第13話 寝床を叩け
村へ戻った時には、空はもう少し傾き始めていた。
西の森を背に歩くレオたちの足は速い。
走って逃げたわけではない。
だが、あの火尾鶏を見たあとでは、森の縁に長居する気にはなれなかった。
見張りの若者がこちらに気づき、すぐに駆け寄ってくる。
「どうでした!?」
「面倒なのが増えた」
レオがそう言うと、若者の顔が引きつった。
「ま、また巨猿みたいなのですか」
「種類が違う」
「強いんですか」
「少なくとも、裂牙犬を餌にする程度にはな」
若者はごくりと喉を鳴らした。
広場へ戻ると、テオドールはまだ地図と記録の整理をしていた。
レオたちの顔を見ただけで、すぐにただ事ではないと察したのだろう。
筆を置き、いつもの気だるさを少し引っ込めた目になる。
「何か出ましたか」
「ああ」
「それはまた、嫌な前置きですね」
レオは広場の中央まで行き、集まってきたバルドたちと女衆、それに聞き耳を立てている子供たちも含めて見回した。
「森の浅層に、新しい大型の魔物がいる」
「新しい、だと」
「裂牙犬じゃない。あいつらを食う側だ」
ざわり、と空気が揺れる。
「見た目は鳥と蜥蜴のあいの子だ。頭は鶏みたいで、赤い鶏冠がある。胴は青い鱗。尻尾は真っ赤で、火の粉が舞ってた」
「火の粉?」
村の男が首を傾げた。
「ああ。裂牙犬の死体が焼けてた。しかもまだ燻ってた」
「…火を使うのか」
村の空気が一段冷えた。
巨猿は力の脅威だった。
だが火は、また別の意味で人間にとって恐ろしい。
柵も家も畑も、まとめて焼かれかねない。
レオは続ける。
「仮に火尾鶏と呼ぶ。今のところ正体は不明。だが、裂牙犬を狩ってその場で食っていた。村人だけで対処する相手じゃない」
「浅いところにいたのか」
「ああ。採集帯の端だ」
「…最悪だな」
バルドが吐き捨てるように言う。
その気持ちは分かる。
せっかく森に線を引けると思った矢先、その浅いところへ新しい脅威が顔を出したのだ。
だが、テオドールは違った。
むしろ少し考え込むように目を細めている。
「レオ様」
「なんだ」
「その火尾鶏ですが、最初からそこに棲んでいたように見えましたか?」
「…いや」
レオは思い返す。
あの火尾鶏は、森の王のような落ち着きではなかった。
獲物を食ってはいたが、どこか周囲を警戒している気配があった。
縄張りの中心で悠々と構えている、という感じでもない。
「少なくとも、巨猿みたいに長くそこを使ってる雰囲気じゃなかった」
テオドールは頷いた。
「なら、仮説は二つあります」
「ひとつは、その火尾鶏が若い個体である可能性です」
「若い?」
「ええ。まだ成長しきっておらず、本来棲むべき中層でまともに狩りができない」
「中層じゃ獲物を取れないと」
「あるいは、取れても危険が大きすぎる」
テオドールは地図の上へ指を置いた。
村から見て浅層、中層、さらに奥をざっくり分けるように線を引く。
「中層の魔物が、浅層より一段危険だと仮定します。すると若い個体、あるいは半端な強さの個体は、そこで生き残れない」
「だから浅い方へ落ちてくるのか」
「ええ。裂牙犬のような小型魔物なら、若い火尾鶏でも食えるのでしょう」
「なるほどな」
バルドが腕を組む。
ガレスも無言で聞いていたが、ここで低く言った。
「もうひとつは?」
「追い出された可能性です」
その一言で、また場が静かになる。
「追い出された?」
「ええ。中層に、その火尾鶏より強い魔物が現れた」
「…縄張り争いか」
「あるいは、もっと大きな何かが動いたせいで、棲み分けが崩れた」
テオドールは淡々と続けた。
「強い魔物が中層へ入れば、その下の連中は追われる。追われたものは浅層へ出る。浅層の裂牙犬や小型獣はさらに押しやられる。そうなると、森の脅威が村寄りへ寄ってくるわけです」
「面白くない話だな」
「ええ。非常に」
レオは森の方へ目を向けた。
あり得る話だった。
火尾鶏ほどの魔物が、好き好んで浅い層へ来たのではなく、来ざるを得なかったのだとしたら。
その背後には、もっと厄介な存在がいる。
しかも今はまだ、そいつの姿も痕跡も見えていない。
「つまり」
バルドが低くまとめる。
「火尾鶏が危ないんじゃない。火尾鶏が浅いところまで来てること自体が、もっと危ないってことか」
「そうです」
テオドールはあっさり頷いた。
「もちろん、若い個体が単に楽な獲物を求めて降りてきただけ、という可能性もあります。ですが」
「最悪は考えておけ、か」
「ええ。そういうことです」
広場の空気がまた少し重くなる。
レオは少し考え、それからテオドールに目を向けた。
「火尾鶏の仮説も書いとけ」
「若い個体、または追われた個体、ですね」
「そうだ。あと、中層により強い何かがいる可能性ありも加えろ」
「分かりました」
筆が走る音がする。
村の人間たちは、その音を聞きながら静かに立っていた。
不安もある。
だが同時に、昨日までとは違う顔をしている。
分からない脅威を前にしても、今はこうして整理して、仮説を立てて、手を打てる。
それだけでずいぶん違うのだ。
レオは最後に言った。
「火尾鶏は脅威だ。だが、慌てるな」
「出てきた理由があるなら、その理由ごと利用できる」
「利用?」
「若いなら、獲物の取り方が甘い。追われたなら、縄張りが安定してない。どっちにしろ隙がある」
「狩るつもりか」
ガレスが少しだけ眉をあげた。
「いずれな」
そこでようやく、広場の空気が少しだけ前を向いた。
テオドールは火尾鶏の仮説を書きながら、ふと筆を止めた。
それから、何か考え込むように顎へ指を当てた。
「…ひとつ、案があります」
その声に、レオが顔を上げる。
「珍しいな、顔が少し嫌らしいぞ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
テオドールはいつものやんわりした口調のまま、紙の上の火尾鶏を軽く叩いた。
「村の近くまで来ている以上、いずれ対策は要ります」
「ああ」
「ただ、昼間に正面からやるのは分が悪い」
「相手の習性を利用するべきです」
バルドが腕を組む。
「習性?」
「まだ仮説ですが、あれが頭部だけでも鶏に近い習性を持つなら、夜は目が利かない可能性があります」
「夜目が利かない?」
「極端に視力が落ちる、という意味です」
それを聞いたユルが目を瞬いた。
「鳥なのにか?」
「鳥だからです。少なくとも鶏はそうでしょう」
「…言われてみれば」
テオドールは地図の脇に、小さく文字を書き足していく。
「もちろん猛禽のように夜でも動ける鳥もいます。ですが、あれは見た目も、頭の形も、鶏に近かった。なら、夜間の視力低下は考える価値があります」
「寝るかもしれない、ってことか」
レオがそう言うと、テオドールは頷いた。
「ええ。頭部が鶏寄りなら、夜はどこかの寝床で休んでいる可能性が高い」
「寝床を見つけて叩く」
「そういうことです」
広場が静かになる。
正面から戦わず、寝込みを襲う。
いかにもレオとガレスの戦い方だ。
そして、テオドールらしくもある。
正面突破ではなく、条件をずらして勝つやり方。
ガレスが喉の奥で低く笑った。
「悪くねえ」
「ええ。しかも、さらに都合のいい点があります」
「尻尾が火の粉を帯びているなら、あそこは常時高熱、あるいは着火性の高い部位のはずです」
「つまり?」
「油をぶつければ、そのまま自分の尻尾で燃えてくれる可能性があります」
「…ほう」
レオの目が細くなる。
「自分の火で、自分を焼かせるわけか」
「ええ。非常に合理的です」
バルドが少し顔をしかめた。
「油って、食う方の油か?」
「それでもいいですが、もったいないですね」
「じゃあ何を使う」
「魚油、獣脂、あるいは樹脂を混ぜてもいい。とにかく、まとわりついて燃えるものがあれば十分です」
そこでテオドールは、さらっと続けた。
「スリングの応用で投げられませんかね」
「直接近づいて浴びせるのは危険ですが、油を入れた小袋や壺を飛ばしてぶつける」
レオは一瞬考え込んだ。
石を飛ばすだけなら、もうやっている。
巨猿の鼻を打った時と同じだ。
やること自体は難しくない。
問題は油だ。
「袋が破れなきゃ意味がないぞ」
「ええ、だから薄手の革袋か、焼いた薄陶器か」
「陶器なんてあるか?」
「今はないですね」
「なら革袋か」
「ええ。ぶつかった時に裂ければいい」
バルドが眉間に皺を寄せる。
「待て、そんなに都合よく燃えるか?」
「燃えないかもしれません」
「おい」
「ですが、燃える可能性は高いです」
テオドールは平然と答えた。
「尻尾の先だけが赤く、火の粉を帯びていた。あれが単なる飾りなら意味がない。ですが実際に裂牙犬が焼けていた以上、着火源として機能しているのは確かです」
「じゃあ尻尾へ油を当てるのか?」
「理想は胴から尻尾にかけてですね。体表の鱗まで燃えるかは分かりませんが、少なくとも尾の周辺は火が走るはずです」
「頭は?」
「嘴と鶏冠は焼けやすいかもしれませんが、狙いが難しい、まず胴です」
レオは枝で書いた図を眺めながら、ゆっくり整理する。
「寝床探しが先だな」
「ええ」
「昼間に動きを見て、戻る先を探る」
「あるいは、夕方から追うか」
「夜に完全に入る前に位置を見つけたい」
「それが理想です」
ガレスが口を開いた。
「寝床は地べたとは限らねえぞ。木の上や岩棚なら厄介だ」
「その場合は?」
「火で追い出す。落ちたところを叩く」
「相変わらず乱暴ですね」
「殺す時はだいたい乱暴だ」
それは否定できない。
バルドがテオドールに尋ねる。
「油を投げるってのは、誰がやる」
「俺がやる」
「レオ様が?」
「巨猿の時もそうだった。最初の一撃は、自分で見て打った方が早い」
「危険ですよ」
テオドールが口を挟む。
「知ってる」
テオドールは少し口を引き結んだが、止めはしなかった。
その代わり、静かな声で補足する。
「なら、外した時の二投目を用意してください」
「二投目?」
「ええ。一発で決める前提は危険です」
「誰が投げる」
「…私がやる、と言いたいところですが」
そこでテオドールは自分の腕を見た。
「正直、命中率は期待しないでください」
「分かってる」
レオはすぐに返した。
「お前は後ろで見ろ。位置と風を読む役だ」
「それが妥当ですね」
「投げるのはユルか、ミハルか…」
「俺がやる」
真っ先に言ったのはユルだった。
顔は少し強張っているが、目は逃げていない。
その答えに、レオは一度だけ頷いた。
「なら練習だな」
「今日からか?」
「今日からだ」
バルドが呆れたように息を吐く。
「休む暇がねえな」
「火持ちが村の近くにいるんだ。休んでる場合じゃない」
レオがそう言うと、ガレスが横で笑う。
「ようやく辺境の顔になってきたじゃねえか」
「褒めてるのか」
「半分はな」
広場の脇では、女たちが鍋を片付けながらこちらを見ている。
不安そうではある。
だが、話の中身を聞いて、ただ怯えているだけでもない。
対策を立てている。
勝てる形を探している。
それが分かるだけで、人は少し前を向ける。
レオは土の上の図を見下ろした。
火尾鶏は脅威だ。
だが、脅威なら脅威なりに仕留め方がある。
正面から殴り合わない。
相手の癖を見て、弱い時間を探し、火を逆に使わせる。
そうやって一つずつ、この土地の化け物を人間の側へ引きずり下ろしていくしかない。
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