第12話 森に潜む火
村へ戻るなり、レオは休む前にまず紙を引っ張り出した。
机代わりにしている戸板の上へ、乱暴だが読みやすい字で書きつけていく。
森の浅層調査、第一次報告。
ざっと書き終えると、レオは紙を持って焚き火の脇に座るテオドールのところへ向かった。
テオドールはちょうど、昨日書き出した古龍記録の整理を終えたところらしく、今度は村周辺の簡易地図へ線を足していた。
「テオドール」
「はい」
「森のまとめだ。地図に落とせ」
「早いですね」
渡された紙を受け取り、テオドールは目を走らせる。
最初はいつも通り気だるげだった顔が、途中から少し真面目になった。
「…これはかなり助かります」
「使えるか」
「ええ、これでようやく森を村の外にあるただの脅威じゃなく、管理対象として扱えます」
「そうしたいもんだ」
「分かります」
テオドールは紙を板へ置き、すぐに炭で線を書き始めた。
「村から西へ、まず採集帯。ここは子供や女手も、護衛つきなら使える範囲にできますね」
「ああ」
「次に狩猟帯。小角鹿と森鳩の痕跡があった位置はこの辺りですか?」
「そのくらいだ」
「裂牙犬の痕跡は、その少し奥、と…」
テオドールは頷いた。
「こういうのは最初が肝心です。誰でも入っていい森、という認識のままだと死人が出ます」
「だからお前に書かせてる」
「ありがたい話ですが、また仕事が増えましたね」
「気のせいだ」
「気のせいで片づけないでほしいんですが」
そう言いながらも、筆は止まらない。
バルドたちも後ろから覗き込み、地図の上に線が引かれていくのをじっと見ていた。
森に境目を作る。
村人にとっては、たぶん初めての発想なのだろう。
だが、その時だった。
見張りに出ていたユルが、息を切らして戻ってきた。
「レオ様!西の森の手前に、変なのが!」
全員が振り向く。
ユルの顔色は悪い。
ただ慌てているだけじゃない。
何か、見たくないものを見た顔だった。
「何があった」
「裂牙犬です」
「群れか?」
「いや、違う…死んでるんです」
レオはすぐ立ち上がった。
「どこだ」
「森の入口近く、採集帯の端です」
「数は」
「一匹だけ。でも…普通じゃない」
その、普通じゃないで十分だった。
レオは剣を手に取る。
ガレスも無言で立つ。
バルドとミハルが槍を掴み、テオドールも少し遅れて書きかけの地図を押さえた。
「お前は残れ」
レオが言うと、テオドールはすぐ顔をしかめた。
「またですか」
「森の中を走るより記録係の方が向いてるだろ」
「理屈としては正しいので反論しづらいですね」
「地図を隠しとけ。珠もだ」
「はいはい、分かっていますよ」
その返事を背に、レオたちは森の縁へ急いだ。
森は、昼だというのに少し薄暗かった。
木々の影が重なり、湿った空気が籠もっている。
足を止めれば、昨日までと同じ森の匂いがする。
土、葉、樹液、獣の気配。
だが今日は、それに別のものが混じっていた。
焦げた匂いだ。
「…焼けた臭いか」
レオが低く言うと、ガレスも頷く。
「火だな。しかも、ついさっきだ」
少し進むと、すぐにそれは見つかった。
裂牙犬の死体だった。
犬と蜥蜴のあいの子みたいとは聞いていたが、確かにそのまんまだ。
だが今は、地面に転がってぴくりとも動かない。
しかも、ただ死んでいるんじゃない。
焼けていた。
胴の側面から首にかけて、鱗と毛皮が黒く焦げ、肉が裂けている。
単に火に巻かれたのではない。
もっと強い熱を、一瞬で叩きつけられたような焼け方だ。
なお悪いことに、死体の脇からはまだ細く煙が立っていた。
燻っている。
「新しいな…」
バルドが槍を握り直す。
レオはしゃがみ込み、死体を見た。
傷口は噛み跡ではない。
爪で裂いた感じとも違う。
高熱で焼き抜いたような跡がある。
「近くにいる」
レオは立ち上がった。
それは確信に近かった。
裂牙犬を狩って、その場で捨てるような真似をしている。
縄張りの中だと主張してるようだ。
「全員散るな」
ガレスがわずかに顎を動かした。
前方の少し開けた先。
レオも気づいた。
木立の向こう、低い藪を押し分けるようにして、何かが動いている。
何かが折れる音。
肉を引き裂くような湿った音。
そして、ちらちらと赤い火の粉。
レオはそっと木の幹へ身を寄せ、そこから覗き込んだ。
まず目に入ったのは、頭だった。
鶏の頭に似ている。
いや、似ているというには禍々しすぎるが、形はたしかにそうだ。
嘴は短く鋭く曲がり、頭頂からは赤い鶏冠のようなものが生えている。
それが血のように鮮やかで、妙に生々しい。
だが、首から下は鳥ではなかった。
胴体は蜥蜴か、小型の竜か。
青い鱗に覆われ、光を受けてぬめるように鈍く光っている。
二本の脚は太く、地面をしっかり掴んでいる。
前肢は短いが、獲物を押さえ込むには十分そうだ。
そして尻尾。
長い上に、先端が箒のようになっている。
真っ赤だった。
ただ赤いだけじゃない。
火の色だ。
炭火の芯みたいに赤く、尻尾の先から細かな火の粉が絶えず舞っている。
そいつは、なぎ倒した裂牙犬の死体を前にしていた。
片脚で押さえつけ、嘴で肉を引き裂き、がつがつと食っている。
焼いて、殺して、食っている。
「…なんだ、あれは」
ユルの声は囁きに近かったが、震えていた。
無理もない。
裂牙犬の群れですら、村人にとっては厄介な相手だ。
その裂牙犬を、ただの餌みたいに食っている。
しかも火を使う。
「初見だな」
レオは低く言った。
ガレスは目を細めたまま頷く。
「鳥頭だが、鳥じゃねえ。鱗の出方は竜種寄りだ」
「火を吐くと思うか」
「尻尾があれだ。吐いてもおかしくねえな」
「だろうな」
その時、そいつが裂牙犬の骨を噛み砕いた。
音が森に響く。
レオたち全員の喉が鳴る。
「…村人だけじゃ無理だな」
バルドが絞り出すように言った。
「裂牙犬までなら何とかなる。だが、あれは…」
レオも同意した。
少なくとも今の村の戦力で、正面から狩りに行く相手じゃない。
巨猿とはまた違う脅威だ。
あちらは力の塊。
こっちは速さと火を持っていそうだ。
しかも浅い層近くまで出てきている。
「名前が要るな」
レオがそう言うと、ガレスが口の端を歪めた。
「そういう時は大抵ろくでもねえ」
「火尾鶏蜥蜴…いや、長いな」
「見たまんまじゃねえか」
「なら、火尾鶏でいい」
「雑だな」
「雑で十分だ。生き物の名前なんて最初はそんなもんだろ」
その時だった。
火尾鶏、仮にそう呼ぶことにしたそいつが、ふいに動きを止めた。
裂牙犬の肉を咥えたまま、ぴたりと首が止まる。
鶏冠がわずかに揺れた。
そして、ゆっくりとこちらを向く。
赤い目だった。
鳥の丸い目というより、もっと冷たい、爬虫類じみた目。
その視線が、木の幹の陰に隠れたレオたちのいる方を、正確に射抜いた。
「…ばれたな」
ガレスが低く言う。
レオは剣の柄に手を置いたまま、短く息を吐いた。
火尾鶏の口元から、白い煙が細く漏れる。
赤い尻尾の先で、火の粉が一段強く舞った。
そいつは裂牙犬の死体を蹴り捨てた。
足元の落ち葉が、ぱっと焦げる。
「下がるぞ」
「戦わねえのか!?」
レオは即座に言った。
「こいつは調査対象だ。今ここで消耗する理由はない」
「でも」
「浅層に出る火持ちの魔物がいるって分かった。それだけで今日は十分だ」
火尾鶏が低く、喉の奥で鳴く。
鶏の声にも、蜥蜴の唸りにも似ていない。
炭が爆ぜる前の、あの不吉な音に似ていた。
レオは一歩、静かに後ろへ下がる。
目を逸らしすぎず。
だが、挑発もしない。
見て、覚えて、生きて帰る。
今はそれでいい。
森の浅層は、昨日まで思っていたよりずっと危険で、そしてずっと価値がある。
裂牙犬を焼いて食う火持ちの魔物までいるとなれば、なおさらだ。
「…戻ったら、テオドールに書かせることが増えるな」
小さく呟くと、ガレスが肩を揺らした。
「その前に、魔法狂いを呼んどいて正解だったかもな」
「ああ」
「火を見る目は、ああいう手合いの方が早い」
「違いない」
火尾鶏の赤い目が、なおもこちらを見ている。
森は静かだった。
静かなのに、張りつめていた。
新しい獣ではない。
新しい脅威だ。
そしてたぶん、新しい資源でもある。




