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第11話 森を食うなら、森を知れ

エルマーが家を飛び出した頃。

レオは、村の西に広がる森の手前に立っていた。


朝靄がまだ薄く地面を這っている。

夜露を含んだ草が、革靴の先を静かに濡らした。


巨猿を倒してから、村の空気はわずかに上向いた。

だが、だからといって問題が減ったわけではない。

むしろ増えたと言っていい。


食料、素材、防衛。

そして、村のすぐ外にある森。


あの巨猿がどこから来たのか。

森の浅いところに何がいるのか。

獣は獲れるのか。

村人だけで狩れる範囲はどこまでか。


それを知らないままでは、次の一手が打てない。


「まずは浅いところだけだ」


レオは背後の面々に言った。


「無理はしない。獲物を追いすぎない。痕跡を見るのが優先だ」


「分かってる」


バルドが短く答える。


同行しているのは、ガレス、バルド、それに村の若い男が二人。

ひとりは昨夜、槍を握っていた青年で、名をユルといった。

もうひとりは少し年下の痩せた男で、ミハル。


テオドールは連れてきていない。

本人が「私は森の中を走り回るより、村の中で地図と記録をまとめていた方が役に立ちます」と、いつも通りの調子で言ったからだ。


正論だった。


「爺さん、前」


「おう」


「バルドは俺の左。ユルとミハルは少し下がれ。音を立てるな」


「はい」


森へ入る。

途端に、空気が変わった。


緑が濃い。

ただ木が多いだけではない、もっと重たい息苦しさがあった。


旧大陸の森も、深い場所は暗い。

だが、この新大陸の森は質が違う。


木々が太い。


一本一本が、村の建材に使われていた木とは比べものにならないほど幹が太く、根も大きい。

地面の上を這うように張り出した根が、自然の土塁みたいにうねっている。

葉も分厚く、重なりが濃い。

朝だというのに、少し奥へ入るだけで光が細くなる。


「木の種類も違うな」


レオは幹に手を当てた。

表皮は硬く、ざらついている。

爪で軽く引っかいてみると、樹液が少し滲んだ。


「香りが強い、燃えそうだな」


ガレスが言う。


木材としても悪くなさそうだ。

硬く、重い。

柵材に使えば、今の柔らかい木よりはるかにましだろう。


「無闇に伐るのは後だな」


「ああ。今は覚えるだけにしとけ」


レオは地面を見る。

落ち葉が厚い。

湿った土は柔らかく、足跡が残りやすい。

これは助かる。


「止まれ」


レオが手を上げる。

前方の地面に、細い足跡がいくつもあった。


小さい、蹄に近い。

だが、鹿とも少し違う。


ミハルがしゃがみ込む。


「これは見たことあります。小角鹿です」


「小角鹿?」


「ええ。鹿に似てますが、額の上に短い角が二本あるやつです。群れで動きます」


「危険は?」


「浅いところなら逃げます。追い込まなきゃ襲ってこない」


「食えるか」


「食えます。肉もそこそこ」


レオは頷いた。

まずひとつ、浅い層には村人だけでも狩れそうな獲物がいる。


さらに進む。


次に見つけたのは木の実だった。

胡桃に似た殻を持つ実が落ちている。

その近くには、低木に赤黒い実。


バルドが顔をしかめる。


「赤い方は駄目だ。前に食って腹を壊した奴がいる」


「胡桃みたいなのは?」


「割れば食える。ただ硬い」


「なら回収候補だな」


レオは頭の中で森を分け始めていた。


採集できるもの。

狩れるもの。

近づくべきでない場所。


戦場でも同じだ。

まず地形を知る。

次に安全圏と危険圏を切る。

その上で、人と物を動かす。


「…血の匂いがするな」


先を歩いていたガレスが低く言った。

全員の動きが止まる。


風に混じって、たしかに鉄臭い匂いがあった。

レオは剣の柄に手をかけ、視線だけで左右を見る。


少し先の藪に、羽毛が散っていた。


近地面には引きずった跡。

そして、半ば食い荒らされた獣の残骸。


「鳥か」


「森鳩だな」


バルドが言う。

村でもたまに浅いところで獲れるらしい。


だが、レオの目を引いたのは死骸そのものではない。

その周囲に残る爪痕だった。


小さい。

だが数がある。


四本指。

獣というより、爬虫類に近い印象。

足跡は乱れ、複数。


「群れだな」


「ああ」


ガレスがしゃがみ込み、死骸の裂け方を見た。


「一匹でやった噛み跡じゃねえ。小せえのが何匹かで食ってる」


「大きさは」


「犬より少しでけえ程度。だが牙は鋭そうだ」


ユルが顔を曇らせる。


「たぶん、裂牙犬です」


「犬か?」


「いや、犬っていうか…犬と蜥蜴の間みたいな」


「ずいぶん嫌な言い方だな」


「実際嫌なやつです。群れで来るし、腹が減ってると人も狙う」


なるほど、とレオは思う。

浅い層にも、村人が不用意に入れば危ない相手はいる。

ただし巨猿ほどではない。

対処不能ではなさそうだ。


「村だけで狩れるか?」


「裂牙犬なら、数が少なければ」


「罠と槍が要るな」


「ええ」


そこで、森のさらに奥から低い唸り声が響いた。

全員の背筋が強張る。

音は遠い、だが確かにいた。


大きい。

少なくとも裂牙犬みたいな小物ではない。


レオはすぐに手を下げた。


「戻るぞ」


「追わねえのか?」


「今日は調査だ。戦いに来たんじゃない」


「賢明だな」


ガレスが口元を歪める。

バルドたちも異論はなかった。


森の浅い層だけでも、もう十分に分かったことがある。


小角鹿に森鳩。

食える木の実。

硬い建材向きの木。

そして、裂牙犬のような群れる小型魔物。


さらに少し奥へ入れば、もっと大きい何かがいる。


「村人だけで狩れる範囲は、入口からここまでだな」


森を出る手前で、レオは地面に線を引くように足先で印をつけた。


「この先は?」


「まだ駄目だ」


ユルが少し悔しそうに言う。


「でも、鹿はいます」


「いるな」


「森鳩も」


「いる」


「なら、もう少し…」


「欲をかくな」


レオはきっぱり言った。


「狩れるのと、生きて帰れるのは別だ」

「小角鹿はいい。森鶏もいい。裂牙犬は数が少なければ対処できる。だが、その先にいる大物の縄張りまで混じってるなら終わりだ」


バルドが頷く。


「今までは腹が減ると、少し奥まで行っちまってた」


「それで死人が出たか」


「出た」


短い返事だった。


「なら線を引く」


レオは改めて森を振り返る。


「ここから村側を採集帯。さらに少し入った範囲を狩猟帯にする」


「狩猟帯?」


「罠を張り、足跡を見る。獲物を追うのはそこまでだ」


「その先は」


「調査待ちだな」


全員が黙る。

レオは続ける。


「浅い層ですら、魔物が混じってる。無秩序に入るから危ない。逆に言えば、入る範囲を決めて管理すれば使える」


「…なるほどな」


バルドが低く言った。


「森全部を相手にする必要はない、ってことか」


「そうだ。まずは使える端から使う」


「奥は?」


「今は見ない、あとで見る」


あとで。

その言葉に、ガレスが小さく笑った。


「どうせそのうち、奥まで行く気だろ」


「そりゃな」


「若えな」


「爺さんも止める気ないだろ」


「止める時は止める」


それが頼もしい。

村へ戻る道すがら、レオは頭の中で次の手を並べていた。


森の浅い層には価値がある。

だが同時に、管理しなければ死人が出る。


なら必要なのは、狩猟班だ。

罠を張れる者。

痕跡を読める者。

不用意に深追いしない者。


それに加えて、裂牙犬対策の槍と柵。

建材用の木の切り出し。

採集帯の地図。


やることは山ほどある。

だが、それでいい。

何もないより、ずっといい。


「レオ」


村が見え始めた頃、バルドがぽつりと言った。


「なんだ」


「お前、本当に足で見るんだな」


「当たり前だろ」


「貴族ってのは、もっと偉そうに椅子に座って命令するもんだと思ってた」


「それで森の中身が分かるなら楽だな」


「違いねえ」


そこで、少しだけ笑いが起きた。

小さい。

だが、昨日より自然な笑いだった。


村の外れまで戻ると、見張りの若い男が駆け寄ってくる。


「どうでした!?」


「狩れる」


「本当ですか」


「ただし線を引く。勝手に奥へ入るな」


レオは森を指差した。


「今日のうちに、採集帯と狩猟帯の目印を決める。テオドールにも地図を書かせる」


「地図まで?」


「森を食うなら、森を知らなきゃ駄目だ」


若者は少しぽかんとしたあと、強く頷いた。

その顔を見ながら、レオは思う。


村はまだ弱い。

だが、足で調べれば使えるものがある。

線を引けば守れる場所がある。


そうして一つずつ、人間の側へ取り返していくしかない。


西の森はまだ深く、暗い。

だが、その入口にはもう最初の印を打った。

次は、そこを村のものにする番だ。

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