴の奥へ吸い込まれた。
嫌な音と同時に、火尾鶏の体が跳ねる。
喉を射抜かれたのだろう。
炎が途中で詰まり、口から黒い煙と火の粉が逆流した。
「押せ!」
ガレスが走る。
レオも同時に踏み込む。
今しかない。
火尾鶏はなおも暴れようとするが、罠に取られた足と喉の傷で動きが鈍い。
レオは右から、ガレスは左から、槍代わりに長枝を押し当てた。
押し倒すためではない。
起き上がる向きをずらすためだ。
重心がずれる。
そこへバルドが横から体当たり同然に槍を突っ込んだ。
鱗の隙間、脇の柔らかいところだ。
「入った!」
火尾鶏が苦痛の悲鳴を上げる。
ロドが至近から放った矢が、もう一度目へ突き立つ。
ミハルの矢が首へ刺さる。
レオは転げるように前へ出て、腰の剣を抜いた。
狙うのは、顎の下。
鱗の薄いところ。
「終わりだ!」
全身の力を乗せ、下から喉へ剣を突き上げる。
柔らかい感触を無視して、さらに押し込む。
骨に当たり滑るが、それでも奥へ入る。
火尾鶏の体がびくんと大きく震えた。
尻尾の火が、そこで一気に弱まる。
嘴が開く。
だがもう炎は出ない。
数秒の痙攣のあと、青い鱗に覆われた体が、ずるりと罠の縁へ崩れた。
男たちの呼吸音だけが残る。
「…死んだか」
バルドが絞り出すように言う。
ガレスが火尾鶏の頭を長枝でつつく。
反応はない。
尻尾の赤も、炭火みたいな暗い色へ落ちている。
「死んだな」
その一言で、ようやく全員が息を吐いた。
ユルはへたり込んだ。
ロドは弓を下ろし、肩で荒く息をしている。
ミハルも膝へ手をつき、笑っているのか震えているのか分からない顔だ。
テオドールだけが少し離れた場所で、珍しく本気で青ざめていた。
「…やはり、実際にやると胃に悪いですね」
「見てるだけでそれなら十分だろ」
レオがそう返すと、テオドールは苦い顔で頷く。
「ええ。次からはもう少し心の準備をさせてください」
「そのつもりだ」
「信用なりませんね」
ガレスが喉の奥で笑う。
「だが、案は当たりだったぞ」
「そうですね」
「鶏みてえに寝てた」
「ええ」
「尻尾でちゃんと燃えた」
「ええ」
「お前、性格は悪いが頭はいいな」
「ありがとうございます。前半はいりません」
レオは火尾鶏の死体を見下ろした。
焦げた青い鱗。
赤かった尾は黒くくすみ、まだかすかに煙を上げている。
嘴は鋭く、脚の鉤爪も立派だ。
これもまた、巨猿とは違う形で価値があるはずだ。
「運べるか?」
「重いが猿ほどじゃねぇ、行ける」
レオは周囲を見回した。
洞窟の前に燃え移った箇所はあるが、岩場のおかげで大事にはなっていない。
狙い通りだ。
「…勝った」
ユルが、座り込んだまま呟く。
その声に、誰もすぐには答えなかった。
だが皆、同じことを思っていた。
巨猿の次は、火持ちの魔物。
村の近くに出てきた脅威を、またひとつ狩った。
西の森の岩場に、火尾鶏の死体が横たわる。
明日になれば、こいつもまた剥がされ、分けられ、村の力へ変わるのだろう。
レオは最後に一度だけ、暗い森の奥を見た。
まだいる。
この先にも、もっと強いものが。
だがそれでいい。
ひとつずつだ。
線を引いて、調べて、狩っていく。
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